幕間:罪深き魔術師の追憶
約三千五百年。
話は、まだユウカ=モノクロリスが人間であった頃
ただのユウカであった頃まで遡る。
「コホッ、コホッ」
幼い頃から病弱な彼女の世界は、小さな窓の外に広がる街並みだけであった。
太陽のあたたかさも、そよぐ風の穏やかさも何も知らず、毎日を平凡にも過ごせない。
そんな彼女と僕が出逢ったのは偶然だ。
否、全てを知る僕にとっては必然だ。
「ユウカ、魔女さんを連れてきたよ」
「魔女さん?」
「きっとユウカの病気を治してくれる」
「期待してくれるのは勝手だがね。はじめまして、僕はアリソン=ヴォルフマギア。魔術師だ」
「魔術師…?」
「よしなに頼むよ」
当時、魔法はまだ奇跡とされていた。
それ故に異端視され、所によっては魔女狩りと称した私刑を行使することもあり、魔法使いである者は肩身を狭くした。
人里離れて暮らす者、環境に耐えきれず魔法を捨てる者。
僕も森の奥で暮らしていた。
一人でひっそりと。
けれどどこから噂を聞きつけたのか、ユウカの親は僕を訪ね頼んできた。
どうか娘を治してほしい、と。
それが純粋に娘を心配する親心だったのか、はたまた貴族という跡取りを残したいがための邪心だったのか、或いはその両方だったのかは、語るべくもないことだけれど。
「魔術師さん」
「アリソンと呼び給え。今はまだ魔法使いは目立つんだ」
「アリソン」
「なんだいユウカ君」
「私の病気、治る?」
それはまるで、自分の運命を受け入れているように聞こえた。
「魔法は万能の無力だ。何でも出来るけれど何も出来ない。たとえ今、君を蝕んでいる病魔を全て取り除いたとして、新たな病魔が生まれるだけだ」
「そっか」
「身も蓋もないことを言うがその薬も飲むだけ無駄だよ。効きはするがね。なんせ僕の調合した薬だ」
「いいの。飲んでおかないと、アリソンがお父さんたちに怒られるでしょ」
なんて朗らかに笑うのだろう。
さながら花。
いつ命尽きるかわからないのに、人のことを気にかけるのかと。
それは死を目前にした者の優しさではなく、生来的な彼女の本質だった。
「それにこの薬、飴みたいでおいしいから」
「それはよかったね」
痩せこけた頬。
細い腕。
生気を感じさせない白い肌。
枯れた髪。
全てがわかる私でなくとも、彼女の生い先が短いことは誰でもわかった。
「君が望むなら延命に尽力することは吝かじゃない。けれど結末は変わらない。それでも」
「それでも、少しでも生かしてくれるなら。生きていいなら」
人生で最も長い一年は、そうして始まった。
夏が来る頃には好きなものを話し合うほどになっていた。
本の匂い、小鳥の声。雨は鬱陶しくて好きではないらしい。
「アリソンは海って行ったことある?」
「泳いだことも潜ったことも割ったこともある。ああ、興味本位で飲んだこともあったかな」
「すごい!羨ましいわ。私も行ってみたいなぁ。って無理か、こんな身体じゃ」
外に出るだけで体調が悪化してしまうユウカは、一歩だって家の外に出られない。
障壁で包んだとしても身体が保たない。
そんな彼女に出来るのはこのくらいのものだ。
「ほら」
指を鳴らすと壁の一面に海が映し出される。
「わぁ!」
潮の匂いをさせるというわけにはいかないけれど、雄大な波の音にユウカは目を輝かせた。
「アリソンって何でも出来るのね」
「魔法使いだからね」
「ステキだわ。私も魔法を使えるけど、アリソンみたいには使えないから」
「知っているとも」
彼女は【死霊魔法】使い手である死霊術師だ。
ユニークスキルの発現は稀少でよろこばしいことだが、不運にも身体が魔法に耐えられない。
それ故に僕の意図的な不老も真似させることが出来ない。
「なんでこんな身体に産まれてきたのかな」
「産まれてくることに意味は無い。意味は産まれた後についてくる」
「アハハ、じゃあ私は欠陥品ね。生きてる意味なんて……無いんだから」
「……そう言ってしまってるうちはそうだろうとも」
「え?」
