公爵は、妖女に危機感を感じる。
アザーリエを初めて目にしたダインスは、彼女の姿に目を細めた。
ーーーなるほどな。
色香の化身。
それがアザーリエの第一印象だった。
黒く艶やかな髪と、遊牧民の血が混じっているのだろう、浅黒くきめの細かな肌。
エキゾチックな美貌の中でも、特に目を惹くのが、最高級のエメラルドのような鮮やかな色合いの瞳だ。
ぽってりとした唇に引かれているのは、毒々しいほどのルージュ。
切れ長で涼しい目元は、緑のアイラインと豊かなまつ毛に彩られていた。
鼻筋の通った完璧な美貌。
そして、唇の左下と左目の下に、それぞれ一つづつ小さなホクロがあり、彼女の美貌に男好きのしそうな艶かしさを添えている。
体を包むのは、落ち着いたデザインのシックなワンピース。
しかし豊かな胸元と、細くくびれた腰、丸みを帯びた臀部が彫刻のような完璧な曲線を描いていて、ドレスが派手でない分、より彼女の色香を際立たせている。
そうして、ダインスの前に立ったアザーリエは、ゆるりと優雅に頭を下げた。
ドレスの裾を握る、爪の長い指先は唇と同じ色合いに彩られていて、美しい仕草が、その指の長さや手の形の良さまでもを引き立てているようだった。
「お初にお目に掛かります……ロンダリィズ伯爵家が長女、アザーリエ・ロンダリィズと申します……」
密やかに囁くような、少し掠れた声音。
その唇が動くたびに、まるで媚薬のように色香が匂い立つ。
ーーー普通の男ではひとたまりもなかろう。
ダインスは、騎士団を率いている関係上、男の下世話な商売女やご令嬢の話題にも抵抗はないが、朴念仁と言われるほどにそうした欲自体は薄い。
そんな自分でも、ともすれば引き込まれそうな程に、アザーリエは妖艶だった。
挨拶を返してこちらの要望……というよりは一方的な言い分を伝えると、アザーリエは予想外に素直に頷いた。
「はい……レイフ公爵様のなさりたいように……」
そうして、薔薇のような微笑みと共に、潤んだ目で上目遣いにこちらを見上げる。
ーーーぬ。
甘えるような、媚びるような、それでいて絡み取るような仕草に、ダインスはグッと眉根を寄せた。
ーーーなるほど。これが〝男を狂わす妖女〟か。
噂は噂と聞き流していたが、これは想像以上だったかもしれない。
向こうの王太子も入れ上げていて、婚約を断られてなおアプローチをしていた、というのも事実なのだろう。
彼の婚約が決まった直後に、商売上の繋がりがあったロンダリィズ夫人と、隣国の王妃殿下直々に同時期に手紙をいただいて、この先結婚の予定もなかったので、条件を呑ませることで引き受けた婚姻。
夫人と王妃はそれぞれに理由は違ったが、王太子と引き離そうとした妃殿下の気持ちは、よく分かった。
ーーー彼女は危険だ。
応接間を辞した後、外に控えていた老執事に声を掛ける。
「どう見る?」
「想像以上ですな。若い男はひとたまりもありますまい。あれは、天性の男たらしかと」
「……男の使用人は極力遠ざけろ。声をかけられても相手をするなと触れておけ。女も同様に、必要最低限の関わりだけを持たせろ。おそらく、籠絡は得意技だろう」
「御意」
頭を下げた老執事に頷きかけて部屋に戻ったダインスは、目頭を揉んで大きく息を吐く。
「……まったく、随分な厄介事を持ち込まれたものだ」
社交界に出ないことを了承させておいて正解だった。
万に一つの可能性とは思っていたが、もし彼女が、こちらの内部を切り崩すつもりで送り込まれて来たのなら……。
ーーー皇帝陛下や王子、宰相、あるいは高位文官が誑かされたら、ひとたまりもない。
婚約期間と結婚してから離縁を申し渡せるまでの、二年間。
出来るだけこの屋敷の中で、大人しくしていて貰わなければ。
男と遊び回っていたというアザーリエが、そんな軟禁に近い生活に耐えられるかは疑問だが……どれほど乞われても許してはならない、と固く誓う。
ーーー皇国の安寧の為にも、俺が絆されて譲るわけにはいかん。
ダインスはそう決意を新たにしたが、一週間経ち、二週間が経過しても……アザーリエは、まるで動き出さなかった。
しかしその二週間、ダインスは別の意味で頭を悩まされることになった。
あまりにも完璧に自分の身の回りのことを自分でこなしてしまう、アザーリエに。
勘違いものの醍醐味は、お互いの意識のズレ。
次はアザーリエを失った母国の求愛者登場です。
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