107.不器用でキレイな物語(4)
ほんの少し先の視界さえ遮られるくらい雨が強まった頃。
何か進展はあったかと屋敷に戻った私たちを待っていたのは、傷だらけになったマリアとジャンヌだった。
「二人とも…」
「無事なの?」
「容体は安定しているのでございます」
「ポーションが効いているでござるが、回復に体力を割いているらしく、目は覚まさないでござる」
「姫は?」
「シャーリー殿を追ったでござる」
あのバカ…と、ドロシーが舌打ちする。
同意だ。
私たちを連れて行かず一人で。
寝息を立てる二人の頭を撫でるけれど、平静を保てていられるのが奇跡だ。
部屋を出てすぐ、憤慨に目の前の壁を殴りつけた。
二人を傷付けたこと。
リコが一人で勝手に行動していること。
私自身が後手に回ってしまっている不甲斐なさ。
全部に対して。
「アルティ…ちゃん…」
「すぅ……ふぅぅぅ……」
落ち着きなさい。
沸騰した頭で何がわかると、肺に空気を送り込む。
「シャーリーの失踪…彼女の古巣、暗殺者ギルドが関わっているということはないでしょうか」
「暗殺者…ギルド…」
「たしかに。というかその線が妥当でしょうね」
「昔の仲間を連れ戻しにってこと?なんで今さら?てか、シャーリーたんの眼鏡って姫の特注っしょ?認識阻害付きの。それでバレることとかありえるの?」
「事が起こってる以上、そこは考えても仕方ないわ。アタシたちが思ってる以上に、暗殺者ギルドってのは深くこの大陸に根付いてる。独自の情報網があっても不思議じゃないんだから」
「け、けど…シャーリーさん、どこに行ったんでしょう…か」
「もしも件の女性を暗殺者ギルドと結びつけるのならば、トリスティナ王国に向かった可能性が高いだろう」
「トリスティナ王国?」
たしかシャーリーの出身…不毛の大地の南に位置する小さな島国。
「まだ表沙汰にしていないが、我々はそこに暗殺者ギルドの本部があるという情報を掴んでいる」
「暗殺者ギルドの本部?!」
レオナの言葉に私たちは驚愕した。
「実態も何も知られることがなかったのに、どうやって」
「私の目と耳はそこら中にあるということだ。もしも…いや、愚問か。追うつもりなら情報を提供しよう。ただし我々もついて行く。奴らにはさんざっぱら国を荒らされたからな」
「これは私たちの問題です」
「そっちの件はそっちで勝手にしろ。我々は我々で害虫を駆除するだけ。報いを受けさせてやらねば気が済まぬ。ただしそうなると、この人数では少々心もとなくある」
「大賢者に、あなたがいても?」
「個の強さと数の強さは別物だ。相手は殺すことの一点に於いてはプロ。万が一を想定しないのはただの愚か者だ」
一理ある。
たとえこちらに負ける気が一切無いとしても、最悪の事態は想定して然るべき。
ただでさえリコリスが先行してる今、少しでも戦力は欲しい。
「ふむ、事情はわかった」
「テルナ!」
「やれやれ。夜通し飲んで気持ちよく帰ってきてみれば、賑やかになっているようじゃな。どれ、妾も行こう。のう獣帝よ。世界最強の一角、それが三人も集まろうものなら、如何に数を揃えようと有象無象では及ばぬ。違うか?」
「三人?」
「そなたも手を貸せ。どうせ暇を持て余しておるじゃろう」
「えー酷いよぉテルナちゃん〜」
「うぇっ?!」
「なんであんたがここにいるのよ?!」
みんなが一様に目を丸くして変な声を漏らす。
私もその一人だ。
何故…そんな疑問が頭を巡った。
いや、これはむしろ千載一遇の好機だ。
「有無は言わせません。力を貸しなさい、魔王」
「クスッ♡いいよぉ♡でも覚えておいてね♡」
と、魔王は舌舐めずりを一つした。
「悪魔を使うなら代価が要るってこと♡」
「上等です」
「おかーさん」
心配そうに服の裾を掴んで、アリスはこちらを見上げた。
「大丈夫です。すぐに戻ってきますからね。マリアとジャンヌと一緒にお留守番をしていてください」
「ん」
子どもを残していく。
母親失格な私をどうか赦してください。
「かえってきたらね、ママといっしょにぎゅーってしてね」
「ええ、もちろん。約束です」
せいぜい脅えなさい狼藉者。
あなたは触れてはならない逆鱗に触れたのですから。
――――――――
数時間前。
「いらっしゃいませ。ようこそオーナー」
「こんにちは。席を四人分用意してください」
「かしこまりました」
丁寧に頭を下げるワーグナーさんとスタッフ。
自分が店のオーナーであるかのように振る舞い、クオンは私たちに着席を促した。
「わーいわーい何食べようかな」
「甘いものがいいな」
