2-82.龍虎
所は変わり、深い堀の底。
ざあざあ降りの雨を浴び、水面の上にて飛沫を上げながら、怪物二人が荒ぶっていた。
「尾刀理!!」
大木のような蛇の尻尾が伸び、刃の鋭さを以てシズクを強襲する。
対し大賢者は広げた傘で真っ向からそれを受け止めた。
細腕に似合わない剛力は、魔力によって強化されたもの。
大賢者には呼吸をするより容易い芸当だ。
「亜斬雨」
水の波動で身を削られようと、槍の雨で潰されようと、その度にトキヲは立ち上がった。
牙を剥いて、目を血走らせ。
何発と砲弾を見舞った。
爪を立てた。
風景が変わるほど暴れたが、シズクには何一つ届かない。
「貴様は……貴様は何だ!!」
圧倒的な力量差はトキヲを苛立たせた。
「何だと言われやしても。これが現実でさぁ」
「ふざけるな!!」
頂獣戯我が解かれる。
最早彼女は怪物の姿を保てないほどに消耗していた。
「貴様はこの戦に関係無いはずだ!! 一人の異端!! 戦う意味を持たない貴様が、何故我々の邪魔をする!!」
「意味は無くても縁がありまさぁ。先代には大賢者に取り立ててもらったもんでして」
「恩義に報いるというわけか? とんだ俗物だ!!」
「そんな大層なもんじゃあございやせん。縁は縁。そこに何を抱くかは人それぞれ。それに、百合のお嬢さん方にゃあお世話になったのもありやして。こうして助太刀を買って出たというわけでさぁ」
「意志薄弱……何故我々がその割りを食わねばならぬ!! 貴様とて妖怪!! 狐の悪行に思うところが無いわけでもあるまい!!」
「そりゃあまぁ、ヒノカミノ国に生きる者なら」
ですが、とシズクは傘を担いだ。
「手前はそれなりに現実主義でして。それに昔話に共感出来るほど子どもじゃねぇでごぜぇやす。伝統と因習と言やぁ聞こえはいいが、過去の悪事を今も引きずるのは、はたして粋なんでやしょうかね。手前には難癖つけて癇癪起こしてる子どもみてぇに見えやす」
「黙れ!! 何がわかる!! 何不自由無く日の下で生きてきたであろう貴様に!!」
「知らねぇ、わからねぇ、存じねぇ。そりゃあお互いさまでごぜぇやす。お嬢さんも知らねぇでしょう。あの人は」
『行こうぜ、シキ』
『うんっ。お姉様』
「そりゃあいい笑顔をするんでさぁ。あの顔見せられたら、凝り固まった考えなんざ何処へやらってなもんで。お嬢さん方も物騒なもん手にするのはやめて、一緒に酒でも酌み交わしましょう。そうすりゃ、これからってやつが見えてくるかと思いやすから」
「今も、これまでも、我々は散々苦汁を舐めてきた!! これ以上我々を阻むな!! 大賢者ァ!!」
トキヲは憤慨のままに引き金を引く。
一発の銃弾が獣のオーラを纏い宙を翔ける。
「止まねぇ雨はねぇ。お嬢さん方は、長い雨宿りの途中なだけでごぜぇやすよ」
シズクが傘を回すと、降りしきる雨が激流と化し、傘の先へ集中した。
【時雨王の祈祷】は雨を、延いては天をも我が物と総べるスキル。
彼女のそれは激流の放出などという生易しいものではなく、それすら越えた空の解放。
「極風爆雨」
その衝撃は堀の水を逆巻かせ、巨大な城を空間ごと揺らした。
国一つに降る雨量。
それを真正面から受け、身体の形が保っているのは奇跡に近い。
悲しいような安らかなようなトキヲの顔を、シズクは傘で覆った。
「雨宿りにゃあ、少々粋が過ぎやしたかね」
――――――――
「おおおおぉ!!」
高く高く突き上げられた岩の塔で、トウマは苛烈にアグリを攻め立てた。
肩を削がれ、脚を引きずり、度重なる返罪により、すでに肉体は限界を超越している。
が、それはアグリとて同じこと。
剣を振るうだけで、いや立っているだけで二人の息は上がった。
「はぁ、はぁ、どうした真選組!! そんなもんがか!!」
「粋がってんじゃねえよ〜。そっちだって限界だろ〜。その辺にしとかないと本当に死んじゃうぜ〜?」
血に濡れた端正な顔立ちで、トウマはカハッと息を漏らしたように笑った。
「とっくに死んどるようなもんじゃろぉが。わしらはよぉ」
生きてるだけで石をぶつけられたことはあるか、とトウマは訊いた。
