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楽士伯の姫君は、心のままに歌う  作者: 汐の音
十七歳篇 両極のもの(二)
130/244

130 雷鳴に先立ちて

 ゴロゴロゴロ……


 稲光はない。空が鈍く(とどろ)いている。


 まだ、人の賑わう午後三時すぎ。ふいに視界が翳った。

 風の冷たさも相まり、空気の密度が重さを増したような気がする。


一雨(ひとあめ)、来ますかね」


「あぁ――今年の冬は早いかもしれない。まだ建国祭前なのに。グラン君、ちょっとそれ中断して手伝って。天幕のなかに一旦、全部仕舞おう」


「わかりました。ウィズルに雨季はあるんですか? なかなか降らないって聞いたんですが」


 にわかに、慌ただしく薬草市を畳み始める聖職者達。それらを束ねる男性とグランは、ともにかれらを手伝った。折角だから、と騎士稼業で使えそうな湿布薬や傷薬の調合法を教えてもらっているところだった。


 男性は目をすがめ、天を睨む。


「雨季……と呼べるほどのものはないが。冬場は雪が多い。この辺りで井戸が多いのは、地下水脈が豊富なんじゃないかと考えられている。表面の地質が農業に適さないだけで、実は手を加えればそこそこ『何か』を栽培できるんじゃないかと(かね)てより、ふんでるんだが――ではなくて。

 いつもね。冬の前は雷を伴う雨や(ひょう)が降りやすい。この感じはそうだと思う。急に降るんだ」


「へぇ。詳しいですね?」


「内乱前はウィラーク(ここ)で暮らしてたから」


「あぁ…………、それは」


 ――ここでの活動には適役ですね? とも、大変でしたね、とも。色んな言葉が浮かんだが、どれもうまく舌に乗せられなかった。


 “十年戦争”と呼ばれはするものの、兆候は以前からあったと聞く。見たところ五十代半ばほどのかれは、当時どれほどの悲惨さを目にしたのか。すべてを捨て、遠くレガートまで逃れざるを得なかったのか。


「……お察しします」


 辛うじて神妙にこぼれた一言に、男性は気負わず頷いた。


「うん。ありがとう」




   *   *   *




「神殿は、()らんと直らんな」


「陛下。まだ街中ですから落ち着いて」


 ――お気持ちはわかりますが、とのガザックの視線を受け止め、表情を変えずにディレイはタラップを踏んだ。

 これでも随分と簡素化したはずだが、まだところどころ煌びやかな金の装飾が施された黒塗りの車体。それに身を屈めて乗り込む。

 きびきびと御者が動き、「では」と一礼して扉を閉めた。



 馬車は好きじゃないが、体裁のためなら仕方ない。旧体制の医官らが詰める神殿内診療所を視察した帰りだった。

(あの小僧どもが帰って、すぐ――俺が城を空けたのは二時間ほど。今すぐ帰城すればあと、三十分は見られるか。次の仕事まで)


 ――――彼女を。


 カラカラカラ……と廻る車輪の音をよそに、見るともなく車窓の外を眺めていると忍び笑いが漏れ聞こえた。


「――何だ。言いたいことは言え」


「いえ……変われば、変わるものだと思いまして」


「俺か?」


「他に誰がいるんです。エウルナリア嬢のおかげですね。こうも、貴方のまとう空気が穏やかになるとは」


 側仕えとして非常に助かります、と抜け抜けと言い放つ腹心に、ディレイは殊更(ことさら)しかめ面をして見せた。

 あながち演技でもない。生殺しに近いとも考えている。


「まだ手折っちゃいない」


 ふふ、と、ガザックは人の善い顔で微笑んだ。


「いつになく、紳士ですよね。厨房の女中や女官連中が盛んに首を捻ってましたよ。『あれだけお膳立てしたのに、陛下はあの令嬢と一夜を共にしなかった』と。今度こそは、と息巻いてましたが」


「頼むから、やめさせてくれ」


「御意。……然るに、どうなさるおつもりです? 鷹の技術はたしかに、他国は喉から手が出るほど欲しいでしょう。取引材料としては不足ありません」


 ふと真顔に戻った腹心に、ディレイが目を細める。声は変わらないが、流し見る茶褐色の瞳には剣呑な光が宿った。


「だが、長い目で見ればウィズル(うち)の優位性が揺らぐ。

 俺達の代はいい。鷹の匠や鷹の雛の育成――それが形になるまでは、言い換えれば他国の裏事情を一挙に握れるわけだから」


「そうですね」


「……確実に。子や孫の代まで残せるものを。増やせはせずとも、減らすのみでは愚策だ。見返りが足りん」


 ううん……と、唸り込んでしまったガザック。

 こき、こきん、と首を鳴らしたディレイは脚を組み変え、再び目を車窓の外へと向けた。


 砂色の大地に囲まれた、緑のウィラーク。


(『子や孫』。その血脈に混ぜるのか、と己を蔑みもせず言ってのける気性は、益々(ますます)もって好みなんだが)



 間違いなく。

 自分がただの将軍なら(さら)っていた。なまじ背負い込んだのが国なので動けずにいる。

 いつになく彼女の怒ったような顔や、呆れた顔。たまに見せる笑顔が脳裡(のうり)に浮かび、掠めた。


「……馬車は、長く感じるな。時間が」


 ため息とともに呟く。にこにこと笑む副官の気配を無視した。瞬間――――


 ガタタァンッ


「「!!」」


 車体が、激しく揺れて止まった。


 馬の嘶き。倒れる音。おそらくは御者が呻き、地に落ちる音。馬車の周囲から叫び声がして、蜘蛛の子を散らすように人々の気配が遠ざかった。代わりに、しん……と不気味な静けさが訪れる。


「――やられたか」


「ですね。護衛騎士も。どんだけ手練れなんです」


「様子がおかしい。飛び道具には充分気を付けろよ。この辺は……高架路が多い。やつらに分がある」


「は」


 剣に手をかけ、それぞれ注意深く引き抜く。

 狭い馬車では抜くだけで精一杯だが、出てすぐに襲われてはたまらない。


 青年王はごく普通の所作で立ち上がり、扉をひらいた。


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