「意味は自分で見つけられる。けれど他者もまたその人に与えられるんだ。逆も然り。もしかしたら今、君は僕に何かしらの生きる意味を与えてくれているかもしれない。白を黒に、黒を白に変えるように。人は誰しもその力を持っているんだ。……と、僕は思う」
「本当?」
「可能性の話さ。真に受けなくていい。だがそう思うと不思議と心が軽くなるだろう」
「じゃあ、私はアリソンと友だちになるために産まれてきた可能性もあるってこと?」
「そうなるね。事実のほどは定かでないにしろ。可能性とは無限に枝分かれする未来だ」
「そっか…。でももし、もしそうなら嬉しいな。初めて友だちが出来たから」
初めてかと、僕は呆けて笑った。
「クスッ、僕もだ」
薬を投与し、体内の魔力を循環させ、定期的に病魔を取り除く。毎日毎日。毎日毎日。
「知ってるアリソン?世界には喋る木の実があるんだって」
「知らないことは何も無い」
「もう、つまんないの」
秋を迎え、冬を過ごし、四角い彼女の世界は移っていく。毎日毎日。毎日毎日。
「好きな食べ物は?」
「食にはあまり関心が無いが……天ぷらというものは食べてみたい」
「天ぷら?」
「異国のフライ料理だよ」
「ふぅん。じゃあ好きな色は?」
「そんなのを知って何になるんだい?」
「いいじゃない。友だちのことを知りたいのは当たり前でしょう?ちなみに私は」
「白と黒だ」
「本当に何でも知ってるんだから……いいわよ勝手に当てるから。えっと…茶色…焦茶色…黄土色…栗色…」
「何故茶系統から攻めようと思ったのかな。ふぅ…青だよ」
「あれ、結構シンプルな答え。どうして?」
「青は空の色。果ての無い色だからね。同じく果てが無い僕には似合いの色だ」
「ふぅん。聞いたのはいいけど、あんまり関心が湧かなかった場合ってどうしたらいいのかしら」
「友だち甲斐が無いと自分を恥じたらいい」
「……フフッ」
「クスッ」
「アハハハッ」
「ハハハ」
花が咲いて春を告げた頃には、すでにユウカはベッドの上で起き上がることも出来なくなっていた。
最初の内は体面的に様子を見に来ていた親も、母が新たな子を胎んだともなると、早い内に顔を見せなくなった。
僕への忌避もあったのだろう。
苛立ちと憤りに身を任せて家を壊してやったらどれだけ清々するかなと、何度人間臭いことを思ったか。
僕は目の前のユウカを見やり、そんなくだらない現実逃避に馳せた。
「もうすぐ、弟か妹が産まれるんだって」
「ああ」
「私が死んでも、お父さんとお母さんは寂しくならないわね」
「ああ」
「よかったぁ」
今にも消え入りそうなか細い声。
なのにユウカは笑っている。
命の火が消えることを恐れながらまだ誰かを慮る。
何故…それは全知を司る私が初めて抱いた疑問だった。
「よかっただと…。何故君はそんなにも誰かを思える。何故笑っていられるんだ。何も出来ない身体を、自分を見捨てている家族を、どうして恨まない。憎まない。何故……」
「アリソンが私に優しさをくれたから」
「僕が…?」
「もしアリソンと出逢ってなかったら、きっと私は世界を恨みながら死んだ。全部壊れちゃえ、無くなっちゃえって、汚い心のまま死んだ。でもアリソンがずっと私の傍にいてくれたから。だから私は最期までキレイでいられたの」
最期……わかりきったその言葉が胸に刺さる。
「ありがとう。あなたに出逢えて本当によかった」
「……ッ」
それも初めてだった。
衝動に任せて抱きつくなんてこと。
「もしも死者を蘇生させる魔法が使えたら……そんな魔法が在ったら……なんて、馬鹿を考えてしまう自分がいる」
「そしたら一緒にいろんなところに行けるわね。おいしいものいっぱい食べて、楽しいことたくさんして。アハハ、私ってばやりたいことがいっぱいあったんだ」
たった一年だ。
これから先、何千年と生きる僕の刹那だ。
なのに。なのに。
「嫌だ…。ユウカ…」
「泣かないでアリソン」
「死なないでくれ…」
「アリソン……私ね……」
消え行く声で何を伝えたかったのか、僕にもわからない。
失せる熱。
手のひらから零れる命の儚さに僕は嘆いた。吼えた。
