7 戻る日常、しずかな変化(2)
エウルナリアは遠征後、急に「寮に入る」と言い出した。サングリードから帰ったのが昨日の朝なので、丸一日かけて入寮を済ませた形になる。
バード家の令嬢は、相変わらず思い立ったあとの行動が早い。――問題は、なぜ? だ。
シュナーゼンも、グランも、レインも。
事情は帰国後の解散前、エウルナリアの父である歌長に呼びつけられて直接聞いた。現場に駆けつけて彼女を救出したのはアルユシッド皇子なので、ある意味間接的ではある。
『婚約者候補の君たちだから、包み隠さずにおくけど』
と、前置きされたそれらの全容を思い出し、シュナーゼンは再び肚の底がむかむかするのを感じ始めていた。
―――が。
「シュナ」
呼び掛けに、はっとする。
声の主に目をやると、とんとん、と眉間の辺りを指で叩いていた。
(かお、すげーことになってる)と、口がぱくぱく動いている。
銀の皇子は思わず、ふっと軽く吹き出した。そのまま、くくっ……と声を漏らし、体を折って衝動に耐える。
「あ、ありがとうグラン……君って、ほんと癒されるわー…」
「あんたの感性、やっぱおかしいよ」
心配して損したと暗に伝えてるのかな、と解釈した皇子は更に、コロッと機嫌を良くした。
「任せて。変人であることは、打楽器奏者の第一条件だ」
「そこは誇るな。つうか、胸張んな。大陸中の打楽器奏者に泣いて謝れ」
どこまでも素っ気ない態度を崩さない赤髪の青年に、シュナーゼンはくすくすと笑う。
「仲、いいねぇ」
鈴をふるような声も加わる。
練習室は暫し、ほわほわとした空気に包まれた。
* * *
「で、選曲なんだけど。これなんてどう? “金管と打楽器のためのアンサンブル vol.5”」
「えー。なんか、真面目だねそれ」
思ったままに振る舞う銀の皇子に、黒髪の令嬢は束の間、眩しそうに目を細める。しかし笑顔のまま、決然と断言した。
「真面目でいいの。課題なんだから」
「レインはどうする?これ、ピアノ譜ないだろ」
ぴら、と頁をめくり、裏を確認するグラン。かれは意外にも面々の中で、最も繊細だ。エウルナリアは微笑んで、ゆるく首を傾けた。
「…レインはいいの。二人のアンサンブルに即興で入れる。そこは、アレンジして書き直さないといけないけど、やるよ」
「で? 当のレインはどこ。確かにまだ音を合わせる段階じゃないけど」
ぴく、と少女が反応した。
「さぁ。男子寮でいろいろ、あるんじゃないかな」
(……)
(………)
二人の男子は、神妙な顔になった。
――これは、あれだ。重症というか確実に何かあったなと察する。
グランは少し、物言いたげな顔をしたが結局は何も言わなかった。対してシュナーゼンは……果敢にも切り込んだ。
「なにか、あった?」
「…!」
(ちょっ…、お前、もっと言い方あるだろうよ!)
内心での突っ込みに終始してしまう、自分の繊細さがいっそ恨めしい。仮にも自国の皇子殿下に“あんた”、“お前”呼ばわりなのは気づかなかったことにした。
「……ううん、なにも?」
それだけにこり、と告げて立ち上がると、使わなかった楽譜をまとめて胸の前に抱えた。
「本、戻して来るね」と足早に退室してしまう。
ぱたん、と扉の閉まる音のあと。
グランとシュナーゼンは、顔を見合わせた。
「…知ってる? 女の子があんな風にいうときは、大抵なにかあったときなんだよ」
「詳しいな、皇子さま。何それ、経験?」
軽口を装うが、紺色の瞳にはちょっとした苛立ちが見え隠れしている。
銀の皇子はしれっと、悪びれずに答えた。
「いいや。姉が前、そう言ってた」