63.因果応報
「お酒は何を飲まれますか」
「あ、な、なんでも…」
「そんなに緊張しないで。肩の力を抜いてくださいね」
「あっ、す…」
借りてきた猫のようとは、今まさにこのときの私のことを言うんだろう。
ここまでの高級店とは聞いてねえよう…
いや別に金銭の心配してるとかじゃあないんだよ?
ただ雰囲気に圧倒されているというか…ね。
お姉さんたちは全員天上から出勤してんの?ってレベルでキレイだし、振る舞い一つにしても指先まで全部優雅。
ワイワイ騒いで楽しい系じゃなくて、これこそ大人の飲み、って感じ。
普段ならおっぱいの一つもガン見するところだけど、なんも出来ん!
我ながらヘタレ発揮してる…
「姫おとなしすぎてウケるんだが〜」
「うっせ」
「お友だち可愛いですね」
「でしょ?あたしの好きぴなんですよ〜。ゴクゴク…っは、このワインおいしい〜♡」
「ベールジェリンの十五年ものです」
シャーリーがヒソヒソと耳打ちしてくる。
「あれ一本で貴族の屋敷が三つは建ちます」
「そんなもんガブ飲みしてんのかこいつ」
「だってお金払うのあたしじゃないし♡姫ゴチ〜♡あ、そっちのビンもくださーい♡」
「シャーリーあれは?」
「島が買えます」
「水飲んでろ!」
「フフ、ご安心を。ヴィオラとヴーティルのお知り合いの方ですもの。サービスさせていただきますわ」
そんでこのヴァネッサさんよ。
ダークパレスの主人。
こんな美女たちのトップなだけあってありえない美人。
淫魔ってすんごい。
「どうもです。ヴィオラさんもヴーティルさんも美人だったけど、ヴァネッサさんはまた頭抜けて美しいですね」
「ありがとうございます。リコリス様のような方にそう仰っていただけると、若輩者の私も自信を持てますわ」
「えーさっきヴァネッちゃん全権統括者とか言ってたじゃーん。それってテレサクロームの一番偉い人ってことじゃないのー?」
「ヴァネッちゃん?!!ルウリお前ほんと距離感なに?!友だちいなかったとか嘘じゃん!!」
「クスクス、可愛らしい名前をありがとうございます」
おお、このなんでも許してくれる度量よ。
「全権統括者…警備、美食、会計、風営、テレサクロームを司る四つの部門にそれぞれの長があり、それらを束ねるのが私の仕事なのです。発言と実行の権利はあれども、国のトップというわけではありません」
「そうなんですか?」
「はい。その年の国のトップ……"夜会の主"は、代々昨年度お客様に最も寵愛を受けた者が務めるのがテレサクロームの掟となっていますから。同じように、全権統括者は次点に寵愛を受けた者が」
寵愛…つまり、人気とか売上とかそういうことかな。
ていうか、ヴァネッサさんで二番目とか。
どうなってんだこの国のレベルは。
飲みが進んで緊張が解けた頃。
「ヴァネッサさんは悪魔…それも淫魔の中でもかなり高位の方と存じますが。あなたより上にいるその夜会の主とは、いったいどのような方なのですか?」
興味本位にシャーリーが質問をした。
私も興味があったから答えを期待したんだけど、ヴァネッサさんを初め、他のお姉さんたちも揃って困った顔をした。
「そう、ですね。大らかで…健康で…正直で…おいしそうに食事をする人…でしょうか」
「なんでそんな当たり障りないみたいな感じ?」
「いえなんでも。彼女はテレサクローム中を放浪しているので、縁があれば出逢うこともあるでしょう」
「特定の店舗に在籍しているというわけではないのですね」
「店舗どころか、本来テレサクロームの住人ですらありません。ですがその魅力は本物です。ここテレサクロームが三つの階層で分かれているのはご存知かと思いますが、それはただ、お客様の身の丈にあった分相応な楽しみ方を推奨しているというわけではなく、我々スタッフの階級を示しているのです」
