フェイズ7-1:運命 -Ultimate Loid & All Life
四限目から学業に復帰し、昼はシンテンオウのエネルギー供給で凌いだ。今は左肩に止まらせ、右手でヤヨイと手を繋いでアーケードを帰っている。しかし、腹減った。
相変わらずオレの姿を初めて見る人の目は厳しいが、見たことのある学生等は以外と気にもしなくなっている。やっぱ慣れって凄い。
「カグラさん、大丈夫かなあ」
下校前に生徒会室に寄ったときは、気の使いすぎによる疲労と寝不足で爆睡中とシンに面会を断られたので心配だったが、ヤヨイは指を振った。
「カッくんは睡眠を取れば平気なのだよ。どんな怪我もたちまち治るのだ。心配無用だね」
そんなものなのか。気って凄いな。つうことは、眼帯の下の右目は回復中だったってことか。
「オレ負けちゃったけどペナルティはどんなものになるの?」
「恐らくマシーンロイドにしか出来ない事になるだろう。そちらも心配無用だね」
「そっか」
ま、杞憂か。
「ちなみにヤヨイのペナルティは?」
「ボクのは…動物病院のボランティアになるだろうかね」
「生物部の部長だから?」
「多分だがね」
「将来は獣医?」
「どちらかといえば、研究所を構えたいかね」
そっちか。成る程、生物関係が得意らしい。
「ヤヨイ、DNAって何の略?」
「ノン君、CPUって何の略?」
「…ごめん」
アホゥ
簡単過ぎる得意分野の問題に鮮やかなカウンターを決めたヤヨイはふふんと笑う。オレのアホめ。
「あ………」
余裕の笑みを失くすヤヨイ。視線を辿るとSpooky Kidsの看板が蛍光色に彩られてる。オレのマイボデーの為今日も帰宅を優先しているが、寂しそうな表情は隠せないようで…。
よし。
「ヤヨイ、明日は歌い明かそうねっ」
オレもヤヨイとのカラオケは好きだ。繋いだ手を強く握りながら目を細めると、ヤヨイは驚いた後にとびきりの笑顔で頷いてくれた。
「…うん!」
やはりヤヨイの笑みはメタリックハートにズギュンと来る。
明日が楽しみだぜ。
帰宅してシンテンオウを充電。
晩飯をやっぱり一杯食って家族に心配されながらも、宿題を終わらせて体を休める為早めに寝た。
明日はヤヨイと買い物だ。メタル胸がときめくが、快眠モードで強制OFF。
おやすみ。
各部に異常なし。オールクリア。
…やはり快眠モードは素晴らしいな。
「…ふぁー」
上半身を起こして体を伸ばす…んー、気持ちいいぜぇ…。
さっぱりとした新しい制服に着替え、ギターケースを背負い一階のリビングへ。
「おはよう」
母さんがテレビ前のソファーに座ってニュースを見ていたので挨拶。
「あ、おはようメノン…?」
母さんはオレに視線を向け、そして怪訝に首を傾げる。
「…なに?」
「…部活?」
え?
「まだ部には入ってないけど」
「…え、今日、学校なの?」
どうやら制服を見て驚いていたらしい。
「そうだけど…普通は違うの?」
「土日は休みの筈よ」
そうなのか…おっと、立ちあがり台所へ向かおうする母さんの肩を押さえて座り直させる。
「座ってていいよ。自分でご飯造るから」
母さんは何か言おうとしたが、とりあえず観念したようだ。余計な労力かけさせたくないし、飯造るくらい自分でできる。
台所でオレ用の食料庫から大きな鉄板を一枚取り出し、特製溶鉱炉で赤くなるまで熱す。うーん、匂いが堪らん。
「休みの日に登校させるなんて、変な学校ねえ」
半分溶解した鉄板を載せた特注皿とガソリンの入ったペットボトルを持って食卓へ。母さんはティーカップを傾けてハーブティーを嗜むが、その姿は優雅という文字が似合い過ぎだろ。
「でも午前中だけだよ」
貰って取り込んだ時間割データによると、第二、第四土曜日は登校日。ただし三時限で終了。
「そう。じゃあお昼は家で食べるわね」
「あ、ヤヨ…友達と買い物の約束してるから、外で適当なものを食べるよ」
「友達?」
鉄板を手で持って食いちぎる。
「うん…ガグガグ……友達」
詳細を濁して言うと、母さんは微笑んだ。
「そう、もう友達ができたの。良かったわねえ」
オレもすっごくそう思う。
ペットボトルを空にして食器と一緒に片付けた。そろそろ行こう。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ギターケースを担ぎ、母さんへ手を振って家を出る。右からウォンッとデカい犬の鳴き声。
「エゾ。行ってきます」
ウォンッ
相変わらず怖い牙を覗かせて鳴いてくれた。
シンテンオウはどうだろう。ガレージへ周り、認証して中へ入って明かりをつける。
「シンテンオウ」
いつもの台座を見ると、元気に羽ばたくアホウドリがいた。よしよし、元気だ。頭を撫でてやろう。
「今日は多分、呼ばないと思う」
アホゥ
「でも、呼んだら来てね」
アホゥ
「うん。じゃ、行ってきます」
