49.百合の楽園《リリーレガリア》vs森羅騎士団《エルフセイダーズ》(中編)
ポヨンポヨン
『いないーいなーい。エーたちどこー?どこにいるのー?』
『スンスン…瘴気が濃すぎて匂いが追えぬでござる』
『どんどん気分が悪くなってくるな。いくらボクたちでもこれじゃこの広い城の中を探せないぞ』
『難儀でございます。マスターのご期待に応えられないとはなんと不甲斐ない』
従魔たちは方方を猛スピードで探し回ったが、ミオたちを見つけることは叶わなかった。
ただでさえ蟻の巣のように地中を網羅しているのもあるが、瘴気が彼女たちの感覚を狂わせている。
捜索は困難を極めた。
そんな折。
『あー、ねーねーリルムいーこと思いついたよー』
『どうした?』
リルムはペタリと壁にくっつくと、スライムの身体を通路全体に拡げた。
『この辺ねー、全部食べちゃえばいいんだよー』
【暴食】。自身に発現したスキルを全開に、リルムは地下通路を捕喰し始めた。
『それ、あの方々も食べてはしまいませんか?』
『まあ後で吐き出せばいいんじゃないか?』
『それもそうでござるな。死にはしないでござろう』
このままでは時間だけが浪費していき、リコリスの期待に応えられない。
シロン、ルドナ、ウルは頷きあった。
『リルム、いっぱい食べていいぞ』
『うんー。リルムいっぱい食べるー』
通路を呑み込み、ぶ厚い地面を抉り取る。
純粋な捕喰者は、己が食欲のままに突き進んだ。
――――――――
円状に続く通路の対面に向かって叫ぶ。
ドロシーが血まみれなのに一瞬頭が真っ白になって、隣に立ったアルティが気付くまでパニックになった。
「リコ、違う。ドロシーが怪我をしているわけじゃないようです」
「は?」
ポタリ
ドロシーの傍に立つアウラの腕から血が滴っている。
返り血?アウラの剣にも血が…
「まさか、自分で自分を斬ったのか?」
「なんのためにそんな」
「知らねえけど…とにかくドロシーを助けるぞ」
「リコリス!アルティ!危ない!下がって!」
アウラが大穴に腕を差し出し血を落とすなり、ドロシーが慌てた様子で大声を出した。
すると穴の底が淡い緑に輝き、何かが蠢きながら穴から登ってくる。
ォォ、ォォ…と全身を戦慄させるようなうめき声を上げ、また穴の底へと戻っていく。
粘体じゃないスライム?靄?魔力の集合体?
「魔物…?いや、何かが違う…これは…ッ?!!」
「アルティ!!っが!!」
私とアルティは同時に血を吐いた。
なんだこれ…苦しい…!
【状態異常無効】も【痛覚無効】も機能してない。
瘴気が直に身体を侵してる嫌な感じ。
この魔力と瘴気の塊みたいなのはなんだ…魔物?いや、そもそも生き物なのか…?
「穢れた血の後を追ってここまで来たのか。仲間思いだな」
皮肉にしか聞こえない言い方で、アウラは傷付いた腕にポーションを一滴垂らした。
微かな光を放ち傷が一瞬で完治する。エルフの霊薬か。
「首を突っ込まなければ長生き出来ただろうに。それもごく限られた僅かな延長だが」
「けほっ…」
「精霊に加護を受けていない貴様らには毒以上に毒だろう」
「これは、なんですか」
「我々の怒りの結晶…そして怨みの象徴だ」
アルティの質問に、アウラはそれを見上げた。
「百年前、愚かな女皇は醜悪な人間と交わった。皇帝が崩御し、女皇は何を血迷ったか後釜に人間の男を推挙した。それが間違いなど、悲劇に繋がることなど、あの愚かな女は想像もしなかったのだろう」
アウラが口にしたのは、メロシーさんから聞いたロストアイ皇国が滅んだ原因だった。
私利私欲に溺れ国を枯渇させ、内乱を起こした愚かな男の話。
それと、臣下を捨てた皇族の話。
「騎士とは主君に忠誠を誓うもの。だが、女皇は我らを裏切った。こいつら皇族は、滅びゆく国を捨てて逃げたのだ。貴様らにはわかるまい。我々の怒りなど。嘆きなど。邪魔をするな…人間!!」
