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ヒトトリモノガタリ

作者: 柊鏡

 一

 

 薄暗く狭い部屋の中で、禍々しく光っているのはコンピューターのディスプレイだけだった。簡素なGUIを背景にして、ディスプレイ上には珍妙奇天烈な文字や図形が並んでいる。しゅっしゅという蒸気音が、間歇(かんけつ)的に聞こえてくる。

 あすなろは誰かの声がした気がして顔をあげた。実際呼ばれたようで、見知った女が茶色のコートを羽織って立っていた。

「やぁ」と声の主――はふろは片手の掌を見せながら、言った。もう一方の腕は何かを隠すように後手(うしろで)にしている。

「なんだい?」

「仕事、はかどってる? って――あ、コーヒーどうぞ」

 柔和な笑顔を(たた)えつつ、後手にしていた手を前に出す。お盆に載った湯気立つカップが顔を見せた。瞬間、室内にコーヒー豆の臭気が溢れた。

「ありがとう。うん」

 受け取って一杯含んでみた。どうしようもなくインスタントの味がした。それでも、久しぶりのコーヒーに違いなく、不味くはなかった。

「ところで、今日の対象は何さ?」コンピューターのディスプレイをはふろが覗き込む。彼女は直ぐに、眉をひそめて渋い表情になった。

「ダレイオス三世時代のペルシア帝国について」

「何それ?」

「紀元前の中東の歴史。ダレイオスは賢君として――」

「ふあぁ。意味解んない」

 はふろは諸手をあげ、首をぶんぶん左右に振り、降参のポーズをした。もう聞きたくないらしかった。はふろは歴史が嫌いだった。歴史にはロクなことがない。争いと謀略と、憎しみの連鎖があるだけだ。もしもロクなことがあったなら、自分たちの境遇はもっとよかっただろうと思うのだ。今でも人類は地球の大地に暮らしていただろう。

「じゃ、生存確認も済んだし、私は海へ行くよ。いっぱい地球光(こう)でも浴びてくるかなぁ。あすなろも、仕事漬けもほどほどにね。ケツから根、生えるよ」

 はふろは告げると、そそくさといなくなった。あすなろ(ひと)りが残されて、再び狭い部屋には蒸気音だけが充ちた。

「まぁ……何になるんだろうなぁ」

 椅子のリクライニングに背中を預けて、上方を見やる。天井は見えなかった。部屋自体は狭いが、どうしようもなく天井は高い。そもそも何処まで続いているのかも定かではなかった。数百メートル先で完全な暗闇になっている。

 闇に見下ろされている自分自身がちょっとだけ、虚しい気がしないでもなかった。はふろの言う通り、たまには外に出て星の一つでも見るのもいいだろう。

 

 

 二

 

 あすなろと別れた後、はふろはエレベーターに乗って階層を下った。ドアの上で階層を示すデジタル表示が切り替わっていく。百七十五階、百七十四階……。

 地上最下層の一階までは結構時間がかかりそうだ。暇を潰さなくてはなるまい。されど、生憎とエレベーターに相席している人もいないので世間話もできそうにない。はふろはコートのポケットから携帯端末を取り出した。掌にすっぽり収まる小さなものだ。

 横っ腹にある電源スイッチを入れた。

「当選してるかな?」

 携帯端末からアクセスした先は《地球渡航選考委員会》が開設している情報ページである。第百九十六回選考結果発表が本日行われる予定だった。選考は月一回だけ募られ、翌月に発表となっている。はふろも応募していたので、気になっていたのだ。

 ページには数十名の名前が連ねてあったが、はふろの文字はなかった。

 落選してしまったが、大して落胆はしなかった。いつものことだ。当選確率はもの凄く低い。

 チーンとエレベーターが啼いた。一階についたようだ。

 はふろはエアロックへと向かった。

 エアロックで(こう)放射線コーティングがされた宇宙服に着替え、圧力調整を終えて外に出るとそこには月の大地が広がっている。

 月の海という場所がある。月に水分は存在しないが、地形が海にそっくりで大昔からそう呼ばれてきた。はふろは月の海の中から地球の青い本物の海を眺めるのが好きだ。

 本物の海は何万キロも離れたこの場所から見るしかないが、それもこれも全部先祖の所為だった。

 地球は何十年か何百年かの昔に核戦争で荒廃し人が棲めなくなった。多くの犠牲者がでたが、人類の一部はなんとか月へ逃れることができた。そして、大きく高層の尖塔を建てた。

