妖女、隣国に売られる。
『ーーー貴族たる者、悪であれ。』
そんな家訓を持つ悪徳領主一家の長女アザーリエは、『社交界の妖花』『尻軽な男好き』『傾国の徒花』『貢がせ令嬢』など数々の不名誉な二つ名を賜っている。
半分は男性の間で、半分は女性の間で出回っているものだ。
殿方を婚約者のあるなし問わずにその色香で惑わせ、誘い、貢がせるだけ貢がせて、焦らすだけ焦らしてから捨てる。
それが社交界での、アザーリエの評価だった。
ーーーそんなこと、していませんのにぃ!!
妖艶で、色香漂うアザーリエ。
しかし実家での評価は『残念で役立たずな長女』だった。
『贈り物を断っただと!? 貰えるもんは貰ってこい!』
ーーーだってお父様、なんの見返りも差し出さずに、あのような高価なものは受け取れないですぅ。
『全く、王太子殿下にあれだけ熱烈に求婚されて断るだなんて、うちでなければ許されないことですよ?』
ーーーだってだってお母様、将来の王妃なんてわたくしにはとても無理ですぅ。
『姉様、なんでそこで、もっと色仕掛けしてうちに有利な取引を持ち掛けないの?』
ーーーだってだってだって、よく知りもしない人は怖いんですぅ。
『ねーしゃま! 今日もお胸がふくよかでしゅわー!』
ーーーうん、恥ずかしいからもふもふしないで? 触らせるのは貴女だけよ可愛い妹。
アザーリエは、コミュ障だった。
昔から殿方に体を眺め回されるのが常だったので、視線だけでゾクゾクして、萎縮してしまう。
そんな自分に、淑女の皆様も冷たい目線を向けてくる。
殿方に挨拶するだけのことすら声を震わせないようにするのがやっとで、囁くような声になるし、恥ずかしくて頬を染め、上手く話すことも出来ず微笑むのが精一杯。
それに、相手が女性でも自分から話しかけられない。
目線が冷たくて、そっけなくされたり嫌味を言われたりする辛い経験は数知れない。
人を使うのもお願いするのも苦手で、使用人に対してもそれは一緒で、何でも自分の手で済ませてしまう方が楽だ。
なのに、自分では分からない『色香』とやらが凄すぎて、殿方も淑女がたも、アザーリエ本人のことなんか誰も見てくれないのだ。
実家でも落ちこぼれ扱いのアザーリエは、唯一家訓に添う『悪女』の称号だけは貰えているけれど、嬉しいよりも自分には不相応ではという気持ちが拭えなかった。
めちゃくちゃ誘惑してくるのに手を出させても貰えない、と、声が大きい殿方や、勝手に惑わされた者たちの婚約者が悪評を立てまくっていく。
ーーーわたくしは、わたくしは本当に、そんなんじゃありませんのにぃ〜!!
陰口を叩かれるたびに、内心半泣きになりながら、アザーリエは頭を抱えていた。
しかしそんな様子すらも、目を潤ませて誘うような仕草に見えてしまうらしくて。
『また男を誘ってるぜ』
『本当に、どこまでも下品な……』
そうして、悪評だけが限界に達した時、お父様は言った。
『この馬鹿が! 自由恋愛という貴族悪すらまともにこなせねぇのか! もういい! お前は悪虐非道と噂の隣国の公爵に売る! 少しは悪というものについて分かるまで里帰りも禁止だ!!』
『ひぃ! は、はい、お父様! わ、わたくし頑張って参りますぅ!!』
ーーーそうして。
アザーリエは、隣国に嫁ぐことになった。
もちろん不安しかないけれど、少しだけお父様が結婚を決めてくれたことにホッとしてもいた。
これでもう、あの苦手な社交界で、大して知らない人々と話すことに怯えなくて済む。
公爵様との婚姻の契約では、『白い結婚でもいいし、妻としての務めも必要最低限でいい』ということだったので、本当にアザーリエにとってはいい条件だった。
ーーー子どもも作らなくていいし、人前に出なくていい!
アザーリエは、母になる自信などかけらもなかったから、最低限の務めの中に子作りが入っていないのがありがたかった。
それでも不安で押し潰されそうになりながら赴いた隣国で、旦那様になる方と顔を合わせた時。
彼の視線が好色さを見せなかったことに、嬉しさを覚えた。
『ダインス・レイフだ。アザーリエ嬢。そなたの噂は耳にタコが出来るくらい聞いている』
その視線が、国随一と言われる武門の長の、とてつもない威圧感を伴うものだったとしても。
※※※
「そなたに金は使わせん。社交界に顔を出すことも不要。一年後の婚姻までは部屋も別。結婚式を挙げる予定も、披露宴を行う予定もない」
「はい……レイフ公爵様のなさりたいように……」
破格の好条件に、アザーリエは淑女の微笑みを浮かべながら頭を下げて……正面から目を見るのは恐ろしいので、上目遣いに鼻のあたりに目を向けて答えた。
金はタダで手に入らないので、労働をしないのに与えないのは至極当然。
部屋が別なのは、落ち着きたいので問題ない。
人前に出なくてもいいし着飾るために色々しなくていいのは助かるくらい。
あっさり了承したのが何か気に入らないのか、ますます不愉快そうに眉根を寄せたダインス様は、一見すると恐ろしげな容貌をしている。
かなりの長身で、全身は筋肉の鎧に覆われており。
短く刈った髪は黒で、剛毛なのか逆立っている。
同様に黒く鋭い目つきと、頬から鼻筋にかけて走る刀傷は威圧感たっぷりだけれど、顔立ちそのものはよく見ればすごく整っている。
18歳のアザーリエより、8つほど年上だと伺っていた。
そのまま背を向けて部屋を出たダインス様に代わって、こちらも冷たい目をした侍女頭が部屋へと案内してくれる。
流石に北の角部屋ということはなく、客間を改装したらしい殺風景な部屋だったけれど、『用があればお呼びください』とだけ声をかけられてパタンとドアが閉まって、アザーリエはホッとした。
ーーーよかった。本当に苦手なことは何もしなくて良さそう……。
あれだけ使用人もそっけないなら、何も話しかけなくても良いだろうし。
ーーーよし。お父様に言われたとおりに、なるべく悪女として、頑張って振る舞いましょう!
むん、と一人気合を入れながら、運び込まれていた荷物から着替えをして、一人で荷解きをせっせと始める。
実家から、家事をする時に着ていたお仕着せを持って来ておいて良かった。
アザーリエは、家の仕事は使用人のものまで含めて一通り出来る。
何故なら、実家の家訓を遂行するために必要だったからだ。
我が家の家訓の全文は。
『貴族たるもの、悪であれ。ーーー貴族にとって一番の悪は、労働である! 誰よりも働け!』
だったから。
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