激昂と同時に飛ぶ見えない斬撃。
【直感】でなんとか反応出来たけど、アルティを庇って防いだ剣が折られて私の右肩に傷が走った。
「リコ!」
「大丈夫だって。スキル自体が無効になってるわけじゃないから」
【超速再生】は遺憾なく働いて傷は一瞬で治った。
大丈夫。五体満足。
「まだ質問の答えが返ってきてないよアウラ。これはいったい何なのか。ちゃんと教えてよ」
「訊いてどうする」
「ヤバいってのだけわかるからね。倒すなり消すなり何なりするよ」
「貴様らには無理だ。我らの百年の憎悪を止めることなど出来ぬ」
アウラの腕に傷が走り、滴る血を穴に落とした。
まるで餌をやるように。
血を飲んでいるのか、吸収しているのかすらわからないけれど、それは血を取り込んで、葉脈のような体表に一層禍々しく大きな光を走らせた。
「これには百年、我々の血を与え続けてきた。怒りと嘆き、あらゆる負の感情が溶けた血を。抑え、蓄え、育て…そしてようやく解き放つときが来た」
「解き放つって…」
「バカな…こんなものを世に放てば、どうなるかくらい想像がつくでしょう!」
「世界が瘴気に犯され、精霊の加護を持たない人間を根絶やしにするだろう」
それがどうしたと言う、その目は震えるほど冷たかった。
「人間が我らにしたことを思えば当然の報復だろう」
「きっかけになった父はあなたたちが処刑した…他の人間は関係無いでしょ…!っあ!!」
アウラがドロシーの首根っこを掴んで持ち上げる。
「誰の女に触れてんだ!!その手離せ!!」
「貴様がこのタイミングで現れたのは、運命という他ないか。如何に穢れた血であろうと少しは役に立つだろう。せめて最期くらい死に花を咲かせてみせろ。人間世界に染まったその身を贄とし、自らの存在を懺悔しながら死んでいけ!!」
怒声と同時、ドロシーの身体が投げ捨てられ宙を舞った。
「リコ!!」
無詠唱で氷の足場を作るアルティ。
私は【電光石火】と【天駆】を合わせて氷を、空中を蹴り、ドロシーを受け止めようとした。
「手伸ばせ!!ドロシー!!」
けど――――――――
「?!」
見えない斬撃がそれを阻む。
「リコリス――――――――」
ドロシーは私の手をすり抜けて穴の底へと落ち、大口を開けた得体の知れないそれに取り込まれた。
私は勢い余って階下の通路へと飛び込み背中を強く打ち付けた。
ドロシーの安否を確かめるために叫んだけれど、反応は返ってこない。
「せいぜい残りの命を噛み締めろ。短命種共」
「っ、待ちなさい!」
「アルティ!待て深追いすんな!」
「あなたはドロシーを!彼女は私が!」
アルティはブーツを鳴らしてアウラの後を追っていき、私は憤慨し壁に拳を叩きつけた。
「っそがぁ!!」
苛立ちに頭がおかしくなりそう……いや待て違うだろ、こんなときこそ落ち着け私。
怒っても始まらねえだろ。
とにかくドロシーを助けるんだと、私もまた穴の底へと落ちていった。
――――――――
通路を上に上に。
アウラを見失わないよう、私は床を滑った。
地面を凍らせ追い風を利用する魔法式滑走。
やがて地下を出て、しばらくしてアウラは小広い空間で立ち止まった。
ここはダンスホール?荒廃してきらびやかさの名残も無いけれど。
落ちたシャンデリアを背に彼女は振り返った。
「仲間を見捨てて敵の排除に努めようとは、大した友情だな。浅はかな内面が透けて見えるようだ。所詮人間など、感情に左右されるだけの猿に過ぎぬということだ」
「見当違い甚だしい。何を勘違いしているのかは知りませんが、ドロシーはリコが必ず助けます。それはリコにしか出来ないことです。あなたを撃破した後で駆けつければいいだけと、そう判断したまでのこと」
「たかが人間の魔法使い風情が、この私をどうにか出来るとでも?」
無動作から見えない斬撃が複数飛ぶ。
私は周囲に氷の盾を立てることでそれを防いだ。
