76.ただの人間
「お別れ…?」
「ねえ、なに言ってるのよ。リルム?トト?」
「はっはーん、さては今日はグラタンの気分じゃないってんだろー?ったくしょーがないなー。何が食べたいんだ?焼き肉?お寿司?そうだ、たまにはタルトを作ろうか。タルト・タルト。みんなの大好きなおやつ……」
リルムたちは何も反応しない。
「お別れって、本気で言ってんのか」
何も。
「リルム!シロンも!ルドナも!ウルも!そこにいるんだろ!出てきてちゃんとわけを話せ!」
「ゲイル!トト!お願いだから姿を見せて!」
「鎮まれ」
低い声が一喝する。
諭すような口振りなのに、私たちは物理的な重圧を感じた。
「何人もこの地にて騒ぐことは許さぬ」
今まで何も無かった空間に、突如灰色の体毛に覆われた竜が現れた。
また幻術かと思っていると、肩に乗っていたプランが飛び出した。
「おーグレイブドラゴン!久しぶりだぞ!」
「ホープドラゴン…シャイニングドラゴンとルミナスドラゴンのの子だな」
「おー!今はプランっていうんだぞ!リコリスがオイラに名前をくれたんだ!」
「ドラゴンに名付けか。そんなことが出来る人間がいたとはな」
「騒いでゴメンなさい。ここはあなたの住処ですか?」
「違う。ここは墓標。私は墓守りをやっているだけのただの老竜だ」
「墓標?」
「死んでいった同胞たちを弔うための場所。何があるわけでも、誰に言われたわけでもない。私が勝手にそう呼んでいるだけだが」
勝手に冥福を祈る竜。
グレイブドラゴンは自分のことをそう呼んだ。
争わず、まつろわず。
ただ静かにこの地に座しているのだと。
「トト…何故私たちの仲間はここに?」
「本来ならば同胞であろうとも私の幻術を見破ることは難しい。だがあの者たちはそれを容易に看破し、自らの意思と足でこの地へとやって来た。まるで死に場所を求めるように」
「死に場所って…」
「お前たちはあの者たちの契約者だな」
「ええ」
「ならば意図を汲んでやるといい。あの者たちはもう、お前たちと共にいることは叶わぬのだから」
「だから、それがなんでかって訊いてんのよ!!」
荒ぶるドロシーの肩に手を置いて落ち着かせる。
ドロシーが声を上げなかったら、きっと私がそうしてた。
「理由を聞かせて」
「粘魔、兎、鷹、狼、甲虫、そして精霊…元来魔物というのは生物的な弱者だ。それが年月を経て力を得ることで魂の領域が拡大し強さを得る。それが魔物にとっての進化」
「講説に耳を貸すほど気は長くないわ」
「逸るな。進化というのは魔物にとっての成長だが、これには個体によって回数に潜在的な決定がある。ドラゴンも然り。一度しか進化しない個体があれば、複数回進化する個体もあるが、言わずもがなあの者たちは後者だ。そして一定の進化を遂げ己が限界を越えた個体は、幻獣と呼ばれる存在へと魂を昇華する。あの者たちは紛れもない幻獣の器だ」
リルムたちが幻獣?