最後に嘴を撫でてやると、気持ち良さそうに目を閉じたのでガレージを出る。シャッターを降ろして、よし、学園へ…。
「メノン」
「…あ、父さん」
呼び声に振り返ると、いつの間にか道路を遮るように黒いエアリムジンが停まっており、後ろの窓から父さんが顔を出していた。高そな車だが、このデカさじゃ車庫には入らないので社有車か。
「出社?」
「うむ。そっちは今から学園か」
「うん」
母さんと違い、父さんは登校に驚いていない。
「今日は帰り遅くなるかも」
放課後色々あると思うし。
「そうか。気を付けてな」
「父さんもね。行ってきます」
振り返り通学路へ一歩を、
「待て」
踏み出そうとして呼び止められたのでそのまま一回転して向き直る。
「何?」
「話がある。すぐに済むから、乗れ」
リムジンのドアが自動で開きオレを誘った。断る理由はない。
「話って?」
リムジンに乗るのは当然初めてだ。広いんで父さんと向かい合って座っても膝が当たらない。あ、ドア閉めるな運転手、すぐ済むんだから。
「メノン、我が家の家訓を覚えているか?」
オレの目を見ながら腕を組む父さん。家訓? そんなのあったのか。
「ごめん、覚えてない」
「やはりか」
父さんは顔に手を置き、あからさまに落胆した。悪いと思うけど、メモリー吹き飛んだんだからしょうがねえじゃねえか。
「ではここで覚えていけ」
家訓となれば、長男たるオレが覚えない訳にはいかない。
「うん」
「よし。では、復唱しろ。ハタカセ家三信」
三信、つまり三つか。
「ハタカセ家三信」
「一つ、逃げない事」
「逃げない事」
「一つ、怠らない事」
「怠らない事」
「一つ、諦めない事」
「諦めない事」
「以上だ。覚えたか?」
「勿論。いい家訓だね」
シンプルだし、人生に大切なものが込められてる気がする。父さんは得意げに笑った。
「だろう? では、今日から出来るだけ家訓に倣うようにな」
「はい」
ドアが開かれたのでリムジンから出て向き直り、父さんと言葉を交わす。
「学業に励め。行ってらっしゃい」
「うん、行ってき」
手を振ると同時にスモークガラスが閉まり、エンジンが掛かった。おい運転手、空気読め。
浮遊するリムジンが回転して去る時にちらっと運転手を覗く。白いスーツを着た長い白髪の、無表情の美女。秘書か。
「…逃げない事、怠らない事、諦めない事、か」
後部座席から必死に手を振る父さんを見送った後、もう一度復唱して、今のとこを振り返る。逃げちゃいないし、バトル関係以外では怠ってもないが………エネルギー残量0とはいえ、昨日は諦めたな、オレ。
「…うん」
今日からだ。今日から三信を守る。
学園行くぜ。
タイテンとヒュウガの分岐路にヤヨイの姿はなかった。
昨日は待ってくれていたので、今日はオレが待つべきか? いや…そもそもここで待ち合う約束なんてしてないし、部活で先に行ってる可能性もあるか。だがヤヨイの中ではここで合流する事になったのかもしれない。時間は…昨日よりやや早く家を出たので少し早いか。
…もうちょっとだけ待っていよう。それでも来なかったら、迷惑かもしれんがメールを送ろう。
暇潰しに橋の下を覗く。透き通った冷たそうな水に小魚やエビやカニが沢山見えた。自然の営みは貴重で美しい。
あ。
「〜♩」
ヒュウガ方面から川沿いを歩いてくるヤヨイを発見。川の方に微笑みながら歩いてくる。可憐だ。
「〜…!」
オレに気付いた。雰囲気をぶち壊すように前傾姿勢で猛ダッシュしてくる。そ、そんな急がんでも。
そのままオレにぶつかる寸前で急ブレーキを掛けて止まり、顔を上げて笑った。
「はぁ、はぁ…お、おはようノン君っ!」
「おはようヤヨイ。そんなに急ぐ必要なかったのに」
息を整えるのを待つ。あれだけのスピード出したので全身から湯気が出て汗もかいてるな。
「ハンカチ使う?」
「あ、ありがたくっ」
ポケットから取り出した真っ赤なハンカチを渡すと、ヤヨイは快く受け取って顔や首を拭った。
「ふう、洗って返させてもらうよ」
「うん。じゃあ行こうか」
オレ達は並んで歩き出し、自然に手を繋ぐ。
今度からここで待つようにするか。
放課後の予定を決めておこう。
「今日3限目で終わるでしょ。その後は?」
ハンカチをスカートのポケットへ入れたヤヨイが上を向く。
「…ボクの部活が2時くらいには終わるかね。その後、アーケードでノン君の服を見繕い、最後はカラオケでフィニッシュといこうかね」
「おっけー。他に誰か誘う?」
「キーちゃんとボッ君は部活、クーちゃんとバッ君は委員会で無理かね」
「カグラさん達は?」
「カッ君とシンちゃんか。今まで何度か誘ったものの、カラオケには来た試しがないのだよ」
「嫌いなのかな」
「というより、学園から出たくない感じだったかね」
秘密基地作ってるくらいだから、どっかから追われてるのかな。事と次第によっちゃあ迎撃システム組んでやらないでもないが、それとなく聞いてみっか。
