第六章 2 幻痛の呪い
二
あたし、カミュはジーラの治癒術に舌を巻いていた。
切られた尻尾が、本当にくっついたのだ。
顔の火傷も、一切の痕跡が無く治っている。
ただ、その代償も恐ろしいのだろう。
その代償は、ジーラが受け持つと言っていた。
自殺防止で、拘束して檻に入れられるなど見たことがない。
あたしは、覚悟があると宣言して、この場に留まった。
しばらくの間は、皆無言だった。緊張を和らげようと話をしようとも思ったが、そんな空気では無かった。
突然、悲鳴が響いた。
それは、今まで聞いたことがないほどの、悲痛なものだった。
「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い!」
耳を塞ぎたくなる。大好きな相手の悲痛な叫び。
対してテスラは、ただ虚空を見つめていた。
「テスラ!」
無言で、テスラは首を横に振る。
「覚悟がないなら、帰った方が良い。こんなの、序の口だよ?」
ぞっとする。その瞳には、光が宿っていない。無表情で、感情の無い言葉がこちらに向けられた。
ジャラジャラと、手錠が、足枷が鳴っている。鉄格子を殴る音がする。
「助けて、テスラ、助けて!」
「悪いが、出来ない」
テスラはにべもなく断っている。
「カ、カミュ居るんでしょ! 助けて」
「い、居るわ!」
思わず返事をする。
「な、何をすれば良いの⁉」
「こ、殺して! 痛いの、辛いの! もう、殺して!」
全身が、粟立っていく。
その悲痛な願いに。
「そ、そんなこと、出来ないわ」
一瞬、ジーラの言葉が止まった。
「嘘つき! 嘘つき! 助けてくれるんじゃないの! 私を好きだって言ったくせに、嘘つき! あんたなんて、大っ嫌いだ! 嘘つき、嘘つき、嘘つき!」
思わず、耳を塞ぐ。怖い。こんなの、あたしの知っているジーラじゃない。
テスラは、ただ無表情で、今度は床を見つめていた。
「テスラ、お願い、お願いだよぉ」
「ごめんね。君と、約束しているから」
「そんなの関係ない! 苦しいの、痛いんだよぉ」
泣きながら、ジーラが訴えかけている。
「酷い、酷い、酷い。助けたのに。みんなを助けて、貴方たちの傷を治したのに!」
「うん。そうだね」
テスラは、淡々としていた。それでも、ジーラの言葉を、全て聞き届けていた。
あたしは、耳を塞ごうとしたのに。テスラは、全てを受け入れていた。
あたしは、場違いにも思わず二人の間に絆を感じてしまった。
ジーラの悲鳴は続く。罵倒は続く。
しばらくすると気絶でもしたのか、ジーラの声が止まった。
テスラが、ジーラが用意していた携行食を食べ始めた。そして、半分をあたしに渡してきた。
「よく、たべられるわね?」
「どういう意味だい?」
「ジーラのあんな様子をみておいて、良く食事が喉を通るって意味よ」
テスラが、あからさまに嘆息し、肩をすくめた。
「君には僕がどう見えているかはわからないけど」
そういうと、一度言葉を止めた。
「今、僕はとても気が立っている。わかるかい? 言葉を選べと言っているんだ」
殺気が籠もった言葉が、私に叩き付けられた。
「覚悟がないなら、去れと言ったよ。ジーラが死にそうになったら、僕らが病院に運ぶんだ。どれだけの日数がかかるかもわからないんだ。体力を維持しろ。出来ないなら、帰ってくれ。はっきり言うけれど、邪魔だよ」
そういうと、テスラは再び座り込んで、食事を再開した。
テスラの覚悟に対して、自分の甘さに思わず涙がこみ上げた。
情けない。本当に惨めなほど情けが無い。
無言で携帯食を取り出した。だが、食欲が沸かない。それどころか、軽い吐き気すらしている。
あたしは、携行食を無理矢理飲み下す。先ほどのジーラの様子が脳裏をかすめ、居に詰め込んだ食事がせり上がってきた。
だが、それを飲み込む。鼻に、吐瀉物が若干入り込んだ。
鼻をかんで、水を飲む。
負けない。意地ぐらい、あたしにもあるんだ!
