第二章 3 乙女は根性で空を飛ぶ
三
テントを用意し、丘の上でテスラと二人、昼食を食べていた。
龍の群れの到着予想時刻の半日ほど前だ。
多少のずれを考慮し、現在時刻から準備している。
このままだと、接敵は夜か。
丘の位置は、都市の外東側。龍達は西側から向かってくる。都市の外、西側には、組合員達が大量に待ち構えている。
「昨日から、気負ってる人多かったけど、大丈夫かしらね?」
「どうかなぁ。少し心配ではあるけれど、僕らは僕らの出来ることをするだけさ」
シチューをよそいながら、テスラは西側を見つめた。人影など見えないが、知り合いなどの姿を想像しているのだろう。
シチューを受け取り、テスラが自分の分を用意している間に、私は食べ始める。いつものことだ。待っていると、先に食べて、と言われてしまうのだ。実際、いつ襲われるかわからないのだから、食べる時間は短いに越したことがないのだ。
「美味いわね」
「良かった」
お世辞無しに美味しい。都市からの距離を考えれば、弁当でも良いのだろうが、作ってくれるというので、その言葉に甘えた。
食事の後、互いに装備の最終点検を行う。
問題は無い。
交互に昼寝をし、夜に備える。
先にテスラが寝たので、後に寝たのが私だ。
起きて、テントを出ると、夕飯が用意されていた。
もう、実質これは夫婦じゃないだろうか?
夜はパンとスープ。昼よりも軽めだ。昼食から、寝ただけなので、それほどお腹は減っていない。
食事を終えると、星が見えるほどの暗さになっていた。
「さ~て、そろそろかしら?」
「僕ら、索敵能力ないからなぁ。目視だけが命だから、夜だとキツいよね」
しかも、片方はローブで顔面を隠し、もう一人はフルプレートメイルで、視界が狭いときたもんだ。
「ん~、あの目で見ようか?」
「いや、大丈夫だよ」
テスラは、優しく微笑んだ。
その後、しばらく西の空を見つめていた。
数十分後、空に火の玉が幾つも昇った。
西に居る組合員達が、龍の群れに攻撃をしたのだろう。
「開幕の花火にしては、少々派手さが足りないわね」
現在、安全地帯であるここで、対消滅の球体を創り出す。
自身の前に、銀色の液体金属のような球体が生まれた。一つではなく、複数創り出す。
「どっかーん! かーん!」
鎚でその球体をどんどんぶん殴る。
球体達が、複数のエネルギーの束へと変貌し、空を奔り、龍の群れを巻き込んで、爆発した。
開戦の花火は、これぐら派手でなければいけない。
花火に照らされた明かりの中、一匹の龍が素早い動きで、上空に避けた存在がいた。
「来るぞ!」
テスラが気合いを入れて叫ぶ。
多分、あれが群れのボスだ。
動きが違う。気配が違う。そして、私たちが驚異だと気付いた。
私は、唇を舌で舐めた。
「ジーラ、君はごゆるりと、術を用意してくれれば良い。何があっても、僕が護る」
龍が、こちらに向かって急降下してきた。
テスラの大剣が、龍の突進に対し、顔面を強打し受け流した。
風龍。龍にしては珍しく、群れで行動する龍だ。
飛ぶ速度が速く、逆に身体は小さめの種だ。とはいえ、人よりは遙かにでかい。
空を泳ぐ、蛇のような龍。風を泳ぐ故に風龍。
怒りがテスラに向く。尾の先の針が、テスラに襲いかかる。
風切り音が耳に届く。
速い。
だが、その素早い点の動きを、大剣でテスラは捌いた。
格好いい。
思わず見惚れた。
同時、術が完成した。
先ほどと同等の、球体。威力は、闇術の奪う時間によるずれによって調整する。だから、先ほどと同じもので構わない。
龍が、球体に気付いた。
私に向かって、火炎を吹いた。
風じゃないのね、攻撃は。
ふと、そんなことを思った。
テスラが、大剣を盾のように地面に突き刺し、私と龍の間に立ち塞がった。
「大丈夫⁉」
「まだまだ余裕だね」
なんだか、護って貰えることが嬉しくなってきてしまった。余裕があるというのならば、もうちょっとこの気分を味あわせてもらっても良いだろうか?
