179 それぞれの、為せることを。
しゅる、と真っ白な包帯を必要なだけ伸ばす。
「グラン、ごめんね。ちょっとだけ支えててあげてね」
「おー」
「何だか……、すみませんエルゥ様。手ずから」
「ううん。気にしないで。私がやりたいから、やってるの。はい、失礼?」
包帯を取り換えるため、レインは上半身に何もまとっていない。半裸だ。
顔は女の子のようなのだが、こうしてみるときちんと男子。エウルナリアとしては、しみじみと眺めている。
――どきどきしなくはないが、滑らかな背を斜めに切り裂く傷痕が未だ、生々しい。
綺麗に縫い合わさっているが、取り外した軟膏を含ませた布には血が滲んでいたし、油断すればまだ化膿する恐れがあるのだと、素人目にもわかる。
なので、今日のエウルナリアは再び新米薬師の衣装をまとう。肘上までめくりあげた腕を入念に清め、傷口も消毒。てきぱきと調合されたばかりの薬を塗布し、あとは包帯を巻くだけ。
段階としては、そこだった。
一生懸命、レインの左肩から右脇腹までを覆うように何周も包帯を転がさねばならない。そのたび、後ろから抱きつくような格好ではある。
照れはない。ないったら、ない。
「代わろうか……と言いたいけどさ、エルゥ。頑張れ。どのみちレインが天国なだけだし」
「どういうこと? グラン」
ぴた、と包帯を止める。傷に触れぬよう気を付けてはいるが、現在両手はしっかりレインの腹部のあたり。ちょっと、かれの腰の辺りに密着せざるを得ないのだが。
「…………」
無言で、こちらを見ようともしないレインの耳が赤い。
(大変、熱かしら? それとも体勢がつらい……? 急がないと)
なかなか『痛い』とは言わない従者の少年の気の強さを慮り、エウルナリアはキッ、と眦を強めて手を早めた。
「お喋りは後ね。今は、早くレインを休ませてあげたいわ」
「……申し訳、ありません……」
俄然てきぱきと動き始めた背後の少女に、力なくレインがこぼす。
グランはその表情を正しく読み取り、ふっと笑った。
「平気だろ、これくらい。つうか、幸せすぎの天罰だな」
熱があるのは確かなので、伏せられた長い睫毛の下、灰色の瞳は濡れたように光っている。
が、頬が上気しているのはさて。どっちの理由だ……? と、赤髪の騎士は穿った。
ぱち、ぱちと数度瞬き、不要なほどの色気を振り撒いて、レインがいっそう顔を赤らめる。
らしくなく、蚊の鳴くような声で答えた。
「甘んじます……」
せっせ、せっせと、主の少女は手当てに専念している。
* * *
『そんな……ことが』
あのあと。
ディレイの私室で行われた会食の折、アルユシッドが述べたのはエウルナリアの食事の手を再度止めさせるに充分なものだった。
曰く、討ち取った賊の根城はウィラークの都の地下貧民窟の奥にあり、半ば洞窟のようだったこと。
負傷者が出ればすみやかな治療や支援を行うため、サングリードの精鋭を率いて同行していた白銀の皇子が目にしたものは。
味方の損害よりも、死屍累々と横たわる敵の亡骸の群れ。そして、救出された婦女子達だった。
――どんな扱いを受けていたかなど、訊くまでもない。
説明に徹しつつ、アルユシッドは秀麗な眉をひそめた。
『そう。だから、出来るだけ女性聖職者の手が必要でね。この城に仮常駐を頼んだひとがいるんだけど……彼女を中心に手当てや検査、治療を進めたい。もう会ったよね? 片眼鏡の女性だ』
痛ましいなかにも、凜とした光を放つ瞳。傷付いた者の救済を重要な教義の一つとするサングリード聖教会。その責任者たる司祭のまなざしで、アルユシッドはしずかに述べた。
(あの方だわ)
もちろん覚えている。独特な雰囲気の、魅力的でさばさばとした治療師だった。
『はい。目覚めたレインを診ていただきました。“包帯の交換は翌朝お願いしますね”と言われましたが……なるほど、そういうことだったんですね。彼女は……その、女性達の元に?』
気遣わしげな問いに、アルユシッドは目線のみで頷いた。
『うん。さっき、交代人員と引き継ぎを終えて発ったはず――ですね? ディレイ王』
『あぁ。とりあえずの治療の場として旧神殿跡地に丸ごとサングリードの者に移動してもらっている。明日から、急拵えで敷地の隅に救護院を建てる手筈だ』
『ありがとうございます』
さっきまで、少女を間に挟んだいがみ合いを繰り広げていたとは思えぬほどの連携ぶりだった。
(すごい……)
エウルナリアは、息を飲む。
かれらは為政者なのだ。一個人、一男性であることを差し置いて何より重んじるべき“公”がある。それに圧倒される。
じゃあ私は。
私は、何ができる? ――と。
「――さま、ありがとうございました。……エルゥ?」
「!」
はっ、と気づく。
いけない、没頭していた。包帯はいつの間にか巻き終えていた。
感謝を述べるレインは、すでにグランから新しい衣服を着せられて横になっている。
まだ、うつ伏せの状態で苦しそうだけれど。
(……)
そっと、近付く。
髪を撫でた。
――――自分に、出来ることを。
「貴方も……、殿下も。皆、頑張ってるの。
私もやるわ。私にしか為せない務めを」
(おっ?)と、隣で見守っていたグランが両方の眉を上げた。
「えぇ」と、レインは優しく微笑む。
かれらに。
かれらの心に足る存在でありたい。
エウルナリアは、だから、決意を込めて宣言した。
「考えがあるの。ディレイに鷹を飛ばしてもらうわ。レガート本国まで。可能ならアマリナの父にも。
――……式典に間に合うよう要請を。いくらか、精鋭の皇国楽士を呼ぼうと思います」