夜中になると、テスラが料理を始めた。
「なに、してるの?」
背後からは、ジーラの嗚咽が聞こえる。
「ジーラの御飯だよ。何も食べなきゃ、もたないだろう。ただでさえ、しんどい状況なんだ」
「で、でも、食べられるの?」
「食べられないよ。というか、食べないよ」
「そうよね。だったら、なんで」
「食べさせるんだよ」
テスラは無感情に、そう言い切った。
鍋の中を覗くと、中身は重湯だった。それを冷やすと、テスラは、ジーラの居る牢の中に入っていった。
「殺して、くれるの?」
希望に満ちた声が聞こえた。
途端、溺れるような声がする。
あたしは、思わず牢の中に走り込んだ。
テスラが、無理矢理ジーラに重湯を飲ませていた。
「あ、あんた、何を⁉」
「手伝ってくれないか。帰らないなら」
ジーラなりの抵抗なのか、口に入った重湯を戻し続けている。
だが、それ以上の重湯をテスラが飲ませている。鼻を摘まみ、無理矢理に嚥下させる。
まるで拷問だ。
「だ、だずげ」
だが、テスラは手を止めない。
あたしは、歯を食いしばる。そして、テスラから重湯を奪う。
テスラは、こちらを睨んだ。蝋燭の乏しい明かりでも、怒りの表情が読み取れた。
ジーラに視線を移す。弱々しく、目には光が宿っていない。
「あたしが、食べさせる。テスラは、両手で口を押さえて」
「……わかった」
あたしは、テスラと協力してジーラに無理矢理食事をさせる。
咽せて、吐いて。それでも、繰り返す。ひたすらに繰り返す。
ある程度食べたと確信を持ったとき、あたしとテスラは、ジーラ一人を残して、牢の外に出た。
ジーラは力なく、床に転がっていた。
自分だけ、何もしないのはずるいと思った。ここに居る資格がないと思った。
恨まれてでも、ジーラの為になることをする。それがテスラの覚悟だ。だったら、あたしもその覚悟を持たなければならない。傷付く覚悟を。
次の日も、同じような状況が続いた。
ジーラからの怨嗟の声は強くなる。
あたしは、涙目になりながらも、声を出さなかった。 吐き気を堪えながら、必死に食事をして、ジーラにも無理矢理食事をとらせた。
テスラの表情からも、かなりの疲れが認められた。
今夜は、ジーラの叫び声が夜の間中続いた。
「殺して、殺して、痛い、痛い、痛い! お願いします、お願いします、お願いします。殺して下さい。殺して下さい」
自身を殺すように、懇願し続ける。
あたしは、疲労とは裏腹に、眠ることが出来なかった。テスラも、爪を噛んでいた。
あの爽やかな男からは想像できない状態だ。それ程までに、この状況は異常なのだ。
朝方になると、やっと声は収まった。
あたしは、あの怨嗟の声を聞かなくても良いと、正直、胸を撫で下ろした。
「テスラ、カミュ、もう大丈夫。ごめんね、心配掛けたわ」
普段通りのジーラの声がした。
良かった。
あたしは、脱力して、思わずへたり込んでしまった。
「そうか。じゃ、今から丸一日、様子を見させて貰うよ」
テスラの言葉に、あたしは思わず言葉を失った。
「なんで?」
ジーラが問いかける。
「芝居の可能性があるからね。そもそも、これはジーラが決めた方法だろう?」
一瞬、静寂が訪れた。
「大丈夫だって言ってるだろ! 出せ、出してよ! もう平気だから。大丈夫だから。信じてよ。相棒でしょ? ねえ、ねえ、ねえ。なんで信じてくれないの? なんで、ねえ、なんで? 私のこと、信じられないの? テスラ、どうなの?」
「今は、信じられない」
テスラは淡々と返した。
「カミュ、カミュはどうなの? ねえ、もう平気だから。大丈夫だから!」
言いながら、鉄格子に手錠を激しく叩き付けている。明らかに尋常な様子ではない。
「ああああああああああああ! ああああああああああああああああああ!」
絶叫が地下室に響く。
もう止めて、もう止めてよ。
声は必死に押し殺す。それでも、涙は流れていた。
「殺してやる! 殺してやる!」
