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第三章 1 お目付役 2 新人研修で、またカスと思われて


   第三章


   一


「ど、どのようなご用件で?」

「あら、近くに寄ったので、ご挨拶をと思っただけですわ」

 わたくしは、王宮騎士団支部の騎士副団長に微笑みかけた。

 騎士団長は、現在、諸用によりこの都市を離れているとのことだ。代わりに対応する副団長からは、緊張の気配が見て取れる。

 支部の副団長なので、仕方が無いことだが、流石に肩が凝る。

「そんなに緊張なさらないで下さいな」

 そうお願いしたのだが、騎士副団長は緊張が解けていないままに言葉を続けた。

「術士協会筆頭・三界の一つ。大地の称号を持つ貴女様に失礼な態度は取れません」

「ですから、堅いですわ。わたくし、ミミル・カルカネと言う名前があるんですわよ?」

 そう、わたくしにはきちんとした名前がある。

 だが、その名で呼ぶ者が居なくなってどれくらい経つだろうか。

「それで、どこか宿を紹介して頂きたいのですけれど」

「しばらく滞在されるのですか?」

「ええ。教会主催のお祭りがあると伺いまして」

 本来ならば、教会に所属している空の称号を持つあの男が来るべきなのだろうが、神様から来るなとのお告げがあった等と言って、術士協会の代表を辞退したのだ。そもそもあの男は教会の枢機卿という立場なので、来ない方が問題だろうに。

 正直、自分が来る必要はないと思ったが、そのお告げとやらが少々気がかりで、自分が来たわけである。

 ま、あのお馬鹿の様子も見たかったことですし。

「でしたら、我々の上級宿舎にご用意致しましょう」

「いえ、それでは皆様が落ち着かないでしょう?」

 それに、折角自分一人で動ける状況なのだ。折角だから、街を気ままに見て回りたい。

「わかりました。最高の宿を手配致します」

「お願い致しますね」


   二


 私は宿の一室でごろごろとだらしなくベッドに転がっていた。

 あれだけ働いたのだ、これぐらいは許されるはずだ。

 だが、そんな気分を害してやまないノック音が響く。

「ジーラさんは留守で~す」

 だらけながら、馬鹿にするような返事をしてみる。

 今更、風聞を気にするならば、都市でカスなどと呼ばれちゃいない。

 服も薄着で、その着替えも面倒だ。

「なら、ドアをぶち破って確認させて頂こうかしら?」

 全身の毛が逆立つような怖気。身体が自然に動き、ローブを速攻で羽織った。

「あと、十数える間に出てこなかったら、ドア壊しますわよ?」

 私は、ドアではなく、窓へと向かった。

 窓から飛び降りる。

 通行人が、ぎょっとした表情で、こちらを見つめていた。

 室内に、爆発音が響いた。

 本当にやったよ! しかも、絶対十数えてない!

「あら、本当にいませんわね。返事がしたのに」

 こえぇ! 本気で、怖い!

 窓から覗いた顔には、笑顔が張り付いていた。

 長い耳がエルフであることを示していた。だが、彼女がその上位種であるハイエルフであることを、私は知っている。

 背は低く、美少女といった見た目だが、彼女の年齢は四桁を超えている。

 金色の長髪。瞳は碧。肌は白く陶器のようだ。華奢な身体は、儚く見えるが、百戦錬磨のクソババアだ。

 術士協会が筆頭、ミミル・カルカネ。四大属性を極め、術士協会の頂点に位置する三人が一人。空、大地、海の三界の称号が一つ、大地を授与された化け物術士。

 私は、とにかく走った。路地裏を利用し、曲がり角を自分でも後先考えなく適当に曲がっていく。

 土地勘が無いであろうミミルならば、早々追いつけまい。

 狭い路地裏に、風が吹いた。

 建物と建物に挟まれ、風などほとんど吹かないであろう、この場所に。

 否、多分、この風は都市中に吹いたのだ。

 私を見つけるために。そして見つけたことを、風がミミルに報告する。

「み~つけた」

 空を飛ぶ見た目だけは少女のハイエルフが、こちらを見下ろしていた。

「ぎゃああああ」

 思わず、悲鳴を上げてしまう。

 怖い、怖いよ!

「ちょっと、流石に傷付きますわ」

 拗ねたように、唇を尖らせた。

 キョロキョロと逃走経路を模索する。

 いっそ、眼鏡を外して、戦闘に至ろうかとも考えたが、流石に知り合いに対して、悪戯程度ではない呪いをかけるのは、やり過ぎである。

「風と水、合わせると?」

「……氷」

 時間差で、先ほど風が吹いた路地裏が凍り付く。

 私の足は氷で固定された。

 反属性以外の混合術。これは精霊術士でも使える者は多いメジャーな術だ。

 私は諸手を挙げて、降参の意を示す。

「なんで逃げましたの?」

「いや、説教かなって」

「確かに説教ですけれども」

 私の身体が風により空中に浮く。氷は意識する間もなく消滅していた。

 やっぱり、凄い、というかやばい、そんな感想が出てくる。四大属性を、指先程度の具現しか出来ない私からは、街中に風を飛ばすことが出来る、この少女の姿をしたババアの凄さに、思わず感嘆の溜息が出る。

