184 騎士の迷い(後)
――眠い。不覚にも、つられて眠い。
長椅子は占拠されているので、グランは一人掛けの椅子に沈み込むように座っている。
(無防備だよなぁ)
よい機会なのでまじまじ、眺め倒してみた。
初めて会った十歳の頃も天使じみていたが、中身は小悪魔だ。その外見と内面のバランスは、長じるとさらに凶器となった気がする。
朝日は、ここまでは差し入らない。
灯りは点けていない。ほのかに薄暗いはずなのに浮かび上がる肌の白さ。透明感。伏せられた睫毛の長さはどうかしている。
やたらと形のいい、筋の通った小ぶりな鼻や珊瑚色の唇も――……
「……しまった。いま、おれ、滅茶苦茶よからぬこと考えてた」
ふるふるっ、と頭を振った。
やばい。ドレス越しであっても魅力的な曲線を描くシルエットの破壊力が、地味にひどい。
ついでに言うなら、ここまで熟睡できるこいつの神経が一番ひどかった。
「あー……諦めた。起きたら起きただし。運ぼ」
よいしょ、と立ち上がり、すたすたと長椅子へ。
寝こけた人間など、さっさと目の毒にならない場所まで運べばいい。悪いことをしそうな輩(俺)からは一刻も早く離すべきだ。
さて。
仰向けに寝ていたので仕事はやりやすかった。
つとめて余計なことは考えず、右手を首と背の下――脇の下。左手を膝裏へと差し込む。
「おっと」
持ち上げると、それなりに女性一人分の重さだった。でも、小柄なせいか運びやすい。起きなかったことに拍子抜けしたが、ホッと安堵もした。
が、次の瞬間、理性はみごとに粉砕された。
「…………すき……」
「ッッッ(!!???)」
ばくん! と、心臓が跳ねる。
いや待て、俺。いま、一生縁のないこと言われた。落ち着け、どうせ寝言だから。寝言……
(誰に?)
――決まってる。
こいつが、夢のなかでも求める相手が誰かなんて、分かりきってる。
「……寝てても、残酷だよなぁ。エルゥって……」
何とも言えず、モヤモヤとした思いと柔らかな重みを伝える身体を抱いて、彼女に与えられた寝室へと向かった。
キィ、と取っ手を下げて難なく入室。
閉めるのはあとでいい。目指す寝台に近づき、そっと横たえる。
慎重に腕を引き抜き、…………息を殺して見入ってしまったとして、『それ』はもうどうしようもない。自然の摂理なんだと言い聞かせた。
眠るエウルナリアはこの上なく愛らしく。
目覚めている時よりも遠慮なく見つめていられる。
――見つめ返されることはないけど。
そう考えると、無性に胸が痛んだ。かきむしりたくなるような靄は濃くなるばかり。欲情? しっ放しだよこんちくしょう、と、内心独り言ちて。
何度めかの諦め。
深く、深く息を吐いた。
「エルゥの、どあほ……」
つらい。切ない。思いっきり唇を噛んだあと、上半身を屈める。
つっと、触れたいと願った唇に指を這わせた。
――殺される。色んな意味で。
すぅ、すぅぅ……と、安楽な寝息に罪悪感を搾り取られ。
そろそろやばくないか? と、頭の冷静な部分が囁く。
これは、一生の秘密。
絶対に誰にも。
締め付けられる胸に急かされるまま、吸い寄せられるように口づけようとした。
そのとき。
幸か不幸か。多分、前者なんだろう。
――……どうぞバード卿。ご息女はこちらです。
――ありがとう。
続きの間から、聞こえるはずのない声が聞こえた。
(うっそだろ)
グランは瞑目する。ここまで。ここまでだ。
バレたら斬首。良くて解任、牢獄行きだ。間違いない……! (※レガートの法で、罪人の刑に斬首は禁じられてるけど)
ため息をつき、「ごめんな」と一言。
素早く顔を近づけると眠る彼女の額に、わざと乱暴に唇を落とした。
案の定、睫毛が震える。ひらく、湖の青の瞳。
「ん、…………グラン……?」
夢のような。
夢にしておきたかったような時が手の内からこぼれ、彼女を守り通してから、淡く消え去った。
「――――おはよ、エルゥ。気のせいかな。さっき、アルム様の声、したぞ?」