盾と私の背後の壁に剣の傷が大きく走った。
「斬撃そのものを飛ばすのではなく、空間そのものを…まるで一枚の絵画の上ををなぞるように斬る魔法。そんなもの、こうして遮蔽を隔ててやれば無力化は容易です。さしずめ空を司る【精霊魔法】といったところでしょうか」
「…………」
「私の前で魔法を使ったのは迂闊でしたね。一度見た魔法の攻略なんて、りんごの皮剥きよりも簡単ですよ」
リコに、おいやめろりんご食べれなくする気か!とか、わけのわからないことを言われて以降させてはくれませんが。
「その眼は良く見えるらしいな」
「ただの人間の魔法使い風情…そう言いましたね」
魔力に触れた空気が、空間が氷で閉ざされていく。
「なら負けないよう全力でかかってきなさい。その身に刻んであげましょう。あなたの眼前にいるのは、世界最高峰の魔法使いだということを」
「吠えるな。貴様が誰であろうと我々にとってはただの人間の一。塵芥を払うのに全力を出すと思うな」
三度、斬撃が氷の盾を削り取る。
「出した方がいいですよ、全力。言い訳は醜いですから。堕ちた騎士とはいえ、それなりにプライドはあるでしょうし」
アウラは視界に捉えた風景を線を走らせるように斬る。
角度は自在らしいが、しかしその性質状必ず前方にしか斬撃を飛ばせない。
「見くびるなよ人間」
私の目に映らない超スピードで背後を取り、抜き身の剣を交えて複数の斬撃を繰り出すアウラ。
だが、
「見くびりもしますよ。さんざん粋がっていたくせにこの程度だなんて」
私の魔法はそれより速い。それより硬い。
そして冷たく非情だ。
「皇族直属の騎士が聞いて呆れますね。ああ、もう違いましたか」
言うと、アウラは青筋を立てた。
より苛烈に責め立て、重い音を鳴らす。
「貴様如きが…穢れた血を庇う愚か者が、我らを愚弄するか!!」
「そっくりそのままお返ししますよ。あなた如きが…私の大切な仲間を嘲るな!!」
「絶空!!」
「大氷河!!」
何を憤慨してるのやら。
怒ってるのは私も同じです。
――――――――
ギン、ギン、ギンッ!
打ち合う度に、こっちの剣が折られそうになる。
何回も力負けして、私は何回も吹き飛ばされた。
お城からは遠く離れても、剣の向こうではクルーエルが楽しそうに笑ってた。
「子どもにしてはいい剣の腕をしていますね。さぞいい師に教えを乞うているのでしょう」
お姉ちゃんが褒められるのは悪い気はしない。
でも、クルーエルは…
「私には遊び相手にもなりませんけど」
って剣を払って思いっきり蹴ってきた。
ただのキックなら、リコリスお姉ちゃんやシャーリーお姉ちゃんの方が速くて重い。
「【電光石火】!」
離れて剣を構え直す。
大きく息をする私とは違って、クルーエルは息一つ乱してなかった。
「確かに強いですが、圧倒的な経験不足を隠しきれていません。何故その程度の実力で、私を相手にしようと思ったのですか?たかが子どもが。勝てないとわからないわけでもないでしょうに」
「勝てる勝てないじゃない!守るもののために戦うのに、子どもとか関係無いもん!」
剣と身体に炎を纏わせる。
【電光石火】と【神速】を組み合わせた私の最強最速の技。
「炎獣剣撃!!」
それが簡単に受け止められて、私は大っきな口を開けた。
「穢れを知らない、無垢で真っ直ぐな熱い炎。そんなものが私に効くわけありません」
さっきまでの笑顔が嘘みたいに冷たい目をして、剣から炎を噴き出させる。
私のより激しくて熱い真っ青な炎を。
「蒼炎葬剣」
「ッ!!」
反射で避けられたのは奇跡だったと思う。
でなきゃ、今頃私の腕は切り落とされてた。
「痛い…熱い…!」
だけじゃない…なんか、身体がおかしい…
「精霊の炎は、魔法の炎とは格が違う。魔力をも焼き尽くす怒りの業火。そして」
「?!」
さっきより速い。さっきより重い。
