第二章 2 絶望鯨
二
高速移動する生物の上で行動することは初の試みであったが、存外過ごしやすいものだった。
私達八人を乗せることが出来るだけの大きな背中。少し窮屈ではあったが、大人しくしている分には問題は無い。
凄いと思った点は、ベロリンの体毛が意思で動かされている点だ。私達の身体に巻き付き、飛ばされないようにしてくれる。背中の上を歩く際、足を浮かそうとすると体毛が離れる。足が接地と同時に再び絡みつく。本当に、空の移動用に創られた生物なのだと理解できる。
そんなわけで飛ばされる恐怖を感じること無く、空の旅を満喫できていた。
が、それも最初の内だけだった。風を浴び続ければ、体力も体温も奪われていく。また、風は潮を含んでおり、身体どころか、髪の一本一本までべたついてきた。
風呂に入れない状況でのこれは、結構なレベルで不快指数は高めだ。
「どれくらいかかるの?」
「三日程度、と言いたいところですが、ベロリンは気合いが入っているようです。二日でいけそうな速度ですね」
「そう。存外近いのね」
暇つぶしに、祈祷術について詳しく聞くと、魔神の使い魔は信徒のために創られている物が多いらしい。が、あくまで個人使用の範疇。大量の搬送などは、想定されていないらしく、それが弱点だそうだ。
他にも、戦うことが専門の存在も有り、アンドリューの戦闘方法は、戦闘用の天使を呼び出すことだそうだ。
降臨都市のある大陸が見えなくなった辺りで、シルキーがお腹が減ったと、私の頭にへばりつく。
携帯食しか無い旨を告げると、絶望的な表情を浮かべる天使様。
ふと、シルキーが持ってきた巨大なバッグが目に止まる。
「あれ、食料が入ってるんじゃないの?」
「あれは、とっておき、だから……」
たった二日程度の旅で、出し惜しみする必要は無いと思う。
食に対する我慢が得意な私は、携帯食の干し飯をボリボリと食べる。物欲しそうに見ていたシルキーに少し渡すと、勇んで口に放り込む。が、すぐにがっかりした顔へと変化した。
談笑程度しか出来ることも無く、夜にはすぐ寝ることとなった。
寝る際には、体毛が身体を包み込んでくれ、ベロリンの体温も感じられて心地よい。私のベッドよりも快適なくらいだった。
吹き付ける風のせいか、結構な疲労感を覚えていたたことも相成り、すんなりと意識は闇に落ちた。
翌日もしばらくの間は、特に何も無い時間が過ぎた。
が、太陽が天辺に位置した時間帯に、それは起きた。
前方に巨大な存在が現れた途端、メナス達の顔色が変わった。
「アレは……」
「はは……、嘘でしょう……?」
「……なんと、運の無い」
魔族達は絶望的な表情を浮かべ、呆然と前方の影を見つめていた。
「何なの、あれは?」
「正式な名は知りません。わかっているのは、魔神様が創りし存在。ほとんど時間、海の中で眠っており、希に空を空遊し、発見した存在を滅ぼす厄災。我々はアレを絶望鯨と呼んでおります」
絶望鯨の外見は、九対の翼の生えた鯨のような形をしている。大きさは、ベロリンの十倍はあるだろう。
突如、鯨の口が開いた。開かれると、それが口では無く、目であることがわかった。あれは、巨大な目だけの存在だったのだ。
皆が不気味な光景に息を呑んだ瞬間、ベロリンが急旋回したため、私達はベロリンにしがみついた。
同時、巨大な眼球から光が放たれた。自分達の居た位置を通過。海に着弾し、爆発と共に海面を蒸発させた。
「やばいわね、アレ……」
全身が粟立っていく。自分の命を鷲掴みされている感覚。たった一つのミスで命を失うという状況。
血が引いていく感覚を、無理矢理頭を振って、元に戻していく。