「長い年月を生き、数多の敵を打ち払うことで力を磨き、十二分に器は完成していたのだろう。それが竜王様の気に当てられたことで進化の扉を開いた。血に眠る竜の因子がそう働きかけた」
「竜の因子…。おめでたいってことはわかったけど、それと私たちの前からいなくなったことと何の関係があるの?」
「幻獣は人の世では生きられぬ。幻獣は人とは存在する次元が違う。それぞれの基とする魔力の質が根本的に違うためだ。道理を破って人の世に留まれば、存在そのものが次元の均衡を破り、世界が崩壊するきっかけになる」
「世界が崩壊って…」
でも師匠は【召喚魔法】で…
「人の中には魔法で幻獣を呼び出すことが出来る者もいよう。しかしそれは魔法を介して、ごく僅かな間、次元の均衡を保っているだけにすぎぬ。そして今、あの者たちは幻獣へと進化を遂げようとしている。いや、それを拒んだからこそここに来たのか」
「拒んだ…?」
「赤い人間。見たところお前は混沌の神からスキルを授かっているな。それがあの者たちに影響を及ぼしている」
「カオスの、【混沌の王】のこと?」
「眷属の能力を上昇させるスキル。それが従魔の更なる進化の引き金になっていた。あの者たちは進化を拒んだからこそ、お前たちから離れたのだ。もう手遅れなところまで来ているようだがな」
つまり、これ以上【混沌の王】の影響を受けないよう、自分たちから【百合の姫】の繋がりを切ったということ。
ゲイルとトトは直接【百合の姫】で繋がっているわけではないけど、【混沌の王】がドロシーにも効果を齎して居る以上、従魔契約を経て間接的に影響を受けていると言える。
だからみんなは離れた。
幻獣にならないために。本能がみんなをそうさせた。
「で、でも幻獣になったからって、離れ離れになるわけじゃないでしょ?いざとなったらリコリスの【管理者権限】で、テルナの【召喚魔法】をコピーすればいつでも呼び出して会えるじゃない」
「ドロシー」
「そ、そうだわ。一時でも【混沌の王】を他の誰かに預ければ。そしたら」
「ドロシー」
「うっさい!!みんなが…みんながいなくなっちゃうかもしれないのよ?!!わけわかんない説明されただけで納得なんて出来るわけないでしょ?!!」
ドロシーの言いたいことはわかる。
けど、リルムたちの言いたいことはもっとわかる。
あいつらは優しいから。
「ずっと一緒だったんだもんな」
「グレイブドラゴンさん、あなたはリルムたちに居場所をくれたんだね」
「私は何もしていない」
「そっか。でもありがとう。感謝ついでに聞かせてほしいな。リルムたちは、あとどれくらいで進化するの?」
「魔力の昂りを抑えられていない。月が再び天高く昇上るまでといったところだろう」
あと一日ってとこか。
ああ、ダメだ。
現実って思えない。
だからこんなに冷静なのかもしれない。
姿が見えなくてむしろよかった。
「リルム、シロン、ルドナ、ウル、ゲイル、トト。そこにいるな?一度しか言わないからちゃんと聞いとけ。私がみんながいなくならなくて済む方法を考える。だから、まださよならなんて言うな」
そこには何もない。
誰もいない。
けれど私はまっすぐ指を差した。
「待ってろ」
お前たちを諦めないと、私たちは竜の墓標を後にした。
帰路につく間、ずっとドロシーは無言のまま。
言葉すら出ない憤りを込めて、私の身体に強くしがみついていた。
「なんで…」
勝手にいなくなったの、とあいつらに。
強く引き留めなかったの、と私に。
言葉にしなくても痛いくらい通じて、私もまたなんでだろうなと呟いた。
わかんないよな、女心ってのは。
エヴァの家に到着して、事情をみんなに説明した。
みんな一様に信じられないといった顔をする。
「リルムたちが幻獣に…」
「なんでそんな急に」
「急ではあるまい。そなたらとて、あ奴らの潜在能力は感じておったはずじゃ。村でリコリスと同じ時間を過ごし、【百合の姫】の影響を色濃く受けたリルムたち。ドロシーと同じ年月を生き、長い間ドロシーの中で力を蓄え続けてきたトト。ゲイルもまた、自ずと力を磨いていたのじゃろう。幻獣たる素質があったということじゃ」
「だから何よ!!そんな言葉で納得出来るわけないでしょ!!」
「ドロちぃ、ステイクール。二人が怖がる」
ルウリがマリアとジャンヌの頭に手を置く。
「…ゴメンなさい。でも、どうしたらいいのかしら」
「あっあの、アリソンさん」
「なんだい?」
「何か、ち、知恵を貸してもらうわけには…」