「熱は術者の運動能力と思考処理能力を加速させる。私の狂気を燃え上がらせる」
十本の炎の矢を撃ったけど、全部一瞬で消し飛ばされた。
私の魔法が全然効かない。
完全詠唱なら、もしかしたら通用したかもしれない。
でもクルーエルの狂乱は私にそんな暇を与えてくれない。
「灼火狂乱」
「あああああ!!」
剣が空を走る度、青い軌跡を描いて私に襲いかかる。
斬られた傷が焦げる。飛ぶ血が蒸発する。目の端から落ちる涙も。
「痛いですか」
って剣を振る。
「怖いですか」
って蹴り飛ばす。
「狂ってしまいそうになるでしょう?私もね、百年前…同じ気持ちだったんです。大好きな国が消えて、それまであったはずの平穏が、使命が、役割りが、意味が全部無くなって、痛みは怒りに、恐怖は憎しみへと変わりました。…わかりますか?」
青い炎が波になって私を焼く。
「あなたたちの大好きなドロシー様が、私たちを要らないものにしたんです」
ボロボロになって転がる私に、クルーエルは燃える刃を突きつけた。
「はあ、はあ…」
気を失いそうになりながら重たい手を伸ばして剣を掴む。
立つのもやっとの私が剣を構えると、クルーエルはほんの少しびっくりした顔になった。
「!」
「ドロシーお姉ちゃんから…エルフの国がどうなったか聞いたよ…。私、エルフさんたちのこと何も知らない…。可哀想って思うよ…。でも、知ったかぶりの同情に意味なんて無いって、リコリスお姉ちゃんは言ってた…」
「……良いことを言いますね。ええ、そのとおりです。今からでも知ってみますか?それで何が変わるわけでもないでしょうけれど。中途半端な理解は怒りを逆撫でするだけですよ」
「うん…そうかもしれない…。私、頭良くないから難しいことあんまりわかんないけど…一つだけ、ちゃんとわかることがあるよ。国が滅びたのも…ハーフエルフに産まれたのも…ドロシーお姉ちゃんが悪いわけじゃない」
ドロシーお姉ちゃんは優しいんだ。あったかいんだ。
それなのに、この人たちはドロシーお姉ちゃんを目の敵にしてる。
それがどうしようもなく悔しくて思いっきり叫んだ。
「私の…私たちの…!!大好きで大好きなお姉ちゃんを!!悪く言うな!!」
炎が燃え滾る。
爆発するみたいに激しく。
まるで獣が吼えるように。
私の中で何かが変わる。
リコリスお姉ちゃんが傍にいてくれるような、一歩踏み出すような確かな感覚を信じてクルーエルを睨みつける。
「【爆炎魔法】…!!」
「魔法が…進化を…」
「爆発!!」
熱い大きい炎の塊が周りの建物を吹き飛ばす。
衝撃に耐えられなくて私も地面を転がった。
こんなに近くで使う魔法じゃなかったって、右手が焦げたのを見て気付く。
でも、クルーエルだってあの爆発に巻き込まれたら…
「……もういいです」
「!」
「ここまでにしましょう。楽しかったですよ、小さな獣さん。私は行きますね」
あの赤い彼女を血まみれにしたいので。
蒼炎を纏ったクルーエルは言い、高く持ち上げられた剣は何の躊躇いも無く振り下ろされた。
――――――――
「やああああ!!」
遊ばれてるっていうのがすぐにわかった。
「ハハハ、どうした。かかってこいよ」
「高波!!」
いくらリコリスお姉ちゃんに教えてもらってるといっても、私の剣はほとんど振り回してるだけのようなもの。
マリアみたいには上手くない。
魔法にはちょっとだけ自信があるけど、ヘルガは全然恐れてない。
「大したもんだよお嬢ちゃん。並の魔法使いなら押されてたかもな。だがおれの【精霊魔法】には通用しねえ」
大剣を振る攻撃に交えて、小さな鉄の塊を、先を尖らせた極小の矢にして撃ってくる。
狭い通路だけじゃ避けきれなくて、咄嗟に近くの部屋へと飛び込んだ。
「そこそこ戦える方ではあるがな。お嬢ちゃんはどうにも戦闘向きには見えねえよ」
「そんなの…私が一番わかってる!!」
「うおっ?」
