2-91.覚悟は私が継いでやる
これは誰のものでもない。
忌童衆が抱いてきた恐怖と絶望の歴史だ。
最初に思ったことは、何故生き残ってしまったのだろう、だった。
国と共に死ねば、つらい思いも惨めな思いもせずに済んだのに。
「狐の子だ」
「狐の血だ」
石を投げられるのは良い方だった。
時には刀を翳して追い回され、いつ殺されるのでないかと怯え、毎日生きた心地がせず。
いっそ首でも吊った方が楽だったろうほど、この世は地獄だった。
滅んだ国。
その再建は、新たなリーダーを筆頭に、十の一族を中心に行われた。
求心力と指導力を以て不安を払い、先の見えない未来を切り拓いた者たち。
新たな将軍の一族、そして真選組の始まりである。
真選組は生き残った狐の血族を忌童衆と命名し、償いと称して奴隷として国の再建に従事させた。
着るものは贅、食べるものは不要と、ろくな扱いもせず。
挙げ句には辱め慰みものにした。
忌まわしいと嫌悪を抱きながら。
または嘲笑うように尊厳を奪った。
時には心から情けをかける者も在ったが、狐の血と交わったと周囲からは爪弾きにされた。
それどころか不敬とばかり処刑の対象となり、失われた命は少なくない。
死ぬまで国のために尽くされ、死んでも魂は祀られず、無念のまま散っていくばかり。
国の滅亡から五百年も経った頃には、まだ貧しいながら国は徐々に緑を取り戻し、実りのある生活に心の余裕が出来たのか、多少なりとも忌童衆への風当たりは弱まった。
もとい、嫌悪はそのままに周囲の興味が失せつつあった。
しかし狐の血を毛嫌いする者は存在し、蹴られ殴られぞんざいな扱いをされることはあった。
生きれば飢え、飢えれば欲する。
穢れた血には乞食すら許されず、残飯を漁れれば幸運。
草をむしっては食み、小石を飴代わりに舐めて耐え忍ぶ。
行き場も居場所も無く、血族同士で慰み合って。
子を宿すことに恨みは無い。
子が大きくなることにも罪は無い。
そうして命は紡がれ続けた。
時は移ろい続け、国は繁栄の一路を辿る。
やがて忌童衆の存在そのものが人々の記憶から薄れ消え、語り継がれるのは将軍家と真選組のみになった。
それまで奴隷以下の身分であった忌童衆も、将軍の計らいにより立場が改善された。
現在より約千五百年ほど前のこと。
四代前の将軍、エトラ=クラマガハラの曽祖父が秘密裏にお触れを出した。
「これより忌童衆の存在は秘匿とする。華々しいこの国に翳りなど要らぬ」
優しさではない。
汚いものなど目に入れたくないという侮蔑的思想。
隔離。隔絶。
そのために作られたのが関所、六紋船。
一生を船の上で過ごせ、忌まわしい血を隠せ、衣食住が保証されるだけマシ……一見華やかで豪勢な船は、忌童衆の牢獄だった。
四方八方水平線。
変わる景色は空模様のみ。
そんな生活の中で、忌童衆は憎悪の篝火を絶やすことはなく、親から子へ、子からまたその子へ、脈々と怨嗟を継いできた。
そしてその中で、最も憎悪を形にした子どもが産まれた。
双子の鬼――――――――カレンとスイレンである。
元凶シキ=リツカの呪いの力を最も色濃く継承した二人。
彼女たちは忌童衆の希望であった。
「お前たちがこの国を変えろ」
「あなたたちにしか出来ない」
「壊せ」
「殺せ」
産まれた頃から悪意だけを聞かされ育った。
しかし、二人には決定的な違いがあった。
スイレンはそれを受け入れ、カレンはそれを拒絶した。
二人の性格故だったのか、二人が宿す呪力の性質の違い故にだったのかは定かではない。
スイレンは幼い頃から破壊の衝動が自身の内で渦巻いていた。
誰彼構わず暴力を振るい、物を壊すなど日常茶飯事。
自身さえも制御出来ないスイレンを、唯一制御出来たのはカレンだけ。
「お姉ちゃんはスイレンに優しい子に育ってほしいな」
姉への親愛は陶酔に変わり、やがて神格化にも似た絶対の敬愛へと至る。
このままずっと穏やかにと願う最中のこと、二人の親が病に倒れ、忌童衆筆頭の代替わりが行われた。
おそらくは、それが始まりだったのだろう。
