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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十六歳篇 西国の王
32/244

32 どうか、余人を交えずに

「ここ、国立大劇場は六代前の皇王の御代に建てられた比較的新しいもので……当時、とても歌劇を愛した幼い皇女殿下のために造られたそうですわ。

 ですので、その皇女様の名を戴いて我々はロゼッタ座、とも呼んでおります」


 しずかな館内に、人の気配は案内人のエウルナリア、護衛の騎士およびウィズル王ディレイとその近侍のみ。

 足音はない。

 全館内に敷き詰められた深い紅の絨毯が余分な音のすべてを吸い込み、ただ令嬢の柔らかく澄んだ声のみが響く。


「二階席と三階席は、ボックス席です。少人数で観覧できるスペースが幾つかに区切られ、やや割高に。一階は一般席ですね。主に平民の方々がご利用なさいます」


 そこで、隣の足運びが少し緩んだ。(?)と、エウルナリアは左側を窺う。案内係(ガイド)として徹する今、恐怖心はさほどない。第三者と自分を守ってくれる騎士がいる、というのは思いのほか心強かった。


 ぴたり、と足を止めて訊ねる。


「……いかがなさいました?」


「あぁ。……いや、姫は平民に対しても丁寧なのだな、と」


 同じく立ち止まったディレイは背が高く、小柄なエウルナリアは側近くだとかなり見上げる必要がある。


 (初めてユシッド様にダンスを教えていただいたときも、小山のように感じたけど……この方の場合は殊更(ことさら)、登る気が失せる峻厳さよね。……うん。山じゃなくて、やっぱり鋼。鍛え上げられた、実用的な長剣みたい)


 ほんの少し首を傾げ、エウルナリアはつい、微笑んでしまった。とっさに浮かんだイメージを、我ながら『……ちょっと、おかしいな』と思ったせいもある。


 そのまま、とつとつと言葉を選び、敬語を疎かにしつつ(こぼ)した。


「だって……私たち歌い手や楽士は、聴いてくださる方あっての存在(もの)です。

 ―――幼いころ『人前で歌ってはだめ』と、戒められた時期があるんですけど。あのときは、邸の離れ……専用の練習室で歌うだけの時間が、ほんとうに味気なくて。

 だから、今は一人ではないことが―――何方(どなた)かに聴いていただけることが、とても嬉しいんです。聴いてくださる方は、みな等しく尊いと。

 勿論それだけではありませんが……ん? 陛下……?」


 茶褐色の瞳が、物凄く珍しいものを見たときのように、まじまじと見開かれている。

 ばし、ばしと、数度瞬きまでされた。

 さほど長くはない。直線的な色素の薄い睫毛だなと、ぼんやり眺める。


「……姫は、よく『警戒心がない』とか、『純粋培養だ』と言われはしないか……?」


「? ……そうですね。従者を筆頭に、前者は十歳から。後者は……どうかしら。あまり記憶にありませんけど」


「間違いない。驚いた……なるほど、天使のように映るわけだ。見た目だけではないんだな。正真正銘、レガート産の稀有なる白真珠というわけか……」


「よく、仰る意味がわかりませんけど……呆れてらっしゃいます?」


「良い意味で。それなりに」


「??」


 スッと、長い足が前に向けて無駄なく動いた。

 通路を先導していたはずのエウルナリアが、慌てて追いかける。


「あの、ご案内を……」


「一階を見たい。いいだろう?」


「あ、はい。それは勿論。そちらが近いです。ええと……右手を曲がった先。階段がありますから」


「わかった」


 急いで小走りに追いかける。

 やや後ろから、護衛騎士と近侍が幾ばくか遅れて来る気配がした。

 かれらは、かれらで―――というより、近侍の男性が盛んに騎士に話しかけていたため、反応が遅れたのだと思う。


「わぷっ!!」


 どん! と、曲がってすぐに何かにぶつかった。少し薄暗い。そのまま抱き込まれる。


 (っ……?!)


 音もなく近くのボックス席の扉を開かれ、もろとも中に入り―――すみやかに、閉められた。


 (やばいっ……これ、一番だめな状況……!)


 すぅ、と息を吸い込み叫ぼうとした唇は、呆気なく塞がれた。


「―――ッ」


「(騒ぐな。べつに、手籠(てご)めにするわけじゃない。……一度、余人を交えずに話したかっただけだ)」


 耳朶(みみたぶ)に、じかに唇を掠めるように触れて囁かれ、反射でビクッと肩が震えた。首筋がぞくぞくして力が入らない。

 吐息も声も、生々しすぎて―――考えるより前にとにかく離してほしくて、エウルナリアはこくこく! と、激しく頷いた。それでも離してもらえない。


 怖い。

 青い目じりに涙が浮かぶ。

 かたかたと震える身体を、うまく動かせない。そもそも口を大きな手で塞がれ、固くて広い胸板に片腕で、いとも簡単に抱きすくめられている。


 どくん、どくんと密着した胸の内側、鼓動が大きすぎて心臓がつらい。なのに血の気が下がる。立っていられない。

 おそらく腕を離されれば、この場に膝をついてしまうだろう。それも嫌だった。



 油断なく光る茶褐色の瞳。

 ディレイは令嬢を腕にきつく抱きすくめたまま、扉の外をじっと窺う。


 暗闇に佇む二人を残し、かすかに届く騎士の焦る呼び声と近侍の気配は通路の奥、階段のほうへと――――……行ってしまった。


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