「僕には期待してはいけない。僕が持っているのは答えだ。この先どうなるのか、何が起こるのか。答えを知る者は答えを与えない。存在する答えを求めたとき、人は考えることをやめてしまうから」
アリソンさんの矜持に口を出すつもりはない。
これは私たちの問題だ。
「いいですか?ドロシーが提案したように、【管理者権限】で一時的にでも【混沌の王】を他の人に譲渡するというのはいけないのですか?緊急事態ですし、テルナも自分のスキルをコピーさせることもやむ無しでしょう?」
「妾の場合はそれでいいかもしれぬが、神から直接与えられたスキルを他人に譲渡するとなれば、どんな副作用が起こるかわからぬ。まあ、それも視野に入れて妾が請け負えばひとまずは――――」
「ダメだ」
「リコ?」
「何故ですか?」
「たしかに【召喚魔法】を使えば、幻獣になったみんなとも会える。ただし、ほんの僅かな時間だけ。今みたいにいつだって簡単に会えるわけじゃなくなるんだ」
「けどそれは…」
「私たちにとっては些細な変化かもしれない。でもリルムたちはそれを嫌った。今までどおりの一緒を望んだから、私たちの前からいなくなったんだ。私はみんなの気持ちを尊重したい。私たちのためにも、リルムたちがこっちの世界で存在し続ける方法を考える」
それが全員にとっての最善だ。
「考える…って、姫はなんかアイデアあんの?」
「無い」
みんなは揃ってため息をついた。
「でも私がそうしたい。だから一緒に考えて」
「此奴は…」
「考え無し」
「でっでも、リコリスちゃんっぽい…です」
「うん、嫌いじゃねえ」
「お姉ちゃん、私も考えるよ!」
「リルムたちとバイバイするの嫌です!」
頼もしい仲間たちに支えられて私は在る。
誰かが欠けても嫌だ。
絶対に見つける。
リルムたちと一緒にいられる方法を。
――――――――
「スライム?こんなところに魔物なんて珍しい」
どうして自分があのとき、あの場所にいたのか。
彼女は説明出来ないだろう。
自分という存在の意味も、広い世界も、人のぬくもりも、何も知らなかったのだから。
それを教えてくれたのは、真っ赤な髪をした人間だった。
「……うち来る?」
あたたかいもので繋がった。
次に真っ白なうさぎが。
金色の目の鷹に、黒くて大きな狼が。
少女の傍にいることを願った。
少女は大きくなり、自分たちも少女を守れるだけ強くなった。
旅に出て少女は一人、また一人と自らの輪を拡げる。
自分たちと同じ、少女を心から好きな者たち。
同じ輪の中にいられることが嬉しかった。
けれど彼女たちは知らなかった。
強すぎる力が人の輪を壊してしまうことを。
「幻獣は"亜空"と呼ばれるこの世ならざる次元でなければ生きられぬ」
自分たちは魔物ではなくなる。
それは、少女たちとの別れを意味していた。
「リルム」
もう気軽に名前さえ呼んでもらえない。
彼女は泣けない透明な身体で慟哭を堪えた。
誰も悪くない、仕方ないことだと、変化への恐怖を内に秘め、彼女たちの元を去ることを決めた。
「リー」
彼女たちは日の光も差さない深い谷底で、そっと目を閉じた。
感謝と謝罪を胸に抱きながら。
――――――――
ハッと目を開けると朝が来ていた。
みんなテーブルに突っ伏して眠っている。
「寝落ちしたのか…」
「クシュッ」
プランが寝ながらくしゃみをした。
可愛らしく丸めた身体にタオルをかけてあげる。
一晩中考えたけど、結局何もいいアイデアは浮かばなかった。
肝心なところで私は頼りない。
苛立ちと焦りを払拭するため一人家を出る。
足は自然と海へ向かったけど、水面に煌めく朝日がやけに暴力的で目を焼かれた。
「リルムたち、ちゃんとご飯食べたかな」
あと十八時間。
考えろ…考えろ…
頭を回せば回すだけこんがらがる。
何かあるはずだ。
リルムたちが幻獣になってもこっちにいられる方法が。
「キュイキュイ」
「!」
海に向かって眉間に皺を寄せていると、水面から大きなシャチが顔を出した。
「ニューエル?」
『おはよ、人間さん』
「うおっ?【念話】か…。おはよう」
「あぁ?誰かと思えばてめぇか」
「エーファちゃん」
海賊の格好してない。
眼帯も。
あれ雰囲気作りで付けてるのか。
「おはよう。ニューエルに朝ご飯?」
「まあな」
エーファちゃんはバケツの中の魚をニューエルに向かって投げた。
水族館の飼育員みたいだ。
「……ん」
「へ?なに?」
様子をまじまじと見てたらバケツを渡してきた。
やらせてやるってことなのかな?
