平穏な日々
「……ええと、これはこれでいいのか?」
目の前の書類とにらめっこ。
最近はだいたいそうしてる王子は、この日も書類の確認にいそしんでいた。
「この法案、大丈夫だよね」
「さて、どうでしょうな」
お目付役かつ相談役の貴族がとぼける。
それくらい自分で考えろという事だ。
学院を卒業した王子は、まずは官庁につとめる事となった。
まずは実務を見て、国政を動かすというのがどういう事なのかを知る。
その為に、下から順繰りに様々な事を見ていく。
いわゆる下積みというものだ。
もちろん、そのまま仕事に従事していくという事ではない。
あくまで現場の雰囲気や空気をしる事。
それが目的である。
将来、国の頂点に立つために、ある程度は状況を知っておくための。
なので、仕事もそうそう割り振られるものではない。
とりあえず手軽に出来る事をやって、どんなものなのかを知る。
それが終われば別の部署、次の階級へ。
全てが駆け足で行われていく。
そうして2年3年と過ごしてきた。
今、王子はとある省庁の部長の職についている。
普通だったらあり得ない出世である。
だが、仕事を知るために王子は既にこの地位についていた。
実務の伴わない、多分に名誉職のようなものだったが。
それでも上がってくる書類に目を通し、決裁をしていく。
問題なければそのまま通し、疑問があれば差し止め。
それらを判断していく。
今回、その仕事をするにあたり、補佐をつけられて様々な判断をしていく。
本当に難しいものは補佐についた者が処理してくれる。
だが、まずは全部に目を通せと、上がってくる書類と格闘していく。
「きつい……」
とりあえず午前中の仕事をこなし、王子は机に突っ伏した。
中央省庁の部長ともなれば、上がってくる案件はどれもこれも大事だ。
判断を間違えれば、それで国が傾きかねない。
そこまでいかなくても、一業種・一地域で問題が発生しかねない。
そんな案件が書かれた書類と戦わなくてはいけない。
「しんどい……」
頭が沸騰し、胃がすり切れそうな重圧を感じていた。
「これが毎日か……」
上がってくる案件は無くなる事は無い。
部長あたりでもかなりの大きな問題がやってくる。
この上にいけば、更に大きな問題が、山のように押し寄せてくる。
更にその上も…………。
「死ぬ……」
いつか全ての頂点に立った時。
これらとは比較にならない大きな案件がやってくる。
そう思うと、王子は死にそうになった。
「いっそ出奔しちゃおうか……」
そんな事も頭をよぎる。
さすがに実行は出来ないが。
だが、思わずやりたくなりそうになった。
「駄目ですよ」
お目付役・相談役の補佐がたしなめる。
「殿下にはやってもらいたい事があるんですから」
「そんな…………」
「卒業パーティで盛大にやらかしてくれましたからね。
やった事は最後まで面倒見てくださいよ」
「…………」
もう返す言葉もない。
卒業パーティでの一件。
それは王子に様々な試練を課す事になった。
元婚約者だった子爵令嬢とその一派。
それらを断頭台に送り込んだのは良い。
しかし、それによって様々な事が起こった。
国の問題を一掃したのは良い。
それ自体に問題は無い。
むしろ、やるべき事をやったといえる。
もし放置していたら、国の内部の問題が更に拡大してしまった。
取り除こうにも、それをしたら大きな穴を国政にあける事になる。
問題を起こしてる連中が、要所に入り込んでるからだ。
それらをこの段階で取り除けたのは、幸運と言えるだろう。
更に酷くなる前に手を打ったのだから。
それに、そういう連中はろくに仕事をしない。
給料泥棒というべき存在だ。
しかも、手にした権限を使って悪さをする。
周りの者達へのセクハラ・モラハラ・パワハラも問題になっていた。
そういう連中を一斉に取り除いたのだ。
不要な人件費を払う事もなく。
生産性や効率を下げる要因も消えた。
減った人手と上がった能率。
それにより、とりあえず今まで通りの現状維持は可能となった。
だが、しかし。
それでも負担が減るわけではない。
少人数で今まで通りの仕事をこなしてはいる。
つまりそれは、一人一人の負担が増大している事でもある。
一人あたりの作業効率が上がっても、負担が増えてはつらいものがある。
それもやむない事だが、新人が入って、それが育つまでは苦労が続く。
「そういう状態を作ったのです。
ならば、殿下には責任をもって仕事をしてもらいます」
「それはそうだけどさ……」
「分かって言えるなら結構なことです。
昼休みが終わったら、また頑張りましょう」
「うあああああ…………」
突っ伏しながら頭を抱える王子。
よかれと思ってやった事ではある。
放置できない事だったとは今でも思う。
それでもだ。
ここまで大変な事になるなら、もう少し緩やかにやるべきだったかなとも思ってしまう。
そうすれば、今こうして大変な思いはしてなかったかもと。
そんな思いをお目付役が打ち砕く。
「元気を出してください。
これでも以前より良くなってるんですから?」
「え、これで?」
「はい。
以前は、必要な事が書かれてない書類があがってきたりしてました。
そもそも、あげるべきでない、特定の利権絡み案件の書類も。
それでいて、あげねばならない書類が上がってこないとか。
そういう事が当たり前でした」
「それって……」
「あの連中、子爵家とその関係者がやっていた事です」
仕事を滞らせる。
それでいて自分たちの利権関係の仕事は動かそうとする。
更に、それらの責任を決裁責任者などになすりつけようとする。
それでは仕事が回らないと文句を言えば、なら俺たちの利権を保証する形で進めろという。
そんな連中が消えたのだ。
かなり状態は改善されている。
それが証拠に、今は必要な事案しか上申されてこない。
「それだけでも以前より良くなってるんです」
少なくとも無駄な仕事はない。
上がってくる書類も、以前より実は減っている。
「なので、これ以上楽にはなりません」
悲しくつらい現実が王子を襲った。
打ちひしがれる王子。
やった事は間違いないとは分かった。
しかし、仕事の重圧から逃れられない事も悟った。
そんな王子は、いっそ王位継承権を捨てて、適当な田舎でスローライフが出来ないかと考えはじめる。
もちろんそんな事出来るわけもない。
護衛という名の監視をつけられ、逃げようにも逃げられない。
そんな状態の中で王子は、唯一の安息地であるベッドに飛び込む。
今夜も枕を涙でぬらすだろう。
「もうやだ…………」
泣きたくなるような夜を、王子はもうずっと続けていた。
とはいえ、逃げるわけにいかないのも分かってる。
やらねばならない事はやらなければならないのだ。
そんな責任感にあふれる王子に、さらなる追い打ちが。
「まあ、仕事も大事ですが」
「そうですな」
「そろそろ」
「左様」
「新たなお妃候補をですね」
そういって仕事の合間などをぬって、釣書持参の側近が押し寄せてくる。
子爵令嬢という元婚約者の悪役令嬢。
それが消えて、貴族達の動きは活発化した。
是非、我が娘を、とあらゆる申し出が飛び込んでくる。
それらの決裁もこなさねばならない。
「王子殿下における、最初の重大決定事項になるでしょうなあ」
かかか、と笑いながらお目付役は笑う。
そんな彼を、恨みがましい涙目で見つめながら、王子は釣書の壁に囲まれていく。
「頼む、誰かなんとかしてくれ……」
王子の受難はまだまだ終わりそうにない。
平穏になった国の一角で起こる、ごく当たり前の日常。
その中で、王子は一人悲嘆にくれていた。
贅沢な悩みである。
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