142.狐の嫁入り
お花の香り。
開けた目に飛び込んできたのは夕焼けの茜色。
そして、
「おっ、目が覚めたか?」
茜色よりも眩しい透明な緋色。
「お姉様…?」
柔らかい感触…膝枕なんていつぶりやろ。
「ウチは…」
「いやぁ、さすがに焦った。全部片付けて戻ってきてみれば、師匠と二人で倒れてんだもん。しかも死にかけ」
「ま、最終的に勝ったのは妾じゃがな!ハーッハッハ!」
「いいから寝てろって師匠。あとでよしよししてやっから」
向こうはいち早く回復したらしい。
腕を組んで高らかに笑うけど、膝も同じくらい笑ってる。
ダメージは抜けきれてないみたい。
「うむ、そうさせてもら、お……くかー」
限界やのにウチが目が覚めるまで待ってたんやね。
糸が切れたみたいに倒れてしもうた。
国崩しも百鬼夜行も破られてる。
「そっか…ウチは負けたんやね」
「勝ち負けじゃねーだろこの大人メスガキ。反省しろコノヤロー」
「クヒュッ…もーお姉様、耳こそばいんやから引っ張らんといてぇな」
「うるせえみんなを騒がせた罰だ」
「罰…なら殺してくれへん?」
「殺さないよ。絶対」
「今ならたぶん死ねる。疲れてるもん」
「言葉通じてねえのかバカ」
「お願いや。みんなそれを望んでる」
「!」
獄卒さんに看守さん。
雁首揃えて仰々しく。
たくさんの人がウチらを取り囲んだ。
「お出迎えありがとね」
「彼女の身柄をこちらに」
「リーハさん」
「こちらに」
剣を突き立てれば死ぬ。
首を吊れば死ぬ。
何をしても死ねる。殺せる。
極楽浄土に縁は無いにしても。
ああ、死ぬには良い日や。
「今行くよ」
あったかい膝から頭を起こして立ち上がる。
長い長い人生の締め括り。
呪い呪われた、憐れで惨めな女の末路は、酷いくらいに単純でいい。
明日の誰かがウチを忘れるくらい呆気なく。
死してやっと、ウチは――――――――
「すみませんけど、それ無理です。こいつは私がもらいますから」
本当の享楽を知れる。
そう思った矢先のこと。
お姉様はウチの腕を掴んで、子どもっぽく笑った。
「もらう…とは?」
「言葉のとおりです。シキは殺させないし死なせない。だって」
「だって…何です?」
「だって……めーっっっちゃ美人なーんだもーーーーん!!♡」
ウチを含めてその場の全員の時間が止まった。
「いやー傾国の美女は伊達じゃないっていうかー♡耳も尻尾もモフモフなのさいこーだし、やんわりとした言葉遣いも包容力抜群っ♡何よりえっちー♡こんなの絶対に私のものにしたいじゃないですかー♡ねーシキ♡シキも私と一緒がいいよね?♡グフフ〜♡先走ってチューとかしちゃおっカナ?♡なんちゃって〜♡」
真剣やから、本音やからみんな戸惑った。
ウチも。
「ウチは…」
「彼女は生きていてはいけないものです」
そう。
「力を使い果たした今が唯一、彼女を罰する機会なのです。世界の秩序と安寧のためとご理解を。どうか」
そやから…
「秩序と安寧ね…それが誰かの犠牲の上にしか成り立たないものなら、人の心は荒むしかなかったと思う。罰ならもう、シキはずっと受け続けてきたよ。何千年も。自分が犯した罪の意識に苛まれて、心から楽しむことも出来ずに。これ以上、シキを苦しませることは私が許さない」
「お姉、様」
「お前もだシキ」
「!」
「そろそろいいじゃねーか。赦してやれよ自分自身を」
掴まれた腕が熱い。
長く忘れてた人の熱さ。
「ウチには…」
「生きる価値も意味も、居場所も遊び相手も、欲しいんなら全部私がくれてやる。それじゃ不満か?」
「…っ」
「ヘルカトラズの統括者として認めかねます。その方は」
