15 アンサンブル・レッスン(中)
グランのトランペット独奏も打楽器同様、八小節間。最後は力強い吹き伸ばし――からの、再びセッションとなる流れだ。
ココン! と、エウルナリアは右手の指揮棒で譜面台を叩いた。おしまい、の合図。
意図はすぐに通じて、ふっと音が途切れた。
ふー…と、左手で楽器を下ろし、右手の親指で唇を拭ったグランは、シュナーゼンほどではないが余裕で「指示は? 姫君」と訊いてくる。笑むのを我慢しているような口許だ。
エウルナリアは、ふふっと笑い、瞳を和ませた。
(杞憂だったかな。グランはトランペットが好き。それは変わらないはず…)
それでも、つきんと痛む胸の所在なさを振りきるように、黒髪の音楽監督はつとめて明るい声を心がけた。
「ないよ、グラン。すごく滑らかで綺麗な音で、響きが明瞭なのに高音とか、特に切なくて…格好よかった。どきどきしちゃった」
「へぇ。――いいね。エルゥにそんな顔させられるなら、皇国楽士も独奏者も悪くない。……な、レイン?」
「!」
まるで見透かされたかのような台詞に、エウルナリアは思わず青い瞳を見開く。
二の句を告げずにいるところを、後ろから涼しげな声がさらりと「そうですね」と、引き取った。
後ろ――部屋の隅のひとつを陣取る黒いグランドピアノ。その演奏用の椅子に腰掛けて、件の従者はずっと演奏に耳を傾けていた。
キィ、と鍵盤の蓋を開ける音。
レインは穏やかに言い返し始めた。
「仰る通り、最高でしたよグラン。エルゥ様との共演は大成功でしたし、お陰さまで僕もようやく、貴殿方と同じ婚約者候補になれましたからね」
「あぁ、そうだったな。お前、今まで意外なくらい、全く候補者扱いされなかったもんなー」
――なんだか、懐かしいかもしれない。グランとレインが表立って言い争うなど久しぶりだ。
しかし、止めないと…と身じろぎしたエウルナリアを先んじ、今度はシュナーゼン皇子がしれっと爆弾を落とした。
「やだなぁグラン。意外もなにも、エルゥはずっとレインが好きだったじゃないか」
「……!」
「なっ……お前、地雷踏み抜くのほんと大好きだな!」
「……うわぁ…」
三者、それぞれの反応。
特に少女は、目を白黒させた。
(え、ちょ……待って。私、そんなにあからさまだった…?!)
激しい動揺はすぐに表面化した。ぽとん、と指揮棒が彼女の右手から滑り落ちる。
それを、優雅な身のこなしで近づいたシュナーゼンが拾い上げ、再び落とし主の手に握らせた。
「あ…ありがと、シュナ様」
「どういたしまして。エルゥ」
にっこりと紅の瞳が細められる。
けど、なぜだろう。笑ってないようにも見える……
途方に暮れた音楽監督は、休憩を申し出た。
* * *
「どうしよう…想像以上にきつい……」
独り言は、まっすぐ窓辺の下、学院の中庭へと落とされた。
研究室を出てすぐ。廊下の硝子窓は開かれており、外から気持ちよい風が入る。風に乗り、誰かのホルンの長閑な音や、鍵盤のマレットが宙を舞い遊ぶような弾ける音が漏れ聴こえた。
休憩は五分。
しっかりしないと―――
ぺちぺち、と両頬を手のひらで叩いたエウルナリアだったが、次の瞬間廊下に響いた柔らかな声に、心底驚いた。
「ん? エルゥ。どうしたの、叩いちゃだめだよ」
(!)
コツ、コツ…と、人柄そのものの落ち着いた足運び。学院生ではなく部外者であることを示すその靴音の主は―――
「ユシッド様こそ…どうして? 聖教会のお仕事は?」
司祭服ではない、気取らない服装のアルユシッドが、そこにいた。
学院の卒業生でもあるかれが、なぜ…? と、呆然と佇む黒髪の少女に。この国の第二皇子は見惚れるほどの微笑で答える。
「歌長と皇王からのお達しでね。週に一度は学院で講師をすることになった。今日はその準備に来て、一通り終わったところだよ。先生方からは、君が研究室で弟たちの演奏をみてるって聞いたんだけど。
……宜しければ、ご一緒させていただけませんか。姫君?」
「……えぇ。どうぞ…?」
迫力の微笑の意味を図りかねる初々しい音楽監督の少女には、断る理由も、また、その権利も持ち合わせがなかった。