第三章 2 宝物庫のボスと裏ボス
二
宝物庫に入る際に手渡されたのは肩掛けの布袋だった。魔族は有翼種族のため、リュックは流行らないのだろう。
中身を確認すると、食料と応急手当用品が入っていた。後は、シャツとパンツが一着ずつ。
ロズウェル王子は剣と盾、ディケースは長剣を腰に携えている。他の女性陣は祈祷術士なので、杖を持っていた。私は杖を使わないが、何故、術士は杖なのだろうか。今度、理由でも調べてみるとしよう。
事前の話し合いで、最前線にいきなり向かうのは止めようということになっていた。素人と半素人が過半数を占めているため、浅いところで少し慣らそうという判断だ。
入口から侵入し、最初の陣に辿り着き次第、問題がなければ、最奥にまで降りることになるだろう。
「準備は良いな?」
ディケースが皆に確認を取る。
うむ、だの、はい、だの、うぃ~、だのと各々自由に締まらない返事をする。イラッとした表情をするディケースを「まあまあ、軍隊ではありませんから」と妹のミケーナが窘めている。
宝物庫の入口に向かうには、玉座の背後にある部屋から地下室へと下る。そこには、陣の設置された前室が有り、その奥に文字だろうか? 今まで見たことのない紋様が刻まれた巨大な一枚の石版が横たわっていた。
その紋様は淡く輝いており、ただの石でないこと示していた。
「では、行くぞ」
「え、行くってどうやって?」
私の問いに答えず、皆は順番に石版に乗っていく。
乗った途端、その姿は、ふっ、と消えた。私以外は、経験者なのか、躊躇がない。
おっかなびっくり、その光景を見つめた後、周囲を見回すと、触れろ、とばかりに皆が頷いてくる。それどころか、早くしろ、という空気すらある。
意を決して、石版に触れると、一瞬目眩と貧血のような視界の暗転。そして、視界が正常に戻ると、石造りの壁に四方を囲まれた廊下に立っていた。
「ここが宝物庫なのね」
先に来ていた皆を見ると、若干顔色が悪い。
「ジーラ嬢は平気そうだな。そちらの天使殿ですら少し辛そうであるというのに」
するとシルキーが「主殿は、呪肺を持って、いるから。こんな、呪いを含んだ、空気の中でも、影響が、少ない」と理由を説明してくれた。
この呪われた空気が、徐々に精神を蝕んでいくらしい。
「なら、早く行きましょう」
皆の頷きを確認し、奥へと進んでいく。
最初に遭遇したのはムカデのような化け物だった。
胴体はムカデだが、足は蜘蛛のように節があり、カサカサと蠢いている。そして、顔面にはドクロのようなものが付いていた。
前足は鎌のように鋭い狂気を携えている。
生理的に許容できない気持ち悪さであった。
私は咄嗟に銀球を創り出そうとして、その行使に失敗する。
ゲッ、ここ精霊が存在していない。故に、闇術による疑似精霊術も使用できない。
ロズウェル王子とディケースがムカデの左右の各鎌を受け止める。
「誰か頭を!」
その言葉に、真っ先にシルキーが反応。手の平から放たれた光線が、頭から胴体を貫き、ムカデを滅ぼした。
「むう、火力が弱い」
手の平を見つめる本人は不満そうだが、戦果としては十分である。
「見事だな」
二人のイケメンが天使様を褒める。対する天使様は興味なさげ。むしろ思いのほか火力が出ない状況に頬を膨らませていた。
呼吸する度、肺に呪いが満ちていく。呪いが血液を通して、身体中に行き渡る。
「私、あんまり役に立たないかも。普段使っている術が、ここじゃ使えないっぽいわ」
「あの大技はどうだ?」
