13 親友の告白、一人の余白
エウルナリアは固まった。よく、熱い紅茶の入った茶器を落とさなかったと内心、自分を褒め称える。
まだ熱いし、それどころじゃないし……と、少女は手にした白地に花柄の茶器をカチャ、と受け皿に戻した。
「こんやく……? え、もう済ませたの? どなたと?」
「書面上では。相手は父の片腕だよ。最近は見てないけど、昔はよく邸で会った。…一時期は、家庭教師じみたこともしてたな」
「教わってたの? ロゼルが? …何の先生?」
「人物画」
あぁ…と、エウルナリアは納得した。
ロゼルほどの才を見出だし、育て、伸ばした人物。それなら―――
「おめでとうって、言ってもいいの?」
小首を傾げて愛らしく問う親友に、男装のロゼルは珍しく逡巡し―――ほんの少し泳がせていた目を閉じると、浅くため息をついた。観念したように僅かに頷く。右手には、一口飲んだきりの茶器を握ったまま。
……なんだか、エウルナリアまで照れてしまった。ほんのりと頬が染まる。当のロゼルは、顔色だけ見れば涼しいものだが。
「すごい……すごいね、ロゼル。やだ、私より早い。式はいつ?」
「うーん……そこまでは。手紙には“とりあえずの約束は必要でしょうから”って書いてあった。…あぁ、相手からのね。ここを八年前、首席で卒業してる」
(八年前。というと……)
「お相手の方、ちょうど十歳年上ね」
「…エルゥって、こういう時の計算早いよね」
「まかせて」
ふん、と胸を張る美少女は、これはこれで可愛らしい。ロゼルは、口許は苦笑のままで目許を和らげた。
再度、茶器に唇をつけると――浮き立つ少女に向けて深緑の眼差しをひた、と送る。
「エルゥ、レインと何かあったね。やっと告白できた?」
「―――……っ!! ロゼルっ! なんでっ?!」
途端に、真っ赤になって口許を戦慄かせるエウルナリア。
一目瞭然だった。
「なんでも何も。皇国楽士になって、二人とも初の独唱と独奏を済ませた。アルムおじ様が出した条件に叶ってるのは、今のところレインだけ。
加えて、遠征中によその王に手を出されて傷心のエルゥが、すぐに恋人に甘えられるとは考えにくい。……距離、取りたかったんだろ? その様子だと、もう解決したみたいだけど」
「ご明察……ロゼル、どうしてそんなに、私のこと知ってるの」
「好きな子だから」
しれっと答える親友は、見た目が男子生徒。
しかし、中身は大切な幼馴染みの女の子だ。
エウルナリアは、それは嬉しそうに――蕾ではない。まったき大輪の薄紅の花が朝露を含んで咲き初めるように、瑞々しく柔らかに微笑んだ。
「私もロゼルのこと、すごく大事。…大好きよ」
「……」
ロゼルは、ゆるゆると視線を落とすと茶器を置き、そのままローテーブルに突っ伏すのではないかと思えるほど深く、がくりと項垂れた。「…これだものな………苦労するよ、レインもグランも、殿下がたも」と、低く呟いている。
焦げ茶の後れ毛が隠す耳は、仄かに赤い。
結局夕刻まで一緒にいたものの、ロゼルは泊まらなかった。
『思ったより落ち込んでなさそうだし、寂しくなったらキーラ邸に泊まりにおいで』と、惚れ惚れするほどさらっと言われたのを思い出し、エウルナリアは寝間着姿でくすくすと笑う。
寮の就寝時刻は、夜の九時。強制ではないが、寝付きのよい少女にとっては何と言うことはない。いつでも眠れる。
ぽふ、とリネンのクッションにうつ伏せで顔を埋めてから、ころん、と転がってベッドであお向けになった。
ぷは、と顔を離す。――そのまま、胸の前でクッションを抱き締めると、ゆっくりと瞼を閉じた。
遠く、近く、まだ起きている寮生たちの足音や声、物音。生活音が聞こえる。
バード邸にいたころは足音ひとつさせなかったメイド達に囲まれていたので、うるさいというよりは新鮮だ。でも……
(不思議。一人じゃないのに、一人なんだなって、よくわかる)
ほんの少し、眠る前にレインと会えないことや朝になってもアルムに会えないことを寂しく思いつつ。
(…それを、選んじゃったのは私だもの、ね…)
ころん。
左を向いて、やはりクッションは抱いたまま。
「……おやすみ、レイン」と。
なかば無意識で、うっすらと吐息だけでささやきながら。姫君の意識は、うつらうつらと優しい眠りの闇に溶けていった。