とはいえ、このまま棒立ちも不自然か。更に、球体を創り出していく。
数を増やせば、いくらでも仕事している感は出せる。
既に、テスラは十五回以上、攻撃を捌き続けていた。
テスラの様子を見ている限りは、それほど追い込まれている様子はない。まだまだいけそう、それが私から見た印象だった。
実際、その通りだった。テスラには、余裕があったのだ。テスラ、には。
バキ、と音が響き、先に大剣が逝った。
そのして、大剣を砕いた尾針が、テスラの右肩を貫いた。
「ぐ」
テスラがくぐもった悲鳴を漏らした。
そのまま、上空に移動し、釣り上げようとする風龍。
考えるより先に、私の身体は動いていた。
鎚で、球をぶっ叩く。
紫色の光が、風龍を捕らえた。胸部に穴を開けた。
同時に、上空の水分の熱を奪う。湿度が高い故に、その効果は高い。
対象は、凍り付く。
風龍は、その場に翼を広げたまま、標本となった。
「テスラ!」
「大丈夫。自分で治せる程度だよ」
テスラが、祈るように、両手を合わせた。
教会関係者が使う術、光の術とも神秘術とも呼ばれる術だ。テスラの身体が優しくも淡い光を放つ。
実を言えば、私も治療関係の術は使えるが、ちょいとピーキーな性能だ。致命傷に近くても治せるが、後刻、それ以上の苦痛を味わうというものだ。つまり、致命傷以外には使うべきではない術なのだ。
「間に合って良かったよ」
テスラが、安堵の溜息を吐いた。
「え?」
思わず、何を言っているのだろう、と思ったが、すぐに自分の術が間に合ったことだと気付いた。既に、トドメをさせる状況だったため、間に合った、との言葉にピンと来なかったのだ。
「大剣、ごめん」
「何を言ってるのさ。君を護るためだ、惜しくはないよ」
そう言うと、その大剣を少しだけ、名残惜しそうに見つめた。
「特段、高い物でも無かったし、丈夫ってだけが取り柄だった剣だ」
「それでも、愛着はあったでしょ?」
「嘘吐いても仕方ないか。長く使っていたからね。でも、そろそろ限界かなとも感じてたんだ。剣を、盾として使っていたからね。普通の使い方じゃないからさ」
間違いなく、大剣の破損は自分の責任だ。今度、一緒に買いに行くとしよう。勿論、支払いは私だ。
ただ、現実的な話をするのならば、悪くない結果かも知れない。先ほどの龍より強敵と戦っているときに壊れれば、それこそ目も当てられない結果になったはずだ。
そこで、一つの違和感に気付く。
「まだ、戦っている?」
西の空に、まだ戦いの明かりが認められた。
群れは、本来、ボスを倒せば逃げる。自分達の中で一番強いものが負けたのだ、自分らが勝てる通りはないと、戦意を失い。
だが、まだ戦いは続いていた。
嫌な、予感がした。
「上!」
叫ぶと同時、私とテスラは互いに、距離を取った。
自分たちの居た位置に、一陣の風が奔った。
風龍のブレス。火でなく、風のブレスだった。
あの場に居れば、風の刃に切り刻まれていただろう。
テントがあった位置に、巨大な一筋の斬撃痕が生じていた。
「あいつが、本命!」
空には、先ほどの風龍より一回り大きく、三回りは強力であろう龍が漂っていた。
私は、速攻で術を構成。
即座に、鎚で打ち放つ。
が、その術は軽々と回避された。
距離が、ありすぎる。
「駄目だ」
私が提案をする前に、テスラから否定の言葉が響いた。
「だって、他にないでしょ。大剣だってないんだし」
「だが!」
「じゃ、直ぐ代案頂戴。ほら、早く! 次の攻撃、来ちゃう」
テスラが悔しそうに顔を歪めている。
「ごめん、こんな言い方して。でも、アレは」
私がやらなきゃ、いけない相手だ。
私は、マントを剥ぎ取った。
背中を、晒す。
羽の生えた、背中を。
一気に上昇し、風龍に肉薄する。
慌てて、風龍は目標を変え、こちらにブレスを放った。
照準の甘いブレスを、私は回避する。だが、その一瞬後に、ブレスの通り道に引き寄せられた。
真空による、引き寄せ。真空になった場所には、空気が戻る。その戻りに、巻き込まれたのだ。
動きが一瞬、止まる。
接近戦は危険だ。ブレスを回避した直後、自分には無防備な瞬間が生じる。
だが……。
私には、攻撃方法が一つしか無い。術士としては、便利と嫌がらせが得意という碌でなしだ。
目の前に生じた球を、鎚で殴り飛ばす。
軽々と、その巨体はそれを回避する。
予備動作が大きく、それに相手も速い。
当たらないわね、これ。
銀球は駄目。なら、純粋な闇術と呪い。この二つが自分の手札だ。
眼鏡を外し、懐にしまう。
視界に入れるだけで、少しだけだが身体が重く感じるはずだ。
相手が吠えて、こちらを威嚇したのがその証だろう。不気味なことが起きたと、不安からの示威行為だ。
あれ、ただの風龍じゃないわね。
巨大な風龍。たしか、識別個体。
たしか二つ名は、空喰い。
さて、そんな化け物を相手に、どう立ち回るか。
身体の一部が手に入れば、本格的に呪えるのだが、攻撃を当てることが難しい。
この龍に、小指ぶつける程度の呪いを掛けても仕方ないしなぁ。
遠距離では、互いに決め手がない。
そして、接近戦では、相手が有利。
そりゃ、来るよね!