無力な自分に。抗えない運命に。彼女がいない世界に。
「やっと死んだのか」
横たわるユウカに向けた父親の一言目がそれだ。
「ようやく肩の荷が下りた。フン、魔女というから多少は期待していたが、結局は無駄に長生きさせただけとはな。これならさっさと死んでくれた方がありがたかったよ」
報酬のつもりだったのだろうか。
父親は二束三文が入った革袋を床に投げた。
「それを持って消えろ。でなければこのまま衛兵に突き出してぁがっ?!!」
ゴギッ、聞くも不快な鈍い音が一つ。
「喋るな」
「ひ、ひっ!!痛い痛い!!う、うう、腕が!!腕がぁ!!」
腕をへし折り、そのまま見えない手で首根っこを持ち上げ強く締める。
「本当ならこのまま殺してやりたいくらいだよ。けれどユウカはそれを望まないだろうから。せいぜい感謝するといい。君にはもったいない娘だった」
そのまま床に叩きつけると、父親は泡を吹いて失神した。
「ユウカ」
涙で濡れたユウカの目元を拭う。
抱き上げた身体のなんて軽いこと。
「一緒に行こう。僕がきっと君を」
生き返らせる。
そんなことは不可能だ。
それでも僕は、君にこの世界を生きてほしい。
【死霊魔法】の使い手は、通常の人間よりも魂がこの世に残留しやすい。
未練を遺したゴーストよりもずっと。
僕はその特性を利用し、あることを決めた。
ユウカを霊体として生かすことを。
まずは肉体を安置するための箱庭の創造。
誰にも邪魔されないよう静かなところをと、空の高いところに城を作ることに決めた。
それこそが浮遊城。
天空の墓標だ。
ユウカが退屈しないように楽しい仕掛けを。
有り余る財を。
浮遊城を実現するために、核となる宝具を。
と、言葉にするのは簡単だ。
しかし当然それは全能の僕を以て容易なことではなく、また許される行いでもなかった。
「本来死して冥界に招かれるはずの魂を故意に現世に留める……どれだけ罪深い行いであるか、わからぬとは言わせぬぞ」
「冥界の秩序を乱す者には罰を」
「極刑」
暗黒神ハデス。
死神タナトス。
冥府神エレキシュガル。
浮遊城の完成が目前といった頃、冥界三神と呼ばれる神々に目を付けられた。
死を、死者を、冥界を司る彼らにとって僕の行いはおもしろくないらしい。
ハハハ、それがどうした。
「冥府の神々よ。たかが神が僕の邪魔をするな」
「我らを自らと同義とでも取っているつもりか?のぼせ上がるな人間風情が!!」
「同義?笑わせないでくれ。君たち如きが僕と対等なはずはないだろう。口を噤み給えよ。もう一度だけ警告しよう。邪魔をするな」
滅ぼされたくないのならば。
僕は無数の剣で三神を貫いた。
「不遜な者よ。小さき者よ。己が傲慢を呪うがいい」
大見得を切ったはものの、文字通り呪いを受けた。
永劫の呪い。
僕にではなくユウカに。
呪いの効果は生前の記憶の消去。
自分が誰なのか、何故死んだのか、そして僕との出逢いの記憶の一切が彼女の中から消える。
僕の顔も、声も、何もかもを忘れる。
二度と思い出すことは無い。
なんだその程度かと神々を嘲笑った。
「友を幸せにするのは僕でなくてもいい。友が幸せならば彼女の人生に僕は要らない」
遠い未来、彼女を幸せにする者がこの地を訪れる。
僕はそれを知っているから。
どれだけ魅力的で、どれだけ希望に満ちた少女であるかを知っているから。
だから。
「僕は異端だ。魔法に愛されたが故に魔法に溺れ、白も黒も無く、心が欠落した紛い物だ。それでいい。なあユウカ、たとえ世界が否定しようとさ、僕は僕を誇るよ。君がステキだと、友だちだと呼んでくれた自分を」
この涙はきっと君がくれたものだと、感謝の意を示すために亡き骸を整える。
乙女の柔肌を。
髪の一部を青く。
悪あがきのように唇を噛み締めて。
「誰よりも空が似合う君。僕の宝物。永遠に君を思い続ける。ユウカ=モノクロリス」
その先の言葉を紡ぐのは僕じゃない。
こんなことを頼むのは愚かだと思うだろうけれど。
人並みに恋をした哀れな魔術師の願いを、どうか聞き入れてくれ給え。