「ブレスのこと? 多分いける」
「なら、よし。ジーラ嬢は奥に居る目的の化け物に大技を使うことだけ考えておけ」
シルキーの思わぬ実力のためだろう。私は対目標用の秘密兵器として温存されることが決定したようだ。
「今のも、天使ってことでいいのかしら? なんというか、倒しちゃって良いものなの?」
「捨てている、ということは、精神を、与えられて、いない。天使とは、術式絡繰。つまり、ここにいる、のはまだ心無い、絡繰」
「えっと、つまり道具みたいなものってこと?」
「そう。だから、気にしないで、良い。拙に気を使った、んでしょう?」
「そ~よ。なんせ、大事な、私だけの天使様だからね」
「うにゅ」
予想外の返しだったのだろう。少し照れくさそうに、唇を尖らせる。見目が良いので、実に可愛らしい。チューしたくなる。
精神の保護を目的として、皆で下らない話をしながら奥へと向かう。これは部隊でも行われている事だそうだ。それこそ、ここを出たら何を食べるか。どんな女に惚れているか等、本当にとりとめの無い明るい話をするそうだ。
今回は酒と飯の話が盛り上がった。やはり異国の食事の話は外さない。どこで話しても、それなりに受ける。人間、食事は絶対するからね。テスラとパパとの旅で様々な物を食べた経験が光る。
と、その時、廊下の隅に鞘に入った剣が突き刺さっていた。
誰も気にしていないのが逆に違和感だった。
「ねぇ、アレって」
私の指さす方を見た皆が、不思議そうに首を傾げた。
「え、剣があるじゃないの」
「剣? 壁しか無いぞ」
ロズウェル王子は「もうイカれたのか?」とからかい半分、本気半分でこちらに問いかけてきた。
もしかして、自分にしか見えていないのだろうか? それとも、本当にイカれてしまっているのか。
頬を涙が垂れ、自分の眼が特別製であることを思い出す。
「ちょっと待て」
私は、皆から少し離れ、剣を鞘ごと引き抜こうとする。かなり硬く突き刺さっており、簡単には引き抜けなさそうだ。
剣だけ抜こうとするも、それも不可能のようだ。
パントマイム劇をしているようにしか見えないのだろう。皆の冷たい視線が痛い。
「あ、そうだ!」
私は闇術で、剣の刺さった地面から固さを奪う。柔らかくなった石床から、鞘ごと剣が抜ける。
「よし!」
「剣が出てきた!」
皆が驚きと共に目を見開いていた。
「廃棄場で、隠蔽、するなんて、危ない気が、する」
シルキーは、警戒するように目を細めて、剣を見つめる。
「ぬ、抜いちゃ駄目?」
「……責任、とってよ」
「オッケー」
私は鞘から一気に剣を引き抜く。怖気が全身を駆け巡るが、愛用の鎚ほどではない。
「見ても良いか?」
興味津々とばかりにロズウェル王子が近寄ってくる。
「どうぞ」
剣を受け取る王子。同時、剣から手を離し、床へと落とした。
「あ、危ないでしょ!」
「き、貴様は、よくこんな物を持てるな!」
どうやら普通の感性では持つことも難しいらしい。
ディケースも拾い上げた瞬間、同じような視線を私に送ってきた。どうやら使用できる者は居ないようだ。
「置いてきましょうか」
「いや、解析すれば有用かもしれん。隠すだけの意味があるだろう」
それはそうだが、邪魔である。
「鞘に入れておけば、あの怖気も無い。コフィ、持っていてくれ」
「わ、わかりました」
先程の王子達のリアクションから、おっかなびっくり受け取るコフィちゃん。だが、鞘に入れた状態だったためか、何も無かったらしく、安堵の溜息をついた。
その後、害を為す天使を数体退け、最初の陣のある場へと辿り着いた。
