149「家庭教師」
「昼間に寝ても、こっちで目覚める事があるんだな」
次に目を覚ますと、洋館ではなくオレの部屋の天井が視界に入った。
スマホを確認すると、夏休み3日目の朝だ。
時差ボケとかになったら嫌だなーと思いつつも、日課の『夢』の記録を始める。
今日の予定は、午前中にシズさんと天沢に会い家庭教師の相談をすること。午後3時くらいからは、タクミの行っているバイト先での面接。
場合によっては、そのまま軽く研修もあるとのこと。
タクミの紹介なので、よほど印象が悪くない限り採用決定らしい。
それは人が足りてなさすぎってことじゃないだろうかと、少し不安にもなる。
一通り『夢』の一日を書き終えてリビングに行くと、妹がダイニングの方で飯を食っていた。
「おはよう悠里」
「お、おはよう。名前呼びとかキモいんだけど」
微妙な目線で見て来るが、以前と違ってもうオレには通用しないので、そのままのノリを押し通す。
「まあいいだろ。今日も夏期講習か?」
「そうだけど、そっちは?」
「知り合いに家庭教師の相談とバイトの面接」
「フーン。陽キャ一直線じゃん」
「家庭教師は陽キャか?」
淡々と会話が続く。ここ1年ほどだと、かなり珍しい事だ。
「彼女の紹介なんでしょ。バイトもファミレスだってかーさん言ってたし」
「彼女じゃなくてクラスメートな。ちなみに先生も女の人だ」
この言葉に一気に食いついて来た。
今まで視線すら向けていなかったのに、上半身ごと向いて来て、身も乗り出し気味だ。
「どんな人?」
「めっちゃ頭いい美人」
「美人て言うとかキモっ! で、マジ?」
相変わらずの口調だけど、流石にオレ以外への汚い言葉は聞き流してはいけないだろう。
「オレのことはともかく、その人に失礼だぞ。それにマジ美人だから」
「あ、ごめん。女の人かー。私も塾より家庭教師の方がいいなー」
すぐに謝れるところは、変わっていない。願わくば、オレに対してもほんの少し言葉と態度を何とかして欲しいところだ。
「さすがに無理だと思うぞ。大学忙しいみたいだから。オレもクラスメートとセットだから脈ありなだけだしな」
「分かってるって、この陽キャめ」
「はいはい。まあ、オレの方がうまくいったら、一応お前のこと相談しとくよ」
「えっ、マジ? ま、まあ、期待しないで待ってるよ」
妹とまともな会話が成立したのは少し意外だったが、妙なことを約束してしまったかもしれない。
そしてそれをそのまま、シズさんの神社で話してみた。今日は神社の社務所の中で相談だ。
当然というべきか、シズさんは巫女姿だ。
また、天沢は俺より早く天沢も来ていて、なぜか彼女も巫女姿で神社の手伝いをしていた。
聞けば、急用で抜けた人の穴を埋める臨時のバイトだそうだ。そして時折、巫女のバイトというか手伝いをしているらしい。
もっとも、人見知りが強いので裏方ばかりしているらしい。
ただし、オレにとって天沢の巫女姿が初めてなので、とても新鮮だった。
けど、もう少し顔を見せれば、もっと可愛いだろう。
「レナとショウのついでにもなるが、それでいいなら妹さんの勉強を多少見るのも引き受けられるかな」
「えっ、いいんですか?」
「もちろん相応のお代はいただくぞ。ついでになるから、格安で構わないがな」
「大学生って、夏休み大丈夫なんですか?」
「大学生に夏休みの宿題は無いよ。それに私は、クラブやサークルに入ってないから、バイト漬けの学生と同じだ。幸い、こうして引く手数多だしな」
シズさんは軽く話しているが、入学頃の3月末から4月だとあっちの事でドン底の心理状態だろうから、楽しい大学生活の始まりどころでは無かったんじゃないだろうか。
と、玲奈と二人して同じように思っていると、それがオレたちの顔にも出ていようだ。
「変に気を回さないでくれよ。それに何もなくても、サークルなどに入る気は無かった。国家資格の幾つかを在学中に取るつもりだから、大学では勉強に専念したいしな」
「私達の家庭教師はいいんですか?」
「ショウ達は、レナの勉強を見るついでくらいに思ってくれ。それに3人になると、家庭教師というより個別指導にしてもいいぞ。場所はうちか神社の社務所になるが」
「オレは全然構いません」
「わ、私も。でも、ここ使って大丈夫なんですか?」
確かに気になるところだ。部屋の隅には、神社の備品も積んであったりする。
「うん。お盆と秋祭り、正月あたりは無理だから、その場合お休みか別の場所、もしくは本当の家庭教師にしよう」
「はい。了解です」
「私もそれで構いません」
「うん、すまないな。あ、そうだ、ショウの数学は私は見ないと思うぞ」
シズさんの言葉に自然と首を傾けてしまう。
「誰か別の人ですか?」
「うん。数学、物理を教えるのは得意じゃないんだ」
「学力の底上げとなると、数学は必須ですよね。誰か紹介してもらえるんですか?」
そこでシズさんが、少し悪戯っぽい視線を投げかけてくる。
オレの心を弄ぶ時の目だ。
「多分、目覚めたら分かるよ」
その言葉に見事に弄ばれた。
ただその時、シズさんが少し顔をしかめたが、それも一瞬の事だった。
「それって、向こうのシズさんじゃないですよね」
「あ、ああ。ただ時差就寝の影響で、記憶が抜け落ちているから、今は勘弁してくれ。それに色々と向こうの事で認識できていない。ショウと寝た時間が違っているんだろうな」
なるほど、オレが夕方前に寝てしまった影響なのだろう。