 しかも、風の属性は、四属性の内、二番目に苦手とか言っていたはずだ。つくづく化け物。

「何か失礼なこと考えておりません?」

「相変わらず、凄いなって考えてただけ。もしかして、じっさまも?」

「あの方は、神様のお告げで、この都市には来ちゃ駄目らしいですわ」

 そかそか。なら、最悪なんとかなるかもしれない。

 改めて逃走について思考を巡らせるが、とりあえずはミミルに従うことにした。

 そして、ふわふわと浮いたまま、街ゆく人の好奇の目に晒されながらも着いたのは、組合だった。

 そして、施設内に放り投げられた。

 どん、と地面に落ちる音がして、皆の視線が集まる。

 恥ずかしい。なんか、転んだのを皆に見られたかのような気分だ。

 慌てて立ち上がると、組合長が、不機嫌そうな顔で近づいてきた。

「おいおい、昨日、あれだけの事しておいて、良く顔を出せたな」

「私だって来たくなかったわよ。後ろのババアに連行されたの」

「ババア?」

 組合長が、私の後ろを確認し、その後、口を魚のようにパクパクとさせ始めた。

「ご機嫌よう、支部長様」

 言いながら、私にはゲンコツをかました。

 いだい。

 因みに、組合長と皆が呼んでいるが、正しくはミミルが言ったとおり、支部長が正しい。都市の組合ではトップなので、たいていの都市では、支部長を組合長と呼ぶことが慣例となっている。

 だが、本当の組合頂点である組合長と付き合いのあるミミルは、流石に組合長とは呼べないのだろう。

「少し、お伺いしたいことがあるのですが、構いませんか?」

「も、勿論です。ささ、奥のお部屋へ」

 再び私の身体が浮き上がり、奥の部屋に連れて行かれる。

 そして、私の身体は組合長の部屋のソファに乱暴に放り投げられた。

 私の横にミミルが、優雅に座る。術士らしく、ミミルもローブなのだが、気品というものは隠せないようだ。

「君、珈琲を」

「はい」

 秘書が、珈琲をまず、ミミルの前に置いた。

 私は、その珈琲を自分の前に移動させる。すると、私用だったと思われる珈琲を持っていた秘書は、テーブルに置くこと無く下がっていった。

 珈琲をすする。以前貰った珈琲より、明らかに美味い。多分、高い豆である。そして、先ほど持ち帰ったのは、安い豆なのだろう。

 再び、珈琲を持った秘書が現れ、皆に飲み物が行き渡ったところで、会話が再開された。

「この間の風龍討伐の、報告書を見たいのだけど」

「ええと、まだありません。そして、これからもきっと作られませんよ?」

「あら、何故?」

「そこの馬鹿が、作らないからですよ。普通なら、そんなことすれば、仕事を紹介しないとか、追放とかペナルティを与えるんですが、こいつの場合、喜ぶじゃないですか」

 ミミルの切れ長の眼が、こちらを睨みつけてくる。

「なら、ここに来る必要はなかったですわね。それで、ジーラ、報告聞かせてくれるのでしょう?」

「美人の術士と格好良い剣士様が、協力して悪い龍を倒して、その後二人は結婚して幸せになりました」

「振られただろ」

 ぼそりと、組合長が付け足した。

「支部長様、わたくしの代名詞である三属性混合術を見てみたいと思いません?」

「する、ちゃんと報告するから!」

 この部屋なんか簡単に消滅するから。

 三属性混合術。反属性に、更に別の属性を混ぜることで、消滅せず術として完成させた代物である。因みに、使い手はミミル以外に存在しない。それ程までに、精緻なコントロールが必要らしい。

 私は、龍を狩った際の状況を説明した。組合長に知られたくないことは隠したが、ミミルは私に羽が生えていることや、出自について知っているので、勝手に察してくれることだろう。

「貴女ねぇ、二つ名を狩ったら、報告しないと手配が解除されないじゃない」

「そうですよね、ね?」

 小物臭くなってきたな、と思いながら、呆れた視線を組合長に送る。

「なら、私に頼らず狩って頂戴。仮にも都市を救ったのに、文句ばっかり言われたら、流石にやるせないわ」

「一応、術士協会の面子もあるんですわよ? 貴女、自分の立場わかってらっしゃるの?」

「わかんないわよ。そもそも、無理矢理立場押しつけたくせに」

 まあ、そうですけど、とミミルが口ごもった。一応、自覚はあるのだろう。

「というか、そんなに言うなら、あの称号剥奪してよ。いらないわ、い~ら~な~い」

 ミミルの眼が完全に座った。

 やば、調子に乗りすぎた。

「貴女、あの称号は選ばれた者しか得ることが出来ない称号なのよ。わかってらっしゃる?」

「でも~」

「貴女は、私と同格の海の称号を持つ術師なんですわよ! その自覚を持ちなさい!」

 数多の弟子を持つ先生としての叱り。結構怖い。

「いや、だって、海って呪術と闇の属性のトップでしょ。絶対数が少ないだけだし」

 キッ、と睨まれ、口を閉ざす。

 だが、あの授与式を思い出すと、やはり納得は出来ない。

 二十回ほど授与を断り続けたところ、空と大地の称号持ちの二人が迎えに来たのだ。相性的には、一人には勝てるが、もう一人には負けるといった状況だった。簡単に言えば、空、大地、海の三人はじゃんけんみたいなパワーバランスなのだ。