本日は、ここで休息を取ることとなった。
やはり長期保存を目的とした携帯食だけあって、美味しくは無い。が、意外なことに、お貴族様達は誰も文句を言わなかった。軍に所属しているため、これぐらいは日常的な事であり、当然なのかも知れない。
ちなみに、シルキーだけは自分用に用意された焼き菓子を食べている。
「一つ頂戴」とお願いしたところ、「は?」とかつてない殺気のこもったリアクションを承った。教会で殺し合った時の方が、怖くなかったくらいである。
その後、交代で仮眠を取ることになり、見張りを順番で回す。ロズウェルとコフィ、ディケース兄妹、そして私達のチームで、だ。
シルキーが私に気を使ってか、「寝てて良いよ。天使は、寝なくても、大丈夫」と言ってくれた。
ありがたいし、嬉しい話だが、流石に甘えるわけにはいかない。
「駄目よ、そういうのは好きじゃないわ。折角だから、何か話でもしましょうよ」
「……どうせ、昼寝した、から寝られない、んでしょ?」
「……気付いても、言うのは野暮よ」
そんな緊張感の無い会話をしていると「大丈夫?」と真剣な表情で、シルキーがこちらの顔色をうかがってきた。
「他の人より、全然平気だと思うけど」
「……そうじゃ、ない。逆の、意味」
「戦わなければ大丈夫だと思うわよ。影響は出ないと思うわ」
ふ~む、気付かれていたか。鋭い天使様だ。
ここに潜ってから、半神の姿になっているかのような高揚感を覚えている。感情が二段階ほど、常に昂ぶっているような感覚。気付かれないように、努めて落ち着いて見せていたのだが。
それに、悪いわけでもないのだ。冷静さという部分ではマイナス要素だが、戦闘するとなれば、この高揚は役に立つ。
「ま、無茶やらないように努めるわよ」
「ん、信じる」
そう言われては、期待に応えないわけにはいくまい。精々、頑張らせてもらうとしよう。
皆が仮眠を終えたので、陣を利用し、最前線まで降下する。シルキーが居れば、昨日壊滅した部隊に見劣りしないという判断からだ。
陣で降下した先は、先程までの遺跡のような雰囲気では無く、洞窟そのものだった。鍾乳洞が天井に生えており、それが自ら輝き、周囲を照らしている。
「キレイ」と思わずコフィが呟いている。
確かにその通りだが、場違い感が酷い。この洞窟にも、悍ましい空気が満ちている。
大量の羽音が耳に届く。
音のする方を見ると、大量の蝙蝠、否、蝙蝠風の何かが向かってきた。
胴体はドデカい口とそれ以上にデカい牙。まるで口に直接羽を生やしたかのような不気味な造形物が大量にこちらに迫ってくる。
飛んでいる相手が対象では、小さなこの蝙蝠達を相手取るには、王子達の剣やシルキーの細い光線では苦戦すること必至だろう。
私は舌打ちと共に、「レヒ!」と叫ぶ。肩の上で生物の形に姿を変えたレヒに「加減してよ!」と大声でお願いする。
レヒがブレスを放つ。
蝙蝠風の不細工共の九割を巻き込み、ブレスは壁面に激突。爆発するも、そこは中からは脱出不可能な廃棄場。壁には一切の損傷は無い。
残りの蝙蝠共は私以外の五人で対処。怪我人も出ること無く、無事に戦闘は終了した。
「流石の威力だな」
感心した様子で、ロズウェル王子が話しかけてきた。
「ど~も。このフロアは広いから仕えたけどね」
狭かったら、爆発で自分を含めた皆を巻き込んでしまう。
「先を急ごう」
ディケースに促されるまま、皆で歩みを進める。