曰く、見習いや接客態度、料理人であれば料理の味や質がテレサクロームの定める基準に達していない人が働くのが下層。
見習い期間を終え、接客マニュアルを完全に修めた人が中層へと昇進し、更にヴァネッサさんを含む五人の長が推挙した選りすぐりのスタッフのみが上層での接客を許される。
今いるお姉さん方の気品や立ち居振る舞いが尋常じゃないのはそのためらしい。
「そんな素晴らしい方々を置いて、その方はナンバーワンの位置に就いたと」
「えーめっちゃ気になってきた。会ってみたさあるね姫」
「うん。ヴァネッサさん、どうすればその人に会えますか?」
ヴァネッサさんはまた困り顔をして、口に手を添えて小声で返してきた。
「悪いことは言わないから、自分からあの子に関わろうとするのはおやめ。絶対に碌なことにはならないから」
敬語を崩したあたり、言葉に妙な重みを感じる。
ナンバーワンというからには人気があるはずなのに。
不思議だなぁ。
「それより、もしよろしければこの後、上層をご案内いたしましょうか」
「ヴァネッちゃんが直々に?」
「ええ」
「あー同伴ってやつだー」
ちゃっかりしてんなぁ。
このしたたかさも美しいけど、いつまでも酔ってばかりじゃいられない。
「こくっ、こくっ、ぷはっ」
気後れするのはここまでに、ここからはいつもの私らしく。
「じゃあ店の女の子全員連れて行きましょうか」
「よろしいのですか?言っておいてなんですが、上層はその…」
「高級店上等ですよ。皆さんの笑顔が見られるなら安いもんです」
「リコリスさん、散財はアルティさんに怒られますよ」
「ニシシ、そのときは一緒に怒られて。せっかくの同伴なら楽しまないとね。それに、夜の街なんてカッコつけてなんぼだろ」
「ブッハw調子出てきてんじゃん姫〜。そういうとこマジで好き♡バイブスぶちアガってきた♡」
「盛り上がっていこーぜ」
――――――――
不思議な光景ではあるじゃろう。
女が一人首を刎ねられても、周囲は変わらず酒を飲み交わしている。
どうやら此奴の存在は周知の事実で、この街の日常のようじゃと、黒い靄で繋がった首と胴体が繋がるのを見ながら小さく息をついた。
「酷いよぉ〜いきなり殺そうとするなんて〜♡」
「いきなり唇を奪う方が悪いじゃろ。第一、そなたがその程度で死ぬものか」
「テルナお姉ちゃん、お知り合いですか?」
「うむ、此奴は…」
「テルナちゃんの彼女でーす♡」
「死ね」
おっといかん。
妹たちの前で汚い言葉を。
「コホン。旧き知り合いじゃ。そなたらは関わらぬ方がよい。穢れる」
「やーん酷いよぉテルナちゃん♡モナはこーんなにテルナちゃんのこと大好きなのに♡」
と、無垢な笑みで妾の手を自分の胸に当てた。
「ね?♡久しぶりに会えてドキドキしてるでしょ?♡」
「そなたの動悸はただの欲情の昂りじゃ。妾の大事な妹の前で品性無き言動は慎め」
「妹?あー姉妹プレイしてるんだ―♡モナも混ーぜて♡」
「プレイとか言うでないわ」
「ブラッドメアリーが養子を取ったわけじゃないんでしょー?♡こんな小さい子たちだもんねー♡」
核心を突かれたマリアとジャンヌが、ビクッと肩を震わせる。
「案ずるな。気取られただけで姿が戻ったわけではない。普通にしておれ。そなたも余計なこと口にするな。事を荒立てるつもりはなかろう」
「もちろんだよ♡ちゃんと黙っててあげる♡背伸びしたいお年頃なのかな〜♡二人ともとっても可愛いっ♡お名前は?♡」
「マ、マリアです」
