2、幽世図書館へようこそ
ネコ!? いや、獣人!?
勿論、猫獣人なんて現実には存在しないけど、アニメや小説の中では見慣れたキャラクター。
遊園地の精巧な着ぐるみやロボットだと思えば、それほど珍しくもないけど……。
って、いやいやいや!
ここは遊園地でもテーマパークでもなく、わたしの家だから!
八畳一間のワンルーム。
アパートの壁を埋め尽くすように並べられた書棚。
お気に入りの本たちに囲まれたこの狭い空間こそが、今のわたしにとっての唯一の癒やしの場。
ん?
狭くは、ない?
書棚に囲まれた空間には違いないんだけど、なんか広い?
ガタッ
思わず音を立てて椅子から立ち上あって周囲を見渡すわたし。
「ここ、どこ?」
壁を埋め尽くす書棚と、そこに並ぶ無数の書籍。
それは変わらない。
でも、規模が違う!
わたしの部屋はこんなに広くない。
ざっと見た感じ、小さな町の図書館くらいの広さはありそう。
わたしが座っていた席を含めて、部屋の中心付近にはいくつかのテーブルが並べられている。
椅子の数に対してテーブルはかなり広めで、勉強や調べ物をするのに便利そう。
窓がないせいか全体に少し薄暗い感じがするけど、字を読むのに困るような暗さではない。
全体にアンティーク調の雰囲気は、図書館というよりはむしろ、おしゃれなブックカフェといった雰囲気に見える。
「ここは幽世図書館でございます」
急にかけられた声に驚き、きょろきょろと周囲を観察していた視線を目の前の猫獣人に戻す。
「幽世図書館へようこそ」
いつの間にか椅子から立ち上がっていた猫獣人が、そう言って大仰な身振りで頭を下げる。
きれいな礼だねぇ。
執事服? も似合ってる。
身長はわたしの胸辺りだから、大体小学生くらい?
いや、最近の小学生はわたしより背が高いって? うるさい!
「突然のことで驚かれたでしょうが、まずはお座り下さい。
こちらには貴方様に危害を加える気は毛頭ございません。
もしお話を聞いていただいた上で、それでもご協力いただけないということでしたら、その時は言っていただければ速やかに元いた場所にお帰しいたします」
そう言ってにこやかに席を勧めてくる猫獣人さん。
悪い人には見えないけど…。
いずれにしても、話を聞いてみるしか選択肢はなさそうだし……。
強引に拉致られたとはいえ、今までの対応は紳士的だし……。
あのモフモフもちょっと撫でてみたいし、ここの本も読んでみたい!
話を聞いて嫌なら帰してくれるって言うのだから、とりあえず話だけでも聞いてみるか。
わたしが元の席に腰を下ろすと、いつの間にどこから取り出したのか分からないティートロリーから優雅な手つきで茶器を取り上げ、黒猫執事さんがわたしの前に紅茶を出してくれる。
「ありがとうございます」
ハッカの微かな香りが鼻腔をくすぐる。
口内に感じる適度な渋みは、わたしが淹れるような単に蒸らし過ぎましたってものとは全然違くて……。
こんなネコ、飼いたいなぁ〜。
うちのアパート、ペット禁止だけど……。
「あの、とっても美味しいです」
「ありがとうございます。
では、落ち着かれたところで、今回わたくしが貴方様を当図書館にお招きした理由をお話させていただきます」
ゴクッ
「貴方様には、異世界に行って見聞を広めてきていただきたいのです」
わ〜、きた!? 異世界転生!?
って、もしかして、死んだ!?
そういえば、ここ、幽世図書館とか言ってたような……。
「……それって、つまり、わたしは死んじゃったってことですか?」
うわぁ! 油断してた!
確かに、いきなり知らない場所には連れてこられたけど、魔法陣とか次元の裂け目とかもなかったし……。
転移? した場所も図書館で、森の中とか王城とかじゃなかったし……。
異世界転生なら外で交通事故とかのはずで、自宅でくつろいでいたわたしには関係ない。
突然死んで異世界に転生させてやる、とかのパターンは考えてなかった。
あぁ、そういえば、本棚が倒れて本で生き埋めってパターンは読んだ気がする。
ということは、本当に死んだ?
ここもどこぞのブックカフェとかではなく、天国とか?