 尖塔には数万の人間が棲み、皆が学術的な仕事をしており、その意義は過去の地球で培われた技術を保存する為だと言われている。地下には培養プラントがあって、そこで各種食料が生産されている。殆ど全自動なので人間は関わっていない。

 はふろは月の岩膚に腰を下ろした。

 見上げる地球は清澄さに満ち溢れ、青い。核戦争があって荒廃したとはとても考えられなかった。もっとも、だからこそ地球渡航ができるとも言えた。

 部分的に地球環境は快復(かいふく)している、と尖塔の管理部は言っている。しかしながら、その土地面積はまだまだ狭い。ゆえに渡航できる人員に規制がかかる。渡航なのだから月へ帰ってくる権利も当然の如くあったが、過去の渡航者は誰一人として戻ってはきていない。きっと地球はいいところなのだろう。常々、はふろはそう思うのだった。

「あれ?」地球の一部が輝いた気がした。

 太陽光の所為には思えなかった。あまりにも局所的過ぎたし、丁度太陽光が当たらない夜の部分だったからだ。

 はふろは目を凝らした。すると幾つもの光球が断続的に煌くのが見えた。何だろう? 火山でも爆発しているのだろうか。

 はふろは宇宙服の側面にあるポケットからカメラを取り出す。

 彼女は写真の趣味がある。頭上の地球の不思議な有様をレンズに収めておこうと思ったのだった。

 

 

 三

 

 あすなろは普段、自室に届けられる簡易の食事で腹を満たしている。調理プラントで仕上げられた料理は彼の居室である二百六階に届くまでには、大抵冷めている。

 冷え切った飯に、いつもなら文句はない。しかし、インスタントコーヒーを飲んでしまった所為でお(なか)が刺激されたのか、たまにはきちんとした料理を食べたいと思った。胃腸が温かい料理を欲していた。

 そこで、尖塔中央――百階にある食堂へ向かった。

 食堂は何やらざわついていた。久しぶりに沢山の人間に出くわしたから、耳がびっくりしているのかと考えたが、それにしては人々の顔は気色ばみ、期待感に溢れていた。何か重大なイベントであもっただろうか?

 尖塔の管理部のスケジュール表に、気になるような事項は何も記載されていなかったはずだ。

「何かあったんです?」と手近な人物に訊ねた。

「今日、選考発表じゃないですか」

「あ、なるほど……」合点がいった。

 あすなろは地球渡航に対して興味を(いだ)かなかったが、多くの人々は違う。皆、人類が生まれ育った星へ行って、そこで暮らしたいのだ。その望郷の念は解らないでもない。母なる大地がおいで、おいでと手招きしているのかもしれないから、それを無意識に感じ取っていないとも言えない。けれども、月の尖塔で暮らしてきた自分たちが果たして地球環境に慣れ親しめるものかどうか、その点があすなろは不安だった。誰一人として生まれ故郷のはずの月へ戻ってこないのも、皆死に絶えたのではないかとすら考えている。

 ビッフェ形式なので食事は好きなものをチョイスできる。適当に見繕って窓際の席についた。トレイに並ぶのはドライカレーとサフランライスだ。デザートにプリン一つも持って来た。

 尖塔の外縁部には窓が殆どないが、食堂だけは例外だ。食堂は、その外壁全てが強化プラスチック製の窓になっているのだ。

 窓から覗く暗黒の景色の中に、ぽっかり浮かぶ半欠けの地球が見えた。海の青と、大地の緑と茶色が見える。人類も生命体である。地球の生命は等しくDNAを持っている。

 血は海水と組成がよく似ていると言われる。血潮のような海に惹かれ、緑地が覆う本物の大地に恋焦がれるのだろうか。遺伝子に刷り込まれた本能なのかもしれないと思った。

 自分にも他の人々と同じくホモ=サピエンスの遺伝子があるはずだったが、地球に惹かれない理由はとんと知れなかった。

 

 

 四

 

 はふろがアヒル口をしながら言った。「選考、漏れた」

「また、落選したの?」

「うん」

 何度も何度も落選しているにも関わらず、彼女は口惜しそうだ。毎度落ちるごとに悔しがる。

「コーヒーの飲みすぎじゃないのかな? ほら、健康体が優先されるって言われてるし」

 納得がいかない様子ではふろは、アヒル口をヘの字に変えた。管理部が主導して健康診断が月一回行われているのは事実だが、そこで彼女が何かの検査にひっかかったことはないはずだった。彼女同様、あすなろも検査で問題であったことはない。