「ジャンヌ…です」
態度はあくまで柔和かつ温和。
二人も頭を撫でられて悪い気はしておらぬ。
しかし、此奴の本質を知るからこそ妾はそれを諌めた。
「やめよ」
パリンと音を立て、どこぞで酒ビンが割れた。
「うおッ?!なんだ?!」
「酔っ払いが落としたんだろ」
飲み屋の客たちを他所に、妾は言葉の端に怒気を混じらせた。
「はぁ〜ん♡テルナちゃんの殺気はゾクゾクしちゃうよぉ♡ねえねえ一緒に飲もうよ〜♡そっちの獣人の子たちも一緒に♡ね、いいでしょ?♡いいお店あるんだぁ♡」
「あ、えっと…」
「私たちは…」
「マリア、ジャンヌ、妾がいる限りは安心じゃ。気を張る必要はない。たとえ此奴が妾と同等の力の持ち主じゃとしてもな」
「エヘヘ〜♡じゃあ行こ♡」
「不健全な店でないことを祈るぞ」
子どもが親の手を引くかの如く。
無邪気な悪魔は妾たちを夜の光に誘った。
――――――――
「姫のイッキが見れるならー!」
「惜しまず捧げよこの命!」
「ハイ!ハイ!ハイハイハイ!」
「んく…んく…ぷは」
「あーーーーい!!」
うるっさいわね…
客に数人のスタッフを付けて場を盛り上げるのがこの店のスタイルなんでしょうけど。
どこでもいいとは思っていたけれど、店選びは完全に失敗したわね。
エヴァなんか完全に消沈してるし。
「姫飲んでるー?お酒弱い?ジュースにしよっか?」
「だだだ大丈夫です水で」
小刻みに震えて小動物みたい。
アルティは、
「おかわりを」
「姫強いねー。お酒好きなんだー」
リコリスが奔放にしているのであろうことの鬱憤を晴らすように、次々とグラスを空にしていた。
中層というだけあって高級感が漂い、来ている客も身なりがいい人たちが多い。
こういう所には初めて来たけど、楽しいかどうかと訊かれると微妙なところ。
「へー姫ハーフエルフなんだ。初めて見たよ。てか姫可愛いね。青い金髪がすっごい綺麗だよ」
「ありがと」
「目も大きくて、思わず吸い込まれそうだなぁ」
そう言って自然に顔を近付ける。
リコリスなら喜びそうだけど、如何せん他の女に近付かれるのはどうにもいい気がしない。
客の機嫌を取って自分たちも相伴にあずかり、尚且つ売上に貢献しようとしているのはわかる。
ノリが良くないアタシたちは、あまりいいカモではないの だろう。
これがそれ故の仕打ちだと言うなら、この店は最低だと言わざるを得ないのだけど。
「ドロシードロシー、もう帰ろう?」
トトが不機嫌そうな顔でアタシの肩にもたれる。
「そうね。そろそろ行きましょうかアルティ、エヴァ」
「はい。充分飲みましたし」
「でででで出ましょう一刻も早ややや」
「えー?もう行っちゃうの?寂しいなぁ」
女がアタシの袖を掴んで離さない。
「ねえもうちょっと飲もうよー。ね?」
「遠慮しておくわ。お会計をお願い」
「しょうがないなー」
他のスタッフに合図をして、銀のトレイに乗せた会計金額が書かれた紙を持ってこさせた。
「フフッ、おかしいわね。お酒を5杯とおつまみだけしか頼んでないはずだけど?」
見間違いでなければ、紙には金貨65枚と書かれている。
ここが専門の歓楽街であることを除いても、通常の相場のおよそ10倍はある。
「他の客のお会計と間違えてるのかしら」
「うちは席料だけで他の店の数倍はするからね。それもお酒も良いものを出しているし」
「良いもの、ね」
「払えないっていうならそれなりの対応をしなきゃいけないんだけどな。それとも姫たちの身体で払ってくれる?」
神経を逆撫でするような下卑た笑い。
軽薄な態度。
全部がアタシをイライラさせた。
「守護嬢隊を呼んでもいいんだよ?」