「咎人?死刑囚?国を滅ぼした極悪人?それがどうした。百合の楽園の個性の強さナメんなよ。言っとくけど、このくらいのインパクトなんか朝ご飯にステーキ出てきましたくらいのもんでしかない。こいつは、シキはこの私が選んだ女だ。罪も罰も、背負って背負いきって背負い尽くしてやる。誰にも文句は言わせない」
「そりゃ道理が通らないんスよ。人の命は人の命でしか償えない。違うッスか?」
「だから償い続けるんだ。私と一緒に生きて。それでもシキをどうにかしようってんなら、私たちを敵に回す覚悟をしろよ」
人混みの中から人影が二つ。
影と異形がウチとお姉様を囲んだ。
「一人の女のために命だって賭けられる……私たちはそういう奴らの集まりだ!!」
ヘルカトラズはこの世の地獄。
法と秩序の終着点。
正義そのもの。
なのにこの人たちは、こんな女のために、正義に対して牙を剥こうとしてる。
こんなバカな女のために…
ポタッ
「へ…?」
何、これ。
何やの…なんで…
涙なんか…
「あれ…?あれぇ…?おかしなぁ…こんな…」
これがウチの本当の気持ちとばかり、涙が勝手に溢れてくる。
あかんのに。
そんな資格ウチには…
「なんだ、答えはもう出てんじゃん」
「ウチ…ウチは…」
「ニシシ。一緒に生きようぜ、シキ」
「うん…うんっ…!!」
太陽みたいに笑うお姉様を見て、憑き物が落ちたみたいに、子どもみたいにウチは泣いた。
泣いて、泣いて、泣き喚いた。
膝から崩れ落ちて、恥も外聞も無くえんえんと。延々と。
生きてていいって。
楽しんでいいって。
与えられた生を噛み締めて、お姉様の胸の中で。
ウチは知らなかった。
知りようもなかった。
恨まれれば恨まれるだけ、呪われれば呪われるだけ、負の感情を以て呪力が強まることを。
愛を以て呪力は弱まることを。
そんな当たり前に、やっと…やっと…
――――――――
泣き崩れるシキを見て敵意が削がれたのか、周りの人たちは武器を下げた。
どうしていいのかわからないとばかり。
すると、人混みが分かれてその奥からカティアちゃんが神官を引き連れて現れた。
「ここまでのようですね、オズワルド監獄長」
「教皇様」
「……リコリス様」
「うん」
「街の被害は大きく、大勢の負傷者が出たという結果がある以上、敵意と悪意は確実に根付きます。それだけその方の業は深い。あなたが選ぼうとしているのは荊の道。それでもあなたは」
「うん。私は私の考えを曲げない。ここを揺るがしちゃったら私が私じゃなくなる。そんな情けない女じゃハーレムなんて夢のまた夢…でしょ?」
「それが神の御意思であるなら。……傾聴せよ、親愛なるリーテュエルの民よ!今この時よりシキ=リツカは、天女教が崇拝せし主神リコリス様の庇護下に入ったことを見届けました!以降彼女に手を出すことは神の意思に反するものとし、リーテュエルが教皇カティア=アークランベルジェが罷り通しません!」
リーハさんもアルカさんも胸に手を置いた。
リーテュエルにおいては教皇こそが絶対。
けれど絶対の存在の更に上が存在する。
神。
つまりカティアちゃんは、私という存在を公的に完全に認めたことになる。
「私のこと、受け入れてくれたんだ」
「人間性はともかく、あなたが神であることに変わりはありませんので。それに」
カティアちゃんの視線を追うと、リーテュエルの市民が集まっていた。
「あなた方がこの街を、そして人々を救ったのは事実です」
人々が膝をついて崇め出す光景に圧倒されつつも、私は誇らしさと満足感で胸がいっぱいになっていた。
遺恨、悔恨、わだかまりあれど、刻まれた傷痕は大きいけれど。
全部解決したんならそれでよしっ。
皆さんお疲れさまでしたってことで。
リーテュエルの長い長い一日が終わったんだって、ホッと息をついた。