 そして、私は捕縛され、その縛られた姿で開催された授与式。こんな状況は皆に見せられない、と、最低限の人間だけで行れた。

 私が、いやだ~、いらない~、と言っているのに無理矢理、胸に称号の証である勲章を着けられたのだ。

 酷い話だ。

 おかげで、海の称号持ちが誰かを、世間はあまり知らない。それだけが救いである。

「ところで、一匹目のほう、そんなに苦戦しましたの?」

「え、ああ。あれは、護られるのが嬉しくって……」

 呆れ顔のミミルと組合長。

「このテスラさんって、確か、貴女の相棒の方ですわよね? この人は、教会内の階級はどれくらいなのかしら?」

 何だろう、この質問。

「確か、下から二番目って言っていたかしら?」

 騎士とか、準聖騎士とか、正式な呼び方もあるが覚えていない。組合みたいにGからSとわかりやすくして欲しい。

「因みに貴女は?」

「F」

 どや顔で言うと、「なんでですの⁉」と叫ばれた。

 一応、術士協会のトップの一人が、組合内で雑魚扱いされているのは、面子に関わるのだろう。

「だって、ジーラ、報告しないんですよ! こっちも、実績ないのに階級上げられないです。規定がありますから」

「だってC級以上は、招集に参加しないとじゃん。や~よ、そんなの」

 ミミルは、頭を抱えていた。私の普段の行いに対して、本気で頭が痛そうだ。

 そんな状況でありながら、組合長が「あの~」と恐る恐る口を開いた。

「なにかしら?」

「その、ジーラに一件、仕事を依頼したくて」

 あ、ずるい! ミミルがいる状況で頼む気か!

「受けなさい」

 冷淡な声と視線。多分、この視線で水を見たら、きっと氷が出来る。

「内容くらい聞こうよ⁉」

「といっても、危険は少ない。ひよっこ達の初任務に対する同行、わかるか?」

「ええ」

 組合では、組合員になった最初の任務を、ベテランが

面倒をみることになっている。しかも、その任務も整備されており、初心者用の決められた場所、魔物で行うことになっている。

 たしか、C級以上の組合員が同行すること、だったはずだ。

「正確には、C級以上、もしくは組合指定の者、だ。だから、お前で問題ない。実力『は』、間違いないからな」

 は、を強調するんじゃないよ。他は間違いがあるみたいじゃないの。

「でも、あえて私に頼むの? 組合長、私だとごねて面倒だから、私じゃ無くて良いことなら、私に頼まないでしょ?」

「わかってんなら、もっと協力してくれ。ああ、まあ、いい。理由なんだが、受付嬢のキシリーを知ってるか?」

「顔見れば、わかるかも」

「あ~、確かに、お前は受付嬢から仕事受けないもんな。キシリーは、C級の組合員なんだが、以前に大怪我して、その治療の間、受付をやっててもらったんだが」

 説明を続ける。

 以前、パーティが壊滅するような被害に遭い、その際に大怪我を負ったそうだ。幸い、死者は出なかったらしいが、そのパーティは解散、自分も自信を失ってしまったそうだ。

 怪我はとっくに治っているらしいが、恐怖で現場に出るのが怖いらしい。だが、本人としては復帰したいという気持ちがあるとのことだ。だから、簡単な任務である新人への同行を復帰戦としてさせようと思っているらしい。同時に万が一に備えて、ある程度の実力がある者を連れて行かせたいとのことだ。

 加えて、自信を持たせるには、C級以上の者より、自分より下の階級の方が良いだろうと考えたそうだが、同時に不安がある、と。そうなると、都合が良いのが、私だった、ということらしい。

「え、やだ」

 ばちん、と頭を叩かれた。

 叩いたババアは、隣で涼しい顔をしている。

 こ、こわっ。無言で暴力振ってくる奴は、怖い。

「わかった、受けるわ」

「頼んだ。一応、キシリーには伏せておくが、リーダーはお前だ。いざって時は、リーダー権限使って、撤退なりの指示をしてもらって構わん」

「へ~い」

「本当に、頼んだぞ?」

「大丈夫よ。目の前で人に死なれるのは、結構堪えるくらいの、普通の感性持ってるから」

 とりあえず、明日実施するとのことだ。

「じゃあ、明日に備えて帰るわ」

「あら、わたくしに、この街を案内する仕事がありますわよ?」

「組合長、仕事依頼して良い? 多分、新人でも出来る仕事」

「わりいが、術士協会の会長を案内できるほどの、肝座った組合員なんて、いねぇからな?」

 は~、と溜息を吐いて、今日一日気疲れと付き合うことになった。

 そして、宿に戻って、部屋がボロボロになっていることを思い出し、もう何もかもが嫌になったのは言うまでもない。

 宿の女将さんに犯人の居場所を伝えて、私は酒場の方の自室で寝た。女将さんは怒ると怖いので、ミミルも弁償せざるおえないだろう。


 次の日、組合に行くと、既に面子は集合していた。約束の時間にはまだあるはずだが、皆、少し入れ込みすぎではないだろうか?

