胡蝶の夢~ふたりの今日もなんてことはない放課後~
タピオカミルクティーを啜り、スマホを片手に朱葉は唐突に口を開いた。
「ちょうちょの夢って見たことある?」
「ちょうちょ?」
ホットコーヒーをちびちび飲みながら瀬芹(猫舌)は読んでいた本を閉じた。
「そう、ちょうちょ」
「……ない気がする……そもそも虫の夢って見たことないかもな。嫌いだし、虫」
「瀬芹は胡蝶の夢って知ってる?」
「中国の……故事? だっけ?」
「そうそう。昔々胡蝶の夢見たおっさんが」
「おっさん」
「おっさん。たぶんおっさん。そのおっさんが自分が夢を見ていたのか自分こそが胡蝶の見ている夢なのかーって悩むやつ」
「雑ぅ」
瀬芹は思わず突っ込んだ。
「なんかねえ、最近うちらの高校で噂になってんの。同じちょうちょの夢を見る話」
「同じちょうちょ」
「青っぽくて丸っこいちょうちょ」
「……狸?」
「某狸じゃない」
ぴしゃりと朱葉はそう言った。
「なんかうちのクラスの子の先輩の彼氏のクラスメイトの後輩の妹の……」
「なんて?」
長くなった人間関係に思わず瀬芹はツッコミを入れた。
「えーっと、瀬芹が切るからもう人間関係忘れたじゃん……とりあえず知人の知人がその夢を見たのが発端なんだって」
「ふーん……まあ可愛いもんじゃん。同じ夢を見る、なんて」
「ここからが本番」
「……怖い話?」
「怖い話」
「聞きたくない」
瀬芹は素早く耳を塞いだ。
「聞け」
朱葉は瀬芹の腕を強引に押し開けた。
「……聞きたくない……」
瀬芹は呻いた。
「ちょうちょの夢を見た人は皆その後、死者と会うんだって」
朱葉は思いっきり声を潜めてそう言った。
「なんかあんまり怖くない」
「なんで!?」
「言い方? ハードル? とにかくすべてをくぐり抜けていった」
「ちくしょう」
朱葉はちっと舌打ちした。
「ちょうちょが死者の魂を運ぶって話ならそういえば聞いたことあるな……いやあれは創作だっけ?」
「知らないよ、瀬芹が普段読んでる本の話なんて」
「はいはい。そうだ夢と言えばさ」
瀬芹はなんとなくその話を思い出した。
「怖い話?」
「怖くはない話」
「ならどうぞ」
「うん。昔の日本人はさ、夢に誰かが出てくるとその誰かが自分に会いたがってるって解釈したんだって」
「おしまい?」
「おしまい」
「つまらん」
「はいはい」
朱葉はスマホを高速でいじり始めた。
瀬芹も本に視線を戻した。
その夜、瀬芹は夢を見た。
青くも丸くもない、アゲハチョウの夢だった。
自分がこれから死者に会うのか、朱葉が自分に会いたがっているのか。
瀬芹は放課後に朱葉に会うのを少しだけ楽しみに思ったが、その夢のことすらもすぐに忘れ去った。