「……ほいっ」
同じように魚を投げると、ニューエルは大きな口を開けて飲み込んだ。
お礼と言わんばかり、ザパッと水面から身体を伸ばし鼻先を擦り付けてくる。
「あっはは、可愛いねニューエル」
「当たりめぇだろ。ガキの頃から一緒の自慢の従魔だぞ」
「子どもの頃からか。エーファちゃんはニューエルを大事にしてるんだね」
「てめぇは違うのかよ。あのスライムたちは」
私はそうじゃなかったのかもしれない。
ずっと一緒にいたのに、人の仲間が増えたらみんなのことを構う時間が減った。
おざなりにしていたつもりはないけど、リルムたちにはそういう風に取られていたかも。
それも私の元を去った要因なのかもと、ニューエルに視線を落として考えた。
「…ま、おれとニューエルほどじゃねえが。そこそこマシには見えてたけどな」
「ほんと?」
「こんなことでつまんねぇ嘘つくかよ」
「そっか…シシシ。なら嬉しいな」
何故かエーファちゃんは顔を赤くしてそっぽを向いた。
ガラじゃないこと言ったとか思ってるのかな。
「ありがと。ちょっと元気出た」
「知るかどうでもいい」
『シャフフ、人間さん人間さん。エーファはね、なんだか元気がない人間さんを見つけたから、私に声かけてこいって言ったのよ』
「へ?そうなの?」
「なッ?!てめぇニューエル!適当なこと言ってんじゃねえぞ!」
『だって事実でしょ?シャフフフ』
「このっ!待てニューエル!この野郎!」
ニューエルはおかしそうに海へと潜っていく。
残ったエーファちゃんは、さっきより顔を赤くして私の胸ぐらを掴んだ。
「言っとくがべつにてめぇを心配したわけじゃねえぞ!おれの縄張りでシケたツラして歩いてんのが気に入らなかっただけだからな!認めてねえけどねぇね…姉貴が好きな奴だってんなら尚更だ!認めてねえけどな!」
「おほぁ可愛いねぇエーファちゃん♡お義姉ちゃんが撫で撫でしてしんぜよう〜♡」
「だー!うっぜぇ触んな!」
「悩めるお義姉ちゃんを慰めておくれよ〜♡」
「近…近い!離れろ!それが悩んでる奴の態度かってんだ!だいたい悩んでんなら教会にでも行けってんだよ!」
「ん?教会?」
教会…神頼み!
「それだ!サンキューエーファちゃん!んーちゅっ♡」
「チッ、あぁ?なんだってんだ…?」
投げキッスを華麗に躱された私は、一目散に教会へと走った。
私たちの手でどうにもならないなら、神様に助けてもらえばいいじゃないと。
どうにかなるかどうかは別の話としてもさ。
「というわけで、大変困ってるからなんとか力を貸してリベルタス」
「んー…リコリスちゃん最近こんなのばっかりだね…。そんな無茶なリコリスちゃんも大好きだけど」
自由の神リベルタスは私を後ろから抱きながら、これ以上なく苦笑いした。
「幻獣を人の世に…ね。それは難しいわね…」
「うん。ちょっと無理かもしれない」
「儂らとて前例を知らぬからなあ」
花の神フローラに技術の神アテナ、武神アレスも同じように悩み顔。
「幻獣を人の世に留める方法ねえ。そんなこと望んだ人間もいなかったしなぁ」
「リコリスひゃんはおもしろいこと考えらすれェ〜。うぃ〜ひっく」
「実際問題私たちの領分ではないのですます」
鍛冶の神ヘパイストス、酒の神デュオニュソス、それに炉の神ヘスティアも揃って意見を否定した。
「世界の理を決めたのは絶対的な調停者のテミスだから。私たちがどうこう出来ることじゃないんだよ」
「テミス…前に言ってた法の神様だっけ。なら、またロキの加護でなんとかならないかな?」
「如何にぼくさまの加護があろうと、まあ無理だろうね」
ハンモックに寝そべるみたいに宙に浮かんで、遊戯と悪戯の神ロキは言う。
「ぼくさまの加護はあくまで悪ふざけ。法は欺けても理には背けない。その辺りはさすが創世神の一柱だ」
