159 消えた主従
「……遅いな」
腕を組み、す、と目を細めて王が呟いた。
一行は円形劇場から離れ、すでに管理のための棟へと移動している。
予定された出立時刻が、刻一刻と迫っている。ゆえに館には入らず、扉前での総員待機。騎士達の面に一様に動揺が走った。
もの思わしげなアルユシッドが、単身で王に近づく。
「ディレイ殿。心当たりは? こちらから迎えに行った方が良いのでは」
ちら、と視線を流した王は淡々と応じる姿勢を見せた。
心配でないはずがない。にも拘わらず、感情をいっさい遮断した顔と声音だった。
「物騒な『心当たり』なら、飽きるほどあるが。俺のついでに襲うならともかく、客分に狙いを定める道理がな……。ガザックも付いているし、旧神殿の地下が外部に繋がっているという記載は見取り図になかった。
一応、迎えの人員なら遣っている。あいつが歌い終えて、舞台を降りてすぐだ」
「…………そうでしたか」
こうまで言われては納得せざるを得ない。半歩、身を引く。
やわらかな銀の髪。白皙の美貌を曇らせて皇子が俯いた。
無言。
どう見ても、みずから迎えに行きたいのを我慢している表情だった。斯くいうディレイも。
(……出てこない、ということは何かがあったということだ。それは)
不穏さは騎士達にも伝わり、空気がそぞろになる。なかでも、いらいらと焦燥を募らせたらしいゼノサーラは正面から王に詰め寄った。
「陛下、悪いけど限界だわ。この者を連れて探索に向かう許可を。ウィズル側から、地下に明るい騎士を数名見繕ってくださいな」
「ちょ、おい!」
この者、と言われて遠慮なく腕を引かれたグランは、立場を忘れて気色ばんだ。一国の王にそれは、と諌めるように。
辛うじて皇女の指を外して「失礼」と一言。
体裁だけは整えてディレイとの間に身を割り込ませる。背に、それとなくゼノサーラを庇った。
――臆さない。自分もまた、譲れない。
グランは濃紺の瞳に挑戦的な光を宿し、自分よりよほど体格のいい王を睨みあげた。
「我が剣を捧げし姫を、貴方の腹心が『警護する』と仰ったのです。
皇女殿下には残っていただきます。せめて私には探索の許可を」
「出さん、とは言わん。が……」
わかりやすい挑発に、流石に茶褐色のまなざしが剣呑となった。
と、その時。
バタン! と両開きの扉が開け放たれ、二名の騎士がまろび出る。直ちに王の元に駆け寄り、跪いた。
「申し上げます、陛下!! 我ら、くまなく劇場までの通路を見て参りましたが、どこにも……ガザック殿も、ご令嬢も。従者の少年も誰一人、見当たりませんでした……!」
「「「!!!」」」
一同が凍りつく。明らかな狼狽。驚愕。不測の事態に息を詰める者が大半。
そんななか、「あの…………陛下?」と、かさねて騎士が問う。
対する王は。
「…………」
きん、と束の間、空気が張った。
ばさり。荒々しくマントが翻る。
聞き逃しようのない芯のある声が、ひゅ、と温度を下げた。存在感を増した声は聞くものの肚に突き刺さるように、矢継ぎ早に命を下す。
「セネル。戒厳令。ウィラークの門を封鎖だ。三門すべて、軍による検問を敷け。
エリオット。四方を固める隊の半数をこっちへ。残りは地上を警邏。決して大事にするな。令嬢の名誉に直結する。
それに……アルユシッド殿」
「何です」
こちらも氷点下以下。絶対零度の凍えるまなざしで銀の皇子が応えた。ディレイは態度を変えずに問う。
「我々はこのまま地下に潜る。貴殿がたは、どうする」
警備の面では、城に戻っていただきたいが――との台詞は、皇子そのひとによって見事にぶった切られた。
「行くに決まっているでしょう……と、言いたいところだが。荒事になるんですね? 手勢をお借りしたい。広場に駐留するという、サングリードのテントを訪問します。こちらに仮支部を設営させていただきたい。
どんな怪我にも毒にも我らが対処する。有事の際は心置きなくどうぞ。…………はやく行け。エルゥに、毛一筋でも傷を負わせてみろ。決してお前達を許さん」
柘榴色の瞳にこの上なく真剣な光を湛え、アルユシッドはほぼ一息に言ってのけた。
言葉の最後だけは、王の耳許にゆっくりと顔を寄せて囁く。
ディレイはそれを、不敵な笑みで受けとった。
「――結構。俺も、望むところだな。
では負傷者に関しては十全に頼るとしよう。……フェリド!」
「は、陛下」
フェリド、と呼ばれた年嵩の騎士が一団から進み出た。そのまま跪く。
――かれは、あの襲撃の夕べ、レインをサングリードのテントまで護送した騎士隊長だった。
グランは唇をきつく噛み、拳を握りしめた。皮手袋がキュ、と痛々しげに鳴る。もどかしさに血の味がした。
「アルユシッド殿を広場へ。ただし、数名はゼノサーラ皇女とレガートの外交官護送のために残せ。城への馬車はすみやかに発つよう」
「はっ」
機敏に立ち上がる白髪混じりの男性の背を、眉間に皺を寄せて見送るグラン。
その横顔に突如、声がかかった。
「で。お前はどうなんだ赤毛。来るなら来い。これ以上迷子が増えるのは御免だ。俺から離れるなよ」