56 託宣か、意思か
オルトリハス国王と後見役の部族長との会見が終わり、人心地ついた一行は二手に別れることになった。
当初の“草原との盟約を結ぶ”という目的は一応達成できたので、本来ならばすぐに侍従らを残してきたエナン山脈沿いの宿場町にとって返し、砂漠に向かわねばならないのだがーー
『カイザを保護してくれてありがとうね。特に……きみ? 良かったら塔に招待したいな。ぜひ、おいで』
『? 私……ですか?』
『そう』
巫覡キオンの何気ない一言は、セヌー老と国王カイザが退室してゆるんだ部屋の空気を一気にかっさらった。緊張とはまた違う、一種独特な戸惑いに場は支配される。
名は呼ばれなかったものの指名を受けた少女は、最適な言葉を返すべく速やかに思考を巡らせた。
(草原では、この上なく神聖な立場のかたの筈なんだけど……異国の娘が直答していいものかしら。まさか私一人、ということはないだろうし……)
一つ頷き、澄んだ青い目でひた、と見返す。
『もちろん。光栄ですわ。あの……皆で訪れても?』
『それはだめ。“星読みの塔”は、いわば国家機密の宝庫だよ。おいそれと多人数の部外者に見せられない。皇子と皇女と、そっちの彼もすごく好みなんだけど。他国の皇族を引っ張り込んだとばれると後でうるさいからね。周りが』
『……』
一部、不穏な動機が見えた気もしなくはないがエウルナリアは熟考した。相手が相手なので無下にもしづらい。
『ではーーー』
……と、下した決断が妥協案となり、現状となっている。
* * *
「ほおぉぉらね! お前がエウルナリアどのを放っとくわけないと思ったんだよ」
「人聞きの悪い。こんなに綺麗なひとを目にする機会はそうそうないのに。ん? それとも焼きもち?」
「……キオンに、綺麗なひとを正しく鑑賞できる良識があるとは思えなかったんだよ。もういいよ、好きに言えよ……
すみませんエウルナリアどの。こいつ、好みの顔には見境がなくて」
境というのはこの際、男女のそれも含まれるのだろうか……と思いつつ、令嬢はにこ、と笑んだ。途端に場がゆるやかにほどけ、花が咲いたように綻ぶ。
「いいえ、こちらこそ。一人では心許ないと陛下にまでご同行をお願いしてしまって……恐縮ですわ。申し訳ありません、ご公務も……あったのでしょう?」
実際、端を発したのはキオンの誘いだったが、それを受けるために我が儘を通した自覚はある。レインなどは最後まで反対していた。ロキに『過保護ですよ』と諭され、最終的にはこのような形となったが……
カイザは、ふるふると頭を振った。真っ直ぐな黒髪がさらさらと揺れ、弾かれる白い光につい、視線を持っていかれる。こうして明るいなかで眺めると中性的ですらある。とても、うつくしい少年だった。
「気にしなくていい。国政でおれが決めることなど何もない。貴女をこの馬鹿から守り、もてなすことの方がずっと大事だし、理にかなってる」
「そ……そうですか?」
話しながら、三名は螺旋をえがく階段を昇っていった。三本ある塔のうち、一番高いもの。これがキオンの住居であり職務の場らしい。
一階は広い応接間のようになっていたが、あとは全て塔の頂部分に集中しているのだとか。
ーーふと。
エウルナリアは足を止めた。
むき出しの石を組み、木窓を開け放った窓辺から臨むはるか北方、薄青くけぶるエナン山脈に視線を送る。
(そろそろ、サーラ達は行ったかしら……)
現在、皇子と皇女、それにロキは先行して都を発ち、当初の予定どおり北の宿場町へと向かっている。
もう一人の騎士シエルとレインは、昨夜の宿で待機。エウルナリアが戻った時間に応じ、出立の日を明日へと延べることになった。
あとで、従者からたくさん怒られるのだろうな……と考えた姫君は、なんとなく目を細める。いわゆる遠い目だ。
急に立ち止まり、窓の外を黙々と眺める客人の思考を見透かすように、青年が側に立ち、呟いた。
「……皇子達が気になる?」
羊毛の室内履きなので、かれの動きは額と手首の飾りが鳴る音か、衣擦れのさやかな音でしか判別できない。
こうして静かに歩み寄られると、全く気づけなかった。
「えぇ。私がいても、殿下がたの助けとなれるわけではないのですが……友人としても家臣としても、必用としていただければすぐ支えになって差し上げたいと。大事な方々です」
「ふう、ん……? 気になるのは、実は恋人のほうではないの? あの栗色の髪の美少年。ただの従者には見えなかったけど」
「え? あの……巫覡、さま?」
「キオンでいいよ。きみ、気に入ったから」
窓辺に、しどけなく肘をついて小柄な少女を覗き込む青年巫覡は、なまじ動きが自然なので、防ぎづらい距離の詰め方をする。
今も、初対面のわりに近い。つられてまじまじと眺めてしまったがーーーかれは、どこか人懐こい獣のようだ。しかも真意や正体は巧妙に隠すタイプ。例えるならば……
「天から遣わされた、神獣か鳥のような方ですね。キオン様は」
「うん? それは興味深いね。なぜ?」
ぐいぐいと、二人の近さに気づいたカイザから「近いぞ節操なし」と押しやられ、窓辺から遠ざけられてもキオンは変わらず飄々と会話を繋ぐ。
護衛よろしくエウルナリアの前に立ち塞がった少年王の頬を両手で挟み、楽しそうに撫で回しさえした。おそろしく余裕のある態度だ。
思わず、それにくすり、と笑みを溢しつつーーエウルナリアは一気に告げた。
「だって。キオン様は無私の心のつよい方とお見受けします。女王ではなく、王を。しかもカイザ様を選ばれたのは革新派のセヌー老と示し合わせてのことでしょう?
……名高い、星読みの託宣あってのことなのでしょうか。カイザ様を愛しんでいらっしゃるのは誠のようですが。
私だけを塔に招いてくださった、その意味も教えていただきたいのですけど……如何でしょう?」
笑み綻ぶ顔は花のよう。しかし余人のいない今、はっきりさせておきたい事柄に関して令嬢は一切退く気がなかった。