「呼べるものならどうぞ。それで困るのはどちらか、そっちの方がよくわかっているんじゃないかしら?」
「何を言って――――」
飲みかけの酒を煽り、空になったグラスをテーブルに叩きつける。
「これがはたして良いお酒?このお店では、客の飲み物に睡眠薬を混ぜて提供するの?」
「ッ?!」
「それともこれがテレサクロームでは一般的なのかしら?」
「すっごい適当に混ぜた薬だから全然美味しくないし、処理も雑だからすーぐわかったんだよ」
トトの言うとおり。
しかし、エルフの薬師相手に薬を混入するなんて、土壌を履き違えててむしろ笑える。
私たちはリコリスに【状態異常無効】のスキルをコピーされているから、どのみち効きはしないってのに。
店の女は額に汗を浮かべ、慌てて取り繕った。
「アハハ、睡眠薬?おかしいな、どこでそんなものが入ったんだろ」
「とぼけるならそれでもいいわ。客をどうにかするつもりだったとしても、わざわざ言及してやるほど暇でもないし。けど会計、適正の金額になるわよね」
「怖い顔しないでよ姫。ちょっとミスがあっただけだって。ね?怒った顔は君には似合わないよ」
言葉が軽い。
目の奥が濁っている。
これに比べたら、リコリスは全然マシね。
本物のクズとは全然違う。
そしてそんなクズたちに苛立っているのは、アルティも一緒のようだった。
「三回」
「ひ、姫?」
「店に誘ったときから、あなたが私たちに魅了の魔法を使用した回数です」
「ハハ、ハハハ、なっ、なんのこと…?」
「いえ、他意はありません。相手を間違えましたねと伝えたかっただけですから」
精霊の力に目覚めたアタシを以てしても、アルティの魔法抵抗力はまるで要塞。
その辺の術者が束になったところで敵うはずなんてない。
「け、けどたしかにみんなついて来て…!」
「悪魔特有の精神干渉がどのようなものか気になったので。あとむしゃくしゃして飲みたい気分だったのは本当ですから。お酒の味はともかく、接客だけなら好みの方は大勢いらっしゃると思いますよ」
と、アルティは適正の金額をテーブルに置いた。
そこで終わればよかったのに、あろうことか店の連中は出入り口を塞いでアタシたちを阻んだ。
「あーあー…せっかくの上玉だったんだけどな。大人しく言うこと聞いてくれれば、痛い目見ずにずっと気持ちよくなれたのに」
「穏やかじゃないわね」
「いつまでも中層で燻ぶるのは嫌なんだよ」
「私たちをどうするつもりですか?」
「そうだなぁ。姫たちお金持ってそうだし、もっと強い薬で漬けてトロトロにして絞れるだけ絞り取っ手から、性処理用の道具にしてあげるよ。朝から晩までこっちの都合で使ってあげる。どう?興奮するでしょ」
あーもうダメ。
笑いが堪えられない。
「言い回しが三流もいいところ。そういう強い言葉しか使えない奴が、妄想垂れ流して粋がってんじゃないわよ。ああ、もしかしてあんた…処女?」
「やれ!!」
あら、怒らせちゃった。
「アルティ、頼んだわ」
「自分でやらないなら煽らないでください」
言いながら、冷気が店中を凍てつかせる。
「氷魔の荊」
女たちは一瞬で身動きを封じられた。
氷の中で止まった時を味わうっていうのは、いったいどんな気分なのかしら。
なんてことを面白可笑しく考えていたところに。
「動かないでください、守護嬢隊…ってこれはいったい…」
あれはさっきの…
たしかリオとかいう警備隊。
「失礼、ここで何を?」
「ぼったくられそうになったのと、襲われそうになったので正当防衛を少々」
「正当防衛…ですか」
氷漬けの店内を見渡してから、リオは胸に手を当てて一礼した。
