134 返り討ちの従者
「食べないと、持ちませんよエルゥ様」
「レイン」
サングリードの腕利き治療師マリオが去ってしばらく。続きの間では会議じみた話し声が漏れ聞こえたが、それも収まった。
ぱたん、と扉を閉めたレインの左手には焼き菓子と、茸とベーコンのキッシュが乗っている。それに紅茶。
現金なもので、エウルナリアは急に空腹を覚えた。つい小声になり、下から窺うように問う。
「ありがと……そう言えば、食べてなかったね。レインは? 食べた?」
「僕も今からです。グランが入浴中ですから、かれと一緒に食堂に行きますよ。城中、やっと人心地ついたみたいです」
「……そっか。グランも雨のなか、頑張ったんだよね。今夜はゆっくり休んでもらって? あな――」
「休めると思いますか」
「…………えぇと」
“貴方も”。
そう言おうとした、中途半端な笑顔のままで固まってしまった。
大袈裟に肩で息をついた従者の少年は、やれやれと眉宇をひそめる。呆れつつ、カチャリ、と銀のトレーを小卓に乗せた。
ポットの蓋を開けて茶葉の匂いを確認し、小さく頷いている。シンプルな白い陶器のティーカップに、しずかに注ぎ始めた。
「意識がなくて、毒で体力が落ちていようとも、猛獣は猛獣です。それが一晩同室だなんて……!! 耐えられるわけがないでしょう?」
「猛獣……、わかる。ディレイはこう、油断すると食べられそうな感じがするよね。食べるため以外では、無益な殺生をしなさそうなところとか、特に」
納得しきり。
うんうんと一人で頷くと、ひどく不可解な表情をされた。おかしい。温度が下がった気がする。
レインは、ふるふると震えつつ抑えた声で懇願した。
「洒落に、なりませんから……!! エルゥ様、お願いです」
「はい?」
「僕と、ヨシュアさん達とで協定を結びました。ですので、今夜エルゥ様がこの男を看ることに関しては口を挟みませんが」
「そう」
――果たして、それは一体どんな協定だったのか。ろくでもない気配しかしないので、あえて訊かずにおく。
(……)
レインは茶器を持ったまま瞑目し、天を仰いでいる。
そのまま、カッと瞠目すると、やや乱暴な仕草でポットから茶を注いだ。
ガチャンッ
「どうぞ!」
「……どうも?」
非常時を脱した途端、残念なことに主従の温度は再び噛み合わなくなった。
どこまでもぬるま湯な主に業を煮やしてか、頬を染めたレインは悔しそうに顔を歪め、本音をぶちまける。
「いいですか? 話し合いの結果、僕とグランは続きの間で休むことになりました。何かあったら必ず大声を出してください。あと、無理に一人で看病しないこと!! 交代人員はいくらでもいるんです。わかりましたね?!」
はぁ、はぁ……と、激昂しすぎたのか息が切れている。エウルナリアは気圧されつつ、ソファーでこくこくと頷いた。行儀よく、小ぶりなキッシュを両手で持っている。
「わ、わかった。無理はしません。私だけじゃ着替えなんて到底、させられないもの」
「……っ……着替え、とか……!」
ぷつん、と堪忍袋の緒が切れる音がした。
気のせいであって欲しかった。
「もう、いいです。好きになさってください。こっちも好きにしますからっ!」
あくまでもヒソヒソ声のまま、丁寧な言葉を叩きつけるという器用な真似をしてのけたかれは、そのまま足音も立てずに退室した。
淹れたての紅茶。焼きたての軽食からのぼる湯気とともに、ぽつん、と残されて。
「……これくらいなら、怒っててもあんまり怒ってないように見えるのが、レインのすごいところよね……」
と。
力なくこぼした姫君は、はむ、とキッシュにかじりついた。
それは、扉向こうの気の毒な従者を凹ませる(しゃがませる)に足る、容赦ない鉄槌だった。