幕間:変わらない百合がそこにある
しゃっくりを百回すると死ぬ。
そこそこ有名な部類に入るこの迷信。
もちろん私はそんな子ども騙しを信じるほどアホじゃない。
痙攣した横隔膜なんて随意運動で押さえつけてやるわ、くらいの気概である。
「リコリス、ここに置いておいた新薬知らない?しゃっくりを百回すると死ぬっていう拷問用の薬だったんだけど」
ただし、時と場合による。
「すぅ〜…ふぅぅぅぅ…」
飲んじゃった。
なんかね、ザクロ酢みたいでおいしかったの。
「あの、ドロシー。その…しゃっくりを百回すると、なんて?」
「死ぬ」
「死ぬのね」
「具体的には全ての内臓が虹色に変色して肛門から飛び出たあと爆散する」
「あっ、そう…ひくっ」
「あら、しゃっくり?気を付けなさいよ、百回すると死ぬんだから。フフッ、なんてそんな迷信を信じるあんたじゃないわよね。それじゃ」
「う、うん」
…………内臓が肛門から出て爆散したくねぇ。
「大丈夫、落ち着け私…まだ大丈夫大丈ひっく」
しゃっくり出た。
大丈夫だってまだ許容範囲。
しゃっくりくらいすぐ止ま――――――――
「ひっくひくっ、ひっくひっく、ひくっひくひくひくゔぁぁぁぁ!!着実に死出へと歩み始めてる!!オラァ止まれしゃっくひくっ!!」
落ち着け落ち着け落ち着け。
しゃっくりを止める方法…
「そ、そうだ水!水飲もう水!」
水といえばジャンヌ!
なんか普通に水飲むより効きそうな気がするからね!
「おーいジャンヌー!お姉ちゃんにお水ひっく飲ませておくれー!」
「きゃああああ!!!急に部屋入ってこないでください姉さんの変態!!!」
「ゴボボボボボ!!!」
お、まえ…水飲ませてとは言ったけど天破の浄罪は違うじゃん…
氷獄の断罪と同種の魔法だろそれ…
ったく変なとこアルティの影響受けやがって。
それはそれとしてベッドの上で裸でだったように見えたけど…気のせいかな?
「いや、今はそれよりしゃっくりをひっく!止まってない!!」
あと何回?!
あと何回したら内臓が肛門から出ちゃうの?!
「たぶんまだ半分も切ってひくっないひっくはず!!次だ次!しゃっくりを止めるには…息!そうだ息止めよう!すぅーひっく!あぁんしゃっくりが邪魔して呼吸しづらい!ちょっ、誰かー!誰かいるー?」
「なんですか騒々しい」
「おー!私の嫁!」
「嫁ですが」
「お願いがあるひくっ!ちょっとひっく!私の!ひっく!息止めて!出来ればキッチュで♡」
「はぁ…なんだかよくわかりませんが、やれと言うなら」
さす嫁!
説明しなくても察する出来る女!
「ひくっひくっ!ちょ、早く――――――――」
「氷獄の断罪」
「ゔぇあああああ!!おいコラ何してくれとんじゃ!!」
「え?だってリコが言ったんですよ?"息の根"を止めろって」
「"息"だよ!!ゼロ距離でコキュれとか自殺志願者か私は!!」
「だから、どうせなら私がひと思いにと」
「犯罪係数天元突破してんのかひくっ!!私のお尻から内臓飛び出たら責任取れよバカー!」
「どういう状況ですかそれ」
くっ!ダメだあの嫁!
他に何か…何か無いのかしゃっくりを止める方法!
待てよ?
そういえばレモンが効くとか聞いたことある気が…
「レモひっく!!レモンレモンレモン!!」
たしか冷蔵庫にあったはず!
「あ、リコリスちゃん♡」
「モナ!」
「今ねぇレモンパイ作ったの〜♡一緒に食べよう♡」
「食べりゅ〜♡」
「あーん♡」
「あーむっ♡おいちぃ♡」
おいしいけども!!レモンだけども!!
たぶんこういうことじゃない!!
「ひっくひっくひっくひっくひっくひっくひっくひっくひっく!!うわああああ!しゃっくりが堰を切り始めやがった!まずいんじゃないこれ!」
こうなったら最終手段だ!