「…と、というわけで、今日は二人っきりで、デ、デートと洒落込むのだよっ」
繋いでいた手の強さが増す。ヤヨイの顔を見れば、自信満々な顔で頬が桃色だ。
恥ずかしいなら言わなくても…と思ったが、公然の事実にしたいのか。
ここは乗っかるべし。
「うん、オレも楽しみだよ。デート」
あくまで平静に言うと、手の強さが更に上がっ痛い。
「ふ、ふ、ふ、ふふふふ、ふふふふふふふふふ」
顔真っ赤で薄ら笑い、ヤヨイは関節かちかちでぎこちなく歩く。物凄くかわいい。
「ど、どうかしたのかね?」
「…何が?」
「いや、その笑みだよ」
笑み? …オレ、知らずに笑ってたみたい。
「…なんかさ、ヤヨイがいつも通り、って思ったら笑ってたよ」
正直に言うと、ヤヨイは足を止めて手の握りを甘くし、顔を伏せた。オレも止まる。
「…いつも通りのボクが好きかね?」
…どこか影が出てる重い物言い。なんだ、地雷踏んだか?
「うん、好き」
いや、でも正直に言っとこう。
「そう、かね」
顔を上げたヤヨイは、やや引きつった笑みを浮かべていた。どういう事だ。
「どうしたの?」
「なんでもない…いや、なんでもない訳ではないのだがね」
「うん」
「…いや、ノン君に言ってどうにかなるものか」
なんじゃそりゃ。
「じゃあ無理して言わなくてもいいよ」
「そう言ってくれると助かるね」
偶に、ヤヨイは不思議な所があるな。
土曜の朝なので人通りの少ないアーケードを抜け、登校する生徒はそこそこな通学路を通りオレ達は新田学園へ到着。
「オレ、生徒会室に昨日の事を聞きに行くよ」
「では、また教室でね」
手を離してヤヨイと別れ、校舎の裏へ回る。そこそこ補修の済んだ生徒会棟が見えた。モニターセンサーも復活してるみたいだが…オレのカードで入れるのか?
『認証しました』
カードをかざすと見事に認証されて鉄製ドアが開かれる。関係者と見做されているようだ。よかった、これでツクヨミに殴られずに済む。
エレベーターはまだ撤去されていて梯子のままだったのでそれで上まで昇り、生徒会室前廊下へ。ブルーシートは外されて壁と床は直っていたが、カーペットはないのでコンクリート剥き出しだった。
お、扉も直ってる。
「おはようございます」
「ヨオ」
扉を開いて生徒会室に入ると、横のソファーにサバキが座っていた。
「早いよサバキ」
「オタガイサマダロ」
テーブルの上には書類が積まれており、サバキはそれに判を押している。近付いて覗き込むと、学園内違反者執行書と書いてあった。
「それは?」
「ガクエンナイデコウソクニソムイタヤツラノショルイ。オレサマハシッコウイインチョウダカラナ」
「風紀委員はまだ分かるけど、執行委員は何をするの?」
「オモニバッソクヲアタエル、ケイヲシッコウスルイインダ」
そのまんまな役職なのか。
「普通ならそういうのは先生がやるけど、ここじゃあ生徒にそういう権限を与えてるんだね」
「ムロン、オレサマタチシッコウイインハフウキイインニカンシサレルタチバニアル。ソシテオサ、カグラニモナ。ソレデバランスヲタモッテンダ」
「ふーん。ちなみに今回の違反者は?」
「ガクエンナイノカクシカメラニウツッテタ、タバコスッテタアホドモ」
喫煙かよ。そりゃ駄目だ。
「罰則は?」
「ガクエンノセイソウイッカゲツ。アサシチジカライチジカント、ホウカゴイチジカンズツ。キュウジツモナ。シッコウイインノカンシツキデ」
妥当だな。それに付き合うってんだから執行委員も大変、だがそれが仕事ってことか。
「…………」
上から見てると、ゆらゆら揺れる頭頂の白いアホ毛と全く瞬きをしてない目が気になる。そういや、まだこいつの体について不思議だらけだ、と思ったらなんか気になりだして。
「ンァ……ハヒヒヒャヒャヒュ」
頬を引っ張ってみると、サバキは動きを止めてオレを睨んだ。感触は普通の人間のものと然程変わらない。
「痛い?」
「バカコノ」
オレの手を払い、いきなり何すんだこいつ的な顔付きになるサバキ。声のトーンは変わってないけど。
「どういう体の構造してるのかなって」
「キニナ…ルカ、ソリャ」
うんざりしながらも、サバキは渋々意図を汲んでくれた。ブン殴っても蹴っても燃やしても効かないし、体が伸びたり浮遊したりするし、色々変だからな。
判子を置いたサバキは、腕を組んで仰け反る。
「オマエモニンゲンジャネエカラナ。ダマッテテクレンノラ、トクベツニハナシテヤル」
お前も、ってことは。
「サバキも人間じゃないってことね」
「ソウイウコトダ」
だろうな。
「その正体は?」
無表情・無関心を装いながら、本当はわくわくしながら尋ねる。
「…ナガクナルカラ、テミジカニイウゾ」
サバキは眉間に皺を寄せた。
「うん」
「イセカイノセイブツダ」
………?