次に現れたのは、針金人間だ。そう表現するしかない存在だった。棒人間を、そのまま実体化させたさせたかのような姿。それが群れで現れた。
「あんなのも創るのね」
「きっと、深夜の、テンションで、創ったんだよ……」
シルキーも呆れた様子だ。
「神様って寝るの?」
「寝ない。例え」
これまた剣や光線とでは相性が悪い。
剣が当たっても、相手は曲がるだけだった。光線は、対象が細く当たらない。
が、ここは鎚が役に立った。簡単に潰せて、何より相手が弱かった。
まあ、捨てられた失敗作なわけで、弱いことが理由で捨てられた存在も居るだろう。
そのようなことを繰り返しながら、五日間を掛けて、奥へと進んだ。
皆の精神が、かなりすり減っていた。普段は口数が少なく、黙々と進むくせに、ちょっとしたことで、言い争いになったりする。常に不機嫌で、あまり健全とは言いがたい状態だ。
それでも、目的地の直近まで辿り着くことが出来た。
「あそこが例の化け物が居る部屋だ」
部屋などと表現しているが、遠くに見えるのは霧に包まれた広そうな空洞。中の様子は、なんとなくしか確認できない。
「ここからブレスぶっ放したら駄目かしら?」
「失敗したら手の内がバレる。しかも遠いから威力も下がるだろ?」
ディケースに窘められる。やはり中に入るしかないようだ。
辛そうなロズウェル王子に、コフィが「大丈夫ですか?」と声を掛けている。
「ああ、大丈夫だ。しかし思い出したよ。攻略部隊の適性が低いと言われたことをな。当時は納得いかなかったが、実際長時間潜ると、はっきりするものだな」
「仕方がないと思います。貴方には王位継承の関係や様々な責任がある。そういう重圧は、この空間では精神の汚染に繋がります」
ディケースが、そのように説明する。
「オレはそういうものを背負わないでいいように、父が調整してくれている。だから、万全の状態で潜れるんです」
軍閥派としては、子供達を利用してでも、宝物庫を攻略したいということだろう。とはいえ、王家のお家事情で、部隊壊滅に人死に。嫌なものだ。
目的の部屋に向かう手前の、見通しの良い広場において、最後の休憩をとることになった。見張りはディケース達と私達の二組ですることになった。ロズウェル王子も、自分の状態がわかっているのだろう、素直にこの提案を受け入れた。
皆が仮眠を終え、ほぼ無言で食事をとる。
「行こうか」
ディケースのその言葉に皆が頷きを返し、目的の部屋へと向かう。
中に入ると、そこはだだっ広い空間だった。そして、誰も居ない。
私の心の中の声を察したのか「来るぞ!」とディケースの声が部屋中に響く。
部屋の奥には、更に先へと向かう道が見えた。そして、そこから一つの影が現れた。自分達の十倍はある大きさだ。
徐々に、その姿がはっきりしてくる。
それは人馬といった風体だったが、明らかにそうではない部分がある。馬の胴体から直接人の上半身が生えているのだ。
人とは表現したが、人の形をしているだけだ。白くのっぺりとした見た目。鎧のような硬質な物体が身体を覆っているが、昆虫の外骨格に近いように思えた。
右手には槍、左手には盾を持っている。
対して、馬の部分は見事なまでに馬だった。
その造詣の対比が、却って不気味だった。プロの作品に、子供の作品を混ぜたかのようなアンバランスさ。折角の芸術を、台無しにしているかのような暴挙。
これも意図してのことなのかしら?
人馬が、突如動いた。
槍が、私に向かって突き出された。
全身が粟立つ。
当たれば死ぬ。回避しかない!
いや、駄目。背後のコフィが死ぬ!