しゃっくりを止めるには…驚かすこと!
でも私の心臓オリハルコンだしな…生半可なびっくりじゃびくともしないんじゃ…
いやそんなことない!
私の愛する女たちならきっと私を驚かせてくれる!
「うおおおおひっくエヴァー!」
「はは、はいっ、はい!」
「お願い私のこと驚かせて!」
「は、はい…?えっと、…………わ、わー!……?」
「ひたすらに可愛いかよ好きひくっ!!!」
次!!
「ルウリ!」
「おー姫ちょうどいいところに。見てこれ、あたしが考えたしゃっくりを無理やり止めるマシーン」
「タイムリーすぎる!それ使わせひくっ!」
「作ったのはいいけどよくよく考えたらしゃっくり止めるのに横隔膜摘出はやりすぎかなぁ?」
「やりすぎだろ!!」
次ィ!!
「ユウカ!」
「アッハハハ!あ、リコリスいいところに来たわね。ちょっとこの人の話聴いてよプククク」
「ヘロー」
「んぁ?ど、どちらさまひっく?」
「暇だから降霊術でその辺の浮遊霊を呼んでみたの。ゴンザレスっていうんだけど。それがプフッ、この人しゃっくり百回して死んだなんて言うのよ」
「ワターシも思いもよりませんデーシタ。アハァン」
「おかしいでしょ?本当にしゃっくりで、あら?リコリス?リコリスー?」
不安を煽るぅ!!
なんだあいつ!
こういうとき頼りになるのはやっぱり…
「なんだかんだひっくいっても、師匠しか勝たぁん!」
「ひくっひくっ、おおリコリスひっく。じつは今しゃっくりが止まらなくてのう。上手く止める方法ひっく、知らぬか?」
「つっかえ!!!」
「なんで罵倒されたんじゃ?!!ひっく」
もう誰でもいい!
誰か誰か…しゃっくり止めてぇぇぇ!
「ママ!」
「んはぁアリス私の可愛い娘〜♡ひくっどうしたの〜?♡」
「見て見て!アリス妊娠した!ママの子!」
「――――――――」
「エヘヘ〜嘘だよ。ほんとはクッションでした〜あれ?ママ?ママ〜?おーい。おかーさーん、ママ死んじゃった〜」
「ママがいなくてもたくましく生きていきましょうね」
何歳になっても…私って騒がしいんだな…
心底そう思い知ったよ…
――――――――
「だから…ゴメンって謝ってるでしょ!」
「そんなの謝ってるって言わないじゃん!」
長い長いそのケンカは、二人の些細なすれ違いから起こった。
「なんだなんだ、どうしたの?」
「リコリス姉!ジャンヌが私のプリン食べたの!後で食べようと思って取っておいたのに!」
「知らないもんそんなの!」
「ケンカのド定番じゃん。プリンならまた作ってあげるから、そんなに怒らないよマリア。ジャンヌだって謝ってるでしょ?」
「むぅぅ…」
「フンッ」
「っ、フンッ!!」
最初はそんな程度のケンカだった。
「ちょっとマリア!部屋散らかしっぱなし!ちゃんと片付けてよ!」
「うるさいなぁ!今やろうと思ってたのに!」
けど日を追うごとに二人の争いは増えていった。
肩がぶつかったとか、目が合ったとか、本当に小さな苛立ちの積み重ねだったんだと思う。
そして、決定打になったのは。
「姉さん!リコリス姉さん聞いてください!私の書いた本が…今年のダブルスターを受賞したんです!」
私たちが神竜級へと昇級を果たした年の冬の出来事だ。
ジャンヌの代表作、姫騎士物語。
一人の騎士の冒険を描いたその小説は、はじめは商会の片隅に並べるくらいの部数しか発行してなかった。
けれど次第に人気が人気を呼び、大ベストセラーを記録するまでに至り、ジャンヌは新進気鋭の小説家として界隈で名を馳せていた。
ダブルスターとは数ある賞の中でも、文学性、独創性に優れた作品に贈られ、小説家ならば一度は受賞したい栄誉らしい。
さすがジャンヌだと私たちは祝福した。
そう、マリア以外は。
「年明けに受賞式で過去作も重版、サイン会まで。ジャンヌさん大忙しですね」
「こうなると、みんなみたいに冒険者業は休業ですね」
「休業…」
私たちも無神経だった。