「異世界の…生物…?」
「オウ」
…………。
「ドウシタ?」
「…信じられない」
「オマエガイウナ」
長い腕でオレの目に指を突っ込んできたけど、シャッターが自動で降りてガード。
というか、異世界て。ファンタジーすぎるぞ。
「シンジテネエミテエダナァ」
困惑するオレを見て指を引っ込め、ニヤニヤ笑うサバキ。なんだその笑みは。オレが常識的じゃ悪いのか。
「アンダケフカシギナゲンショウヲオコシタンダゼ。スコシハシンジロヨ」
「…そう言われると、まあ信じざるを得ないけど」
物理法則に反した所業の数々に、いやいやながら頷かざるを得ないのも事実。
「でも、異世界人だからってあんな事が出来るのは変だよ」
「ハハハ、オレサマガイタセカイジャ、ウマレタトキカラソラヲトブノガアタリマエダッタンダゼ」
? …あー、てことは。
「つまり、向こうの世界の法則とこっちの世界の法則は異なっていて、向こうから来たサバキには向こうの世界の法則が適用されてるって事?」
「ハナシガハヤクテタスカルネェ」
ソファーの背もたれに両手を広げ、サバキは喉を鳴らして笑う。痛快に見えるが、やはり誰かに打ち明けたのは初めてらしい。その第一号がオレでいいのか。いや、オレだからいいのか。
距離が縮まった所で、正面のソファーに座ってもう少し質問してみた。
「なんでこっちの世界に?」
「ツイホウサレテナ。ムコウジャゴクアクニンアツカイサレテタンダゼ」
「不服っぽいね」
「マアナ。オレサマテキニハゼンコウノツモリデヤロウトシタガ、マワリハワカッテクレネエモンダ」
「未遂ってこと」
「シッコウユウヨプラスコッチノセカイデゼンコウツンデアタマヒヤセッテヨ」
「それで戻れるの?」
「ワカラン。マ、ヤルダケヤルサ」
「今すぐ戻りたい、ってわけじゃないんだ」
「ショウジキイウト、マァデキレバッテカンジダ」
成る程成る程。
「チャントシンジタカ?」
「うん。むしろ納得したよ。あれだけ無茶苦茶なのは、別の力が働いていたからだって」
オレの言葉に、サバキは満足な笑みを浮かべて天を仰いだ。
「ヒミツヲウチアケルノハ、イイキブンダゼェ」
鬱憤はかなり溜まってらしい。内容的に、いきなり別世界に送られたのだから当然か。
「オレで良ければいつでも聞くよ。誰にも話さないから」
「アリガトヨ、メノン」
友達…いや落ち着けオレ。まだ早計だ。まだ友達じゃないよな。というか、これは秘密を盾に強要してるみたいでいけ好かないし。
「どういたしまして」
「あら?」
地下秘密基地への扉からグラサンメイドが出てきて、オレ達に眉を上げた。
「おはようシンさん」
「オハヨーサン」
「おはようございます。お二人共、お早いですね」
シンが微笑みながらこちらへ歩み寄る。
「シゴトダカラナ」
サバキはソファーに座り直し、判子押しに戻った。
「オレは昨日の事で聞きたい事があって」
「はい。お聞きします」
シンもソファーにふんわりと座る。ちゃんと聞いてくれるようだ。グラサンのフレームを持ち上げ………?。
「…ぇ」
「あ、少しお待ちを」
…角度が微妙だったのか、グラサンがずれた。シンは落ち着いた動作でグラサンを一度外したが、黒い瞳が露わになる代わりにグラサンは色を失う。
「…あ」
「…? どうかなさいました?」
元グラサンを掛け直しいつもの姿に戻ったシンが首を傾げた。
…オ、オレはとんでもない思い違いをしていたのか?
「ハタカセさん?」
グラサン、いや眼鏡が不思議そうにずいっと迫る。
「え、あ、はいぅ」
動揺して変な声が出ちまった。
「?」
眼鏡が遠ざかる。と、取り敢えず弁解をっ。
「シンさんの眼鏡取った姿、初めて見たよ」
咄嗟に口から出まかせが飛び出した。ホントはずっとグラサン掛けてると思ってたら、実は物凄く度の強い眼鏡だと知ってビビったんだけどな!
