166 姫君の啖呵
「……あぁん? 今、なんて言った? お姫さん」
「取引をしませんか、と言ったんです。片目のひと」
「かた……」
偶然、通称を言い当てられた男は固まった。傍らでは猫背にざんばら髪の男が、げらげらと腹を抱えて笑う。
「何だよ、見込みあんじゃねぇか! 形無しだな、『片目』」
「うっせぇ『赤鷲』。すっこんでろ。俺は今、こっちのお姫さんと喋ってんだよ」
ひきつれて、縦に切り裂かれた痕を遺す左目はそのまま。残る右目をぎらりと光らせて男が睨んだ。赤鷲と呼ばれた男は猫背をより一層丸めて、「たぶらかされてんじゃねぇぞ」と嘲笑う。
言ってろ、と軽い応酬。それぞれ所属する組織は違うらしいが、ごく親しい仲らしい。
ごくり、と静かに生唾を飲む。
さて、どうしたものか。
戻ってきた彼らを前に、エウルナリアは極力表情を変えぬよう、つとめて視線に力を込めた。――威圧は逆効果。虚勢と見抜かれる。弱すぎてもだめ。嗜虐心を煽る。
叫びたいほどの不安を、恐怖を。欠片なりとも悟られてはならない。
自分は交渉次第で《金のなる木》になり得ると認めさせねばならない。つまり、殺すには惜しい相手だと思わせる必要がある。移動中に、刹那的な衝動で凌辱・殺害などもっての外だ。言語道断。
(ガザックさんは、いよいよの局面になったら頼れない。このまま連れ去られるだけじゃ、きっと『そう』なる可能性が高くなる…………!)
姫君と、ならず者二人。
ぽっかりと空いた小部屋で相対するちぐはぐな三名を、心を無にした従者の少年と、のほほんとした口髭の男性が見つめている。
エウルナリアとレインは相変わらず壁に繋がれたまま。ガザックは無頼漢らの背後だ。呑気に腕を組み、呆れるほど徹底した傍観の構え。――やはり、肝心な場面では助けてくれそうにない。
とにかく、時間稼ぎを。
二人で語り合えたわずかな時間、出せた結論はその一点だった。
* * *
『……え? エルゥ様、みずから……?』
『そう。レインじゃだめよ。最悪、その場で殺されちゃう。そうでなくても乱暴されそうよ』
乱暴、にも色々と種類はあるんですが……
と、口走りそうになったレインは殊更、声を抑えた。
『根拠をお聞かせ願えますか』
『ガザックさんが言ったじゃない。あのひと達、別々の首魁に仕えてるのよ。私達をどうにかしたいだけなら、一々報告だの何だの、お伺いを立てる前にやっちゃってるわ』
『…………やっちゃう、ですか』
何とも陰鬱なまなざしになりつつあるレインを他所に、エウルナリアはこくり、と力強く頷いた。
『だから。かれらに示されてる“うまみ”以上の利点をこちらが打ち出せれば。最悪の事態は遅らせられるわ』
『……“避けられる”、ではないんですね?』
『それはそうよ。ガザックさん以上に信用できないわ。……あと、勘。最終的にはあのひと達、私達を嬲り殺すと思う』
言いながら、エウルナリアは体のあちこちに残る嫌な感触を思い出した。
どさくさに紛れて随分、まさぐられた。運ぶだけで「それ」なのだ。これ以上など絶対無理。断じて触れられたくない。だから――と、無意識に顔をしかめて言葉を紡ぐ。
半ば、自分に言い聞かせるように。奮い立たせるように。
『……私が交渉するわ。レインは、私が最初に捕まったときひどく取り乱したでしょう? あのひと達、そういうのに敏感だと思う。嫌だからね? 私のことで貴方が脅されたり貶められたり、つらい目に遭うのは』
淡々と、しずかに告げる。宣言であり確認。かつ命令だった。
レインは暫く考えに沈んでいたが、数瞬後、面を上げた。
『――わかりました。エルゥ様がそう仰るなら。ただし』