考えが纏まる前に、私の身体は反応していた。
鎚を起動させ、全力で槍を叩いた。
槍の先端が砕け、進路が逸れる。
九死に一生どころではない。九十九死に一生だ。百分の一の確率が、運良く一発目に来ただけだ。
出し惜しみなく、鎚に溜めた負のエネルギーを使い果たして、やっと可能だった回避だ。
「散るわよ! 固まっていったら的だわ!」
言うや否や、私は相手の顔面に向かって飛んだ。
この呪われた空気の中なら、多少は無茶がきく。
レヒとリンク、両者にブレスを吹かせる。
相手の顔面に接触。爆発が起こる。
残念ながら、威力はかなり大人しい。
「ちぃ! ゴメン、さっきの防御で、溜めてた分、吐き出した」
「いや、仕方が無かっただろう。むしろ前衛の我々が防げなかったことを謝罪する場面だ」
プライドの高いロズウェル王子が素直に謝罪する。それほどまでに、インパクトのある攻撃だったのだ。
「それで、再び大技を撃てる目処は立ちそうなのか?」
「この空気の中なら、そう待たずに撃てると思うわ」
「ならば!」
ロズウェル王子とディケースが、共に愛剣を抜き、人馬に襲いかかる。
本人達も囮のつもりだろう。攻撃という意味では、ほぼ意味をなしていない。
シルキーの翼が、砲身へと形を変える。あれはシルキーが光線を最大出力で放つ際の姿だ。
光線が人の部分の胴体に向かう。
左手の盾が、その光線を防ぐ。
その防御を貫こうと、シルキーの怒声が響く。人馬の巨体が、後方へと押されていく。
が、光線はそこで撃ち止めとなる。
舌打ちと共に、シルキーはその場を離れる。
一瞬後に、槍がシルキーの居た場所を襲った。
たった一撃が致命傷。なのに、こちらの攻撃はほぼ効かない。なんという不公平さだ。
嘆く間もなく、次なる一撃がロズウェル王子を襲う。
回避しきれず、盾でその一撃を受け止めた。
が、その巨体から放たれた一撃を押さえ込めるはずも無く、後方へと跳ね跳び、壁に激突して動きを止めた。
吐血という行為が、かろうじて即死ではなく、命をつなぎ止めている証明となった。
槍の先端が砕けていなければ、盾ごと貫かれていただろう。
一人離脱。いや、コフィが応急処置を行っている。実質二人だ。
ディケースの妹であるミケーナも、宝物庫の中でも使用可能な祈祷術で援護をしているが、効果は薄い。天使自身は呼べずとも、力の一部だけを呼び出し、攻撃に使用することは可能らしい。
ディケースだけでは前線が薄い。とはいえ、シルキーは中距離がメインの距離だ。前衛は、それほど得意ではない。
切り札が役目だとは重々承知だが、そうも言っていられない。ディケースが墜ちれば、私一人で前線を支えなければならなくなるのだ。
私は前線へと躍り出る。
人馬の周囲を飛び回りながら、レヒとリンクによるブレスを叩き付ける。
爆煙の中から槍が伸びる。
私の額の目が、爆煙の中の動きを捉えていた。だからこそ、回避が出来た。
気がつけば、自らの身体が半神のものへと変化していた。それだけ追い詰められているということだ。
思い出せ、考えろ。デカブツとの戦い方を。
弱点を鎚で殴る。いつもそうやって来た。それ以外の勝ち方を知らない。そして、それ以外に勝ち目は無い。
「シルキー、弱点に心当たりは⁉」
室内に大声が響く。
「……ない! けど、予想は出来る」
大声が返ってきた。
「馬の部分は防御が、無い。つまり、人っぽい、部分」
確かにそうだ。なら、人の部分のどの辺りだ?
「盾の側、かしら?」
こんなものは山勘でしかないければ、根拠も薄い。が、どうせ攻めあぐねているのだ。だったら、賭けに出るのはやぶさかでは無い。
つまり、弱点かも、と思える大体の場所に高威力の攻撃。広範囲に、それなりに高威力の攻撃って、なんて頭の悪い攻撃だ。エレガントさが、余りに足りない。しかも、泥臭いわけでもない。ただ、馬鹿っぽいだけだ。
けど、それでいい。幸い私とシルキーは火力馬鹿だ。
「切り札役、任せるわ」
「……うぃ」
気の抜けた返事を背に受け、私は特攻する。
全開とまではいかないが、それなりに鎚に呪いが充填されている。
人の身では叶わなかった加速をもって、一気に相手に肉薄する。その左腕の肩口へと、鎚を叩き込んだ。
パキリッ、と石膏が割れるかのような音が耳に届いた。
更に続ける。
至近距離による、レヒとリンクによるブレス。呪怨龍は衰弱の呪いをブレスとして吐いていた。が、火力馬鹿の私には、物理的な破壊力に変換して使う。
レヒとリンクに続いて、私も自身の口からブレスを放つ。