一気に、風龍が接近する。
ただの体当たりで、こちらは致命傷だ。
羽を羽ばたかせ、上空へと身体を逃がす。だが、通過した際の風圧で、身体が一瞬、自由を失う。
尾針が、私の身体を、貫いた。
はずだった。
あっぶな。ただの勘だったが、二度目の回避行動をとっていなかったら、殺されていた。
背中に、冷や汗が伝う。だが、その汗も、吹きすさぶ風がすぐに乾かしていく。
鎚の頭の部分である結晶を横目にちらりと確認する。
この龍を倒すには、ただ鎚でぶん殴るのでは足りない。鱗は削れるかも知れないが、空ではその回収は難しい。
駄目ね。当然だが闇術での戦いは無理。
呪いで、どこまで弱らせられるかね。
「あ~、もう!」
純粋に、相性が悪い。
牽制で吐き出されたブレスを、大きく回避する。
引き寄せられる感覚に、次の回避は、更なる移動距離が必要だと感じた。
風龍が、大きく息を吸った。
まずい、これはまずい。
本能が警告する。心音が高鳴り、まるで心臓が耳元にあるかのようだ。
だったら、先に撃つ。
私は、銀球を創り出す。本来は、全く均衡の精霊を用意するという調整が必要らしいが、私は全力の火と全力の水で完成するので、調整が要らないのが強みだ。
目の前の銀色の球越しに龍の動きを凝視する。
龍へと向かう、風の流れが、止まった。
マズい!
球を残して、急上昇する。
龍の口が、こちらを追いかける。
今までとは、比較にならないほどのブレスが、上空へと放たれた。
直撃こそ免れたが、風圧に揉みくちゃにされる。
きりもみされる回転の中、こちらに接近する風龍を見た。
真空が、私の身体を引き寄せる。
風龍の顎が、人一人を襲うには、不必要なほど大きく開かれている。
「くそったれ!」
手に持った鎚を、龍に向かって投げつけた。
現在の質量的には、女一人が持てる程度だ。
だが、その鎚を、風龍な大げさに回避した。おかげで、こちらに攻撃は届かなかった。
そして、風龍は落下していくそれを、そのまま見つめていた。
おぞましいでしょう?
都市一つ分の人の恨み、嫉み、憎しみを集め、生み出した人造の神が体内で造り出した結晶。それを核に創り出した鎚。
龍には想像などできないのだろう。人という存在の醜さが。生物として弱いからこその、憎しみを募らせる存在を。
龍ならば、それほどの憎しみを募らせる前に、相手を殺すだろう。人は、弱いから、それが出来ない。だから、身の内に呪いを募らせる。
あの鎚は、その集大成である化け物から造り出したものだ。
気味が悪いでしょう?
それが、人。
龍が、恐怖の色を含んだ眼で、私を見つめた。
ふふ、安心して。私は、半分だけだから。半分は、人じゃないから。
さ、なんとか死なずに済んだ。
でも、武器はない。呪いは、ほとんど効果が無い。
参ったわね、どうにも。
「もう、信じる以外、勝ち目はないわね」
自然と、言葉が漏れていた。
銀球を、目の前に創り出す。そんな大きな物で無くて良い。
思考の八割は、回避に。
視界の隅には、常に龍の動きを捉える。
球が出来ると同時、移動。再び、移動先に、銀球を創る。
鎚がなければ、起動は出来ない。人の手では、手が壊れる。
でも、いい。ただの、博打だ。
けど、多分だけど、この博打、きっと勝てる。
ブレスが、身体の直近を通過した。
近すぎる真空が、皮膚を引き裂いた。
皮膚から、血が滴る。
羽には傷がない。やっぱり、これは人のものじゃないのね。
自分の身体の一部ながら、不気味、と思わずには居られない。
回避の精度が落ちている。いや、相手が当てることに馴れ始めたのか。加えて、回避以外にも集中力を裂いているのもある。
我ながら結構な出血だ。一カ所一カ所は大した量ではない。だが、箇所が多い。
その上、上空で空気が薄い。
銀球を設置しながら、残りの時間が少ないことを悟る。
体温が、かなり低くなってきた。血も、気温も、何もかもが、こちらの体力を奪っていく。
風龍は、もう近寄るつもりはないらしい。ブレスが直撃しなくとも、回避させるだけで弱っていくのだ。私でも、そうするだろう。
次のブレスが、放たれようとしていた。
私は、耳を、すませた。
聞こえた。
恋する乙女は、惚れた男の声だけは、聞き逃さないのだ。
「ジーラ!」
下方から、鎚が飛んできた。
ナイス、ステラ。
探しだして、こちらに向かって投げてくれたのだ。
じゃ、今度はこっちの番だ!