【見えざる手】でヘルガの身体を鷲掴みにして、水の矢を降らせる。
ヘルガは余裕だとばかり【見えざる手】を振りほどいて、矢を掻い潜り、私を壁の向こうまで蹴り飛ばした。
「スキルは多様だが、鍛えた騎士から言わせてもらえば、良くも悪くも器用貧乏止まりだな」
ガードした腕が痛い。痺れる。
魔物を相手にしてるときとは全然違う。
これが大人の戦い。
「ここまでにしておけよ。今なら子どものじゃれつきってことにしておいてやる。だが、これ以上は命の保証はしねえ。お前を敵として完膚無きまで叩き潰す。それが怖いならそのまま」
「はぁはぁ…!」
「寝てろ、って…最後まで言わせてくれねえかな 」
「みんな戦ってるのに、私だけ寝てるなんて…そんなの出来るわけないでしょ!」
「だからって戦っても勝てねえだろ?お前の技はだいたいわかった。脅威なのはおれの鉄を切り裂いた水の刃だけだが、ありゃ欠陥品だろ」
高圧水刃は、【見えざる手】で水球を絞り放出するというその性質状、無詠唱ながら余分な溜めを必要とする。
不意打ちならまだしも、正面切って使用するには向いてない。
欠陥品。私の最高の技をそう呼んだヘルガの言葉は、悔しいけど正しい。
「半端な強さで、どうにか出来るわけあるかよ」
「半端…うん、確かにそうだよ。私は百合の楽園の中で一番弱いから…。でも、そんな私にもやれることがある。大切に思ってくれる友だちや、大好きって言ってくれるお姉ちゃんたちがいる。みんなのために何かしたいって思うことがは、絶対にダメなことじゃない!」
「……ああ、そりゃそうだな。おれも、おれたちも昔はそうだったよ。国のため、皇族のため、何かを守るために強くなった。戦った。それなのに今はこの有り様だ。たまに考えるよ。おれたちはいったい何なんだ、って。何のために産まれてきたのかすらわからなくなる」
寂しい目。
私はこの目を知ってる。
ドロシーお姉ちゃんが、たまに同じ目をしてるから。
「……やりたいことをやればいいし、やりたくないことはやらなくていい。好きな生き方を選んでいい。どこへ行って何をしても、それを咎める人はいない」
「誰の言葉だ?」
「私の大好きな…大好きな大好きなお姉ちゃんが、私たちに言ってくれた。友だちで、家族で、仲間だって言ってくれた。どんな生き方をしてもいいなんて言われたの初めてで、どうしていいのかわからなかった。私は弱くて、一人じゃ生きられないけど、お姉ちゃんたちはそんな私を受け入れてくれた。あったかい場所だよ」
「いい仲間に巡り合えたんだな、お前は。おれとは違って。おれはもう無くしたよ。無くしちまったよ。これはこれでスッキリしてる自分もいるんだが。しがらみなら取っ払えばいい。障害なら壊せばいい。自由な生き方が、おれには性に合ってる」
「なら、なんでヘルガはそんなに悲しそうな顔をするの?」
大剣が迫る。
ぶ厚い激流の壁で防ぎながら、私は目を合わせた。
「子どもが大人の事情に首を突っ込むもんじゃねえ」
「子どもとか大人とか関係無い!!私は…私の大切なものを!!取り戻すんだぁ!!」
波濤がヘルガを押し返す。
「なんだ…魔力が急激に膨れ上がった…?」
自分の魔力に溺れそうになる。
深くて暗い魔力の中にいる私に、誰かが手を伸ばす。
その手はあたたかくて優しい、どんなときでも私を導いてくれる人のもの。
大好きな人の手を取り、私の中の魔法が渦を巻いた。
「【大海魔法】!!」
空間を満たす量の水を【見えざる手】の中で圧縮する。
さっきまでとは魔法の構築力が桁違い。
水は薄く鋭く研ぎ澄まされた刃となってヘルガを強襲した。
「深海の激流!!」
飛び散る飛沫すら、鉄の剣以上の切れ味。
ヘルガはそれまでの飄々とした表情を崩し、重き鉄の扉で私の魔法を受けた。
「なんだなんだ伸び代ってやつか?子どもってのは末恐ろしいな!」
鉄の盾に亀裂が入る。
決める!押し切る!このまま!
