202 戦支度(後)
――お迎えに上がりました。
きっぱりとそう告げて、エウルナリアを連れ出した侍女は総勢六名。みな、趣を違えた美女で実にてきぱきとしていた。
それからすぐに案内され、ひときわ大きな中央棟へと渡る。
王の居住区でもある北側一階部分。その入り口を守る衛兵達からも丁寧に会釈された。
やがて辿り着いたのは、きちんと整えられた湯殿だった。
広い。
脱衣所との境目はカーテンで仕切られ、天井はアーチ状。カーテンよりも手前のスペースは鏡台や姿見、いくつかの衣装を並べた小部屋に続いている。
長く伸びた柱もすべて大理石で、空間と素材の使い方が贅沢この上ない。
おまけに、使う人間一人に対して選りすぐりの侍女が六名。これは。
(明らかに、おかしいんですけど)
――――扱いが。
エウルナリアの正確な身分は小国の伯爵令嬢であって、いくら王の私的な友人と言えど、ここまで厚遇される謂れはない。
身分を偽っていた潜入当初を思えばなおのこと。“雲泥の差”を飛び超えて、星空にまで達している。
戸惑い半分、大いに困る。なのに靴を脱ぐように指示され、あれよあれよという間に室内に通された。
『あの……』
何かの間違いでは? という控えめな問いは、背中の後ろ側で閉ざされたカーテンの、シャッというキレのよい音に紛れた。万事休す。
床石は、足裏になめらかな感触を伝える濃い色合いのマーブル模様だった。
熟練の職人が磨きあげた黒大理石らしく、鏡面のようにつるりとしている。脱衣所には清潔そうなラグが敷いてあった。
湯けむりの向こうには四角い浴槽。豪奢な白玉石が敷き詰められ、澄んだ湯が並々と張られている。
よくあるバスタブではない。床を掘り下げての型は文献でしか見たことがなく、エウルナリアは目を瞬いた。
――だめだ。今しかない。
今言わないと、なし崩しにあそこに沈められる。
『……あの?』
『はい?』
今度はきちんと発声した。
何やら気合いを込めて腕捲りを始めていた侍女が、怪訝そうに振り返る。
呼び掛けが届いたのは良かったが――いったい、何をどう言えばいいのか。
とりあえず念のため、ここがどんな場所かは確認すべきだろうと決心した自分は、たぶん、相当固まっていたのだろう。
気がつくと、ぽろっと、ずいぶん馬鹿げた質問がこぼれ落ちた。見るからに女性向けの造りなのに。
『まさか、こちらは陛下専用の……?』
『いいえ』
にこっと答えた侍女は、すかさず追撃を下した。
『王妃専用の湯殿ですわ。ご心配なく。陛下には、決まったかたはいらっしゃいません。正真正銘、あのかたの即位後、こちらをお使いになる女性はエウルナリア様が初めてです』
『……』
――――ん? と考える隙も与えられず、さっさと脱がされた気がする。彼女達はあらゆる意味でプロだった。
* * *
それから雑談を挟む間もなく、宴についての簡単な説明を受けて今に至る。湯浴みは終えたばかり。
そぼ濡れた髪。裸身に大判のリネンを巻いただけの無防備極まりない状態では落ち着かない。何より。
(……宴の前に、レインのところに顔を出したかったのに……!!!)
きっと、死ぬほど心配している。いや、無事は疑われていないだろうがおそらく信用はされていない。
事実、何もなかったわけではないので、そこは言うべきか――言わざるべきか。
そんな瀬戸際の私的案件も抱えていたため、さっさと支度を終えたかったのもある。外交上の確認事項も、結局アルユシッド達とは会議が出来なかった。
聞けば、宴の衣装は王が用意したものもあるという。悩んだが、結局レガート風の自前のドレスを選んだ。
「そうですか……」
(あ)
実直そうな侍女の明らかに気落ちした様子に、エウルナリアはつい、目許に笑みを滲ませた。
「ええと。では、髪型はお任せします。……貴女がたの、好きに結っていただいても?」
「!! もちろんですわ。喜んで……!」
ぱっ、と一転、表情を明るくさせた侍女が四名、ああでもない、こうでもないと髪飾りを並べ始める。
残り二名は両側から長い髪を布で包み、丹念に乾かしてくれていた。ぽんぽん、と、優しく布地に水分を吸いとらせるリズムと手付きが心地よく、エウルナリアは揺れながら、為すがままだ。
(結局、花市の奥方に言われた通りになっちゃったな。……あのひと、何者だったんだろ)
関連して『花に詳しい女性』と縁が――という、ディレイの言葉も思い出した。
果たして、即位前のことは公の場で、どれほど聞いてよいものか。
考えている間に、さすがの手早さでみるみる整えられてゆく鏡のなかの自分は、いかにも戦に赴く“姫”の顔をしていた。