カレンによって鎮められたはずの篝火に、再び熱が宿ったのは。
「そなたが次代の筆頭か」
先代将軍、ウコン=クラマガハラ。
エトラの実の父であり、稀代の名君と名高い大器であった人物。
彼は常日頃、忌童衆の在り方に疑念を抱いていた。
何故同じ妖怪同士が差別しなければならないのか、と。
しかし国民の意識を変える手段は皆目見当がつかず、二の足を踏む思いをしていた。
「名を」
「カレン=ユズリハと申します」
「スイレン=ユズリハと申します」
まだ幼い、先行き不安な子ども二人。
それ故の二人の筆頭。
情が湧いたというわけではない。
不意に発した将軍としての言葉が、その先の運命を分岐点を作った。
「何か望みはあるか」
将軍が忌童衆に下賜の言葉を贈る。
前代未聞の事件であった。
同時、カレンにとってはこれ以上無い好機でもあった。
カレンは頭を甲板にぴたりと付け、こう願った。
「人権を」
あまりに優しく、無貌な願いを真選組は嗤った。
そんなものが叶うものか。
身の程を知れ。
下賤な血の分際で。
しかし将軍はそんな言葉を制した。
「全員というわけにはいかぬ」
「わかっております。忌童衆の業は私が全て背負います。だから、どうか他の皆に自由を。この国に生きる権利を与えてください」
結果的に願いは受理された。
不平不満は有ったものの、忌童衆が本土で生きられるようになった。
忌童衆であることを隠して。
カレン一人、船に身を置くことを代価に。
国のために身を捧げ、骨の髄まで尽くし、一生の自由を破棄することで。
「お願いします。どうか私の身一つで、妹に自由を与えてくださいませ。この先何が起ころうとも、生をこの国に捧げることを誓います。お願いします」
体裁のため、カレンは自ら身体に術式を刻んだ。
船から出れば命が蝕まれ、身体を燃えるような激痛が襲う死の呪い。
自由を与えるための覚悟だ。
けれど、その覚悟は篝火に油を注いだ。
「なんで、お姉ちゃんが」
なんで。
どうして。
なんでなんで、なんでなんでなんでなんで――――――――
お姉ちゃんだけがつらい思いをして、そのどこが……
「自由なものか」
呪ってやる。
スイレンが明確に傾国を思い至ったのはこの時だ。
同士を募り、力を分け与え、計画し、時を待った。
いつかこの国を滅ぼしてやる、と。
「姉さんを虐げた奴らが巣食うこんな国など」
――――――――
「姉さん、どうして……どうして……」
スイレンちゃんは、自分でカレンちゃんを傷付けたことに半ば茫然自失。
カレンちゃんは力無く地面に倒れた。
「カレンちゃん……!!」
「リコリス殿……我は、間違ったのだろうか……」
透明な涙が血の上を伝う。
震えながら絞り出した声は、こちらの心が痛むほど弱々しかった。
「良かれと思っただけだ……。妹が幸せなら、と……。なのに、国は燃え、人々は嘆いて、妹は……あんなにも苦しんでいる……。我は……ッ、私は……私が情けない……!!」
情けない?
そんなわけあるか。
そんなわけ、あってたまるか。
「お前はお前のやりたいことをやったんだろ。だったら誇れよ。後悔なんてするな。誰かのために犠牲になれるお前は、誰よりもカッコいいよカレン」
「……ッ、うう、ううう!!」
「覚悟は私が継いでやる」
もうこれ以上涙は要らねえ。
「サクラ、カレンとエトラを頼む」
「……うん」
「止めるよ、スイレン」
「黙れ、黙れ、あぁあァァァァァァ――――――――!!!」
呪いの力が吹き出てスイレンを覆う。
真っ黒な鬼が、真っ赤な目を光らせた。
速さ、攻撃の威力、呪力の濃さ、全部が桁違い。
そんなものに囚われてるスイレンだって長くは保たない。
自我は無く、ただ暴走する呪力。
私だけじゃダメだ。
みんなの力を、私に貸してくれ。
頼むぞみんな。
ゴールデンウィーク、皆様はどうお過ごしでしょう。
当方は仕事です。
百妃夜后編、いよいよクライマックスでございます。
今回は特別暗い話になりましたが、変わらずお楽しみいただけますよう、よろしくお願いしますm(_ _)m