 あまり良い傾向じゃないわね。実際、皆の顔は緊張に強張っている。

 特に受付嬢のキシリーが、一番緊張しているのが良くない。これじゃ、新人に余計な緊張が伝播する。

 その集まりに、「よろしくおねがいしま~す」と緩い調子で参加する。

「あ、よろしくお願いします」

 新人の一人が頭を下げた。

 全員集合と言うことで、簡単な自己紹介が始まった。

 新人の一人目は、コレアと名乗った。私より二歳ほど年下の男の子。種族は人族。ショートソードに、革の鎧という軽装備。初仕事前に、バイトか何かでお金を貯めて買ったのだろう。

 二人目は、クロワという女の子。種族はこちらも人族。年齢は、私と同じくらい。斥候の役割で、戦闘は護身程度という事だ。愛想のよい子で、モテるんだろうなぁ、と言った感想。

 最後の一人は、モッド。この中では一番強そうな男の獣人。どうやら熊の獣人のようだ。獣人の年齢はイマイチわからないが、二重になるかならないかと言ったところだと予想してみる。筋肉質で、鍛えてきましたというのが、目に見えてわかる。武器は斧で、技術よりも、腕力が売りと言った感じ。

 術士いないんだなぁ。ま、人気ないわよね、トップがあんなババアの組織。

「私はFランクですが、参加させて頂きます」

「はい、お願いします」

 皆と共に頭を下げる。

 因みに、組合長は、私のことをどのように説明しているのだろうか?

「キシリーさん、私の事って、どう聞いています?」

「え、えっと……」

 困ったように、苦笑いで周囲を見回すキシリー。普段は、スーツを着ている彼女だが、今日は革の鎧などの軽装鎧を着用している。彼女の普段の役割も斥候のようだ。

 年齢は、私の一回り上といったところか。

 後方支援系少ねぇ。ま、初心者任務なら、私が素手でも問題ない程度だろうし、いいんだけどさ。

「その、Fランクからずっと上がれないので、もう一度研修を受けているって」

「は、ははは」

 力ない笑みがこぼれた。

 いや、まあ、受付嬢は知らないよね。組合員達は、一緒に狩りに行ったりするけど、報告してないし。受付嬢的には、ず~っとFランクで、組合長と喧嘩しているわけわかんない女よね、そりゃ。

 噂が流れていないのは良いことだ。組合で有名になったら、もう手伝わないって、知り合い共に言い含めているのが役立っているのだろう。

「あたしが、今回の引率役になるキシリーです。普段は受付やってますけど、歴としたCランクなので、安心して下さい」

「「「はい!」」」

 輝いているなぁ。私は、こんなにすれてしまったよ。子供の頃から、辛い目に遭ってきたからかなぁ。

「じゃ、まずは携帯食を買っていきましょ」

 新人達と一緒に売店による私に、怪訝な眼を見せる店主さん。察して。そんな目で見ないで。

 私の買い物の金払いの良さなどから、店主は私のことをそれなりに知っているのだ。

 園児と本気で遊ぶ大人みたいな目で見らている。いたたまれない。

 皆と同じ物を購入し、キシリーのもとへと戻る。その後、簡単なレクチャーを受け、目的地に向かう。その道程も、新人達が地図で確認しながら進むことになっている。

 私、こんな研修受けたこと無いな。組合に所属させられたとき、既に海の称号持ってたしな。

 目的地は、森の奥の洞窟。距離はそれなりにあるが、日帰りで帰れる距離だ。

 斥候が優秀なのか、地図を見間違うこと無く、目的地に向かって行く。途中で現れた魔物達も、三人がさっさと狩ってしまった。

 このままならば、出番はなさそうだ。

 皆の緊張も解け、会話も弾んでいる。キシリーも、楽しそうに、先達として知識を披露している。

 強いて問題を言うのならば、私だけその輪に入れていないことだろうか。

 いや、寂しいとかじゃないんだけど、ちょっと出遅れただけで。

 考えてみれば、昔から、テスラ挟んで、誰かと仲良くなること多かったな。私だけでって、あんまりないんだよなぁ。

 というか、このままだと、仕事しないで、報酬だけ受け取る最低な奴になりそうだ。

 森の奥で、組合の作った矢印看板が目に入った。初心者と書かれた矢印は東に向いており、上級者と書かれた矢印が北西を向いていた。

 ここだけは、間違えると命に関わるためか、目立つようにでかでかと、明確に書かれていた。

 初心者の方に、違和感はない、だが……。

「上級者の矢印の先、なんか悍ましい気配を感じるわ」

 私の言葉に、「上級ですからね。やばいのが居るんですよ、きっと」とコレアが気楽に返してきた。

 キシリーに視線を送ると、一瞬考えるように、顎に手を置いた。彼女は、パーティが壊滅した過去がある。こういった見極めには慎重になるはずだ。

「私は、無理することはないと思うわ」

 正直、お荷物の安全確保が仕事なのだ。危ない橋を渡る義理はない。

 だが、他の三人が、大丈夫だ、いけるいける、等と無責任なことを言い出す。加えて、びびってるんですか、Fランクなのに、とこちらを煽り始めた。

 この森を焼き尽くすことぐらいしてやろうか、この野郎。

「キシリーさんが居るんですし、大丈夫ですよね?」

「え、ええ。そうね」

 新人に期待されたことが嬉しかったのか、とっさにそのような反応を返すキシリー。私は内心、舌打ちする。

 杞憂で無かった場合、面倒なことになる。

 私は、鎚持つ手に力を込め、脳天気に話ながら進む四人の後に続いた。

 ちょろりと、気付かれないようにレヒとリンクが現れ、前の四人に対する苦情じみたジェスチャーをしてきた。

 うんうん、わかるけど、隠れてて。なんだかんだで、可愛いお目々だ。

 洞窟の中に入ると、生臭い臭いがする。苔とカビの混じった、湿り気のある空気。

 ランタンを手に、奥へと進んでいく。

 だが、魔物は一切出てこない。

 新人の任務は、この洞窟内の魔物を一体狩り、その討伐証明部位を持ち帰る、ただそれだけだ。

 奥へと、進む。死臭が、漂い始めた。

 死体に、気付く。はらわたを食い荒らされた、魔物の死体。それが、いくつも、いくつもある。

「もうさ、この死体から、部位ひっぺがして帰らない?」

 思わず、皆が頷きかけるほど、この臭いは不愉快なものだった。こう言う臭いはこびり付くのだ。服に、そして、鼻毛にもだ。こうなると、もう臭いが取れない。マジでとれない。

