267「抜け駆け(1)」
「ん? 何か決めたの?」
広間の一画で女性陣と共に寛ぎモードのハルカさんが、オレの顔を見ると静かに口を開いた。
そのハルカさんを、悠里が興味深げに見ている。
そしてハルカさんの言葉で、オレに視線が集まった。
「うん。決めた」
「何をだ? と問いたいところだが、まあ男衆も座ったらどうだ。クロ」
「はい、少々お待ちください」
シズさんの言葉に、部屋の一角に据えられたバーカウンターにいたクロが、すぐに人数分の飲み物を用意する。
こうしていると、バーテンダーのようでもある。
そうして全員がソファーなりクッションなりに腰掛けるが、まるで異世界温泉旅館にでも来たような雰囲気だ。
何しろ、レイ博士の館に用意されていた客人用の寝巻きとも言える服が浴衣だったからだ。
丹前まで用意してあるので、着ている者もいた。
竜人用は流石に無かったが、それもスミレさんが専用の服を短時間のうちに作り出していた。
あまりの器用さと便利さに、みんな「なにこの便利なゴーレム」と口にしたり思ったほどだけど、ゴーレムを作る人を主人とするのに相応しいゴーレムなのは間違い無いだろう。
そしてもう一つ思い至った事は、スミレさんはクロとセットで『客人』に色々な初期装備を用意する役割なのだろうという事だ。
この事については、いずれ秘密を知る者だけで話し合うべきだけど、今は魔物との戦争を片付けるのが先なので、それはまた次の機会になりそうだ。
なお、スミレさんの事は横に置くとして、レイ博士の館には来客用の準備はかなり豊富に用意されていた。
館が広いというのもあるだろうが、博士が何を思って用意したのかと思うと、少しばかり哀愁を感じてしまいそうになる。
(今度遊びに来よう)と思うほどだ。
そうした妙に充実した環境の中、オレ達と幹部全員が飲み物を持った所で再びシズさんが口を開いた。
オレ達の中では、シズさんはすっかり参謀役だ。
「それで、なにを決めたんだ?」
「あっちがその気なら、こっちも好きに動いてやろうかと」
「具体的には?」
「えーっと、全体地図と戦場の地図を用意してくれますか?」
「少々お待ち下さいませ、新たな主人様」
すぐさまスミレさんが用意してくれる。
地図と簡単な駒があり、それを的確に配置していく。この正確さは、ゴーレムならではと言うべきなのだろう。
その地図に全員が視線を注ぐ。
地図の周りにいるのは、オレ、ハルカさん、シズさん、ボクっ娘、悠里、レイ博士、ホランさん、ガトウさん、ニオさん、ラルドさんだ。
フロにまだ入っていない警備隊の竜人と獣人の人達も同じ部屋に居るが、彼らは少し後ろで話を聞いている。
地図は二つ。全体地図はノヴァ一帯の学校の授業で見たような東ヨーロッパの一角の地図がある。
現実世界ではイスタンブールに当たる場所にノヴァトキオがあり、そこから北と西に100キロから150キロほど進んだ場所が、魔の大樹海の境界線になっている。
その大樹海は、『ダブル』が来る前からもともとあったものと少し違っている。
ノヴァのあたりが切り開かれているが、逆に15年ほど前に『ダブル』が起こした大戦争の後に北に大きく広がっている。
その大樹海の北限はハンガリーの辺りにまで広がり、ルーマニアとブルガリア、ユーゴスラビア地域の半分以上を覆っている。
当然だけど、オクシデント最大の森林地帯で、特に中央部は魔物が多数いる上に澱んだ魔力が濃すぎて、人が住むことができない。
上空は澱んだ魔力を多く含んだ雲が出来るほどだ。
古いオタクの『ダブル』は、大樹海じゃなくて恵みをもたらさない森という意味で『腐海』と呼んだりもする。
こっちの人たちは、樹海や森ではなく、もっとストレートに『魔界』と呼ぶことがある。
以前国があった古い城跡の一つには、魔王と呼ぶべき強さをの上級悪魔たちが巣食っていると噂されていた。
しかもその城は、オレ達の世界での吸血鬼ドラキュラのモデルになった人が住んでいたという場所にあるというのだから、『ダブル』から見れば中々によく出来た舞台配置だ。
しかし、魔物達が大規模な組織や群れを作って人の世界に攻め寄せるという事態は、ここ百年程は見られなかった。
魔物は生き物、特に人を憎んでいるというが、基本的に文物を作る能力に劣り、組織力にも劣る。だから、散発的に少数の群れで樹海の外縁部の人の領域にちょっかいかけてくるのがせいぜいだ。
下級悪魔が出ただけで大事件扱いされる程だ。
それに樹海の周りの国々と神殿組織も、樹海の周辺部には魔物に十分対処できるだけの兵力を置いている。