「来月こそは当選するもん。ねぇ――あすなろ」

「ん?」

「たまには応募しない?」

「どうして?」

「地球に一緒に行こうって言ってるんだよ」

「俺はここがいいよ」

 地球にはあまり興味がない。一度くらいは実際に目にしてもいいかもしれないが、何千分の一の確率に賭ける気はさらさらなかった。それよりも地球由来の古文書などと首っ引きしていた方が幸せを感じる。

「何で? こんなところがいいの? 狭いし、窮屈じゃない。青い海で泳いでみようよ。青い空の下へ行こうよ。こんな暗闇の宇宙じゃなくて」

 はふろは目をキラキラさせて述べ立てた。彼女も地球に恋焦がれているのだ。

「まだ汚染されているんじゃないかい? 渡航制限だってあるんだしさ」

 あすなろの言葉に、むぅとはふろは鼻を鳴らした。「制限はあるけどさぁ……」

「渡航制限がなくなったら、考えてみるさ」

「本当?」

「本当さ」

「約束だからね」言うやいなや、はふろは右手小指を突き出してくる。「指きり」

「はいはい」

 やれやれと思いながらも、あすなろは律儀に自分の小指を出した。その指先を素早く、はふろは自分の小指に絡めた。

「指きりゲンマン、嘘吐()いたらハリセンボン飲ーますッと」

 嬉々とした様子ではふろは絡まった指先を上下に揺さ振った。間接が外れるかと思うくらいだった。ハリセンボンって魚だよなぁと思った。飲まそうにも月に魚はいないのだ。尖塔地下の食糧生産プラントで製造されているのは合成蛋白に過ぎないのである。

 

 

 五

 

 第百九十六回目の次、百九十七回目の選考は来月の予定だった。今までの慣例通りならば。しかし、管理部は何を思い立ったのか、突如として渡航規制を緩めた。

 今まで月一だった選考会は、百九十七回目以降、三日ごとに選考が予定されることとなり、しかもこれまでの十倍の人数に許可を与えるそうだ。一気に百名近くが地球へ渡航することなる計算だった。

 このニュースを聞くや、はふろは直ぐ様、あすなろの部屋を訪れた。「やぁ、やぁ、やぁ」

 はふろはとても嬉しそうな顔をしている。声も弾んでいて、彼女の嬉しさは隠しようもない。彼女が何を言わんとしているのか、あすなろには解っていた。彼もまた、管理部のニュースを聞いていたからだ。

「やっぱり、来たか……」

「当然じゃない。渡航制限、緩まったよ? 応募しよう、ね?」

「緩和でしょ。俺は撤廃――」

「似たようなものだよ。はいはい」強引に、はふろはあすなろの携帯端末を引っ手繰(たく)った。

「おいおい」

 取り返そうとするが、はふろは逃げた。部屋の隅っこでアルマジロのように縮こまり、携帯端末が奪われるのを背中で防ぐ。引き剥がそうとするが、上手くいかない。それどころか、威嚇する犬にのようにフーッと言われた。しょうがないと、あすなろは諦めた。

 あすなろが諦念を抱いたのを感じ、アルマジロ防御を解く。

「解ればいいんだよ。解れば。うん」偉そうに言った。はふろは携帯端末のディスプレイを触る。タッチパネル方式になっているので、キーボードは要らない。

 渡航選考への応募は簡単だ。戦闘中枢サーバーにある管理部ページへアクセスし、ページ上の応募タブをクリックすればいい。個々の携帯端末には各自のシリアルコードが割り振られているので、これだけでよいのだ。はふろがわざわざ、あるなろの端末を奪って応募しなければならなかった理由もこれによる。他人の端末では応募できないのである。

「はい。応募完了」にやにやとはふろは笑っている。「これで地球へ行けるね。一緒に」

「二人とも同時に通れば、だろう?」

「そうだけど、ね」

 少しだけ悲哀の情の篭った顔をはふろはするのだった。確かに、彼女が月からいなくなるのは寂しいかもしれない。

 

 

 六

 

 当選結果は今までとは比べ物にならなかった。なんと、一気に千人近くが当選したのである。尖塔総人口の五パーセントにも及ぶ人数だった。あすなろもはふろも選考に通ることができた。