先ほどの鎚が飛んできたため、風龍は一瞬、身を強張らせた。
隙を、見せたわね?
この機を逃すわけにはいかない。
先ほどから設置し続けた、銀球に接近し、その勢いのまま、鎚を叩き付けた。
連続で、それを繰り返す。
細長い巨体故に、素早く動くも、連発となれば小回りがきいておらず、命中する。
最初に設置した、最も大規模な銀球を叩く。
空が、熱量の暴力に焼ける。
龍の咆哮が轟く。
煙が空を覆う。互いが互いを確認できなくなる。
いや、龍は視力ではなく、体温で相手を見つけるはずだ。
煙が、揺らいだ。
私は、下方に飛んだ。
自分の居た位置を、ブレスが襲った。
煙に突っ込む。
煙が、まだ熱い。
だが、これで私を見失ったはずだ。
真空が、煙を集める。その現象に逆らうことなく、利用して接近する。
煙の中に、影が見えた。
一気に近づく。
非力で、軽い私の一撃に、少しでも威力を加えるために。
見えた!
顎の下に、私は接近した。
龍の口内には、次弾が装填されていた。
急げ。
気付かれる前に、攻撃の当たる位置まで移動しろ。
恨み、嫉み、この鎚が溜めた呪いの力。
そいつで、殴りつける。
亜神の結晶が、毎日、都市から吸収する妬み、嫉み、恨みの力。それを他者を傷つける力として発現させる。
下方から振り上げるような形で、顎を打つ抜く。
ぐぎゃん!
肉の潰れる音がした。
歯が飛び散り、首が爆発した。
どうやら、まさに吐き出そうとしていたブレスが、口を閉ざされたために、喉で爆発したのだ。
爆発に吹き飛ばされ、私は地面に落下していく。
翼を羽ばたかせ、落下速度を抑える。
だが、それでも止まらない。
痛みを覚悟し、身体を丸めた。
だが、その身体を暖かい何かが包んだ。
「大丈夫かい?」
フルプレートを脱ぎ捨て、汗だくのテスラがそこには居た。
「やっぱ、相棒はテスラじゃなきゃ、駄目だわ、私」
「なんだい、いきなり?」
「だって、何も言わなくても、私のして欲しいこと、わかってくれるじゃん。鎚、投げてくれなきゃ、負けてたわよ」
はは、とテスラは力なく笑った。
「なにか出来ないかなって、必死だっただけだよ。空で戦われると、僕にはなんにも、出来ないからね」
地面に降ろしてもらうと、テスラが申し訳なさそうに、包帯と軟膏を取り出した。
神秘術は、私に流れる半分の血が影響し、使うことが出来ないのだ。
応急処置をしながら、会話を続ける。
「多分だけど、あれ二つ名持ちよ」
「だろうね。空を飛べる君がいたから戦えたが、それ以外じゃ、一方的にブレスで殺されただろう。二つ名が付くほど、人を殺していても、納得だよ」
「でさ、あれの骨や鱗で、武器とか防具、新調しない?」
「今回、僕は何もしていないから、教会に手柄として話すつもりはないけど、組合が許すのかい?」
私は首を振って「言わない、言わない。勝手に知り合いの鍛冶屋に頼むだけよ」と笑った。
「いいのかなぁ」
「いいのよ。だって、今回の依頼って、龍退治に参加しろって言われただけだもの」
だからこそ、この件が漏れる前に動かねばならない。
痛む身体に鞭打って立ち上がる。
「お、おい」
「もうひと頑張りしてくるわ。テスラは、これと、あっちの龍、見張ってて」
「わかった。今回は、君に従う。何もしてないからね、僕は」
そんなことないんだけど、と思ったが、ごねられても面倒なので、さっさと行動を開始した。