「ご協力に感謝を。そしてお客様のお手を煩わせたことに、心よりの謝罪を申し上げます」
「謝罪はわかるけど、感謝?」
「以前よりこの店は不当な請求を強いているという報告が上がっていたのですが、何分証拠が無く。何度もこうして調査を強行していました。ですが今回ばかりは彼女たちも追及を逃れることは出来ないでしょう」
「副長、店の奥から大量の薬品が。それと二重帳簿を確認しました」
「わかりました。隊長に報告を」
「了解」
「金を払えない場合は身体での返済を強要もしていたようですね…テレサクロームの恥め。おっと、お客様の前で失礼を」
「アタシたちが暴れたのを今まさに体よく使われている、ということかしら?」
「はい」
いい笑顔だこと。
どおりで言及されないわけね。
暴れたことに関してを咎められないのであれば、アタシたちから特別言うことは無い。
「そう、ご苦労さま。じゃあアタシたちは行かせてもらうわ」
「恐れ入りますが、事情聴取にご協力願えませんでしょうか」
「守護嬢隊のお誘いを断ることも、あなたたちにとっての違反対象になるというのなら考えるけど」
「アハハハ、おもしろい人ですね。ご心配なく、本当に二、三ほど質問させていただくだけですから。テレサクローム指折りの名店を紹介するという謝礼もお付けしましょう。もちろん代金は私どもが」
「気前がいいんですね」
「全てのお客様に笑顔と安らかな時間を。それがテレサクロームのモットーですので」
立派な思想だこと。
時間は取らせないというので、アタシたちは大人しく詰所に同行した。
「騒がしいところ、怖い…」
終始エヴァだけは白目を向いていたけど。
――――――――
「お待たせいたしました。こちらブレッシングブルのステーキに、季節の野菜をグリルしたものを添えてございます。ニヴェン産のワインにジュエルベリーを加えて煮詰めたソースと共にご賞味くださいませ」
いただきます。
「はぁ、く…♡」
「これは見事ですね」
「ん♡おいしすぎてほっぺたとろける〜♡」
おいしー♡
わけわからんけどこれおいっしー♡
「超幸せ〜♡サ○ゼよりうまーい♡」
「比べるとこ間違いすぎだろ」
「ここグルメパラダイスはテレサクローム随一の名店ですから。ありがとうございますリコリス様。私だけでなく、本当に店の子たちまで連れてきていただいて」
「いえいえ。おいしい食事と一緒に、女の子たちの笑顔で癒やされてますよ」
おいそうにご飯食べる女の子すこ〜♡
もっといっぱいお食べなはれや〜♡
「まあ。笑顔だけなんて言われると、もっと癒やしてあげたくなってしまいますね。身も心も」
「それはまた後のお楽しみってことで」
あっぶねー。
豊満なおっぱいに手伸ばしそうになった。
留まって偉い私。
「お飲み物は如何なさいましょう」
「あらロクサーヌ。今日はあなたが給仕をしているのですか」
「ヴァネッサが来ていると聞いたもので。挨拶ついでにね」
端正な顔立ちのイケメンお姉さんが、メニューを手にやって来た。
けどこの人、どっかで見た顔だな…
「リコリス様、彼女はロクサーヌ。飲食部門、美食嬢隊の隊長を務めていて、このグルメパラダイスの総料理長でもあります」
「ロクサーヌ=リヒャルトと申します。どうぞよろしくお願いします」
「こちらこそ。ん?リヒャルト…?」
リヒャルト…リヒャルト…はっ。
「もしかしてワーグナーさんの…」
「ええ、ワーグナー=リヒャルトは私の兄ですが…」
「妹さん!すごい偶然!じつは私、パステリッツ商会の会頭と縁があって。それでワーグナーさんとも知り合いになったんです」
「兄のお知り合い…リコリス様…まさか、あのリコリス様ですか?!」
どの?
