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フェイズ4:白虎 -Dreadfully Dangerous!-

キツとアクロウの連絡先を交換し、二人と帰路が違うためオレとヤヨイは別れた。キツは寮生で、アクロウは別方面らしい。シンエイの方とか言ってたけど、シンテンオウがいないからよくわからん。

「結局歌いはしない、というわけかね」

昨日と同じ綺麗なイルミネーションのアーケードを並んで歩いてると、ヤヨイが溜息をついてこっちを見た。彼女の言う通り、オレは昨日に続いてマイクすら握っていない。アクロウもちゃんと歌っていたのに。

「オレはヤヨイのライブステージがまた見れて大満足だよ」

「ボクはノン君の歌声がまた聴けなくて大不満足の極みだね」

そう言われると辛い。でも、歌いたい曲がないんだもの。

どうにかせねばと思っていたら、並んだ店の一角にCDショップを発見した。

そうだ。THE CLONINGのCDあるかも。あれならオレの判明している少ない趣味だし。

「ヤヨイ、オレここ寄っていくから」

CDショップ「寅秋とらあき」の前で親指を向ける。

「お、CDショップか。ボクも同行しようかね」

ちょっと待て。

「門限はいいの?」

ヤヨイは携帯端末を取り出すと時刻を確認し、眉を顰める。

「…これはまずいね」

「家族が心配するよ」

「うむ。特に母上が過保護で子離れ出来ていないものでね。すまないが、今日はお暇させてもらうよ」

「うん。じゃあまたね」

「ノン君、また明日っ」

ヤヨイは笑顔で手を振って、アーケードを小走りで抜けていった。モニターの時刻は19時12分。成る程、ヤヨイん家の門限は19時くらいらしい。

うちはどうだろう。聞いてなかったけど、マシーンロイドのオレがそうそう危険な目に合うことはないから心配も何もない気がする。一応、帰るのが遅くならないようにするが、家の電話と家族の連絡先は昨日教えて貰って全て詰めたので、母さんに20:00くらいには帰るとメール打っとこう。よし。

メールを送り終えたオレは寅秋に入った。中は結構広くて、品揃えもかなり良さげ。これなら見つかりそうかも。名前から外国のバンドだと、洋楽コーナーへ向かいCの列を指でさしながらスライドさせていく。

「C…clo…clo…clp…ないね」

もしかして日本のバンドなのか。回り込んで邦楽コーナーへ行き、くの列を探す。

「clo…clo…ない」

一応新作やミュージックビデオも漁ってみたが、やはり見つからなかった。よっぽどマイナーなのか、それとも…。

店員に聞くまでもなかったので帰ろうとしたとき、視界に「別店舗からも探します」というプラカードが写る。近付くと、それはパソコン状のデータベース端末だった。

ダメ元で入力してみるか。

モニターの検索の名前にCLONINGと入れ、邦楽/洋楽、状態は問わずと設定して検索開始。数秒経って、cloning hazard やらcloning of worldなどが羅列されたが、その中からTHE CLONINGを探した。