「戦えるのは?」
テスラとパパは、悔しそうに首を横に振った。
この二人が無理なのはわかっている。人には、空を飛ぶ手段は無い。
魔族達も歯がみしている様子から、空、もしくはあの巨体と戦う手段はないようだ。
「私とシルキーだけのようね」
「うん、だから、戦う、よ」
シルキーが上空に手を掲げた。
「対象をSランク以上の神造兵器と認識。周辺に、人的生物の不在を確認。天界の火の使用条件を達成」
「えっと、シルキー?」
ぶつぶつと呟くシルキーに、私の声は届かない。
「第二門まで使用承認を要請。……許可を確認」
空が白く輝き始める。
空が、割れた。
比喩で無く、本当に割れた。
瞬間、光の帯が絶望鯨を飲み込み、そのまま海に着弾した。
海水が吹き飛び、一瞬、海底が視認できる。
舞い上がった海水が、私達の頭上から降り注ぐ。
割れた空が元に戻り、空には虹が架かった。
絶望鯨は呆気なく消滅していた。
「対象の殲滅を確認。休眠の必要性を認める」
脱力するように、シルキーがその身体を私に預けた。
「主殿、ベロリンより、役に、立った?」
「いや、もう、凄すぎてびっくりよ。え、なにあれ? 私と戦ったとき、アレ使えば楽勝だったんじゃないの⁉」
「人が居る場所では、使え、ない」
「そう、なのね」
良かった。もし喧嘩したら、勝ち目無いもの。
「別の天使に、浮気したら、覚悟、してね」
恐ろしい言葉に反して、シルキーはもの凄く眠そうだ。
「寝てて良いわよ。一番というか、唯一の功労者を休ませないほど、駄目な主様じゃないつもりよ」
「わかった」
間もなく、シルキーは寝息を立て始めた。
先程、絶望鯨に向けていた怖じ気づくような視線が、今度はシルキーに向いている。
あれほどの力を持つ存在、恐怖せずには居られないだろう。あの光は、シルキーの意思次第では、自分達に向けられる可能性があるのだから。
私は、シルキーを抱えながら、丁度良い位置にあったシルキーのバッグに勢いよく寄りかかった。
「にゃ!」
バッグが喋った。
皆の視線がバッグに集中する。
聞き知った声だった。
「今すぐ出てきて謝罪すれば、即座に海に落とすのは考えるけど、どうする?」
途端、勢いよくお馬鹿猫が飛び出してきた。
「あんた、なにしてんの?」
バッグの中に居て良かったわねぇ。多分、絶望鯨を見ていたら、涙目だったわよ?
「い、いやぁ、一緒に行きたくて」
「それで、シルキーに相談したってわけ?」
顔中に冷や汗をかきながら、カミュがこくり、と頷いた。
「えっと、魔族のみんな的には大丈夫? 私としては、もうホワイトフェザーには戻れないから、海に叩き落とそうと思うんだけど」
「にゃ! 嘘でしょ⁉」
「密航はね、海に落とすのが相場なの。頑張って泳いで帰ってね?」
「無理、無理だって! ゴメンなさい! 謝る、謝るから!」
涙目で、こちらに縋り付くカミュ。残念ながら、決定権は魔族様達にあります。
「ええと、ですね。犯人は、そちらの天使様、なのですよね?」
「そうね。少なくとも私はノータッチよ」
パパ達も、こくりと頷いている。
「天使様は、我々の命の恩人です。この件は不問としましょう。絶望鯨の討伐は、我々の国においても、かなりの功績です。王位継承問題においても、かなり有効な一手になりますので、これぐらいの我が侭は全然問題になりませんよ」
「シルキーに感謝しなさいよ」
まあ、やらかしたのもシルキーだけど。
こくこく、と高速で頷くカミュに、すやすやと眠るシルキーを預ける。
視界の先に、大陸が見え始めた。
もうじき、この空の旅も終わりになりそうだ。