「え? あ、そうですね。私、とても弱視ですので眼鏡は必須なのです」
「そっかー、どうりでー」
空返事で茶を濁す。シンもサバキも、オレの態度にどこか不思議そうな顔をしていたが、誤魔化せた……………これは逃げなんじゃあないか? 逃げるのは駄目だ、家訓に背く事になる。普通ならこの程度逃げの範疇にもならないと思うが、オレ基準では逃げと感じたので…。
頭を下げた。
「ごめん。正直に言うと、シンさんがずっとサングラス掛けてると思ってて、実は度の強い眼鏡だったから驚いたの」
「え?」
「エ?」
真実を伝えると、傍観していたサバキも思わず声を漏らしていた。
「そうでしたか。大丈夫ですよハタカセさん、貴方だけではありませんから」
「え?」
思わず顔を上げると、シンは微笑んでいた。
「ミンナ、サイショハグラサンカケタメイドダトオモッテタンダゼ。オマエダケジャネエヨ」
サバキからもやんわりと慰められたが…皆?
「皆、ってキツ達も?」
「はい。カグラ様を除いて、生徒会役員全員が勘違いしていました。貴方はスキャン機能で既に知っていたと思っていたのですけれど」
「そこまで万能じゃないんだけど…」
「オチコムナヨッ」
がっくり頭を下ろすと、サバキが長い腕を伸ばして肩を叩いてくれた。顔を上げると、マジで腕がゴムみてえに伸びてる。
「…ありがとうね」
「フフ」
「いえいえ」
サバキは腕をしゅるんと戻して判子押しに戻った。微笑むシンは今のを見ても驚かなかったので、サバキの異常性は生徒会周知の事実って事か。
「…さてハタカセさん、お話というのは?」
「あ、えっと…」
談笑からスムーズに会話へ漕ぎ着けられた。
これも三信を守ったお陰…か?
「おはよう」
教室に入ると、顔と名前は知っているが交友のないクラスメイト達が映る。社交性の高くオレに慣れた奴なんかは「おーっす」と返してくれたが、それ以外の奴は軽く頭を下げる程度。まあ普通か。
…オレも慣れてきてる。いや、いいのか。敵を作る必要はないし、全員に好かれる必要もない。
ヤヨイはいない。前列の彼女の机に鞄があるので、部活かトイレか。
「おはようアクロウ」
「お、おはよう、メノン」
隣の席のオレの友達、アクロウは本を読んでいた。表紙は真っ白なドレス着た長い黒髪の美少女が、頭に角材が刺さったまま笑っているもの。痛々しさや悲壮感はない。
「アニメの本?」
ギターケースを後ろの棚に置いて教科書類を取り出し、机に入れながら聞く。
「ラ、ラノベ」
席につくと本を閉じて渡してきたので受け取った。タイトルは「ダークネス・シンドローム II」。2巻目。ファンタジックな世界での話らしい。
「面白い?」
「う、うん」
興味が沸かないな。アクロウへ返すと、夢中になって再び読み始めた。
あ、放課後の事聞いとこう。友達だし。
「アクロウ」
「な、なに?」
本から目を離し話を聞くアクロウ。
「今日の放課後、暇? オレ、ヤヨイと買い物行くんだけど、アクロウも行かない?」
「ご、ごめん。よ、用事があって…」
無理そうか。
「分かった、また今度誘うよ」
「う、うん。ごめん」
ま、しゃあない。
アクロウは読書に集中し始めたから、これ以上話しかけるのはやめとくか。
今日の授業の宿題を確認しておこう。
「おはヨン」
行儀良く入ってきたのはツクヨミ。
「おはようございます!」
真ん中寄りの席にいた、茶髪のクラスメイトが友人達との会話を打ち切って勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。めっちゃびびってるが、何したんだあいつ。
「座りなさイチ」
ツクヨミはそいつへ歯牙にもかけず手を振り、座らせた。悪い事した奴が平謝りしてる情景。風紀委員長だからか。
「………」
背が低いのでツクヨミの席は最前列真ん中。そこへ座る前に、目つきを鋭くさせてオレを見た。まだ警戒してんのかあいつ。
しかしツクヨミと争う気はない。ここはオトナの対応をみせちゃる。
「………」
少し微笑みながら、奴の目を見たまま軽く頭を下げる。どうだ、友好的だろ?