「これかな…?」

一つ、完全該当するものがあった。多分、というかこれしかない。カーソルを合わせると商品情報が表示される。

THE CLONING ファーストアルバム「No Future」 在庫なし

ないんかい。期待させやがって。帰るか。

振り返ると、ニュウタ学園高等部の制服を着た少年が立っていた。

「?」

「よっ」

同級生が知り合いみたいに腕を上げる。ざんばらな茶髪で黒色のギターケースを背負った、オレより全然普通なバンドマン。

「あ…えと、やあ」

見覚えがない。クラスメイトではなく他のクラスの奴だろう。当然名前は知らない。向こうはオレの事知ってるっぽいけど。

とりあえず生返事すると、そいつはけたけたと笑った。

「お前は俺を知らなかったな。悪ぃ悪ぃ」

全くだ。

「おれはB組のフデイ エイジ。お前はハタカセだったよな?」

「うん。オレを知ってるって言う事は、キツとの闘いを見たの?」

「おう、観戦してた。すげえ面白かったぜ!」

DVD視聴じゃなくて、あの場に居たようだ。

「それで、オレに何か用?」

「いやあハタカセがギターやってるとは思わなくてさ」

オレの背中のケースを指すエイジ。成る程。

「生憎だけど、オレはギターやってないよ」

「え? でもそれ」

「これは只の鞄。ほら」

ギターケースを前に持ってきて蓋を開ける。中の弁当や教科書を見せると、エイジはへーっと目を丸くした。

「じゃあそのメイクは?」

「これは自前。ギターケースを鞄にしているのは、なるべくこの顔に恐怖されたくないから」

頬を引っ張って喋ってやった。唇が歪むが、オレの声は喉機関から直接出ているので発音に支障はない。唇が動くのは擬態用プラス動かないと不気味だからだ。

手を離して指に化粧が付いていない事も見せてやると、エイジは両手を頭の後ろに回した。

「そうなの? 母さんの言ってた事と違うじゃん」

母さん? そういや、こいつ名字フデイっていってたな。まさか。

「もしかして、カラオケボックス「Spooky Kids」のフデイさんの息子?」

「おう。母さんから凄いメイクの同級生のバンドマンがいるって聞いてたから、ハタカセの事かと思ってたんだけど」

ああ、初めて会った時に勘違いされて、そのままにしといたのが仇になったか。

「ごめん。オレバンドマンじゃあないんだ」

「そうみたいだな。こっちこそごめん。うちの勘違いだったわ」

「うん…じゃあね」

…気まずい空気が流れる前に、退散しよう。

「おう。あれ?」

オレと入れ替わってデータベース端末に近付いたエイジが驚いたので、つい振り返ってしまった。

「ハタカセー、お前ザクロの事調べたの?」

モニターを指してオレに問うエイジ。ザクロ?

「THE CLONINGの事ならそこで調べたけど…ザクロ?」

「だからTHE CLONINGの略称だよ」

ザクロ、ね。確かにそっちの方が言いやすい。

「うん、ザクロのCD聞きたくて探してたよ。フデイ君は知ってるの?」

「そりゃ、カラオケ屋の息子で、バンド組んでるから当然」

「…と、いうと?」

「伝説のバンドなんだよ。CDとか絶版でプレミア付いてるから、もう手に入るわけねえ」

「え、そうなの?」

「おう」

意外や意外。ちょっとマイナーなバンドかと思ってたんだけど。

「それなら仕方ないね。入手は諦めるよ」

「そうか。まあ曲だけならダウンロードサイトにもあるはずだから、聞くのは簡単だぜ」

「あ、そうなんだ。ありがとうフデイ君」

「おう。うちの店、今後ともご贔屓にな」

宣伝も忘れず、エイジはデータベース端末に向き直った。何かを探し物があるらしい。

オレは忘れずに、コンビニのATMで一万円を電子マネーに変換して帰った。


昨日よりやや遅い帰宅。門を通って左を見ると、犬小屋にエゾの姿はやはりない。もしかしてエゾは犬を模したメカで、今はオートモードでそこらをふらついているのか。

…あんな白熊みたいな犬と夜道でエンカウントしたら泣き叫ぶ自信があるぞ。

「ただいまー」

「あ、おかえりぃ」

玄関を開けると、地下への扉から出てきたネオンと鉢合わせた。朝見た格好で鞄持ってるので、ネオンも今帰ってきたところのようだ。

「うん、ネオンもおかえり」

喉乾いた、と台所へ行くネオン。オレは自室へ。

部屋に入って灯りをつけると、整頓されたベッドが目に入った。多分母さんがやってくれたんだろう。ありがとう母さん。

…そういや一階にいなかったな。

「…あ」

着替えている時に、制服の右袖が肘の辺りまで黒く焦げていることに気付いた。多分今日のカルタ勝負の時、袖捲らずにロケット・フィストぶっ放してバックファイアで炙られたからだ。オレの馬鹿。