 当選の日、管理部のページに並んだ名前の列を自分の携帯端末で眺めつつ、はふろが言った。「よかったね」

「別に」あすなろは常の通り、ディスプレイを見ながらすげなく応えた。

 画面に映るのは奇怪(きっかい)な印象を与える楔形文字だ。彼はまだ、古代ペルシアの粘土板を調べているのだ。

「あ、コーヒー飲む?」

「うん」

「今日はお祝いだから――」

 はふろが本日持って来たコーヒーはインスタントではなかった。(ひと)嗅ぎで解った。エスプレッソだろうか。あすなろはおもむろに飲んだ。インスタントの味は当然しなかった。ただ、少々砂糖を入れすぎている気はした。甘ったるい。彼女の今の心境をまるで代弁しているみたいだなぁと感じるのだった。

「おいしい」

「うん。よかった。――でね、出発は明日だって」

「早いなぁ。おい」

 地球への渡航に使われる輸送船の出帆予定は明日。

 これまでならばもっと猶予期間があった。だが、今回から選考は月一ではなく三日に一回になった為、出発も急ぐ必要がでていた。

「だね。早いよぉ。でも待ちきれないというところもある」

 本当に(はや)る気持ちを抑えているように、はふろの頬は赤く(ほの)かに上気していた。今にも鼻から、煙がでそうだった。それくらい興奮していた。

「色々持って行けるんだっけか?」

「うーん。一人五キロまでって話かな」

「前までもっと持っていけなかったかい?」

 あすなろの記憶ではもっとたくさん荷物を持っていけたはずだ。

「千人だよ? 輸送船も(すし)詰めだよ」

「それもそうか」

 一人五キロ。一体何を持っていけばよいのだろうか。コンピューターや携帯端末は持っていっても、おそらく意味がない。これらの物品は尖塔にある中枢コンピューターがなくては稼動しないからだ。そもそも人類のいなくなった地球に電力を供給する施設があろはずもないではないか。

 こう考えると、持って行くものが五キロというのは却って多いくらいだ。あすなろは衣類だけを持っていくことにした。衣服ならば、持っていって無駄になるということもないだろう。

 一方、はふろは何を持っていこうか悩んでいるようだった。自室のベッドに横になりながら頭上を見る。天井は見えない。蒸気の音だけがしている。はふろにはどうしても持って行きたいものがあった。地球の姿や宇宙の様子を納めた写真の数々だ。趣味のカメラで撮影した映像を閲覧するには、何か電子的なデバイスがいる。カメラはデジタル方式なので当然だ。されど、地球上で電子機器が有用かどうかは皆目解らない。それに電子機材は結構重く、(かさ)張る。ほんの少しの量で規定の五キロに届いてしまう。折角数年かかりで撮影した写真を破棄するのは惜しい。紙にプリントアウトすればよい、と思うかもしれない。しかしながら、資源の希少な月面に於いてはそれは贅沢な手段だった。

 はふろは迷った末、決断した。データディスクだけを持っていくことにした。

 

 

 七

 

 渡航する人々を乗せる輸送船はあまり大きくはなかった。かつて地球から月へ人々を逃した、といわれるこの(ふね)(ふる)いものとされているにも関わらず、その姿は壮健だ。何度も何度も地球と月を行き来しているとは思えなかった。大気圏突入用のセラミック製の底は少しも傷ついてはおらず、意外だった。

 渡航を待ち望む人々が列をなして登場口から並んでいる。あすなろとはふろは、その半ばにいた。

 輸送船のある格納庫内にあるスピーカーが唸った。『本日、十五時十五分より搭乗開始です』

 列になった人々が、やにわにざわめき出す。中には踊り出す人や、奇声をあげる人、歌う人、出立に際しての人々の反応は様々なものであった。はふろはそのどれでもなく、小さく諸手をあげて万歳しただけだった。

 渡航そのものに殆どノリ気ではないあすなろは、ただ他人事のように彼らの反応を見ていた。完全な傍観者の立ち居地である。

「いよいよだね」前を向いたままはふろが言う。

「そうだな」気のない返事。

「月との別れが寂しい?」

「いや……そうじゃないけど」

「ふぅん」

 十五時十五分に始まった搭乗は十五時半には完了した。はふろが言ったように船内は鮨詰めだった。本来数十名しか乗り込めない構造になっているのだ。そこに千人を詰め込んだのだから当然だった。

