2 これは、何の取り合いですか※
エウルナリアの、黒髪が揺れる。
くるり、くるりとターンする度に翻る青いドレスと背中の白銀の紗のマント。
身の丈より長かった羽を模したそれは、控えの間にいたとき、従者の少年にリボンの形に結わえてもらった。ゆえに踏むことはない。
『これはこれで……可愛らしいですね』と言ってもらえた気がするので、多分大丈夫なのだろうと少女は楽観する。
髪は一度ほどいてしまったので、そのまま真珠の小冠だけを飾った。もともと柔らかく波打っていた黒髪は編み込みのくせがまだ残っており、華やかにふわりと空気をはらむ。
「姫は……」
「はい?」
――踊りながら、ジュードに話しかけられた。
身長差はものすごいが、かれ自身ちいさい女性と踊ることには慣れているのだろう。危うげのない優しいリードで、大変踊りやすい。
大広間を染めるワルツも、そう。
皇国楽士や、学院の生徒達以外の演奏でワルツを聴いたことはないが、品があり、押し付けがましくなく流麗。そして華がある。
(指揮者の振り方にもよるのかな)
ちらり、と横目で窺うと遠くに楽団を指揮するアルムの姿が見えた。
振り方は楽そう。肩の力は先の演奏に比べて明らかに抜けており、持久戦であることを念頭におけば、それはまさしく正しい有り様だった。
くす、と笑ったところで、頭上で艶やかに微笑む気配を感じる。見あげると、和らいだ紫の視線が絡んだ。
目が合って、その笑みを含んだ深い声で再度話しかけられる。
「ずいぶんと、楽しそうに踊るのだな」
「? それはもう。だって、ジュード様と踊れる機会なんて、そうありません。楽しまないと」
遠巻きに視線を感じる。
知っているひと、知らないひと――
視られることに慣れているエウルナリアは、頓着しない。だから、あくまでも自然に笑んでいる。その笑みをさらに深めた。目の前でジュードが、くらりと頭を反らせる。
「……参ったな。こんなに想い合ってるのに、諦めないといけないとは」
「――えぇと。お妃の件ですか?」
「“それはもう”。こうして、成人した其方を見れば決意も揺らぐ。当たり前だ」
わざわざ先の発言を繰り返すあたり、ジュードはお茶目な王様だ。案の定、かれの目は悪戯っぽい。口許も悪い大人のお手本のような形に歪んでいる。――それがまた、似合っているのだから質がわるい。
「ご存じでしょう? 私はレガートの歌い手です。他国には嫁げません」
にこにこと告げると、悪い笑顔はとたんに苦笑になる。ひとの善い、かれらしい甘さを纏うほろ苦い顔。
エウルナリアは、そんなジュードを好ましく思う。だから、そっとささやいた。
「お慕いしてます、ジュード様のこと。このような場を調えていただいて……感謝にたえません。貴方が居てくださったから、私……」
「はい、待った」
(!!)
驚いた。
指揮をしていたはずのアルムが、娘の手を悪友からそっと、取り上げる。
音楽は途切れていない。「???」と、エウルナリアの頭は疑問符でいっぱいだ。
姫君を奪われたジュードは、驚きと悔しさで日に灼けた美貌を歪ませている。――たしか、四十歳のはずなのだが。
「! アルム、お前……なんでここに!」
「なんでも何も。可愛い娘が悪いおじさんに、ほだされちゃ困るからね。抜けてきた」
にこにこ、にこにこと笑う歌長から、ひんやりと冷気が漂う。そうして、スッと姿勢を正し、濃い緑の瞳を楽団に流して「パチンッ!」と指を鳴らした。すると――
「あ……、変わった?」
曲がすみやかに小さくなり、消えるとすぐ違うワルツが流れた。ただし速い。難曲だ。
「そう」と、父はにっこりと笑う。娘に対してのみ、その表情は温かい。
「うちの筆頭ヴァイオリニストは優秀でね。私がいなくても場を回せるんだよ
じゃ、エルゥ。二年前、ユシッドにどれだけ教えてもらったのか成果を見せてくれる?」
「え? はい。喜んで。
すみません、ジュード様。あの……またあとで!」
仕方ないな、と苦笑する南国の王がひらひらと手を振っている。「気にするな、複雑な親心とやらに譲ってやるさ」と、声が遠のく。
姫君は、文字通り連れ去られた。