 初心者の洞窟だけあって、最短部までの距離は短い。それこそ、洞穴に毛が生えたようなものだ。道も一本道で、万が一にも迷うことはない。

 その最奥が、この空洞部である。

「嘘、みんな死んでるって事?」

 よくもまあ、気楽なことだ。

「戻りましょ。ここで気にすることは、死んでることじゃなく、何故、死んでるか、よ」

 私の言葉に、皆が首を傾げている。この迅速さの欠けた行為が、いちいち苛つかせる。

「後ろ!」

 キシリーの声が洞窟に響く。

 私は振り返ると同時に、横に飛んだ。

 私の居た位置に、白い粘液状の何かが着弾した。

 私は、顔を上げ、射手を確認する。

 見た目は、人の二倍ほどある巨大な蜘蛛だ。

 あ~、やだやだ。足の多い系は駄目なのよ。

 逆に、蛇とかは平気。因みに、テスラも足多い系は駄目だったりする。二人きりの時に、これが出たら、二人で逃げ出していたことだろう。

 だが、今回はそうはいかない。

「あ、あれ、なんですか?」

 クロワの問いかけに、キシリーが震える声で応えた。

「鎧蜘蛛……」

「あいつを倒せば、任務完了って事で、いいんですよね?」

「む、無理よ。あれは、全員がC級のパーティで、やっと討伐できる相手よ!」

 その言葉に「うそ」と全員が絶望的な声を漏らした。

 背後を摂られた時点で、逃げ道も塞がれていた。唯一の出口には、蜘蛛の巣が張り巡らされている。

「倒すしかないんじゃない?」

 私の声に、誰も反応しない。

「キシリー、指揮しなさい!」

「で、でも!」

「一か八かで、洞窟ごと崩壊させましょうか? 十中八九、全員死ぬけど」

 この冗談にも、誰も反応しない。

 実際、私も攻めあぐねている。この洞窟で、大技は使えない。そして、私には加減した技なんてものはない。相手を弱らせるか、大技で焼き尽くすかの二択。

 雑。我ながら、雑!

 さて、どうするか。

 眼鏡を懐にしまう。少しでも、相手の動きを遅くするように、疲労感を与える呪いを与える。

 レヒとリンクは使えない。私の意思と呪眼による呪いだ。

 キシリーが、ナイフを投げるが、鎧蜘蛛の身体は、それを弾く。鎧の名前は伊達では無いということか。

「キ、キシリーさん」

 新人達の声に、キシリーは返事をしない。

 既に戦意喪失している四人を頼りには出来なさそうだ。私は、呪いをかけるように鎧蜘蛛を睨む。

 先ほどの呪いにより、違和感を覚えたのか、鎧蜘蛛はこちらに顔を向けた。そして、自分に何かを仕掛けた術士が私と確信したのか、こちらに向かって突進する。

「いいわ、来なさいな」

 鎚を構える。

 自然と、右目から黒い涙が流れ出し、右腕を包み込む。鎚の能力を起動させる。

 途端、鎧蜘蛛は突進する動きを止め、後方に跳んだ。

 本能、かしら?