ジーラの声が憎しみに染まった。
「ああ、君がそう望むなら、出てきた後に、やってくれて構わないよ」
テスラは、ジーラに対してそう言い放った。
牢を隠した布の隙間から、炎が光る。
否、それはジーラの瞳だった。
目隠しがズレたのだろう。
あの姿のジーラの目って、光ってるんだ。
状況にそぐわない、ぼんやりとした考えが過った。
その憎悪の光に対しても、テスラは一切の身じろぎを示すことは無かった。
あたしは、意地を張って、その瞳をにらみ返していた。意味なく、ただ意地を張っていた。
そして、再び食事を与える。
牢に入るあたし達に、ジーラは土下座して、「許して下さい」と頭を床に擦りつけていた。
「痛いんです。煮えた鉄を飲まされているような痛みがあるんです。辛いんです、怖いんです。お願いします、許して下さい」
テスラの顔が一瞬辛そうに歪むが、首を横に振った。
あたしも、大きく息を吐き、覚悟を決める。
テスラが顔を押さえて、口を強引に開くと、その頬に大量の涙が流れていた。
ごめん、ごめん、ごめん。
あたしは、心の中で謝罪する。
重湯を口に入れると、声にならない悲鳴が響く。
その悲鳴で、ジーラが重湯に溺れ、口と鼻から噴き出した。
それでも、あたしとテスラは、ジーラを休ませながらも、重湯を全て飲ませ切った。
それから二日間、ジーラの憎しみが、テスラに向けられていた。
そして、次の日、驚くほど呆気なく、ジーラが普段通りになっていた。
「じゃ、二十四時間、様子見ね」
ジーラの方から言い出した。
「布団欲しいけど、駄目よね?」
「うん、悪いけど。千切って、首吊られたら、困るからね」
「いいわよ。じゃ、寝るわね。流石に、疲れた」
本当に、その後は何も無かった。
二十四時間が経ち、ジーラが解放された。
蝋燭の光ではわからなかったが、日光の下に行くと、ジーラの指先は血に染まっていた。多分、床を引っ掻き続けたのだろう。
頬もやつれており、数ヶ月経過したかのようだ。
「大丈夫、なの?」
「ま~、喉元過ぎれば、って奴かしらね」
そういうと、その場に座り込んでしまった。
「テスラ、色々言ったかも知れないけど、忘れてよ?」
「もう覚えてないよ」
テスラは、ほんのり笑い返していた。
「カミュも、御免なさいね」
「覚えて、いるの?」
「ん~、感情のまま叫んでいただけだから、ほとんど覚えてないわ。殺して欲しいとか、嫌いとかは言った気がするけど……、気にしないでね。アレは本当に、極限状態で。あの時の本音と言えば本音なんだけど」
「大丈夫よ。あたしも、もう忘れた。忘れたったら忘れた!」
ジーラが微笑んで、ありがと、と呟いた。そして、視線をテスラに向けた。
「テスラ、今日泊めて。爆睡する。あと御飯作って」
「いいよ。全部、君の好物にするよ。因みにお腹は大丈夫なのかい?」
「ええ。あくまで幻痛だから。終われば、痛くないわ」
「なら、問題ないね」
すると、テスラがジーラを抱き上げた。
「ば、止めてよ。汚いし、臭いでしょ!」
ジーラは、吐瀉物や汚物まみれだし、風呂にも七日ほど入っていない。汗や涙まみれで、お世辞にも綺麗とは言えない姿だ。
「嫌だね。すぐにでも、君を僕の部屋に連れて行きたいんだ。そして、休ませてあげたい。だから、我慢してくれ」
「で、でも」
「力尽くになるだけだから、抵抗しない方がお互いのためだと思うんだが?」
その言葉に、ジーラは大きく嘆息した。
「わかったわよ。なら、急ぎでね」
「ああ!」
テスラは元気よく頷いた。
「カミュはどうするの?」
「え、っと。あ、新しい酒場について、みんなに話聞いてくるわ。後で、テスラの家に行くわ」
「そう。お願いね」
そういうと、速く走り出したがっているテスラが、ジーラをお姫様抱っこし、走り去っていった。
あたしは、自分の尻尾を抱きしめていた。
こうなるとわかっていたのに、ジーラはあたしを治してくれた。
ああ、もう、本当に、素敵な、女。