ていうか斬られた制服交換してくれないかな。キツに前をすっぱり斬られたメインの方は一応ハンガーに掛けてるけど、オレ裁縫出来ねえし、母さんに頼むのは忍びねえし。あ、てかこのメインも…うん、やっぱり肘が焼け焦げてる。気付かないもんだな。

「う〜ん…」

…そうだ、いきなりぶった斬ったキツが悪いんだ。交換してもらえるのが筋ってもんだろう。あいつ四神で責任能力充分だし。

とりあえず、シンにお願いしてみよう。それまではまだ着られる予備の方でいいか。

鞄から特殊合金製の弁当箱と水筒を持って一階へ戻ってくると、台所はもぬけの空だった。昨日はこの時間に料理してたんだけど、準備もしてない状態だ。

「母さん、どうしたんだろう?」

「多分買い忘れかなぁ」

内容量を減らしたペットボトルを冷蔵庫に戻しながらネオンが答える。上から中段を覗くと、見事なまでに空っぽだった。

「ほらねぇ」

「母さんは買い出しに?」

ネオンが鞄から風呂敷に入った小さい弁当箱を取り出し、水を流しながら洗剤付けたスポンジで擦りだした。オレの弁当箱はどこで洗うのかと思っていると、奥に特性鉱炉を発見。スキャンして使い方をマスターし、スイッチを入れて焼洗モードに切り替える。

「うんん。多分忘れてたんだねぇ」

ネオンが時間差で話した。いや、それよりも。

「こんな時間に一人で大丈夫なの?」

「へっちゃらだよぉ」

特殊合金で造られた弁当箱を右手で持ち、袖を捲って鉱炉の中に突っ込み入れる。中は500度の熱と鉄融解剤の含まれた風が散布されているので、これならこびり付いた鉄もちゃんと落ちるな。

「なんで?」

「エゾが一緒だからぁ」

水で泡を流して横の水切りカゴに入れ、ネオンは水筒を洗いに掛かった。

「ああ、犬小屋にいなかったのはそういう事か」

確かにあれと一緒なら夜道も安全だ。

…? 昨日いなかったのはなんだ?

「ただいまー」

あ、母さんが帰ってきた。居間に姿を見せた母さんはネオンの予想通り背中にリュックサックと両手にエコバックを提げていたが、それでいて美しさと若々しさが薄れておらず、庶民的な若妻に見えるのが凄い。随分買い込んできたんだなあ。

「お母さんおかえりぃ」

「おかえり」

「はい、ただいま」

ネオンがエコバックを受け取って中の缶詰や卵などを冷蔵庫へ収納し始めた。母さんはリュックをテーブルに置いて一息つくと、

「遅くなっちゃったわ。今からご飯作るからね」

と切り出す。

「手伝うぅ」

「あ、オレも」


結局そのまま夕食になった。

途中クオンは帰ってきたが父さんは昨日同様遅くなるらしい。

「ご馳走様!」

両手を合わせ、今日も美味しい鉄を補給できた事を感謝する。

「じゃあ、宿題があるから部屋に戻るね」

「はあい」

母さんはオレの食器を片付けながら、クオン達はバラエティ番組に目を向けつつ頷いてくれた。慣れてきた感があってとてもいい。

自室へ戻り、椅子にかけていた制服をクローゼットのハンガーに掛け直した。

「…新しい服買おう」

考えが浮かぶ。今日は火曜日なので、休みになったら買いにいこう。それまでは父さんの服や下着を借りておけばいい。有無は言わせん。

包装紙でぐるぐる巻きにしたザクロのギターが目に入ったが、まあいいかとクローゼットを閉める。貴重品かもしれんがオレには関係ねえし。

「さてと」

部屋の隅のコンセントの前に正座し、右手の人差し指で表面に触れる。電話回線を通して接続するとインターネットページがモニターの半分に表示された。

「THE CLONING、No Future、ダウンロード…」

キーワードを入力し、一番人気のダウンロードサイトへ。会員登録しNo Futureをダウンロード。ついでにヤヨイ達が歌った曲もダウンロードした。退会は…また何かダウンロードする機会があるかもしれないのでまだいいか。

