105 図書の塔、秘密の会議(前)
「では……やはり、行かれるんですね?」
「うん」
ひそひそ、と主従は額を合わせて会話した。
目の当たりにしたグランが、むっと顔を歪める。「近い。離れろ」と低い呟きが漏れると同時に少女のうしろから手を回し、頤をぐい、と引いた。
椅子に掛けていた少女は目を丸くして為すがまま。ぽふ、と傍らに立っていた新米専任騎士に背後から抱きすくめられる形になる。
「グラン……っ、あの」
「…………エルゥ様を離してください。手癖の最悪な騎士どの」
たちまち面白くない顔となるレインに、グランは表面上すみやかに従った。さりげなく彼女の唇と頬に指を滑らせ、名残惜しそうに手を離す。
その手つきに、レインの目許がさらに険しくなった。
グランはにやっと悪童じみた笑みを浮かべている。
「手癖……か、悪ぃ。否定できない。何しろ、告白して玉砕して会えない時間が長すぎた」
「うん。全然反省してないですよね、そもそも」
「――はい、そこまで」
((!!))
湖を見下ろす窓に面した席。主と横並びに座る従者と、令嬢の傍らに立つ騎士は揃ってぎょっとした。
「声が大きいよ、気をつけて。……移動しようか。四人でここじゃ話しづらい」
「はい」
カタン、と椅子が鳴る。
いち早く反応したエウルナリアが席を立ち、皇子の側へと歩み寄った。
ちらり、と目配せし合ったレインとグランは、束の間ばつの悪い表情となったあと、動作だけは俊敏にかれらの後ろに続いた。
* * *
図書の塔の一階は、ほとんどが受付業務区域にあたる。
よって、一行がたむろしていた場所はそれより階上。塔の中央にある螺旋階段で繋がれた、吹き抜けの中空回廊にあった。
二階部分は、地理風土および歴史の回廊だ。
蔵書量はなかなかのもので、国立大図書館ほどではないが、一介の学生が調べものをするには充分な水準と言える。
そのフロアをしずしずと移動する。毛足の長い絨毯が、四名の足音をうまい具合に消していた。
やがて入り組んだ棚の群れを抜けると、ぽつん、と周囲から切り離されたような閲覧スペースを発見した。
椅子は六脚。長卓が一つだけ。背の高い書棚に囲まれ、すぐ横の通路や階段からうまく隠されている。
――これならば、秘密の話し合いに打ってつけだなと、グランは深く頷く。
ついでに、ちらりと純粋な疑問が湧いた。
「えーと。ユシッド様は在学中、どういった時にここを?」
軽く尋ねると、皇子はにこり、と人好きのする笑顔で答えた。
「きみが思う理由じゃないことは確かだね。でも、エルゥと二人っきりになれるならこの際、どこでもいいと思う」
「はぁ。……なるほど?」
「あぁあ、もう。そこまでです殿下。始めましょう? レイン、机の上の明かり付けて。グランは殿下の隣に座ってね、お行儀よく」
囁き交わす長身の二人の脇を、すばやく小柄な体躯が過った。
ふわりと揺れる黒髪。靡くスカートの裾。
レインも動く。
彼女についてゆき、流れるような仕草で小型のランタンを灯すと、薄暗かった机上をふんわりと照らし出した。
「…………」
「…………」
若干の沈黙。
何とも言えない空気に、ふいっと視線を逸らし、青年達はバード家の若い主従を追った。
――――『どこにも。本当は誰にも、彼女をやりたくなどない』。
その一念だけはつよく、三者に共通している。