 ここに居る四人より、余程生物として優秀だ。

「アンタ達、なんとかして、こいつの身体の一部を削って。そしたら、生き残る算段つけてあげるわ」

 希望の一言に、やっと皆の顔に生気が宿る。

「でも、どうやって⁉」

 その声をあげたのはキシリーだ。よりにもよって、リーダー役のあんたが、そんな声をあげるのか。

 鎧蜘蛛は、私では無く鎚の方を見ている。確かに、この中で、一番やばい存在が何かと言えば、この鎚であることは、疑いようがない。

 私は、懐から薬包紙に包まれた呪薬を取り出す。

「これ、飲めば一時的に、身体のリミッター取り外すっていう、ドーピング薬なんだけど、明日からしばらく、まともに動けなくなるわ。それでも良いって奴、手を挙げて」

 皆が、慌てた様子で手を挙げた。

 そりゃ、死ぬよりはいいもんね。

 皆が、こちらに近寄り、それを手渡す。

 粉薬なのは申し訳ないけど、それは我慢して欲しい。

 皆が飲み終わったのを確認した後「材料は調べないこと」と言うと、皆が絶望的な視線をこちらに向けた。

 ちなみに、私は飲みません。

 だが、格段に皆の動きが良くなった。

 キシリーが、再び攻撃を仕掛ける。だが、安物の刃では、その身体に傷つけることは叶わない。

 モッドが、鎚を構えて、蜘蛛に近づく。

 が、蜘蛛は距離を取る。天井まで歩き回れる蜘蛛の方が、逃げるには圧倒的に有利だ。

 皆が、悔しそうに、蜘蛛を視線で追っている。

「いやいや、ならいいじゃん。出口の方に張られた蜘蛛の巣焼こうよ。それで逃げて終わりよ」

 あ、と皆が思い出したように、声を出した。

 私が、たいまつにランタンの火を移し、蜘蛛の巣に近づけていく。簡単に、燃えていく。量が多く、身体に付着すれば、かなり厄介なことになるので慎重が期される作業だ。

 鎧蜘蛛は、獲物に逃げられうと思ったのか、天井から落下。こちらに向かって疾走する。

 モッドが、斧で襲いかかる。先ほどまでの速度と予想していたのか、鎧蜘蛛はそのまま私に向かう。

 が、ドーピングされたモッドの速度は、鎧蜘蛛の身体を捉えた。

 致命傷には、遠い。斧が砕けた。だが、ドーピングによる一撃。

 ただ、身体の外郭にヒビを入れただけだ。

 それでも、鎧の破片は、地面に落ちた。

 モッド自身、放たれた威力に驚いている。

「まあ、その分、副作用酷いけど頑張って。あと、こういうのには、頼らない方が良いわよ、今後はね」

 私は、癖にならないように警告を出しておく。

 鎧蜘蛛は、警戒の色を示し、距離を取った。

 鎧の破片の前で、私は鎚を振りかぶった。

「人を呪わば穴二つ!」

 がちん、と鎚を破片に叩き付ける。地面を叩いた感触に、両手が痺れる。

 身体から力が抜ける。

 双呪。私が創り出した特別な呪い。

 レヒとリンクではなく、私だけが使える呪い。

 自分と相手に同じ呪いかけるという呪法。

 今回は、身体能力の激減。私自身、筋肉も弛緩され、最早立っていることもままならない。それ程の倦怠感が身体を襲ってくる。

「悪いけど、私もう動けないから。でも、相手も、かなり弱ってる。だから、後は任せる」

 そう言って、私はその場に寝転んだ。

 一対一ではまず使えない呪法。この呪法を解くために必要なことは、呪われた二人の内、一人が死ぬことだ。

 鎧蜘蛛の動きが、目に見えて遅くなる。

 それでも、初心者が狩れるものでは無い。

 キシリー、任せたわよ。

 お膳立ては十分だろう。というか、これ以上は無理。

 キシリーが、怒号と共に、走る。他の者も、後に続く。

 鎧蜘蛛の部位で注意すべきは、口の溶解毒と尾の麻痺毒だ。その二つは、致命傷になりかねない。

 私は、毒の事を皆に怒鳴る。

 皆が、鎧蜘蛛を見つめたまま頷いた。

 鎧蜘蛛の前足が、横薙ぎに放たれた。

 身体の大きいモッドだけが、回避に失敗し、その腹部から出血し、後ろに下がった。

 だが、胴体が二つに分かれていない。大分、弱体化に成功しているようだ。

 まあ、それだけの呪いだ。私自身も、現在進行形でかなりしんどい。

 キシリーの刃が、鎧蜘蛛の外郭を斬り裂いた。

「効く!」

 他の二人も斬りかかる。だが、素人の二人では、逆に反撃をもらい、少しずつだが出血していく。

 キシリーのナイフが弾き飛ばされ、私はほとんど動かない足で、それを踏んで止めた。

 血が、付いている。

 にや、と私は笑う。

 鎚を、振りかぶろうとするも、力が入らない。

 くっそ。

「オレが、手伝う」

 腹を押さえながら、モッドがこちらにやって来た。

「ごめんね、非力な女の子だからさ」

「そういう女の子を助けるために鍛えたんですよ、オレは」

 そう言って、モッドは私の鎚を持った手を握り、一緒に振りかぶった。そして、鎚を振り下ろす。

 血を使えば、強い呪いが使える。私は、自分にも同じ呪い降りかかるのを覚悟の上で、相手に呪いをかけた。

 衰弱させる呪い。先ほどの呪いと合わせて意識が、飛びかける。

 ここまで弱らせたんだ、これで負けたら、お前らはもう引退した方が良い。

 途切れる意識の端で、キシリーが怒号と共に、鎧蜘蛛の息の根を止めたのを確認し、私は意識を飛ばした。

 私が目を覚ますと、皆が鎧蜘蛛を解体し、持ち帰る準備をしていた。

「ごめん、寝てた」

「いえ、構わないです」

 モッドの腹部に巻かれた包帯は、血で滲んでいた。

「こんな怪我したあんたが頑張ってるのに、私が寝ていられないわよ」