「創世神?」
「君たちの世界という箱庭を作った神々のことさ。同じ神と括っても、ぼくさまたちとは神格が違う。テミスはとは曲げてはならないルールの創造者。つまるところがルールそのものだ」
「ルールそのもの…」
今私がやろうとしてるのはルールの改定なんて大仰なものじゃなくて、なんとかそのルールを掻い潜れないかというもの。
意思を持って作られている以上、この世に完ぺきな法なんて無い…はず。
神様に不完全を求めるのは、切羽詰まってるからこその希望でもあるんだけど。
「もう賄賂でも渡してなんとかしてもらうか?」
「否。それには及ばない」
カツンと踵を鳴らす音が聞こえた方に振り返ると、口元を天秤模様の仮面で隠した女性が一柱。
こちらに歩みを寄せ、リベルタスに抱かれる私の目先に鎖を巻いた長剣を突きつける。
「はじめまして。法を破らんと試みる不届き者。法と秩序の神テミスだ」
「いやぁ、ハハハ…あんまり思惑を見破らないでもらえると、ねぇ?あ、どうもリコリスです。あの、お話するなら剣を引いてとらえると嬉しいかなぁ、なんて」
「神に剣を向けられて態度を改めない胆力はあるようだ。でなければ、こうも人間一人のために神々が集うこともないだろうが」
リベルタスは苦笑い。ロキは飄々と。他のみんなはバツが悪そうにテミスから目を逸らした。
「私に背信する人間がいるのを知ってやって来たが、残念だ。どうやら事実のようで」
「わざわざ出向いてくれてありがとう、でいいかな。事情はわかってるみたいだから単刀直入に。幻獣に進化しようとしてる仲間を私たちの世界で生きられるようにしたいのでなんとかしてください」
ふざけるなーとか、私を誰だと思っているーとか、まあ何かしら罵倒される覚悟はしてたんだけど。
「超無理」
えれぇシンプルに嫌そうな顔された。
「超無理。やりたくない」
んで二回言われた。
「お前たち人間にもわかりやすく説明してやろう。何百何千以上の時間をかけ怪物を狩り素材を得て防具を作ったとする」
「モン○ンの話してる?」
「いざようやく完成したら善意の第三者にこっちの防具の方が性能いいですよと言われる」
「モン○ンの話してんなこれ」
「私は今まさにそんな気分だ」
たとえが俗物すぎる。
「それはえっと、ルールは変えようと思えば変えられるってこと…」
「途方もない時間ととてつもない労力をかければな」
「圧ッ!!」
よく見たら目のクマすっげ。
「テミスはね、世界の理を乱さない人がいないか、いつも気を張りながら見張ってるの。私たちみたいに基本的に何もしてない神と違って、一番働いてるのがテミスだから」
限界SEに納期ギリギリで追加注文してる外部みたいな構図になってんのね今。
そりゃキレられるわ。
でも、と私はリベルタスを離して頭を下げた。
「お願いします。仲間を救ってください」
神頼みってのが似合わないことは私が一番わかってる。
それでも縋れるものならなんだって縋る。
みんなを失わないためなら。
「私のルールは絶対だ。誰に頭を下げられたとてルールを変えることはしない。それがただの人間なら尚の事。必要性を見出せない。二度と私のルールに背こうなどと考えるな。わかったなら失せろ。不愉快だ」
「お願いしますって言ってんだろ!!」
私は地面を割る勢いで額を擦りつけた。
なんてことはない。ただの土下座だ。
「ただの人間が、ただの魔物に何をそこまで思う」
「ただの魔物じゃない。大事な仲間だ。そいつらが私たちの前から消えようとしてる。そんなの絶対嫌だ」
「感情で理が動くようなら、世界はもっと早く滅びている。法と秩序が保たれているからこそ世界は永遠の安寧の中に在る。たかが一人の人間のためにその道理を、真理を覆すことは出来ない。身の程を知れ」