「甘いものがいいね」
悪魔の双子暗殺者、ヒナナとヨルル。
私と同じく暗殺者ギルドのトップ、その直属の暗殺者。
そしてこのクオン=リープこそが、暗殺者ギルドのギルドマスター。
私に暗殺を……もとい、生きる全てを教えてくれた人。
「こうして顔を突き合わせるのは久しぶりですね。本当に嬉しく思います」
「どうやって私のことを」
「この世界で一番個人の情報が集まるのはどの組織か。わからないわけではないでしょう?」
「冒険者ギルド…」
「潜り込むことなんて、私には造作もありませんから」
クオンという存在の怖さは、純然な暗殺者としてのスキル、個の戦闘能力に由来しているわけではない。
彼女が暗殺者足り得ている理由。
それは彼女の魔法にある。
ユニークスキル【幻想魔法】。
その能力は、記憶と常識の改変。改竄。
自分が冒険者ギルドの一員であると、店のオーナーであると、思い込ませるのではない。
事実にする。
それが長続きするわけではないけれど、本来在るべき形であると、局所的に世界を変える力を持っている。
忘却、記憶の刷り込みに留まらず、炎は熱くもなければ危なくもない。刃は人を傷付けないという風に、理を容易に覆す。
認識出来ない以上、彼女が与える死からは何者も逃れられない。
彼女の手のひらから逃げられたと思っていた私は、なんて愚かだったのだろう。
「あのねあのねシャーリーちゃん」
「あのねあのねシャーリーちゃん」
「ギルドでみんな待ってるんだよ」
「パーティーするって待ってるんだよ 」
「そう、ですか」
「シャーリー」
「はい」
「また私たちと仕事をする気はありませんか?」
変なことを訊く。
「頷いたところで私の運命が変わるわけでもないでしょう」
「さあ、どうでしょうか。私も人間なので」
「あなたのことは私が一番良くわかっています。あなたは裏切り者をけして赦さない。背きし者には死を。今こうして生かされていること自体が奇跡です」
「クスクス、何をそんなに怯えているのですか?私はただ」
私を殺すつもりなら、声を掛ける前に出来た。
ならなんのためにクオンは…
「お礼をして差し上げないと、と思っただけですよ」
一瞬で理解した。してしまった。
「あなたを変えてしまった方々に」
机を叩いて立ち上がる私は、きっと顔を青ざめさせていたと思う。
「あの人たちに…手を出さないでください」
「何故ですか?」
「あの人たちは、こんな私を受け入れてくれた。仲間だと…呼んでくれました」
「私たちだって仲間でしょう?」
「もう人を殺さなくてもいいと言ってくれました。暗殺者以外の生きる道を示してくれました。私は…」
「暗殺者以外のあなたに何の価値があると?」
「私は!!」
「あなたは私が育てた人殺しです」
何人殺した?
誰を殺した?
どうやって殺した?
クオンの言葉一つ一つが突き刺さってくる。
何一つ反論を赦さない。
「それ以外にあなたが生きられる場所は無い。なのにあなたからそれを奪った。酷い人たちですね。制裁を与えることの、いったい何が間違っていると?」
心筋を直接触られているような心地悪さ。
怖い。存在の全てが優しいからこそ怖い。
逆らえない。逆らう気力を根こそぎ殺がれる。
何も言い返せない私に対し、クオンは、ああ…と手のひらを合わせた。
「なるほど。自分の不始末は自分でつけたい、そういうことですね。フフッ、ならそう言えばいいのに」
と、一本のナイフをテーブルの上に置いた。
「あなたの手で、あなたを拐かした大罪人を殺しなさい」
これが私の運命だ。
逃れられない宿命だ。
もうあの人たちに迷惑をかけられないと、私は決別を込めてナイフを手に取った。
――――――――
――――
――
馬を走らせ、小舟に揺られ。
私たちは故郷へ帰ってきた。
トリスティナ王国。
疫病と貧困が蔓延する大陸の掃き溜めに。
「あなたには懐かしい空気でしょう」
淀んだ重い空気。
街の人々に生気は無い。家どころか食べ物もまともな服も。
当然だ。
この国の王はまともに機能していないのだから。
もとい国として機能させる気が無い。
それはこの国の王がすでに息絶えていることに起因する。
ちょうどいい家が欲しかった。
それだけの理由で王を亡き者にしたクオンは、国の貴族たちを丸ごと排除し、城を…延いては国そのものを暗殺者ギルドの根城へと変えてしまった。
この国はとっくに死んでいる。それも私たちがまだ10にも満たない頃の話だけれど。
「おかえりなさいシャーリー。みんな待っていますよ」
城には数百という暗殺者たちが集まっていた。