早速モニタートップのミュージックから再生。

………うん、中々いい曲。歌詞はちょっと過激だぜ。

さて、宿題しよう、と思ったが、こじんまりとした机と椅子を忘れていた。これではまともに座れない。

「作り直そうか」

曲をストップさせ、まずは解体するところから始めた。足を力任せに折ったりエビル・スラッシャーで机を真っ二つにしてバラバラにしていく。

おお、切れ味抜群なので音も木屑も出ない。

「父さんの言う通り、便利だね」

右肘を外して関節断面からマシン細胞をほんの少しちぎり、再接合させたい部位に組み込んで侵食・硬質化・延長させるが、確かに日常生活でとても役立っていた。

「…よし」

机を横に広げ、椅子の脚部を延長させ、背もたれも広げてみた。こんなもんでいいか。座り具合を確かめる。うし。

曲を再開させさっさと宿題を済ませた。


貰った時間割を確認し、一応明日の予習をしておこう。

あ、メール。

『カノン、今暇かい?』

キツからだった。

「暇だよ。どうしたの」

『昨日はごめんよ。ついカッとなって』

おお、殊勝な態度になってやがる。怪しすぎだろ。

「カッとなってあれはやりすぎだよ」

『ごめん。聞きそびれたけど、どこもなんともないかい?』

「ありがとう。でも、もう大丈夫」

今はな。

『そっか。久々にあれになったから手加減できたか心配になって』

そっちの心配かよ。やっぱこいつ怖っ。

「あれってさ、所謂真の姿って奴だよね?」

『うんにゃ。あれは10%くらいかな』

…え。

『本当のあたしはもっとでかくておぞましいもんだよ。昨日のはあれで抑えた方。見せられないのが残念さ』

「…ああ、そうか。あれとあれの子だもんね。そりゃあ大きい筈だよね」

『あれって言うなあれって』

「ごめん」

…こいつキレさせたら、この辺り一帯崩壊すんじゃね?

「…まあ、とりあえず、これからもよろしくね」

『ん、あんがと』

あ、一応聞いとくか。

「君との戦いで制服斬れたでしょ? 新しい制服って貰えるかな?」

『それはいけると思うよ。明日シンに頼んでみたら。もしダメならあたしから頼むよ』

「うん、ありがとう」

『どーいたしまして』

「ありがとうね。お休み」

『おやすみー』

…クラスメイトとはこんな感じのやりとりでいいのかな。

あ、もう12時過ぎてる。そろそろオールメンテナンスして活動休止しようか。

…そういや疑似睡眠モードってのがあったな。人間みたいに寝て、夢も見られるらしいが、試しにやってみるか。

…「普通に寝る」「快眠する」「夢を見る」「悪夢にうなされる」というコマンドがあるが、誰が4番目選ぶんだよ。

服を脱いでラフな格好になり、ベッドに入って、「快眠する」を選んでオールメンテナンスに入る。

んじゃ、寝ましょうかね。


AM6:00 起床

「…ん」

…あ…?