 そう言って肩を叩いた。すると、照れ笑いを浮かべていた。

 あらかた解体は終わっており、もう帰る直前だったようだ。

 私の体調不良は、呪いの影響なので、それが解けた以上、問題なく動けた。双呪の特性で、互いにかけた呪いは、死んだ方がもっていくことになるのだ。

「じゃあ、帰りましょう」

 キシリーが笑顔で言った。洞窟から、森の入口に至るまで、なんの問題も起こることは無かった。

「それじゃ、今回の報酬なんですけど!」

 森から出ると、キシリーが嬉しそうに言う。

「多分、鎧蜘蛛を新人研修で狩ったのなんて、俺達が初めてですよね!」

 コレアは興奮した様子だ。クロワも、こくこくと頷いている。

「みんな、一気にランクが二つぐらい上がっちゃうんじゃないかな」

 キシリーも、それに習って喜びを新たにしている。

 だが、そんな喜びに水を差す一つの声。

 私だ。

「はいは~い、これにちゅうも~く」

 私が組合長から渡された、今回のパーティのリーダーの証である腕章を掲げた。

「え?」

 キシリーが自分腕に付いたの腕章を見るが、私の方が上位の命令権を持つ者の腕章であることに気付いたようだ。

 一応、色により権限が分かれている、臨時の階級章のようなものだ

「ま、みんな頑張ったから、肉、骨、外殻とかは、適当に四分割。私は要らないわ。ただ、討伐証明の毒針だけは貰っていく」

「「「は?」」」

 皆が唖然とした声をあげた。

 私が言っていることは、金はやるから、栄誉はよこせと言っているのだ。

「成果を独り占めするつもりですか?」

 クロワが、こちらを睨みつける。

「ええ」

「ジーラさん、それは酷いと思います」

 キシリーが、毅然とした態度で、抗議してきた。当然だし、そう来るとも思っていた。

「大丈夫、怒るとは思ってたから。ただ、ここで何かを言っても、私は譲らないわよ? もし苦情があるなら、組合長に抗議すると良いわ」

 睨みつけるキシリーの視線を真っ向から受け、そのまま暫く続いたが、キシリーは「なら、そうさせて貰います!」と振り返った。

 そして「行きますよ!」と新人達に付いて来るように促した。

 その背に、コレアとクロワが、私に対する罵詈雑言を残しながらついていく。

「いいの、貴方は?」

 困った顔の、モッドに問いかける。

「流石に、ジーラさんの考えわかる、ので」

「敬語も、さんも要らないよ。歳はそっちが上でしょ?」

「多分、年下です。老けてるだけで」

 ……ごめん。

 獣人の年齢よくわかんない。

「熊さんよね?」

「そうです」

 気まずそうに黙るモッド。大きい身体の割に、優しそうな顔をしている。優しくて力持ち、そんな感じだ。

「あれは、今の実力で階級を上げたら、危ないって事でしょう?」

「まあねぇ。私が無理して倒せるようにしたけど、あの子達、別段の才があるわけでもなかったからね。階段跳ばしたら、踏み外して死んじゃうもん」

「もう少し言いようが、あったんじゃないですか?」

「恨まれるとね、私の鎚、強くなるから」

 そう言いながら、私は討伐証明部位である毒針を鎚で粉々にした。

「いいんですか⁉」

「階級に興味ない、ってのは嘘ね。むしろ上げたくないの。面倒に巻き込まれるから」

「かっこいいっすね」

「女の子だから、美人か、可愛い以外の褒め言葉は認めない」

「じゃ、美人っす」

「ありがと」

 そう言って笑った。気持ちの良い性格の男だ、と思った。多分、義理堅くもあるだろう。

 なら、この男にはバレても良いか。

「後で、『酒を呑みに来る者拒まず』に来て。蜂蜜酒奢るわ」

「熊だから蜂蜜ですか?」

 モッドは苦笑い。

「そう、後は口止め料」

「口止め?」

 そう言って、私の視線が剣呑なものに変わっていることに気付いたのだろう。

 森から、鎧蜘蛛の大群が現れたのだ。

「言ったでしょ、上級者の洞窟から嫌な気配がするって。なら、そっちから逃げてきたのが一匹なわけ、無いじゃない」

「ど、どうするんですか⁉」

「綺麗なお姉さんって、強いのが世間の常識なのよ」

 私は、銀球を複数創り出す。

 距離は十分、構築が十分に間に合う。

 やっぱり、私は大技のぶっ放しが向いている。

 私の目の前には、銀球が生まれている。

 こちらに向かってくる蜘蛛の大群に「どっかーん!」と術を解放した。

 鎧蜘蛛の軍勢は、一気に蒸発した。

「これがFランクの実力よ」

「なら、オレは当分の間、Gランクのままですね」

 そう言って、呆然とした表情で、消滅した蜘蛛の群れが居た方向を見つめていた。

「じゃ、先に帰りなさい」

「なんかあるんすか?」

「ええ。私と一緒に帰ったら、グルだって噂されるわよ。ま、話があるなら酒場でしてくれればいいわよ」

 モッドは、頷き、先に都市へと向かっていった。

 私は、再び鎚を持ち上げ、森へと戻っていく。

 呪眼より赤と黒の涙が溢れ出し、二匹が肩の上で警戒を露わにしている。私自身、視線を感じていた。

「上級コースに居るんでしょ?」

 二匹の頷きを確認し、私はそちらへと向かう。

 研修など受けていないので、初めての道だ。

 悍ましい気配が増していく。

 粘液が、森の木々にこびり付いている。まるで暴れのたくったかのようだ。

 悍ましい気配が、増していく。

 そしてその奥に、目的の存在が居た。

 呪喰い蜥蜴だ。