「………」
…おお、会釈して席に座った。ヤヨイとの約束事に加え、オレが人畜無害と分かってきて少しは認めたってとこか。
この調子で行こう。
「おはようっ」
ヤヨイだ。クラスメイト達が矢継ぎ早に声を掛けると、それに応えながらオレの方へ近付いてくる。
「おはようアッ君。で、ノン君、どうだったかね?」
ヤヨイはアクロウへの挨拶も程々にオレの前の席に座った。
「うん。ペナルティはあったけど、オレには簡単なものだったよ」
「ほほう。どんなものかね」
にっこにこ顏で聞いてくるヤヨイに、少しメタル罪悪感を溢れ出させながら言う。
「生徒会棟の、微修繕」
「細かい所か、若しくは精密な部分かね」
納得するヤヨイ。
しかし、本当のペナは秘密基地の設備強化だった。これは極秘事項で、シンが話す時に小声かつわざわざサバキに耳を押さえさせたものだ。ヤヨイにも言えないのでシンからのダミー文言が今のだった。
ごめんなヤヨイ。
「…ノン君」
下からオレを見定めるヤヨイ。な、なんだ?
「なんでそんな、悲しそうなんだね?」
…顔に出てた、のか?
「そう見えるの?」
「うむ」
そっか。
「いつか、話すよ」
「? うむ」
不思議そうなヤヨイは、顔を傾けたままだった。
授業はたった三限なのであっという間に過ぎ去って。
「んじゃ、気を付けて帰れよ」
終業のチャイムが鳴る中、ヤブキ先生は教室から出て行ってHR終了。放課後だ。
「ではノン君、部活終わったら連絡するねっ。また!」
「うん」
ヤヨイはサムズアップして部活へ向かった。こっちは朝言われた通り、設備強化へ行こう。
「指差し確認、忘れずに!」
生徒会棟まで来ると、棟前に作業着姿でヘルメット被った建築部の奴らが規則正しく並んで注意事項を読み合っていた。ガテン系親方風顧問が重機のチェックをしていたので会釈して通り、何人かの視線を感じながらもゲートをパスして中へ。
「こんにちは」
生徒会室へ足を踏み入れると、正面の机にカグラがいた。何かの書類にサインしているようだが、入ってきたオレを見てペンを置き頭を下げる。
「…こんにちは」
眠そうな声は変わらないが、外面を見る限りオレとの戦いで負った傷は治っていた。アイパッチは変わんないけど。
「カグラさん、怪我、大丈夫でしたか?」
「…うむ。完治した」
微笑むカグラ。憂いがなさそうでほっとした。
「…お前も直ったようだな」
「はい。バッチリです」
「…よかった」
カグラもどこかオレに懸念があったらしい。お互い様だ。
「では、基地の設備強化へ勤しみますね」
「…頼む」
うつらうつらしてきたので会話を切り上げ、基地への扉へ向かう。
あ、聞くの忘れてた。
「そういえば、オレと戦った理由って」
言い終わる前に頭部を机へ叩きつけ、カグラは眠っちまった。あれじゃ、聞くのは忍びねえな。
「…おやすみなさい」
一言申し扉へ入る。階段を降りてってモニターだらけの基地に着くと、中央のデスクに座ってコンソールを操作していたシンが振り返った。
「あ、ハタカセさん」
「どうも。ペナルティを執行されに来たよ」
「ありがとうございます」
デスクに近付くと、モニターには様々な経費やら部費やらのデータが入力されていた。
「シンさんが管理してるんだ」
「はい。秘書ですので」
事も無げに言ったシンは、データ入力を打ち切りオレに向き直る。
「早速ですが、基地の設備強化、お願いします」
「うん。なにから、どこからやったほうがいい?」
ここならグラウンドを一望できるな。袋から一つ取り出しセット。水晶モニターでチェック。画像も位置も問題ない。よし、あとはマシン細胞で固定して、と。
「おーい、メノーン、何してんだーい」
水晶モニターの映像に、グラウンドの方から声を掛けている誰かの姿が映る。ズームアップするとキツ。オレが何してるか気になってるみたいだ。しっかり固定された事を確認し、体育館の屋根からブースター調整してゆっくり降りてキツへ歩み寄ると、あのくノ一ルックで手にストップウォッチを持っていた。レーン走ってる奴らのタイムをカウントしてるみたい。
「部活中ごめんね。今ペナルティ中で」
「え、そうなの? 何してたのさ」
袋から小型カメラを一つ取り出して見せながら言った。
「監視カメラの設置」
「それが?」
一円玉サイズの映像機器を見て訝しむキツ。まあしゃあないか。
「うん。オレがマシン細胞で造った優れもの。そう簡単には壊れないし、点検しなくても一年以上は持つよ」
画質もズーム機能も音声出力もバッチリだ。
「ふーん。じゃあ今後、監視役はメノンて事かい?」
「そこまでは聞いてないよ。ペナルティでやってるだけ」
まあでも、遠隔操作できて保存もコピーも切り取りも映像出力も可能なオレが適任だわな。そこら辺はカグラ次第だけど。
「そっか。いや、なんであんな所にいるのか気になってさ。呼び止めてごめん」
「ううん、いいよ。キツは部活中だよね?」
キツの横に並びレーンを見る。10人程が一周300メートルのトラックをひたすら走っていた。
「うん。今日は陸上部の顧問」
「…今日は? 顧問? キツは走らないの?」
オレの疑問に、キツは細い目を更に細めて笑う。
「あたしが人間の大会に出てどうすんのさ。それにあたしは体育委員長、色んな体育系部活の顧問担当なんだい」
確かに、あのスピードじゃぶっちぎりもいいとこで、逆に色々言及されかねない。そうなったらめんどくさいだろう。
「それもそうだね」
「うん。おーい、アクツー! 一周遅れてるぞー!」
ヒーヒー言いながら走っている男子に檄を飛ばすキツ。傍目に見ても、キツは楽しんでやっている。こういうのが好きらしい。
…それが、キツが人間の世界にいる理由なのか?