マリアの気持ちに気付いてあげられなかった。
「お祝いしなきゃね。ジャンヌ、何が食べたい?なんでも作ってあげるよ。マリアも好きなもの言って――――――――」
「要らない」
「マリア?」
「どうした?マリア、ジャンヌのおめでたいお祝いだよ。一緒に」
「嫌!!」
冒険者に専念して力を付けたマリア。
小説家としての道を拓いたジャンヌ。
どちらがより人生を楽しんでいるか、という問題じゃない。
どちらもが二人にとっての人生だ。
しかし結果として、マリアはジャンヌに対して強い拒絶感を抱いた。
ジャンヌもまた、自分を認めようとしないマリアに。
「もういい!!もう知らない!!ジャンヌなんて、ジャンヌなんて…大ッ嫌い!!」
「っ、こっちこそ!!わからずやのマリアなんか大嫌いだよ!!嫌い嫌い!!大ッ嫌い!!」
同じ冒険者。同じ境遇。
姉妹のように生きてきた二人にとって、道を違えるというのは、受け入れがたいものだったんだろう。
いつか…二人がお互いを受け入れられるようになったら。
そのときはまた笑い合ってくれるといいな。
「マリアそれ私のポテチなんだけど!!コンソメは私のって知ってるよね!!」
「そっちだって私の柿ピー食べたでしょ!!梅味なんてジャンヌ食べないくせに!!」
「はーもうウッザ!!」
「そっちのがウザい!!」
「ていうかこの前貸した服早く返してよ!!」
「そっちも私の服借りパクしてるじゃん!!」
「「ぐぬぬぬぬ!!フンッッッ!!」」
何歳になっても子どもみたいなケンカしてるから、そんな心配は要らないかなって思っちゃうんだけどね。
――――――――
私、シャルロット=リープがリコリスさんに命を拾われてから五年。
世界は大きく変貌を遂げた。
文明、延いては生活水準の向上。
各家庭に風呂と水洗トイレが常設されるのが当然になったことを始め、食生活の面に於いても以前とは比べ物にならない豊かさが見られるようになった。
ルウリさんのアナザーワールド、そしてリコリスさんの一番弟子にして、リリーストームグループ食品衛生部門グルメカラーリングの総支配人、ワーグナー=リヒャルトさんの功績による部分が大きい。
彼は商業特別顧問アンドレア=パステリッツ氏と並び、男性でありながらリリーストームグループに於いて重要な役職についている数少ない人物だ。
もとい、リコリスさんが手放しで受け入れられる男性の一人でもある。
能力を買われただけで、もちろんそこに恋愛感情の一切は無い。
ワーグナーさん本人も、
「崇拝する神に恋心を抱きますか?」
ある種、私以上にリコリスさんに対して盲目的だ。
恋愛事に発展する心配が無いからこそ、リコリスさんも彼を総支配人に据えているのだろう。
次に世界情勢。
転移門の開通により、各国への交通の便が格段に上昇し、経済の活性に一役買っている。
それにより他種族間の交流が増加。
それまであった隔たりは風化し、あのリーテュエルですら徐々に人間以外の姿が増えつつある。
とりわけドラグーン王国への訪問、移住は他国に類を見ず増加の一途をたどり、女王は日々受け入れに頭を悩ませているのだとか。
そして人。
百合の楽園がそれぞれ要職に就いたように――――約一名の無職を除き――――この五年で世界のパワーバランスは大きく変動した。
国家級戦力に数えられる新たな大賢者、英雄として歴史に名を残す神竜級冒険者の誕生。
そこに至るまでには、多少なりの事件があったりしたのだけど、それについてはまたいずれ語る機会もあるだろう。
群雄割拠。
"最強"が同じ時代に君臨するその意味を人は求める。
真の強者とは誰を指すのか、と。
「ならば証明すればよいのデス。己こそが強き者であると」
一人の大賢者が発したその言葉により、世界は激動、或いは激闘の"祭"を迎えることとなる。
私たち百合の楽園も、その熱の渦に巻き込まれることとなるのだった。
次章、あのキャラたちが大集結。