 人を丸飲み出来るほどの巨体。皮膚は、ぼこぼことイボがあり、粘液でぬめっている。

 思わず、うえ、とリアクションしてしまいたくなる。

 鎧蜘蛛が上級コースを追い出されたのは、こいつが原因だったのだ。

 隙をみて襲い来る予定だったのだろう。下手をすれば、都市にまで押しかけてきたかも知れない。それだけ、私の眼が美味しそうに見えるはずだ。

 一つ気になるのは、呪喰い蜥蜴は、呪具などを食べるが、その影響を周囲にまき散らすことは無い。

 つまり、こいつが食べたのは、こいつが抑えきれないほどの呪物ということだ。

 多分、こいつが呪怨龍の爪を食べたって奴ね。四つ首獅子も、この辺りから逃げ出してきたのだろう。確か、少数ながら、この辺りには生息していたはずだ。

 私を見つけると、呪喰い蜥蜴が、暴れるのを止め、こちらに突進してきた。

 森の中なら、私は機敏に動ける。なんせ、森でしばらく暮らしていたくらいだ。

 鎚を利用し、木に登る。

 呪眼の二匹が怯えている。珍しいことだが、あれが呪いの天敵なためだろう。

 きっと、私が死んだら、両眼を喰われるんだろうなぁ。流石に、ぞっとしない。死んでいれば良いが、死にかけで、目玉を喰われるなんて、たまったものではない。

 木の上に向かって、呪喰い蜥蜴の舌が伸びた。私は慌てて、隣の枝に飛び移る。

 が、舌が横凪ぎに振るわれて、私の身体に迫る。

 枝から足を踏み外し、枝に両腕で掴まる。私の頭上を、舌べろが通過した。

 鎚が地面に落下した。

 鉄棒の要領で、私は呪喰い蜥蜴に飛び掛かる。

 流石に、舌を戻している時には、攻撃が出来ない。私は、飛び降りた勢いのまま、顔面に蹴りを放った。

 一瞬、呪喰い蜥蜴が怯む。即座に後退し、鎚を拾う。瞬間、鎚に舌が巻き付いた。

 そして、そのまま口に吸い込まれていった。

「え、嘘⁉」

 こいつ、このやばい鎚まで喰えるの⁉

 呪眼の二匹は、この相手には怯んでしまって役に立たない。そうなると、銀球の準備も難しい。鎚も喰われた。

 手札が尽きた。

 あはははは、乾いた笑みがこぼれた。

 一応、素手に全く覚えが無いわけではない。これでも、テスラの父が、教会の拳法の師範代で、テスラと共に教えを請うてもいた。

 が、それでもこの巨体には通用しないだろう。なんせ、テスラが大剣を使っている理由が、人以外に拳法なんてまともに通用しない、だからだ。

「……逃げよ」

 私は即座に撤退を決め込む。

 が、相手にとって、私はこれ以上無い御馳走だ。

 想像を遙かに超える速度で、舌が伸びる。思わず、防御するが、その腕に舌が巻き付く。

 そのまま、舌が口の中に私を案内しようとする。必死に踏ん張るが、馬力が違う。

 私の身体は、呪喰い蜥蜴に丸呑みされてしまった。

 息を止める。唾液か胃液かわからない粘液が、私の身体に纏わり付く。

 気持ちが悪いが、そんなことを気にしていられる状況じゃ無い。

 そのまま、食道を越えたのか、胃と思われる場所に到達した。

 人を丸呑みできる大きさとはいえ、胃の大きさはそれほど大きくは無い。横にはそれなりだが、縦は狭い。身体を屈めなければ、行動できない大きさだ。

 息が限界にきて、呼吸を再開する。

 酸っぱい臭いが鼻についたと思った瞬間、粘膜に痛みがはしる。酸が、鼻腔内や喉を痛み付けているようだ。

 眼を開けるのも、結構辛い。

 涙が勝手に溢れる。

 その所為か、やっとレヒとリンクが姿を現した。流石に、眼が傷付き始めたため、隠れても居られなくなったのだろう。

 皮膚も、軽い火傷のようにヒリヒリとし始めている。そう残された時間は多くなさそうだ。

 鎚があるはずなのだが、比重が重い所為か、沈んでしまっている。

 しっかりと浸かっている足が痛い。得体の知れない物が溶け込んでいる、この胃液に手を突っ込むのも不快。

「私は、頑張るんだから、レヒ、鎚の起動から逃げたら許さないからね!」

 意を決して、胃液の海に腕を突っ込む。そして、白く濁った液の中を、触感だけを頼りに探していく。

 痛い! 痛い! 痛い!

 足も、腕も、ヒリヒリとした痛みから、激しい焼けるような痛みに変わり始めている。

 眼も、粘膜がやられて、流したくもないのに涙が出てくる。鼻も鼻水が溢れ出す。

 その全てに痛みが伴っている。

 このままだと、本当にやばい。

 中身から焼かれている感覚がしていた。

 鎚の悍ましい気配を感じ取ろうにも、この状況では、集中することも出来ない。

 呼吸すら痛みが伴いだしている。

 両の目が役に立たないため、私は一人の時しか開かない、もう一つの眼を開いた。

 額にある第三の眼。

 瞬間、視界が変化した。自分でも初めて見る景色だった。額の目を使ったことはあるが、こんな見え方をしたのは、初めてだった。

 ぼんやりとした、エネルギーだけを見ているような感覚。

 そこで、胃液の中に、明らかにおかしい靄を生じさせている物体を見つけた。

 そこだ!

 私が手を突っ込むと、柄のような物を掴んだ。

 見つけた!

「レヒ!」

 叫ぶと、喉がやられて咽せる。

 既に涙は流しっぱなしだ。そのまま黒い涙が腕に纏わり付き、鎚を起動させる。

 呪いを外に漏らさない胃袋とはいうが、呪怨龍の呪いには効いていなかった。ならば、この鎚にも希望は持てる。

 私は、鎚を胃壁に叩き付けた。

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