159話 影魔法
赤いふかふかの椅子の上に寝かされてから造血ポーションを飲んだ私は不覚にも眠りこけてしまったらしい。
起きた時には温かい朝食が私の目の前にある机に出されていた。
だけど先程まで私を殺そうとしていた人の前で寝てしまうなんて、ちょっと気が緩みすぎな気がする。
朝食に毒が盛られているなんて事は頭に無く、私は朝食に手をつけていた。やはり空腹は耐え難いものである。
「おや、案外起きるのが早かったようだね。飲み物は紅茶で大丈夫かな?」
「はい!あ…えっと、朝食を出して頂きありがとうございます…」
お礼を言いながら出された紅茶を両手で支えながら口に運ぶ。昨日は散々な目にあったので、こうやって一息つけるのはとても心が休まる。
「それにしても君は簡単に人を信用しすぎだよ。やろうと思えば君が飲んでいる紅茶に造血ポーションを仕込んで殺す事だってできるんだからね?」
「うっ……なるべく気を付けます…」
彼からの耳が痛くなるような指摘を受けながらも、温かい紅茶を頂く。本当に造血ポーションが入っているなら腕の血管でも切って血を出せばいいからだ。
それよりも昨日の事を彼に聞いてみる。あの魔法についてもっと知りたいのだ。
「エドワードさん。昨日のあの黒い影は…魔族しか使えないと思っていたんですけど」
「あぁ、はぁ。やはり覚えているし聞いてくるか。隠しておきたかったが、その顔は諦めてくれそうにない顔をしているからな……仕方あるまい」
彼は服の袖から杖を取り出すとそれを地面に向けて私に説明し始めた。
「まずは注意事項からだ。この魔法は下手をすれば死に至るしどこか遠い場所に出てしまうことがある。それと他の人に見られないようにすること。これは我ら暗殺者のみに伝えられている魔法、つまり我らの手の内は常に隠しておかないといけないってことだ。ただ魔族も使えるのは驚きだな…ふむ」
「は、はい。」
「影よ。起き上がれ。ここにあった影が起き上がったのが見えるかい?これが影魔法だ。慣れればほとんどの影をこんな風に操れるようになるぞ」
彼が説明している途中で部屋にあった無数の影が様々な形を取り始める。しかし光が直接当たる所には行けないらしい。その場で何かするぐらいが限界なのだろうか。
「まあ、影を踏んでいる者を掴むとか拘束するぐらいしかできないがね。物をこっそりと移動させるのにも重宝するかな。だが、影魔法でできることはこれだけじゃない。というかこれは初歩の初歩だ。さあ、こっちに来てみなさい」
彼は立ち上がって部屋の片隅の暗くなっている所まで来るように手招きしてくる。
何があるのかと仕切られたその区画を覗くが、暗い中に小さい光の印があるだけの場所であった。
「さあ、お手を。しっかりと捕まるんだよ。でないと死んじゃうからね」
「はい…」
さっと差し伸べられた手に対して上から手を乗せる。こういった小さい所作に彼の品の良さが伝わってくる。
仕事上でこういうことを沢山してきたのだろうか。それぐらい慣れた動作のようだ。
「影よ。我を影の世界へ入れよ」
魔法を詠唱した彼と共に暗い世界へと引きずり込まれる、
身体が壁にめり込んだかと思ったら目の前には黄昏色の世界が広がっていた。
自分が立っている部分が床なのかそれとも壁なのか。黒い部分もあれば明るく光っている部分もある。だが目の前にあった壁はなく、果てしなく黒と黄昏色が混じった世界である。
「さて、影の世界へようこそ。黒い部分は光の世界の影になっている部分で明るいのは光が当たっている部分になる。奥の方で黒い部分が動いているだろう?あれは多分人が歩いているんだ。ここの世界は光の動きで刻々と変わるから迷子にならないようにしないといけないよ」
「えっと、目の前の壁はどこに行ったのでしょうか…」
「この世界は不思議でね。顔を上に向けてごらん。大丈夫、私がしっかり手を握っていてあげるからね」
彼に言われるままに顔を上に持ち上げると目の前に広がっていた平面な世界が一緒に動き始める。
足は床についているはずなのにまるで身体が宙に浮いている様に感じてとても気持ち悪くなる。
恐る恐る足を前に出してみるがやっぱり床がしっかりある。ただ見る角度によって影の見え方が変わっているだけのようだ。
「さて、ここからが本番だ。あそこにある明るい所に手を付いてみようか」
エドワードさんに手を引かれながら移動していく。さっきまで物があった部屋の中なのだろうがここの世界では何かにぶつかることがない。
「あれ?ここは手が奥に行きませんね。何か壁があるのでしょうか」
「そう、これが影の世界の壁だよ。光に照らされた所は影の世界では壁になるんだ。つまり今光魔法を光の世界側で放つと我々は壁によって吹き飛ばされる事になるんだ。吹き飛ばされるならいいけど挟まれようものなら即死だろうね」
私は少し怖くなって光の壁から手を放す。
不思議なのはどこからどこまでが影で光なのかはっきりしないことだろうか。濃い影とか薄い影とかがあるのと同じ様に濃い光と薄い光とかあるんじゃないだろうか。
「即死と言えばだ。影の世界から抜け出す時も注意が必要なんだ。体が半分ほど出ている時に強い光に照らされようものなら体が真っ二つになるからね。だからこんな風に出るときは一瞬にして出るのがおすすめだよ。影よ。我を光の世界へ戻せ」
又も手を引かれて明るい光の世界へと引きずり戻される。
同じ所から戻ったわけではなく、少し薄暗くなっている壁から出てきたようだ。
手を壁に当ててみるが影の世界に減り込むような事はない。しっかりと頑丈な壁がそこにあるのだ、そこから出てきたなんて信じられない。
私がぼーっと壁を撫でていると何者かが走ってくる振動が壁を通して伝わってきた。
私は双剣を手に持ち向かってくる何者かを警戒する。
「ベンじいさん!ア……やっぱりここだったか!」
「アリス!無事だったのね!」
ノックもされずに大きく開かれた扉からはカリンさんとマリンの姿が見えた。
それよりもベンじいさん?それになんでカリンさんがここへ?




