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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 迫る秋(一)
50/244

50 采配か、悪戯か※

 一行が食事も終えて、さぁ部屋に戻ろうかと旅籠(はたご)の受付――長く伸びた焦げ茶色の記帳台横にある木の階段を昇ろうとした、そのときだった。

 端正な宿の雰囲気にそぐわぬ、騒ぎの気配が耳に届く。


「――だから、言ってるだろう。一晩泊めてくれと。宿代は明日、かならず支払わせるから!」


 (? この声……どこかで聞いた……?)


 声の主はおそらく少年。凛としてどこか涼やかな、温度を感じさせない声質(せいしつ)。ひとにものを命じることに慣れた声音(こわね)だ。


 エウルナリアは、きょろ、と辺りを見渡した。(きざはし)の半ばまで上がっているため、エントランス全体は容易に見通せる。


 やがて探すまでもなく当の現場は目についた。カウンターで受付係と思わしき男性と少年が一人、何事か揉めている。


 男性――奥でなにか調理にも携わっていたのかもしれない――は、ため息とともに前掛けで手を拭きつつ、キィ……と蝶番を軋ませ、カウンターのこちら側へ来ると、ぽん! と少年のつやつやとした黒髪に分厚い手のひらを置いた。


 とたんに、きっ! と睨みあげた少年の顔が壁際に灯された蜜蝋の明かりを受け、(あらわ)になる。

 黒髪黒瞳、年の頃は十二~三歳。大人びた眼差しで、身に付けた着物は青紫に染められた絹。銀糸で複雑な紋様を刺繍してあり、上掛けは縁の白い当て布を施された海老茶色の長衣。見るからに上流の子息だった。しかし―――

挿絵(By みてみん)


「!!」


 エウルナリアは息を呑んだ。

 あの声、あの雰囲気。覚えている。あれは……


「……エルゥ? どうしました」


 答える(ひま)はなかった。

 ぱっと身を翻したエウルナリアは昇った階段を急ぎ降りる。主の動向に気づいたレインがすかさず後を追った。

 トントン……と、もどかしげに段を踏み、人垣を分けて素早く少年の元へと近寄る。

 ……――いけない。はやく助けないと。


 少女の焦りを余所(よそ)に、男性は訝しげにじろじろと(くだん)の少年を眺めみる。まさに値踏みの視線だ。


「どこのいいとこの坊っちゃんか知らないけど。だめだよ、お付きの人は? それともまさか……家出?」


「よ」


 『よくわかったな』とでも言いたかったのかも知れない。が、少女の到着のほうが若干早かった。

 少年の肩に手を当て、ぐっと引き寄せる。思いきり抱き締めた。

 ……当たり前だが、腕のなかの身体は驚きに固まっている。ついでに、その表情も。


「……ッ……ぇ??!」


 身長はかろうじてエウルナリアのほうが高い。彼女は顎の下あたりの少年の旋毛(つむじ)に視線を落とし、すぅ……と息を吸うと、一世一代のちょっとした小芝居のつもりで震える声を模した。


「もうっ……探したわ、この子ったら! 心配したんだから!!」


「っ! えっ……えぇええ???」


 慌てふためく少年は長めの前髪、短い襟足のさらさらの黒髪。整った品のある容貌。涼やかな目尻の睫毛が印象的な夜の色の瞳は大きく、潤んだようにうつくしい。


 青色の双眸という違いはあったが、たまたまオルトリハス風の薄紫の衣装を(まと)っていたエウルナリアと少年は、傍目に姉弟と見えなくもない。

 受付係の男性は、目に見えてゆるゆると警戒を解いた。(たちま)ち接客用の人懐こい笑顔となる。


「なんだ、姉さんか。まったく……坊っちゃん、悪ふざけも大概にしてくださいね? えーとお客さん……って、あれ? 記帳したのと人数違いません?」


「えぇと」


 しまった、と反射で身構える。


 ―――が、「失礼」と。

 すっと少女の前に立つ人影が現れた。

 閃くように光を弾く、艶のある長い栗色の括り髪。広くなりつつある背中。レインだ。

 世慣れた風の美少年は、にこりと笑んで目の前の男性に告げた。


「すみませんね、こちらの手違いで。これ、少ないかもしれませんが……足ります? あ、部屋の変更は結構です。あとで軽めの食事を運んでもらえると助かるんですが」


 レインがそっと、男性に手渡した“何か”はチャリ……と微かな音を立てた。布にくるまれてはいたが明らかに金子(きんす)だ。


 (レイン……! いつの間に、そんな技を!!)


 主の少女は思わず、驚きに目をみはる。

 視線を感じ、ちらっと横目で元いた階段の辺りを窺うと人混みの向こう、頭二つは抜きん出た上背のあるロキの顔が見えた。


 かれは目を細め、人差し指を口許に添えている。

 ――なるほど。

 文字通りロキの差し金かと納得する。


 受付係の男性も、布の中身を確認すると手のひらを返すようなにこにこ顔となった。

 あまつさえ「畏まりました! じゃああとで、四人部屋にお夜食をお届けに上がりますね!」と、ご機嫌である。揉み手までしかねない。

 なんだなんだ、と集まっていた人垣も三々五々、ばらけていった。


 エウルナリアは、安堵の意図を込めてきゅっ……と、少年の肩を抱く腕に力を込める。咄嗟(とっさ)に飛び出してしまったが、これで良かったのだろう。なぜなら―――



 ぼそ、と胸元から声が聞こえた。


「あの。まさか、貴女は……レガートのエウルナリアどのか? 春に、サングリードで歌っていた……」


 覗き込むと、あどけなさの残る頬と目許が心なし、赤い。


 (よかった)


 事情はよくわからないが、結果としては偶然、会見の申請をすることなく当人に会えたのは暁幸(ぎょうこう)だった。少女の(かんばせ)が喜びとともに、ふわ……っと(あで)やかな笑みで彩られる。


「はい。……よろしければ私達と一緒に来ていただけます? カイザ・ハーン様」


「あぁ。ひとまず……そうだな、匿ってもらえると助かる。恩に着る」


 ぷい、と。

 横を向いた少年のふて腐れたような微妙な表情に、エウルナリアは眉尻を下げる。

 つられて、いま一度(ひとたび)笑みを深めた。


絵は、とりあえずのカイザ君のイメージです。

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