「エンジョイしてるんだね」
オレの端的な質問に、キツは真意を見抜いたが如く笑った。
「とっても!」
キツと別れ、部活エリアへ向かった。幾つも建ち並ぶ部活棟の内外にカメラを程よくセットしていると、奥の方の専用棟は関係者以外立ち入り禁止のゲートが設置されているのが見えた。ツクヨミの一件もあるので越えるのは止めとこう。確か、生物部の部室と畜舎はあの先なんだっけ。
後はグラウンド同様に外観を一望できる場所を探していると、棟への渡り廊下を歩いてきたオボロがオレを見つけて足を止めた。さっきみたいに説明しとくか。
「やあ」
ブースター切って降下し挨拶。
「どうも。何をしているんですか?」
やっぱ気になるか。
「ペナルティ中。監視カメラの設置をしてるよ」
成る程、と頷くオボロ。話が早くて助かる。
「オボロは?」
「僕は今から部活です。といっても顧問ですけど」
こいつもか。
「確か文化委員長だったっけ?
「はい。百人一首やカルタ、将棋などの部活顧問担当です。剣道部だけは本職なので主将と兼任ですが」
「時を止められるから、大抵の勝負事は無敵だもんね」
「誤解しないで下さい」
笑顔の端を強張らせ、掌を突き出すオボロ。タコがいっぱい付いていた。
「この能力を真剣勝負の場に持ち出す程、僕は愚かではありません。剣道でも同じです」
つまり剣道日本一の腕は本物って事か。オレとのカルタ勝負は人間相手じゃないからノーカンとして。
「そんな能力を自制できるのは、やっぱり凄いと思うよ」
悪用し放題だし。
「前も言いましたけど、あんまり便利じゃないですよ。小さい頃は原理と勝手が分からず、何度も生死の境を彷徨ったもので」
生まれつきの能力か。でも、以前は大変じゃないって言ってたから、それがオボロにとって普通なんだろうな。
「ワダツミさーん」
オレの後方からオボロを呼ぶ少女の声。オボロは首を少し傾けたが、オレは丁度設置したカメラの一つに和服の中学生が映ったのを確認。振り向くことなくオボロへ尋ねた。
「何部の子?」
「茶道部ですね」
そういう事もやってるのか。やっぱり凄いなこいつ。
「オボロ、頑張ってね」
「メノンもペナルティ頑張って下さい」
オレはオボロと笑顔で別れてブースターを点火した。
「食べながらでいい、聞いてくれたまえ」
「もぐもぐ」
ベッド、タンス、電気スタンド、観葉植物などが置かれた六畳程の窓が無い部屋。中央の卓袱台へ両肘をついて顔を持ち上げた女の子座りのヤヨイは、ご機嫌な表情で語っていた。
「今日はこれからノン君と買物に行くのだよ。しかもデート、彼公認のデートなのだね。ふふんふっふ、ふっふっふぅー」
テンション高めに妙な笑い声を発するヤヨイ。そんな彼女の前に座っている、非常に長くふんわりとした黒髪で全身を覆う女性。年は二十代前半か。ヤヨイの命令通りパンを食べながら話を聞いていたが、いつもと様子が異なっているのでふいに尋ねてみた。
「そんなにたのしみなの?」
抑揚の薄い子どものような声色へ、ヤヨイは大きく頷く。
「そりゃあね。ノン君はボクの大好きな人なのだから」
「ふーん」
女性は分かったような分かってないような返事でニュウタハンバーガーを食べ始める。
ヤヨイは携帯端末を取り出して時間を見た。
「そろそろ時間だね。今日はちゃんと服を着て眠るのだよ」
「もぐもぐ…あれ、きるのいやだ」
立ち上がりながらヤヨイは溜息を一つ。
「駄目だよ。ちゃんと用意した服を着たまえ。約束だからね?」
「もぐもぐ…はーい」
女性はハンバーガーを食べ終わると行儀良く手を合わせてゆっくりと立ち上がった。髪の間から白い肌と剥き身のナイスバディが露わとなる。背が高く、そして全裸の彼女は壁際のタンスから下着と衣類を取り出し、着替えようとした。
「ヤヨイ、おやすみなさ…?」
寝る前の挨拶を交わそうとした女性は、いつの間にか立ち上がって唯一の出入り口の扉をじっと見つめるヤヨイへ言葉を止める。
「…ヤヨイ?」
何処か剣呑な雰囲気で目を細めているヤヨイへ女性が首を傾げると、ヤヨイは舌で八重歯型の生徒会装飾の電源ボタンをOFFにした。
「おやすみ、マイ」
ヤヨイはにっと笑ってマイと呼んだ女性の頭を撫でて扉から出て行った。