このブレスについては、何度か試してわかったことがある。放った直後には全くの無害だ。私が何の躊躇も無く、使用できるのはそれが理由だ。
破壊力が生じるのは対象に接触した時、もしくは一定距離離れた場合だ。そうでなければ、ブレスを使う生物は皆、自分のブレスで怪我をしてしまうだろう。
そして、このブレスの特徴は腐敗の呪いだ。呪怨龍の衰弱とは、呪いの種類が変わっている。
認識阻害の次に、どうやらこの呪いが得意らしい。
シルキー曰く「いっつも、人の、足やら、脇やら、臭くしている、からだよ」とのこと。さもありなん。
私の全力を受けて、その左肩はボロボロだ。それでもまだ、機能を続けていた。
左腕が振り上がり、私に向かって振り下ろされる。
が、その左腕に光線が放たれた。
それが決め手となり、肩口から左腕が落下する。
その左肩の切断面から、内部の歯車等の絡繰仕掛けが露出する。天使はまさに絡繰なのだと認識させられる。
「主殿!」
「既に三発撃ったのよ⁉」
人使いならぬ、神使いが荒い天使様だ。
私はその内部が露出した肩に接近し、三つ首竜のように、私、レヒ、リンクとで同時に、ブレスを叩き込む。
一瞬の静寂。直後、人馬の身体中に亀裂が生じ、パラパラと、その身体が崩れていった。
私は空から床へとへたり込んだ。
「か、勝った……」
気が抜けたのか、人の姿へと戻っている。
「主殿、やった、ね」
シルキーもどこかほっとしているようだ。
「ごくろう、だった」
苦しそうに呻きながら、こちらを労う王子様の声。
「大丈夫なの?」
「まあ、死にはせん。しばらくは、派手な運動は禁止されるだろうがな」
その時、ロズウェル王子の目が驚きに見開き、私の奥に、何かを見ていた。
その視線を追う。
そこには、一人の女が立っていた。
黒い髪に、陶磁器のように白い肌。服は黒のシンプルなワンピース。角は無く、羽は私の羽にそっくりな、漆黒。
何よりも瞳が異質だった。
本来白目の部分が、何もかも飲み込みそうなほどに、深い黒。そして黒目であるべき部分は金色だった。
自分の左手が、小刻みに震えていた。
怯えて、いるの?
唯一、シルキーだけが動き出していた。
が、その左手が光線を放つよりも先に、女の蹴りがシルキーを壁に叩き付けた。頭部から出血し、その場に倒れて、動かなくなっていた。
シルキーの血、初めて、見た。
そんな間の抜けた感想が、頭を過る。
同時に、震えが止まった。
気がつくと、女に殴りかかっていた。その頭に、鎚を叩き込むべく。
しかし、その手に鎚が無かった。女がいつの間にか、鎚を奪って、それを観察していた。
「あら、とても素敵ですね」
私以外、誰もまともに触れられなかったそれを、平気な顔でいじり回していた。
「失礼、お返しします」
柄の部分をこちらに向かって差し出してくる女。
私はとっさに受け取り、再び殴りかかる。
女は、振り下ろされた鎚を左手で受け止めた。
本能が、かつて無いほどの警鐘を鳴らしている。今まで出会った中でも、はるか格上の一人だ、と。
全力では足りない。残りの寿命を犠牲にしてでも、まだ足りない。それ程の相手。
死力以上を振り絞るしかない。
私は呪いの空気を全身に取り込み、人を捨てる覚悟を決める。
半身の姿にると、女は一瞬目を見開いた。
私は鎚を、ブレスを持って、幾度も攻撃を放つ。
が、その全ては受け止められてしまう。
「シルキー!」
私は倒れた天使に助けを求めるように叫んだ。
その声に応じ、フラフラと立ち上がるシルキー。
「天使使いが、荒い」
軽口が叩きつつ、女の背後から襲いかかる。
が、彼女は私とシルキーの攻撃を軽々と捌いていく。
私の放った至近距離のブレスを女は受け流し、シルキーに当たるように誘導した。
咄嗟に、シルキーが回避すると、その隙を突いて、シルキーの首に踵を引っかけ、地面へと叩き付けた。
足りない、まだ、足りない。覚悟も、力も。
私は、まだ人に戻る余力を残していた。
もっと、もっとだ。人の意識を、人の部分を手放していく。
全能感が増していく。
世界が自分に応えてくれるような、そんな感覚。
「いいよ、主殿。全部、受け入れる」
私が人を捨てることに呼応してか、シルキーの肌も褐色に変化していく。多分、私の神化に引っ張られているのだ。
部屋を、圧倒的な速度で飛び回る。女は、下からこちらを見上げていた。
私は死角から、圧倒的な速度で女に襲いかかる。
先程とは、明らかに一線を画す動き。自分でも驚くほどの速さ。
いける。
シルキーも、今までとは違う動きで、私を援護する。光線の速さも、精度も上がっていた。
これなら!