樹海から出て来ない様に、巡回や警戒も十分している。
ノヴァには神殿組織の戦闘部隊、つまり神殿騎士団は駐留していないが、それはノヴァが新興すぎるのとノヴァ自体が不要だと言い切っているからだ。
そして魔物はバラバラで樹海から出てきて、ノヴァの場合だと市民軍の警備隊や『ダブル』の冒険者などに、その都度潰されてしまう。
しかも『ダブル』の場合は、ある程度樹海の中に入って魔物狩りをするのが普通なので、溢れてくることもここ10年ほどは珍しかった。あっても規模は限られていた。
今回、ノヴァに魔物の大集団が攻め寄せてきたのは例外的だ。
ノヴァが長年かけて大樹海の伐採と開拓を進めてきたので、魔物から見れば、テリトリーを守るための防衛行動だと考えられている。
その証拠に、北の方で魔物の大群が攻め寄せてきたという話はない。
このため「いきすぎた開発」と非難する声が、ノヴァの『ダブル』の一部から上がっているそうだ。
しかし15年前に大樹海の辺りにあった国を滅ぼして、澱んだ魔力が渦巻く大樹海を広げた原因が『ダブル』にもあるのだから、人の世界を取り戻すのも『ダブル』が率いるノヴァトキオがするべきことだろう。
だいいち、魔物は高い知性を持つ生き物を憎む存在だ。放置しておいて良いわけがない。
そのくらいの事は、新参で外野扱いのオレでも何となく理解できる事だ。
反対だと騒いでいる連中は、現実逃避先でさらに現実逃避しているだけで、始末に負えない。
それはともかく、今はオレがやろうとしている事だ。
「これを見て下さい。夕方からぼんやりと考えていた事なんですが、レイ博士の館は面白い位置にあります」
「側背を突くのですか!」
「そりゃいい!」
「私も賛成です!」
指で示して手を少し動かすと、エルブルス警備隊の幹部3人が真っ先に声をあげた。
もう説明もいらないと言いたげな顔で、3人とも歯を見せて獰猛な笑みを浮かべている。
昨日の夕方から大人しくしていたが、やっぱり含むところがあったんだろう。
「えーっと、もう少し説明してもいいですか?」
「あ、ああ。だが、先があるのか?」
一番乗り気な表情のホランさんが、少し怪訝な表情を浮かべる。
「側背を突くのは、多分ですけどノヴァの空軍がすると思います」
「男爵婦人は、大胆な行動好きだものね。それで私達は?」
ノヴァの事情に詳しいハルカさんの言葉で、さらにオレに注目が集まる。
だからオレは、伸ばしたままの指をさらに動かしていく。
「側背を突くであろう友軍をさらに迂回する、それは分かった。そこには何がある? 本陣か?」
「本陣があるなら、出来れば避けたいですね。強いヤツがいそうだし、ノヴァの為にみんなを無用の危険にさらしたくはないですから」
真っ先にシズさんが疑問を提示してくれたので、それにまず答えると、続いて家臣の人たちが順に疑問を並べていく。
「本陣以外となると、増援でもいたのですか?」
「それ以外となると普通は補給線ですが、魔物の集団相手では補給部隊を叩くなどと言った芸当は無理です。我ら竜人以上に、奴らは魔力だけで動きますからね」
「それに坊主、澱んだ魔力の多い森は、連中にとって手掴みで食い物があるような状態だぞ」
「それはオレも分かってます。だから、敵の背後で出来ることをします」
オレの言葉に、ほとんどの人が頭に疑問符を浮かべている。
しかしシズさんは例外だった。
「連中の後方を焼くのか?」
オレはその言葉に強めに頷いた。
それにホランさんが、理解を浮かべた顔に獰猛な笑みを加える。
「樹海を広く焼いて敵の退路を絞り、そこを叩くって寸法だな」
「しかし、あれだけの大樹海で大規模な森林火災は、シズ殿の力を持ってしても非常に困難です、ショウ様」
エルブルス同様に、ガトウさんが尤もな疑問を呈する。
けど、我に策ありだ。
「だから手順を踏みます」
そこでレイ博士が俯きながら「フッフッフッ」と不気味に、いや不敵に笑う。
そして顔を上げると、わざわざ魔法を使ってメガネを光らせている。
演出好きだなあと、生温かい目で見てしまいそうになるが、それ以上に光らせる為の手の魔法陣が少し物悲しく思えてしまう。
「サウナに入っている時、ショウ君と吾輩でもう策は練ってあるぞ」
「博士も参加するの?」
「もちろんだ、レナ君。吾輩もノヴァのマウント取りどもに一泡吹かせてやりたいからな」
そこで終わればまだ格好がつくのに、ブツブツ「吾輩を道具扱いにし、今まで散々蔑ろにした連中なぞ……」と悪口をしばらく続けている。