「兄からの手紙で話を窺っています!なんでも王都に店を構えて数日で王都の売上の最高額を叩き出した、ドラグーン王国きっての天才料理人だとか!」
「いやぁ、天才だなんてそれほどでも〜」
「顔しまってなさすぎで草」
「私もぜひお会いしたいと思っていたんです!まさかこんなところで叶うなんて!ああ、リコリス様のような方に私のような未熟者の料理を出すなんて恥ずかしい…」
「堪能してます。レベルが違いすぎて私なんかの語彙じゃとても感動を言い表せないですけど、素晴らしい料理をありがとうございます」
「光栄です!お時間がある際、ぜひ料理のご指導を賜れれば!」
「ロクサーヌ、リコリス様たちがお食事の途中ですよ」
「あっ、た、大変失礼いたしました!」
「いえ。私もぜひロクサーヌさんに料理を教わりたいです」
「はい!楽しみにしています!」
スラッとしたスマートな人だけど、厨房に戻っていく足取りは軽く子犬みたい。
お尻なんかキュッと締まっちゃってまあ。
「可愛い人だなぁ」
「姫マジタラシ〜」
「女性ならすぐ籠絡しようとするのですから」
「だーってみんなステキなんだもん♡」
「リコリス様こそステキですわ。今まで何人もの素晴らしい方々と出逢ってきましたが、リコリス様はまるで一等星のよう」
「ウヘヘ♡みんなに同じこと言ってるとしても嬉しいです。ヴァネッサさんも、まるで夜に咲く薔薇のように凛としてて、芯のある美しさですよ」
「あら…」
「ヴァネッちゃんメス顔〜」
「淫魔相手にも勝ってしまうのですね」
いぇいいぇい。
常にリコリスさん大勝利。
「ふぃーお腹いっぺえちゃん」
「大変美味しゅうございました」
「リコリス様、ありがとうございます」
お会計……見たことない額になった。
いいんだけどねまた稼ぐから。
「人からの施しが最も空腹を満たすことを、人間は無意識のうちに理解している」
「誰の言葉?」
「ミルコ・A・リステンテッドスキー。1688年産まれのロシアの思想家」
「マジ?」
「嘘に決まってる」
「歯ァ食いしばれ」
でもおちょくられるの嫌いじゃないぜっ。
「リコリス様、それに皆さま、本日はお越しいただきありがとうございました。またのご来店を心よりお待ちしております」
ロクサーヌさんに見送られながら店を後に。
さーて次はどこに行こうかな。
「リコリス様でしたら、このままお店の子たちを引き連れて…ということも可能ですよ。みんなすっかり、リコリス様の度量に惹かれているようですし」
「えー困っちゃうなぁ♡デヘッデヘッ♡もう何輪車しちゃうのこれ〜♡」
「嫁にチクっちゃおっかな」
「へへーんだそんなことで怯むリコリスさんじゃないわー♡今目の前の女の子を抱かずしてなーにがハーレムじゃーい♡」
おいしい食事とおいしいお酒ですっかり舞い上がった私に、シャーリーが優しく釘を刺した。
「リコリスさんの意見を尊重する立場ではありますが、あまり優しさに甘えてばかりで羽目を外しすぎては、さしものアルティさんでも呆れて他の方に気を移してしまうかもしれませんよ」
「うっ、それは…嫌だな…。アルティのことは大好きだし…もちろんみんなもだけど」
ちゃんと思い留まるあたり、根がマジメなんだろうなぁ私って。
「はぁ。しゃーない…今日のところは大人しく…」
と、甘い夜を手放す覚悟を決めたそんなときだった。
「やーんアルティちゃーん♡」
「……は?」
甘カワ系の悪魔っ娘と腕を組んで、明らかにホテルみたいな風貌の建物に入ろうとしている幼なじみ、アルティ=クローバーを目撃したのは。
「…………は??」