「でもな…おれにも意地があんだよ!!」
鉄が鈍い音を立てて砕けたのを見て、私は勝ったって気を抜いた。
その瞬間、私の背中から血が吹き出した。
「!!」
鉄を大きく迂回させて後ろから…
「復讐の邪魔だ!!寝てなお嬢ちゃん!!」
やられた…ダメだ…負ける…
倒れるな…倒れるな倒れるな倒れるな…
まだ…まだ…
「…ッ!!ま、だ…あああああ!!」
苦し紛れに撃った水刃がヘルガを掠め、懐から黒い鉄の玉を飛ばした。
背中熱い…目が閉じちゃう…
ゴメンなさい…私、何も…
倒れる最中、バキンと何かが砕ける音がした。
それから、
「よくやった、ジャンヌよ」
可愛くて凛とした頼りがいのある声が聴こえた。
紅蓮の魔力とコウモリの羽を広げた姿を最後に、私はそっと目を閉じた。
――――――――
ネイアの魔法は多様性に富んでいた。
毒の形態と性質を絶え間なく変化させる千変万化の攻撃。
並の相手なら初手で身体が毒に侵され息絶えていただろう。
「この…いい加減溶けて死になさい!!」
「ひいぃ!大きい声怖い…ごごごゴメンなさい…悉く毒を無効化して…」
けれど毒の【精霊魔法】も、私の【混沌】に吸収されたそばから無効化され、更には私がその毒を使えるようになる。
「なんで私の【精霊魔法】があんたみたいな奴に!!」
その答えはシンプルだ。
【混沌】は神から授かった加護による力。
【精霊魔法】も同じく精霊から授かった加護に由来するものでも、神と精霊じゃ格が違う。
この人が私の相手で良かったと思う反面、じつは私も攻めあぐねている状況ではあった。
「毒の腐吹!!」
「重力核!」
これは相性というより、ネイアの魔法の性質によるもの。
私の【重力魔法】が圧倒的な質量による破壊を得意とするのに対して、毒の【精霊魔法】は触れた対象の魔力を侵食し破壊を主とする。
破壊と破壊では勝負がつかない。
それが一層、ネイアを苛立たせた。
「ああもうっ!イライラする!これだから人間は嫌いよ!鬱陶しい鬱陶しい鬱陶しい!!」
「あっあの…これで終わりにし、しませんか?私の目的は…仲間を先に行かせることなので…。それが達成出来たら戦う意味はあんまり無いっていうか…わ、私もドロシーさんが心配なので、その…」
「……ドロシーちゃんね。懐かしいわ」
「し、知ってるんですね、やっぱり」
「これでも森羅騎士団だもの。それに、あの子に薬と毒の知識を教えたのは私だし」
「仲…良かったんですね」
「ええ。昔はね。毒婦の愛撫!!」
「夜天の尾!!」
毒の爪撃を重力の幕で遮断する。
小規模な爆発が起こって、私は壁に身体を打った。
「私たちが戦うのは…ドロシーさんが、悲しむと、思いませんか…?」
「さあ、どうでもいいわ。もうあの子は、私たちが守るべきものじゃないもの」
言葉に棘がある。もとい毒がある。
私は大気を満たす毒に咳き込みながらあることを訊いた。
「ここに来る前…他のエルフの方にも会いました…。み、皆さん、ドロシーさんのことが嫌い、なんですか?」
「嫌い?憎いのよ。ドロシーちゃんが。皇族が。だってそうでしょ?あいつらがいなきゃ、私たちは今もこの国で楽しくやってたんだから」
緑は豊かなまま。
民は笑顔のまま。
誰も不幸になることはなかったとネイアは言い、歯を軋ませて憤った。
「人間がいなきゃ、私たちは今も笑ってられたのよ!!」
ネイアは左手の指を立てると、白い肌の右腕を引っ掻き大量の血を流した。
濃い紫色の魔力が、放たれたそばから毒に変化する。
周囲が溶けて、爛れて、腐っていった。
「あなたも純血の人間ではないでしょ?ならわかるわよね?私たちの怒りが!!あなただって半端者と呼ばれて、蔑まれたことがあるでしょう!!人間なんかの血が混じっているせいで!!人間なんて下等な生き物のせいで世界に認められない!!ウザい、ダルい、滅ぼしてやりたいって!思ったことがあるでしょ!!」
熾烈を極める毒の猛襲。
侵されては癒え、侵されては癒え、私は血を吐いて痛みに悶え膝をついた。
荒く息をして、それでも何とか立ち上がって口元を拭った。
「えっと…何を言ってるのか、わかんないです…ゴメンなさい…」
「は?」
「あっあの、私は確かに人間と魔人のハーフですけど…べつに生き辛いとかそういうのは…。そもそも友だちもいませんでしたし…影が薄すぎて誰からも認識されてなかったというか…ご飯は食堂よりトイレで食べる方が多いくらいで…あ、思い出したら吐きそうにォロロロロロロロ!!」
「え、ちょ…」