 十八世紀、アフリカから黒人をアメリカへと運搬した奴隷船に似ていた。本当に奴隷みたいだとあすなろは思ったが、そんな感慨を抱いたのは彼一人だっただろう。皆、喜びに浴し、窮屈な状態も苦にはならないようだった。

 十六時に再度スピーカーが唸った。『出発致します』

 各自シートベルトをしたり、シートに掴まったりして衝撃に備えた。衝撃はすぐにやってきた。身体が横薙ぎに叩きつけられる感覚がする。輸送船は格納庫から飛び出し、尖塔から続くレールを走ったのち、マスドライバーから飛んだ。

 宇宙空間から一度、月の姿を拝んでおきたいとはふろは思ったが、鮨詰め状態の船内で自由に動くことはできなかった。キャビンの中央付近にいる為に、人の壁を抜けて舟の窓辺に行くことはかないそうもなかった。それほど、人々は押し込まれていた。

 地球への旅路は、管理部の情報によれば約半日である。

 半日、この状況を耐え抜けば地球へ行ける。そう考えたならば、簡単に我慢することができた。

 

 

 八

 

 キャビン内のスピーカーが『到着いたしました』と告げると歓声があがった。

 輸送船のドアが開き、人々が雪崩をうって出て行く。人の(なみ)に押し流されるようにしながら、あすなろとはふろも船外に出た。そこに期待していた緑の空間はなかった。出発したときと同じく、格納庫のようなドックがあるだけだった。辺りを左右見回しても鈍色(にびいろ)の壁や、冷却液を垂れ流すパイプがあるだけだ。

 輸送船の出入り口の先には開いたドアがあった。ドアからは光一つ漏れて来ず、恐ろしげな空気を漂わせていた。人々は皆吸い込まれるようにそこへ消えて行った。最後にあすなろとはふろだけが残された。あすなろが残った理由は急ぐ必要がなかったからで、はふろが残ったのはあすなろがドアへ向かわなかったからだった。

「行かないの?」とはふろが不安いっぱいに訊いた。

「あのさ――」

「ん?」

「変じゃない?」

「変?」

「地球って核戦争で荒廃したのだろう? なのに、ここはどう見ても宇宙船を収納する施設だと思うんだ。違う?」

「確かにそうだね。そういえば、大気圏突入する気配もなかった」

 輸送船に大きなGがかかったのは出発のときだけだった。地球には大気圏があり、そこを通るときにも衝撃を受けるはずなのだ。

「おまえたち、何をしている?」不意に横合いから声がかかって、二人は身を震わせた。

「何だ?」「何?」

 軍服を着た男が立っていた。月に軍人なんかいなかったから、あすなろもはふろも過去の映像媒体でしか軍人を見たことはなかったが、眼前の男は間違いなく軍人であった。その切り口上の口調といい、絵に描いたようだ。

「ア-476(すなろ)とハ-26(ふろ)」

 何故か男ははふろとあすなろの名前を()っていた。しかし、発音が変だった。まるで商品のシリアル番号を呼んでいるかのようだ。

「どうして、俺らの名前を識っているのです?」

「当然ではないか。おまえたちは我らに管理されているのだ」

「あなた、管理部の人?」

「確かに、我々は月を管理しているものだ」

「なら、ここは何処なのですか? 月は出発したはずです」

 ふふんと軍人は卑しく笑った。「ここは地球の軌道上だよ」

「地球にはまだ人類がいたんですね?」

「当然ではないか。あそこは優秀な軍人を死なせない為にある」

「どういう意味ですか?」

 あらかた予想はついているのだろう。あすなろが眉を(ひそ)めながら訊ねた。

 軍人はこほんと咳払いして告げた。「おまえらは臓器を取る為に月の養人場で育てられた。といっているのだ。疑問に思っているだろう? 突然地球渡航者が増えたことに――」

 ごくりとあすなろは唾を飲み下した。

 軍人はせせら笑いながら、続ける。「本当の核戦争が起こったのだよ。おかげで優秀な軍人が多く傷ついてしまってね――」

 

 了


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― 新着の感想 ―
[良い点]  SFチックな世界観が良かったです。食事や生活面など細かい設定が好きなので、その点はすごく楽しめました。わかりやすく、しっかりと世界観が伝わってきました。  登場人物も魅力的です。はふろか…
[一言] 中々ですね・・・ ん?柊かがm・・・だと?俺のよm(殴(蹴
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