17 個人レッスンは、必要ですか?
「っはーーー…きつかった」
学院の中庭、西塔に近い片隅でグランは、備え付けられたベンチにどかっ…と腰を下ろした。
そのまま脱力し、天を仰ぐ。
(……)
声もなく瞑目し、右手の甲を額に当てた。
無造作に投げ出された長い両足。膝の上にはトランペット。今はもの言わぬ相棒は、さやさやと風に合わせて揺れる木洩れ日を受け、真鍮らしい滑らかな金色の光をゆらゆらと弾く。
左手の指は、定位置のトリガーに掛けている。無意識の所作―――それだけ長く、この楽器とともにいる。
「兄殿下は、容赦ねぇな…」
唇から漏れた呟きをかき消すように、ざぁぁっ……と高い位置で風が渡り、頭上を覆う新緑の枝を大きく揺らした。幾枚かのちいさな葉がぱらぱらと落ちる。
春の終わりが近づくと時折、風は勢いを増す。北の白雪山脈から直接吹き下ろす疾風は南からの暖かい空気とぶつかり、やがて夏の到来を告げるあの嵐となる。
――ここは二年前、まだ入学して間もないころゼノサーラ皇女の襲撃を受けた場所。
周囲は木立や植え込みの密度が他よりも濃く、行き交う生徒らの気配は伝わるが特に誰も立ち寄らない。稀に同じ目的で来るものもいるが、先客がいれば場を譲るのが暗黙の決まりごととなっていた。
なので――
がさり、と植え込みを鳴らして現れた可憐な客人に、グランは目を閉じたまま確認することなく声をかける。
「なんで来るんだよエルゥ…空気、読めよ」
呆れたような声音。けれど、低くてやわらかな響きに苛立ちや怒りはなさそうだと判断した客人――エウルナリアはゆるく首を傾げ、しずかに笑んで答えた。
「読んだつもりだよ? 近頃のグランは怖いときもあったし、ロゼルは『相変わらずだな』って…笑い飛ばしてたけど心配だし。放っとけるはずないじゃない。隣、失礼するね。元騎士見習い殿」
「くっそ…今、その呼び方は狡ぃ…」
ふふっと微笑んでエウルナリアは、グランの左側に座った。
「エルゥ、次の時間は?」
「昼過ぎまでないよ」
「レインには何て言ってきたの」
「『グランが心配だから、行くね』って」
「よく、送り出したなあいつ……馬鹿じゃねぇの」
さらに呆れた低い声に、黒髪の姫君は少し困ったような顔になる。
「…どうだろ。確かに私達は…その、あんまりそれらしくはないからね。
――ね、グラン。それ貸して?」
「……あぁ。どうぞ」
前者のそれが主従という意味なのか、恋人という意味なのか――グランは相変わらず、肝心なことは訊けずにいる。
左手をトリガーから外してベンチの背凭れの後ろにまわすと、膝の上から重みが消えた。が……
…パァーーー…ン
と、ただ一音。mpで響いた繊細な音色にぱっと目をみひらく。慌てて体を起こして左側を勢いよく向くと、ひたすら驚愕の表情になった。
「…なんで、吹くんだよ…」
エウルナリアが、金色のトランペットを綺麗に構えて白銀のマウスピースに口付けていた。
目を閉じているので長い睫毛の影と、白い肌の対比が眩しすぎる。
(……というか、ちょっと待て。色々と突っ込まなきゃいけないだろこれ。なんなの、この渾身の体を張ったボケ……!!)
グランは実に久しぶりに、もて余してやり場を失っていた感情の出口を、ほんの少しだけ見いだしつつあった。―――純然たる幼馴染み、という形で。
黒髪の少女が、新緑を背景にそっと、マウスピースを外して親指で口づけた部分を拭った。グランの視線に気づき、そのままにこっと微笑う。
「――やっぱりグランはすごいね。私じゃ、あんなキラキラしてつよい音は出せない」
読んでくださって、ありがとうございます。
諸事情あって少々書くことから遠のいていましたが、また戻ってこれました。
物語が浮かぶ限りは、これからも出来るかぎり綴り手でありたいと思います。
…栄養補給(読書)って、だいじですね!
追記:誤字が多くて、恥ずかしにそうです。