「ぅっぷ…人間全部が善人だとは言いませんけど…良い人たちがいるのは本当、です。私は…私を受け入れてくれている、この小さな世界が大好きです。大好きな人がいて、大好きな仲間がいる。それだけで満ち足り得るには充分です」
「見識が狭いっていうのは愚かよね。あんたみたいなのに説いたのが間違いだったわ。……その顔、他のお仲間でも痛めつけてやれば少しは歪んだりするのかしら」
ザワッ
私の中で何かが揺れた。
「あの赤髪?それとも銀色の子?ドロシーちゃん?誰を甚振ってほしい?誰をグズグズに溶かしてほしい?どうすれば私の怒りは伝わる?」
「そんなことしたら…私の方がもっと怒ります…!!」
私を中心に空間が歪む。
私は人より感情のバランスが不安定だという自覚があるけれど、それに同期して魔力も大きく波長を変える。
これはその過程で産まれた魔法だ。
「腐り果てて死ね愚か者!!闇羅苦死!!」
「暗黒天星!!」
闇大穴と重力核。
吸収と破壊。両方の性質を併せ持ち、相手の魔力を吸収したそばから更なる破壊のエネルギーへと変換する、第二階位相当の超魔法。
「ありえない…私の【精霊魔法】が…!!」
「あなたの怒りより…私の好きって気持ちの方が…強い、です!!」
暗黒天星は相手の魔力を補足し渦の流れに捕らえる。
回避不可にして、あらゆる装甲を押し潰す防御不可の一撃が、魔法ごとネイアを地下の深いところまで吹き飛ばす。
はぁはぁ、と息を整えて我に返る。
「あ、あ…ど、どうしよう…大丈夫かな…。やりすぎちゃった…なんで私はいつも…。えと、えと……えいっ!」
魔力は感じるから生きてるとは思う、けど…
心配になって穴に飛び込んだ。
――――――――
「ふあぁ…もう、すばしっこいですね」
ティルフィがあくび混じりに矢を乱射するのを、私は高速で移動しながら躱し続けた。
細腕に似合わない木々を貫通させるほどの威力。
かと思えば遮蔽物の後ろに隠れる私を正確に狙い矢の軌道を曲げてくる。
連射性能も高い。まるで矢に追尾されているような錯覚すら覚える。
矢は鏃まで木製で、羽は木の葉を用いている。
「矢の生成は【精霊魔法】による能力。木から矢を無限に作れるから矢が枯渇することはない、と」
それ自体はさほど問題じゃない。
なら曲げたり連射したり、矢の腕前は自前ということですか。
予想はしていましたが、【精霊魔法】抜きにしても強敵だ。
「大人しくして…くだ、さい」
二桁を超える矢の乱射。
私の動きを制限し、次に繋ぐための攻撃。
甘く見られたものですと、私は整息した。
暗殺者は一瞬を見極め逃さない。
最小限のモーションとルート選択で一気にティルフィへの距離を詰める。
背後を取り手刀を一閃。
ここまで約五秒。
判断の隙も与えてはいなかった。はずなのに。
「だから、めんどくさいのは嫌いなんですってば」
ティルフィは私の動きを見切って手刀を躱した挙げ句、至近距離から矢を放った。
「くっ!!」
躱しきれないと、致命傷になり得そうなものだけを選択し防ぐ。
結果、矢は頬を掠め左腕と左足に刺さった。
「あー…またそうやって防ぐ。避けなかったら頭と心臓を射抜いてたのに…」
「そちらこそ…余計な抵抗などしなければ、夢の世界を堪能出来たというのに」
「それは魅力的なんですけどね…ふぁ」
反応速度が常人のそれじゃない。
これが【精霊の加護】の付与効果か。
人並み以上に知識はある。
文学から数学、薬学、魔法…あらゆる分野に精通とまではいかずとも、他人と話を合わせられるくらいには広い知識を修めている。
暗殺とは経験以上に知識を要される技術であったためだ。
その知識の中には精霊についてのものも含まれている。
精霊とは森羅万象に宿る魔力が意思を持った仮想思念体である。
意思はあれども自我は無く、揺蕩う風のように気まぐれで、人に力を貸すことなど滅多にない。
が、あらゆる種族の中で唯一、自然の中で生きるエルフのみが精霊の加護を受け、その力を行使することが出来る。
故に人は、エルフを精霊の血族と呼んだ。
「もうやめませんか?どうあっても、私には勝てませんよ」
「足止めということならすでに成功していますし、あなたが私の仲間の後を追わないというなら、それもいいかもしれませんが」
「それは無理ですねぇ…。私たちの計画の邪魔になるかもしれませんし、何より…人間は見ていて反吐が出ますから」
微睡んだような目の奥に、確かに宿る敵意と殺意。
「今だってあなたを殺したい気持ちは山々なんですよ」