マイは少し考え、やはり衣服を着るのが嫌だったのか、タンスへ一式を戻してそのままベッドへ入った。
『マイの部屋』というプレートの掲げられた鉄の扉を閉め、ヤヨイは薄暗い廊下へ歩を進める。横のガラス越しの無菌室では部員が顕微鏡で生物細胞のサンプルを確認してデータを採取しており、更に進んだ奥には培養カプセルが乱立する研究室が構えられていた。
(目的は何なのだね…)
『機密養育室 関係者以外立ち入り禁止』のシールが貼られた扉から畜舎へと出てきたヤヨイを、寝ていたり餌を頬張っていた牛や豚達が不自然なまでの統制された動作で立ち上がり彼女へ顔を向ける。
「続けたまえ」
無造作に手を上げるヤヨイ。家畜達はそれを合図に、各々の営みを再開した。
生物部は既に多大な成績を残した事から豊潤な部費と実験・家畜棟を与えられており、そこから出てきたヤヨイは脇目も振らずに歩を進める。広大な部活エリアの手前側の一般部活棟には励む沢山の生徒達がいるが、ヤヨイの感覚は彼らとは明らかに異なる、具体的には大人数の大人達がとある植物を囲む気配を感知していた。そいつらが場違いな武装をしている事も、その植物が生物兵器なのも、彼女には当然のように分かっている。
(…まずいかね)
生物部員と一部生徒のみ通れるゲートから出てきて部活棟へ入り、一階の廊下を通り過ぎる。教室の中では囲碁部や将棋部が腕を競っていた。
(あまり不審な動きは見せられないね。彼らに危害が及ぶかもしれない)
一番奥の未使用の教室にいる輩へ警戒を深めつつヤヨイは進んだ。
「…!」
奥の教室が見え始めた時、扉が横に動くと中から黒い腕が伸びてヤヨイを手招きした。ヤヨイは不遜に鼻を鳴らし、周囲に誰もいない事を確かめて教室へ一息に入ると扉を閉める。
「…ふうん」
中の状態を見て、ヤヨイは静かに頷きながら降伏のため両手を上げた。
机椅子がないため広く感じられる教室の中央、これ見よがしに置かれた40センチ程の白いキノコを囲むように立つ、耐バイオテロ用の黒い防御服を身に付けた男達。ガスマスクを付けて直立姿勢、身動きひとつしない彼らへヤヨイは嘲りを含んだものを言った。
「場違いすぎだね」
それに反応するように、リーダー格らしい男がキノコを指差してマスク越しのくぐもった声を出す。
「これが何か分かるか」
「僅かな衝撃で微細な胞子を半径数百メートルまで拡散させ、呼吸から生物の中枢に寄生して死に至らしめるキノコかね。今ここで拡散させたら残っている生徒98人は全員死亡し、この学園は汚染地域と化して廃校になるだろうが…よくぞそんなものを作り上げたものだよ」
ヤヨイが恐ろしい事実を即答する。男はその答えに満足したのか、部下の一人に指で合図を送り、キノコへ金属製のハンマーを振り上げさせた。
「…目的は何だね」
呆れた態度のヤヨイに、男は懐から小さな錠剤を取り出して彼女へ投げる。掴んだヤヨイは臭いを嗅いだ。
「…睡眠薬。かなり強力なものだね。飲むのは構わないのだが…」
ヤヨイの言葉に、別の部下が後ろから水の入ったバケツを取り出す。
「お前が飲んだら水を掛けよう」
「そのキノコの胞子は水に弱いものね。OK。飲むよ」
ヤヨイは男達に見えるよう、大口を開けて上から薬を落とし、喉を鳴らして飲み込んだ。
「さ」
部下が水をキノコにかけるのを見て、ヤヨイはゆっくりと瞼を下ろして膝から崩れ落ちる。
男二人が警戒しながらヤヨイの体へ白い布のようなものを被せると、生地が自動で伸びて彼女の全身を包みこんだ。他の二人が教室の真ん中の床を外して隠し通路を開きながら、リーダー格の男は腕時計の通信機で本部へ連絡した。
「こちらベーダチーム。ヴィエルメームを確保」
ヤヨイは布の裏で目を開き、
(こんな薬効かないのだがね)
とほくそ笑む。その体に人知れぬ力が入るが、
「こちらも、マシーンロイドの友達を確保した。どうぞ」
と通信機の向こうから聞こえてきたので力を抜いた。
(ノン君の友達…ううむ、人質とは卑怯なり。ま、仕方ないね)
ヤヨイは瞼を閉じ、捕まったふりをする。
(…ノン君とのデートを帳消しにした事、絶対に忘れないからね)
彼奴等へ恨みを募らせる事を忘れる筈もなかった。