圧倒的な力。人なら、軽々と潰せるだけの膂力。シルキーも同じように、口元に笑顔を浮かべていた。
光線の出力も、今までの比ではない。
その一撃が、女を捕らえた。その隙を逃すこと無く、私も追撃を放つ。
圧倒的な、力による一撃を。
現実は、非情だ。
本物は、にわか拵えの力など、軽々と潰してくるのだから。
全力の一撃を、女は涼しい顔で受け止めていた。
ここに来て、自分の絶対的な失策に気付いた。
この女は、殺意を抱いていない。つまり、逃げるべきだったのだ。恥も外聞も捨て。
女は、私を無視して、シルキーを蹴り飛ばし、再び壁に叩き付けた。
壊れない壁だからこそ、衝撃は全て、シルキーの身体に返ってきたはずだ。
そのまま力無く倒れ込んだ。
「失礼」
女は左手だけで、鎚を持つ私の両手を拘束し、地面に押し倒した。
抵抗しようとも、その左手を振りほどくことが出来ない。
「離、して!」
「ええ。用が済めば、すぐに」
私の額に、右手の爪を軽く当ててくる。
チクリ、と痛みが奔る。
女の顔面が、私の顔に近づいてくる。
飲み込むような黒い瞳に、私の全身が怯えるように震え出す。
女が口を開き、舌を突き出す。蛇のような、先の割れた舌だ。生暖かい感触が、私の額に触れた。
「あっ」
艶っぽい声が漏れると共に、力が抜けたのを見逃さず、私は女を蹴り上げた。更に翼を手の代わり使って立ち上がる。
何があったのかはわからない。それでも、力が緩んだのは事実だ。
現に、女の様子がおかしい。
ここしかチャンスはない。
私は、一か八か、再度本気の一撃を見舞うため、一気に距離を詰める。
放つ直前、女の恐ろしい目と目があった。
その目には、慈愛に満ちていた。
思わず、私はその手を止めた。
「あら、頭を潰さないでも良いのですか? 抵抗は、しませんが」
「……なんで、戦うのを止めたの?」
「貴方が、魔神様の、関係者。それも、同じ血を持つ存在だとわかったからですわ。ご紹介が遅れました」
女は深々と頭を下げる。
「わたくしは、魔神様が側近の第九席。メルバと申します」
「ふ、ふぇえ」
背後から、コフィの驚きの声が漏れた。
「きょ、経典にも載っている、大天使さまじゃないですか」
「黙って下さい。今、こちらの方と話しております」
その声は、明確な殺気が籠もっており、下手すればメルバと名乗った女はコフィを殺すと確信した。
「えっと、私はジーラ。一応、魔神の娘、らしいわ。会ったこともなければ、実感もわかないし、父親だとも思ってないけど」
「あ、ああ、やっぱり、なのですね。ならば、わたくしが仕えるには十分な理由があります」
彼女は頭を垂れ、私の前に跪く。
「ちょ、止めて。私に、そんな価値ないって」
「そんなことはありません。わたくしの生まれた理由に、貴女様に仕えることも含まれているのですから」