「たかが人間…ああ、そうだよ。でも世界で一番欲張りな人間だ。世界で一番自分の仲間を愛してる人間だ。この欲望が私の本質だ。たかが神の法なんかで、私を縛れると思うなよ!!」
「……」
「ぁぐ!」
テミスは髪を引っ張って無理やり数秒視線を交わしてから、仮面の向こうで小さく息をついた。
「驕るな。お前はただの人間だ」
手を離して踵を返す。
「力無き者は私の法の庇護下に在ればいい」
それだけを言い残してテミスは消えた。
「くっそ…」
リベルタスが私の頭に手を置く。
なだめられるように撫でられた頭がいやに惨めで、私は逃げるように神域を後にした。
結局、テミスが言ったように私はただの人間だ。
如何に私であろうとも、人間には人間の領分がある。限界がある。
無理なものは無理。なら諦める?冗談じゃない。
両手で頬を叩いて、ジンと拡がる痛みに奮起した。
「ナメんなよテミス。神様に否定されたくらいで折れる私じゃないぞ」
タイムリミットまであと半日。
師匠とかグレイブドラゴンの話の要点をまとめると、幻獣がこっちの世界で生きられないのは、魔力の質が違うってことがそもそもの原因らしい。
要は陸上生物と水生生物みたいなこと。
なら水槽みたくリルムたちの周囲に魔力の膜を張り続ければいいか?【魔力変質】があれば、幻獣に合った魔力に変化させることも出来るだろうし。
ん?……いやいや、落ち着け私。だからそれがそもそも【召喚魔法】のメカニズムだろって。
第一、いくら魔力の容量に自信があっても、魔力の維持を二十四時間フルで意識し続けるなんて現実的じゃない。
なら魔力を貯蓄出来る魔石を使えば…幻獣の力を抑えられる魔石がどこにあるってんだ。
師匠の【無限】も神様由来のスキルだしなぁ…
「みんながいられる環境を作るって構想自体は間違ってないはずなんだよな…」
やっぱりネックは魔力の質と強大さだ。
今まで【混沌の王】で力が強まっていながらも、【百合の姫】で繋がっていられたのは、私がリルムたちよりも格上、或いは同格だったからだ。
今回の件はそのバランスが崩れているから起こっているのであって、それがまた生物としての次元の違いを浮き彫りにしているわけだけど。
「いっそ【百合の姫】でテミスを篭絡…いやなんか普通に神罰の対象になりそうだな…。ならあれをああして…これをこうして…そうするとそっちがダメでどれがどれで…く、ぎゅぅぅぅぅぅ!!」
「ついにおかしくなりましたか」
こんがらがる頭をガシガシ掻いていると、哀れんだ目のアルティが現れた。
「大丈夫ですよリコ」
「アルティ…」
心配してくれてるのか…さすが婚約者…
「リコの息の根を止める覚悟はいつだって出来ていますから」
「大丈夫ってそういう?!そうなると結婚前に未亡人だよ?!いいの?!」
「冗談です。九割九分」
「一分が大いに引っ掛かんだよなぁ…」
「何も良案は浮かんでないようですね」
「まあな」
「こちらもテルナたちがアイデアを絞っていますが、なかなか」
「私はさ、私のことをもっと出来る奴だと思ってたよ。それがどうだ。肝心なとこでただの人間だ。情けなあだっ?!」
するとアルティは、指で私のおでこを弾いた。
「えぇ…?なんでデコピンされたの…?」
「あなたは出来る人ですよ」
「慰め?」
「事実です。だって私の婚約者じゃないですか。それに」
「それに?」
「私が愛した人が、ただの人間なわけないでしょう?」
めっちゃいい笑顔するじゃん。
可愛い。すち。
「いや、その言い方だと私が…」
ん?
「私…が…」
待てよ?
うん…そうか…
そうじゃん…それなら…
「リコ?」
「アルティ!」
「きゃっ!な、なんですか?」
「私、人間辞めるわ!」
「あ、はい…。へ…?」