「オレが昼に寝たせいで、記憶が抜けているんですね。俺もなんか違和感あります。でもその人って、答えがほぼ見えている気がするんですが」
「そうだろうな。それと多分だけど、ショウか私の記憶は向こうで一日抜け落ちると思うぞ」
思わぬ言葉がシズさんから出てきた。
しかしその事を問う前に、横から玲奈のやや切迫した声に遮られた。
「あ、あの、その人って。『夢』の向こうで二人と一緒に居る人ですよね?」
ハルカさんの素性は、名前を含めてプライベートは伏せたままだから、気になったのだろう。
「うん。向こうの話をして済まないな。ただレナは数学はできるし、その方が効率もいいと思うんだ」
「い、いえ。けど、どんな人か、ちょっと気になります。ショウ君の話にはよく出てくるけど、何があったかくらいしか聞いてないですし」
「こっちで会えたらいいんだけどな」
心の底からの言葉が思わず出てしまった。
玲奈もオレの言葉に肯定的な表情なので一安心だったけど、注意しないといけないだろう。
「そうするために、これから旅に出るんだよね」
「そうだけど、すぐには無理だろうな」
「まあ、長丁場になるだろうな。分からないことが多すぎる」
「あ、ごめん。こっちの話に戻しましょう」
「うん。悪かったレナ。それでだな……」
と、今後の打ち合わせをして別れ、一旦家で昼食と着替えを済ませ、いざバイトの面接会場というかバイト予定のファミレスへと向かう。
なお、今までのオレにバイト歴はない。
中学の部活での強制ボランティア活動や、強制フリーマーケット参加がちょっと近いくらいだろう。
しかし意外に緊張していなかった。
向こうでそれなりに修羅場をくぐってきたおかげかもしれないし、魔物退治とはいえ自分で金銭を稼いだことがあるからかもしれない。
それに最初から顔見知りがいるというのも大きい。
「うん、採用ね」
「ありがとう御座います。よろしくお願いします」
キリッとお辞儀をする。お辞儀は、中学時代に剣道で慣らされているので失礼もない筈だ。
店長さんもウンウンと頷いている。
「見た目、態度、姿勢全部悪くないし、フロアしてもらってもいいかも。フロアとキッチンどっちがいい?」
「店長、キッチンって話でしょ」
「こいつ、いや月待はそこまで陽キャじゃないんで、キッチンで様子見。フロアはキッチンに慣れてからヘルプの時に考えるってくらいでお願いします」
同席したタクミとチーフの二人の連係プレーに、店長が両手を胸の前に上げて「まあまあ」という仕草を見せる。
「チーフも元宮君も分かってるって。けど、これから忙しいから助かるよ。研修期間になるけど明日からいける?」
「はい、大丈夫です」
「うん、ありがとう。最初は1日当たりは短時間で。サポートもしっかりつけるから、まずは慣れて。あとできれば、しばらく慣れる為に、できるだけ毎日シフトに入って欲しいんだけど」
「全然構いません」
そこで家庭教師の日と講演会を考慮して、その日以外で平日は数時間、土日は食事時間を中心に長めで、当面の出勤スケジュールを組んでもらった。
そして今日はこれで終わりと思ったのだけど、このところのオレはトラブルに愛されているようだった。
帰り際に、急用でバイトに来れなくなった人が出てシフトに穴が空いたのだ。
そこで店長以下に拝まれる形で、ごく簡単な雑用ばかりという条件で、夕食タイムが一段落する時間まで初バイトを体験をさせられてしまった。
そしてその帰り際だった。
「ショウお疲れ。それとマジ助かった。明日からもよろしくな」
タクミはそう言うと、軽くオレの肩甲骨のあたりをパンっと軽く叩く。
「こっちこそ。色々教えてくれな」
「意外に疲れてないな?」
「いや、疲れてるって。緊張したし、初めての事ばっかりだし」
「その割には普通に見えるな。……ショウって入学頃に比べるとタフになったよな」
気遣いができる上に観察眼も鋭いので参考になる。
とはいえ、オレへの評価となると自己分析出来ないので、今ひとつ感覚が掴めない。
「そうか? 鍛えたりはしてないけど」
「精神的にだよ」
「だと良いけどな。そんな気は全然ないし」
「まあ精神面だとそんなもんだろうな。……やっぱり、向こうでの経験のせいか?」
タクミの声が徐々に真剣味を増しているように思うのは、気のせいじゃないだろう。
「どうだろ? 多少度胸はついたかも。けど、こっちとあっちじゃ体の能力差があり過ぎるから、荒事はごめんだけどな」
「ギャップや違和感とかあるのか?」
「そういうのは、朝起きた時に少し感じるくらいで、普通の夢を見た後に起きたのと似てると思う」
「なるほどねえ。それでさ、向こうで何かするってのだけど、何か追加のアドバイスとかないか?」
思いの外真剣な視線だ。思わずこっちが居住まいを正そうかと思う程だ。
「タクミ、お前本当にあっちに行きたいんだな。……そうだなあ、オレここ2日ほど『ダブル』がいっぱいる街にいたけど、ギルドで自警団してる人もいたし、普通にエンジョイしてる女子勢とか色々だったな」
「自警団か、そういうのもありかもな。職人とかは?」
「イタリアン風レストランしてる人がいた。あとバンドマン」
「そんなのでもいいのか?」
「どうだろ。そういうのがしたいと思って向こうに出現出来たってワケじゃないと思うな」
「そっか……」
タクミの「そっか」の一言は、意外に重かった。