一見冷静そうに見えて、その実大混乱をきたしているわたしに対して、目の前の黒猫執事さんは落ち着いた様子でわたしの言葉を否定してくれる。
「いえいえ、莉子様は死んでなどおりませんよ。ちゃんと生きてらっしゃいます。
そうですねぇ、簡単に言えば今回のお話は“異世界転生”ではなく、いわゆる“異世界転移”ということです。
死んで生まれ変わるのではなく、莉子様には今のままのお姿で異世界を楽しんでいただくことになります。
あぁ、勿論いわゆる“チート能力”もちゃんと付けさせていただきますよ」
そう言って微笑む黒猫執事さんに、わたしは道で声をかけてくる街頭アンケートの調査員(大抵は営業か宗教の勧誘)に向けるような目を向けていた。
黒猫執事さんによると、わたしに行ってもらいたい異世界っていうのが、ちょうどさっきまで部屋で読んでた異世界転生小説の世界になるらしい。
正確には、その数百年後の世界。
その小説は、超越者的な存在からチート能力を授かった転生者が、人が満足に住めない魔物の蔓延る大樹海を切り開き、そこに人の街を築いて王になるといった話だった。
話は三部作で、第一部は転生者の冒険者が強大な魔物を打ち倒し、英雄王として大樹海に人の国を作り上げるというもの。
第二部では、大樹海という過酷な自然環境の中で傷つき病に倒れる人々を救うために、ある少女が聖女として転生し、そのチート能力で聖教会を設立。多くの人々を救っていくという話だった。
そして、第三部は、魔力でイメージ通りのアーティファクトを作り出せるチート能力をもった転生者が、前世知識を駆使して様々なアーティファクト(魔力で動く便利道具)を生み出して、人の生活環境を発展させていくというものだった。
「莉子様に行っていただくのは、第三部完結から更に数百年が過ぎた時代ですから、地球ほどではないにせよ生活環境はそれなりに整っておりますよ。
基本は剣と魔法のファンタジー世界ですが、各都市には上下水道も完備されておりますし、地球とは多少の違いはあるものの、全体としては近世ヨーロッパ程度の生活水準は維持できております。
製紙技術や印刷技術もありますから、休日にはお気に入りのカフェで読書を楽しむ、なんて過ごし方も可能です。
勿論、そのようなことなどせず、当図書館を利用していただいても一向に構わないわけですが」
色々と調べてるなぁ……。
わたしのカフェ巡りも把握済か。
この黒猫執事によると、わたしが今回転生者に選ばれたのは偶々みたい。
偶々条件とタイミングがあっただけ。
恋人や配偶者もおらず、うるさい! 既に両親も祖父母も亡くなっていて、天涯孤独であること。
ちょうど失業中で、うるさい! 急にわたしが消えたところで、誰も不審に思わないこと。
親しい友人もいないため、うるさ〜い! 誰も騒ぎ立てるようなことはないこと。
ついでに言うと読書好きで、今回新たな転生者(転移者)を選ぶタイミングで、偶々件の小説、『ノーム王国建国記』を読んでいたから、らしい。
こう言ってはなんだけど、実はわたしみたいなボ、ボッチって意外と珍しくないと思うし、失業だってよくある話だと思う。
小説だって、ベストセラーってわけでもないけど、普通に本屋さんで売ってるものだし……。
だから、本当に偶然条件が重なっただけで、この異世界話に運命的な何かとかは全く関係ないってこと。
でも、その方が逆に信用できるかな。
これで、「実は、あなたには秘められた力が!」とか、「実は、今のあなたの存在が将来の地球滅亡を回避する鍵に!」とか言われてたら、即お断りしていたと思う。
流石にその理屈で説得できるのは、高校生の転生者くらいまででしょう。
でも、そうなると、やっぱりわたしには一つ、どうしても腑に落ちないことがある。
「黒猫執事さん、ひとつ伺ってもいいですか?」
「えっ? あ、いえ、わたくしは執事ではございませんよ。
わたくしはこの幽世図書館の司書であり館長です。
ですから、わたくしのことは“館長”、もしくは名前で“ヴァプラ”とお呼び下さい」
「あっ、ごめんなさい。じゃあ、館長さんとお呼びしますね」
「はい、結構です。それで、わたくしに聞きたいこととは?」
勝手に執事認定していたわたしに怒るでもなく、常に真摯な態度で疑問に答えてくれる館長さんに、わたしはずっと納得のいかなかった問いをぶつけてみることにした。