『うん?』
ほっと一息。よかった、わかってもらえた……と、安堵も束の間。妙に鋭く切り込まれた。
レインは忌々しそうに、くん、と繋がれた縄を両手首で引っ張る。同時に凄まじく渋い顔をした。
『僕は僕で、エルゥ様が危ないと判断すればすぐに、勝手に立ち回ります。容赦なく口出ししますからね。手は…………出せそうにありませんが、喜んで体を』
『! 張っちゃだめ。喜んじゃだめよ?!』
『比喩です』
――……不穏だ。
なにか言わせてはならない台詞を察知し、奇跡的に被せて先んじたのにさらりと流された。ちょっと悔しい。
エウルナリアは唇を噛んだ。そう。かれを、そんな目に遭わせないためにも。
(……まずは、ここからの出立をギリギリ遅らせないと。ディレイ達はきっと、とっくに動いてる。私達にでき得る最低限の抵抗は生き延びること。最良の一手は、早い段階で懐柔を試みること)
無闇に暴れても、効果はさほど得られない。
できる最善をもぎ取れ。
――もしも誘拐されたら? の、心構えは幼い時に教育の一環として叩き込まれた。それが想像以上に身に付いていることに、思わず脱力した笑みが浮かぶ。
見咎めたレインは、心配そうに尋ねた。
『……エルゥ様?』
『大丈夫。絶対、一緒に助かろうねレイン。軽々しく最大の手札を切っちゃだめ。“体”は“命”に匹敵する、相手への大きすぎる見返りだよ』
(!)
レインは息を飲む。場違いなほどの静謐がここにあった。
ややあって、御意、と呟いた頃。
通路の向こうから野卑た話し声や荒々しい気配、無造作な足音が響いてきた。
* * *
片目の大男は、にやにやと少女に近づいた。
「でぇ? 具体的には何をくれるってんだ? お姫さん。さすが、国王のお手付きだけある。見たことないほどの別嬪だ。いたぶり甲斐があって、さんざん楽しませてもらったあとも客足が山ほど付きそうだしなぁ。……何か、それよりイイことってのは、あんのかね?」
「…………!!!」
激昂する従者の気配を感じ、エウルナリアは素早く言い放った。
「たかだか私の身体だけで、山程度の客……? 笑わせないで。私はレガートの歌い手。皇国楽士団を率いる歌長の一人娘よ。すでに大陸中の王族、重鎮の方々からご贔屓いただいてるわ。歌の業で、だけど。中には国家予算を使っても丸ごと買い取りたいと仰る陛下がたも、富裕層のかたもいらっしゃる。身銭を切ってでも、レガートに恩を着せたいだろう御仁も。
率直に言うわ。私の価値は、山程度じゃない」
頬に、気軽に触れそうになっていた男の右手が寸前で止まった。にやにや顔が、訝しそうに歪められる。
たとえるならば、何か、見たこともない生き物を眺める表情に。
「……お前、近々ディレイ王の妃になるってんじゃないのか? あいつが特定の女を侍らせるなんか、今までは……」
「迷惑です。巷でどう噂されているのか、多少は聞き及んでいますが」
ふぅ、と大儀そうに息をつく。さも心外と言わぬげに、エウルナリアは再度、男を睨み上げた。
「私は仕事でウィズルに訪れただけ。たしかに、こちらの陛下は良く遇してくださいますが、それは国賓だからです。
あなた方は知らないでしょうが、レガートのソロ楽士が他国に嫁ぐ――或いは、婿になることなどないの。仮に私を弄んでも、あなた方が真に望む効果は、得られないわ。私は王の想い人じゃない」
――――さぁ、どうする? あなたは私怨の形代ではなく、とんでもない付加価値を持つ娘を手にしました、と。
燃え立つような青い目で、エウルナリアは果敢に男に挑みかけた。
一か八か。
唆し、とも言う。