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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 石の都の花祭り
182/244

182 ささやかな蜜時

「驚いた……、本当にアルム様をお呼びしたんですか?!」


 初日から数えて六度めの包帯替えのあと。レインは思わず、肩越しに後ろを振り返った。


 もちろん背中は痛いまま。毎夜、仰向けに寝ることもできない。

 が、こうして体を起こす分には一々(いちいち)顔をしかめるほどでもない。熱も下がっている。


 エウルナリアは視線を落とし、手のなかに余った包帯を再度きれいに整えていた。

 本当の薬師のように、慣れた仕草で。


「うーん……正確には『呼んだ』のと、少し違うんだけど」


「? どう、違うんです?」


 首を傾げた拍子に、さらりと栗色の髪が揺れる。切り揃えたばかりのそれを、まだ見慣れぬもののように眺めながら。




   *   *   *



 

 レインはすでに、自分で座れる程度には回復していた。

 真っ白な朝日が差す寝台に、二人並んで腰掛ける早朝。

 現在、グランには北棟まで薬湯を取りに行ってもらっている。


(ごめんね)と胸中で謝りつつ、こればっかりは、なかなか他の女官や侍女には頼めない。

 何しろ、この城のひと達ときたら皆あやしげな薬の扱いに躊躇なく、()つ臨戦体勢。隙あらばこちらの従者を消しにかかろうとしているように思えて。


(……心配、しすぎかな)


 エウルナリアは、ほんのりと微笑んだ。「えぇとね」と話し出す。


 甘えたくなったので、かれの、傷が走っていないほうの肩に額を寄せた。

 触れるだけ。

 あったかい。

 それだけで、じんわりと心が(ぬく)もる。

 ほぅぅ…………と、息をついてから。

 少女は、アマリナ行きの鷹に託した手紙の内容をゆっくり(そらん)じた。




 ――――――


 “お父様へ


 こちらは大丈夫、と言いたいところですが会場は半野外。反響率のよい石のドーム屋根や、すり鉢状の階段客席に囲まれています。


 歌は『旅の伴に。(はなむけ)に』を選びましたが、弱いかもしれません。彼の国は王も臣も民も、戦いに馴れた空気があり、よく言えば逞しい。悪く言えば殺伐としています。私の声だけでは。


 ……なので、数名の野外向き奏者を。

 具体的にはファンファーレに適したトランペットを一つ、余分に持った楽士数名に来てもらえると心強いです。


 さらに希望を述べれば、貴方と歌ってみたかったです”


 ――と。




「でね。もしもお父様と歌えるなら、『創国の調べ』を二人で、と書いたの。レガートの楽士ならともかく、アマリナからじゃ間に合うわけないわ。ちょっと書いてみただけ」


「ははぁ……成程(なるほど)、それならあの会場や、式典の主旨に合いますね。歌詞の内容もですが、中盤から男声がリードしますし、深みも増す。おまけに、アルム様お一人でオーケストラ五十名に匹敵する威力をお持ちですから」


「うん」


 比喩ではなく、(アルム)一人を招聘するにはそれだけの代価が発生する。

 滞在費や交通費を含まねば、楽士一人当たりの値段は大陸共通貨幣でいうところの百フレール。 

 五十名だと五万フレール。


 『セフュラだと、それだけあればまぁまぁ優秀な官吏を十名、一月(ひとつき)雇えるな』――とは昔、セフュラのジュード王が教えてくれた。

 まだ、かれの膝の上に乗れるほど小さかった頃のこと。


「でも」


「……?」


 こめかみに触れていた肌が遠のいた。くるり、と体の向きを変えたレインが手を伸ばし、俯いていた頬に指を滑らせる。

 エウルナリアは導かれるように上向き、されるがままに口づけた。


 ゆっくり。

 優しく()まれる唇を、目を閉じて受け入れる。

 合わさる吐息も。あと一歩、口のなかで絡めとられれば、あやうく溶かされそうになるぎりぎりの感触も。


(……っ、……!)


 流されないよう、我慢した。

 眉根を寄せて、震えながら。うっかり『応えて』しまわないように。


 やがて、ふと離れたレインは、ふふっと笑った。


「貴女だって、()()()()()()()()()()()()()()()。ご存知でしょう? ご自身の価値は。僕にとっては、莫大すぎて値など付けられませんが」


「ぅうう……、はい」




 ――――だめだ。やっぱり照れる。

 

 至近距離で覗き込まれる、やわらかな光を宿す灰色の瞳にも見とれてしまうが、表情や造作など、レインは急に“男性”っぽくなった。

 肩口で切り揃えた髪型に、どうしても慣れないことも大きいが、見知ったかれとは違う、大人びた『誰か』のようで。


 ……時おり、緊張してしまうのだ。


 視線を逸らし、切なげに頬を染める姫君を、レインはそっと抱きしめた。

 あまり、力は込められないので。

 抱きとめた(からだ)の華奢さや、信じがたい柔らかさを手のひらや触れた部分で思う存分堪能する。流れる黒髪に鼻先を埋めて、耳許でささやいた。


「好きです。ずっと。お小さい頃から今も変わらず――いいえ、あの時よりずっと。貴女の気持ちも。貴女自身も得られるなら、……想像だけで目眩(めまい)がします。幸せすぎて」


「倒れちゃ、だめだよ……」



 何やら双方、一体どんな想像をしてしまったのか。

 しばし二人とも、幼馴染みの騎士どのが苦々しい面持ちで薬湯を運んで来てくれるまで。

 クスクスと額を寄せて、抱き合っていた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 甘いっ…! 久々のお砂糖回ですね♪ こういう描写も本当、汐の音さん、お上手ですよね。 私は好きなんだけど、ヴァリエがあまり沢山書けなくて>< 見習いたい部分です。
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