「人間への怨嗟は、ドロシーさんのご両親に由来するものですか」
「それ以外にあるとでも?あなたは知らないでしょう?国が枯れゆく様の悲惨さを。主君に裏切られた騎士の気持ちなど」
「ええ。だからこそ解せません。滅びた国で、あなたがた皇族に仕えた騎士はいったい何をしているのですか?」
「復讐」
「またシンプルな。あなた方がいったい何人でそれを成そうとしているかは不明ですが、元々数の少ない種族。本気でやれるとでも思っているのですか?」
「やれないとでも、思いますか?」
突き刺さるような殺気を浴びながら、私は腕と足の矢を抜き捨てた。
「あなた方の復讐とやらにはまったく関心が惹かれません。何を成すでも勝手にやりなさい。私はただ、私の守るべきもののために、あなたを排除するだけです。言いましたよね…あなたは私の仲間を傷付けたのですと」
「本当…めんどくさい…」
再び矢が放たれる。
避けなければ死ぬというのに、私の頭は変に透明だった。
『死ぬなよ』
痛みが、血が、リコリスさんの声が、忘れかけていた感覚を取り戻していく。
時が静止したかのように、余計なものが頭から削ぎ落ちていった。
「あなたなんか、どうせ私に勝てないのに」
熱が失せる。
けれど心臓だけが大きく跳ねた。
「そう思うなら…ぜひ味わってください。私の本気」
自分と相手だけの世界へと。私は没入した。
「!」
速さ以上に存在を溶かせ。
より薄く。より虚ろに希釈しろ。
「私が捉えきれない…そんなことが…」
衝動に。身を。委ねろ。
私は影。虚ろなる者。
命を奪う技を以て敵を排除しろ。
「めんどくさい、ですよ…!樹霊矢武雨!」
連射される矢が空中でピタリと止まる。
エヴァさんからいただいた糸によって。
私は【操糸】によってそこら中に張り巡らせた糸を足場に、最短でティルフィへと跳んだ。
「この…!」
顔目掛けて放たれた矢を、首を捻って歯で受け止める。
一つ、二つ。大樹をへし折る蹴りを見舞い、三度目の蹴りで弓を砕いた。
「ありえない…精霊の加護を持たないただの人間が…!精霊の力を凌駕するなんて…!」
弓も木製である以上、魔法で出現させることは容易いだろう。
しかしそんな暇は与えない。
「私の思いの方が強かったと、そういうことにしておいてください」
右肩に貫手を穿ち骨を外す。
最後に気絶させる勢いで後ろ回し蹴りを食らわせた。
ティルフィの身体が吹き飛び数本の大樹を折る。
死にはしないでしょうが、戦闘不能になることは請け合いだ。
様子を見に行ってみたら案の定、ティルフィは腹を押さえて虫の息だった。
打撲、裂傷、擦過傷。出血多量に骨も何本か折れている。この分だと内臓も少し損傷しているだろう。
…………死んでないのでセーフとします。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に見えますか…?」
「生きているならそれなりに」
私は常備していたポーションを放った。
「どうぞ。よく効きますよ」
「…ドロシー様のポーションですか」
「わかるんですか?」
「ええ。昔よくくださりましたから。訓練で生傷が絶えない私たちにと。ドロシー様はエルフの中でも特別、薬の調合が上手でしたからね」
「あなたたちは…」
「皇族と騎士の間柄…それ以上に、友人でした。望まれない子でありながらも、強く、気高く。私たちが護らねばと、そう思って慕ってきました」
あの日までは。
ティルフィはそう付け加えた。
「怨み節がみっともないことくらいわかってるんですよ。でも、抑えられない感情があるんです。想像出来ないでしょう?百年の執念なんて」
「ええ」
職業柄、誰かに怨まれることは多々あった。
けれどそれとは怨みの桁が違う。
「だから私たちは復讐してやろうと決めたんです。人間に…いえ、私たちを望まなかったこの世界に」
途端、とてつもない地響きが森を揺らした。
「?!」
「どうやら始まるみたいですよ。あなた一人しか足止めは出来ませんでしたけど…上出来ですね」
「いったい何が…」
「つっ…」
「その傷で動くと本当に死にますよ。早くポーションを」
「裏切り者の作った薬で癒えるくらいなら死んだ方がマシです。じゃあ行きますね。めんどくさいけど、最後まで騎士として戦場に立ってないとですから」
外れた肩を無理やり入れて、ティルフィは森の奥へと駆けていく。
「死んでもらっては困るんですよ」
死なせまいと。
私もまた彼女の後を追った。