誰も彼もが下卑た目でこちらを見てくる。
ここ以外世界に居場所が無い、私と同じ異常者たち。
「さあ、パーティーを始めましょう。シャーリー、服を脱ぎなさい」
その異常者たちの前で、私は一糸纏わぬ姿を晒した。
「キレイですよ」
そう言いながらクオンは顔めがけて拳を放ち、私を床に転がした。
鬱陶しく耳障りな笑い声が充満する。
立ち上がる気力も無く突っ伏していると、伸びてきた鎖に四肢を絡め取られ、無理やりに身体を起こされた。
クオンの合図を皮切りに、暗殺者たちは思い思いに私を嬲った。
殴る蹴るはわりと最初の方に済んだ。
泣き叫ばないとわかるなり鞭を打つけれど、私の口は悲鳴も弱音も漏らさない。
「クスクス、痛そうだねシャーリーちゃん」
「痛そうだねシャーリーちゃん、クスクス」
「でもつまんないね。泣かないんだもん」
「つまんないね。喚かないんだもん」
「ああ…失礼。随分とぬるい拷問だったもので、ついウトウトしてしまいました」
羞恥も苦痛も在って当然だ。
それだけの罪を犯した。
人を殺してきた……その後悔はもちろん、それ以上に私は私を赦せない。
最愛の人を刺し、裏切り、私を慕う妹たちに暴言を吐き、あまつさえ彼女たちを見殺しにした。
それのどこが赦される。
死んだ方がいい。私みたいなものは。
「立派ですね。あなたはやはり美しい」
血まみれの私の顎を指で持ち上げ、何度も何度もキスをする。
失われた時間を取り戻すかのように。
「シャーリー、あなたを殺すのは忍びありません。戻ってきませんか?また一緒に人を殺しましょう」
「断ります」
「不思議で仕方ありません。何故自分は変化出来たと思うのか。あなたほど殺意に満ち溢れた者が、何故日常に溶け込めるなどと思うのか。何故それが許されると思うのか」
一瞬の間も置かない。
「リコリスさんがそれを良しとしてくれたからです」
血を滴らせながら、何よりも尊き象徴を胸に浮かべる。
「彼女が私に光をくれた。日の下で生きる権利をくれた。あの方のためこそこの命を使うべきだと確信したのです」
「ぽっと出の女一人を取って、十数年来の親友を裏切るのですか。共に掃き溜めの中で育ったことも、生き方も意志も信念も、溢れ出る殺意を晒け出せる場所を与えてあげた恩も、全てを蔑ろにすると?」
「リコリスさんの魅力には何ものも勝らない。それだけです」
クオンが投げたナイフが頬を薄く切る。
「まだ自分の立場がわかっていないのですか?」
「クオン、あなたは昔からそうでしたね。自分以外が幸せにしているのがたまらなく気に入らない。だから殺す。その人も、その人が大切にしていた人たちも。まるで子ども。癇癪持ちのご令嬢さながらと言ったところでしょうか」
腹に蹴りが突き刺さる。
骨が内臓を破り、血の塊が口から漏れた。
「ゲホッ、ゴホッ!!」
「解せないことがあります。たかが半年付き合っただけの彼女たちの、いったい何があなたをそんな風にしたのですか?」
「何が…ハッ、あなたには理解出来ませんよ。あの方の偉大さも、あの場所の尊さも。たかが半年…けれど、これまでの私の人生のどの時間よりも心安らぐ瞬間でした」
私は何者にもなれなかった半端者だ。
何者にも関わってはいけなかった逸れ者だ。
そんな私を愛してくれた。
惚れる理由には充分でしょう。
だからこそ…
「あなたにあの場所は侵させない」
私はここで物語の幕を閉じる。
けれど、それでいい。
あの人の物語に、これ以上私という端役は要らない。
「あの人の物語には栄光と勝利、そしてそれを彩る大輪の花たちこそが相応しい。この世界に居場所など無くていい。私は充分生きたと、胸を張って死にましょう」
願わくば、どうかリコリスさんが私の死を悼むことがありませんように。
尊き方の涙を、こんな下賤な女のために流させることなどあってはなりませんから。
「これが最後の警告です。シャーリー、戻ってきなさい」
台座に載せて運ばれてきた焼きごてを私の顔に近付けるけれど、私はそれが何だと笑った。
「ありえません。未来永劫、死して果てまで。私の心はリコリスさんのものです」
「そうですか」
焼きごてが顔を焼く。その一歩手前。
「なら、勝手にいなくなろうとするなよ」
城の扉が軋んだ音を発てた。
「リコリス、さん……」
驚愕に目を見開いた。
これは現実なのかと。
「何故……」
「わかりきったこと訊くな」
緋色の髪を雨に濡らし、暗がりになって尚、凛と咲き誇る花のように。
私の最愛は闇の中へと足を踏み入れた。
「迎えに来たよ、シャーリー」