「人の目が怖くて、てめぇの顔でいられねぇのがどういう気分かわかるか? 毎日毎日顔を変えて物乞いするひもじさが。どれだけ惨めかわかるか? 泥水を美味いと思わんといけねぇ、吹き曝しの家でもあったけぇと有り難がって、そんなもんが生きてるって言えちゅうがか?」
「……お姉さんは金が好きだよ〜」
「あぁ?」
「きれいなものを着て、おいしいものを食べて、いい家に住んでさ〜。ひもじい思いもせず、惨めにならず、貧しさとは縁遠い〜。人を幸せにしてくれるからね〜」
「何が言いてえんじゃ」
「どれだけひもじくても、惨めでも、貧しくても、毎日を精一杯生きることは美しいだろって話だよ〜」
「そいつはよぉ、お天道さんの下ぁ堂々と歩ける奴の言い分じゃ。当たり前を享受する奴は当たり前に気付かねえ。それが憎らしい腹立たしい。おまんらはさんざっぱら楽しんだじゃろう。笑ったじゃろう。なぁ、もうええじゃろうが。もう、去ねや全員」
それは疲労感からきた心情だったのかもしれない。
怒気、悲壮感……それ以上に寂寥感が垣間見えた。
「快楽、悦楽、享楽、極楽……楽しいことに満足なんかあるかよ〜。今を明日を笑うために、人は生きようとするんだぜ〜」
「説教はもうええ」
決着つけようや真選組、とトウマはそう言って腰を落とし、居合いのような構えを執った。
奇しくもアグリも同じ構え。
最速にして最強の剣を以て、目の前の敵を薙ぎ倒さんと。
張り詰めた空気は一瞬。
両者は音が遅れるほどの速度で剣を振るった。
「牙龍唸青!!」
ここまでの猛攻で、すでにアグリの金祓は尽きているとトウマは予想した。
実際シキが貯蓄させた分はもうほとんど消耗し、返罪によるカウンターは使用不可となっていた。
だがしかし、アグリにはある。
「【宝金魔の財刀】……」
貯蓄が尽きた状態だからこそ撃てる技が。
「金祓……魔炎猟……!!」
自身を煌めく金色の炎で焼くことで、そのダメージ分の貯蓄を前借りする。
まさに両刃の剣。
しかしそれこそが、彼女がトウマに真摯に向き合う覚悟の表れであった。
「終いじゃ!! 真選組ぃ!!」
「火兇凄究!!」
金色の炎を纏った剣が、トウマの大太刀を、トウマ自身を焼き切る。
蒸発した血が、まるで線香花火のように儚く煌めいた。
「――――――――!!」
全力を出した。
悔いは無い。
このまま死ぬも本望。
トウマは意識を薄れさせながら、重力に身を任せて倒れた。
不運は、戦いの衝撃で足場が保たなかったこと。
亀裂が入った塔の一部が崩れ、トウマは瓦礫と共に落下する。
地面に叩きつけるところまで想像したが、掴んだ腕がそれを阻んだ。
「諦めんなよ〜……」
「……もうええ。離せや……このまま死なせぇ……」
「お断りだぜ〜」
「わしの……おまんらに対する……この国に向けた怒りは本物じゃった……。本気で皆殺しにしようとした……。じゃが届かんかった……。おめおめと生き延びて恥は晒しとうねぇんじゃ……」
「知ったことかよ〜……っ」
焼け焦げた腕から血が垂れる。
「せめてもの情けくらい、おまんにもあるじゃろう……」
「金にならないもんは持たない主義だからね〜」
「なら、何故助けちゅうがか……わしみたいなもんは死んだ方が世のためじゃ……」
「死んで墓の中、それでいったい何を成せるってんだよ〜」
ポタリ。
アグリの血がトウマの顔に落ちた。
「償いは生きなきゃ出来ないだろ〜。目いっぱい貸した借りはよ〜生きて返してもらわないといけねぇのさ〜」
力を振り絞り引き上げる。
肩で息をするアグリにトウマは訊いた。
「わしが……何を返せる……何が出来る……」
「そうだな〜まずは笑うところかな〜。笑う門には福来たる〜ってね〜。笑顔は金だぜ〜。必死になった顔も好きだけど〜君には笑顔が一番似合うと思うよ〜。ね、のっぺらぼうの子〜」
「笑顔が一番似合う……か。カハッ、カハハハ。そんなこと言われたのは初めてぜよ。そうか……そうか……」
何度も何度も反芻した。
自分を認めるその言葉を。
誇らしく思えた。
血まみれで、傷だらけで、華も色気も無いけれど。
初めてトウマは、自分の顔を好きになった。