「………んふぅ」

…ん、んー…

「…ふあー」

…これが快眠の心地良さか。すげえな。これから毎日、ちゃんと寝よう。

各部に異常なし。オールクリア。

着替えて一階に向かうと、食卓に昨日同様母さんとネオンがいた。クオンはいない。

「おはよう」

「おはようカノン」

「おはようお兄ちゃんん」

「クオンは?」

「まだ起きて来ないのかしら」

「昨日遅くまでTV見てたよぉ」

お寝坊さんめ。

「じゃあ起こして来るよ」

「お願いね」

二階に戻ってくると、髑髏のアクセサリーが付いたドアの向こうから目覚まし時計が鳴っていた。でも起きてくる気配はない。

「クオン、朝だよ。起きて」

二回ノックした。

………返事がない。目覚まし音以外に中から物音もしない。

「おういクオン、遅刻するぞ」

今度はドアアクセサリーが揺れるくらい強く叩いた。反応なし。でもスキャンすると中に生体反応があるので居るのは確か。ついでにセンサーの付いたセキュリティロックが取り付けられてこっちからは開かないようになっているのが分かった。

しゃあない。右手を向けてセンサーをハッキングしロックを強引に解除した。

「クオン、起きろっ」

ドアを勢いよく開いて弟の名を呼んだ。

初めて入った弟の部屋は、個性が爆発していた。壁にはオレ並に凄いメイクのバンドや化け物ちっくなホラー映画のポスター、棚にはグロテスクなクリーチャーのフィギュアが所狭しと並べられ、床には漫画や雑誌やDVDやCDケースが敷き詰められている。パッケージを見ただけでも、オカルトやホラーやスプラッターやロック系なのは明白だ。

クオンは一番奥のベッドから仰向けでずり落ちそうになっており、耳にはイヤホンが付いている。起きないのはそれのせいか。

床に置かれた安っぽい小型TVや私物を踏まないように注意深く進み、目覚まし時計を止めて静寂を取り戻すと、イヤホンから大音量のヘビメタが漏れていたので外してやり、兄のダイレクトボイスを聞かせて肩を揺する。

「クオン、起きろお」

「………朝…?」

凄い体勢なのに前髪が鼻の下をキープしている弟は、分かり辛いが起きたようだ。

「起きたか?」

「………兄貴? …不法侵入?」

「起きなかったお前が悪い。イヤホン付けてて目覚まし聞こえてなかっただろ?」

クオンは一旦床にずり落ちてから立ち上がると、未だに演奏するイヤホンのスイッチを切って体を伸ばした。

「…起床完了。兄貴、感謝。衣服変更」

「うん」

着替えるみたいだし、オレの役目は終わった。朝飯、朝飯。

「兄貴」

「どうした?」

振り向くと、なんか不安そうなクオン。ややあって、

「…部屋、変?」

と聞いてきた。

「変、と言われても」

まともな趣味を持っていないマシーンロイドのオレが人の趣味にとやかく言えるわけないだろ。

いや、でもせっかく弟が聞いてくれたんだ。年頃だし、兄の意見も聞いときたいのかもしれない。

じゃあ一番傷付けない無難な答えで。

「オレの部屋に比べたら羨ましいくらいだ」

と返して部屋を出た。

オレのメタリックハートがちょっぴり傷付いたが、食卓に後から来たクオンがちょっと嬉しそうだったので、まあ良しとしよう。


飯食って、弁当と水筒を入れたギターケースを背負って、クオン達を見送って。

「んじゃ、行ってきまーす」

「行ってらっしゃい」

ワン

ちゃんと犬小屋に詰まってるエゾも見送ってくれた。母さんとエゾに手を振り、昨日とほぼ同じ時間に家を出た。

「…あ」

一級河川の橋を渡った先、ヒュウガ方面の道からヤヨイが歩いてくるのが見えたので足を止めると、彼女も気付いたらしく顔を綻ばせてわざわざ駆け寄ってきてくれた。

「おっはようノン君」

「おはようヤヨイ」

そのまま並んで歩く。今日は生憎の曇り空だが、ヤヨイは朝日のように爛漫で可愛い。そうだ、歩幅を落とさないと。前みたいに彼女が早歩きになってしまう。

「今日は遅いんだね」

「昨日はモゥミの体調が悪くてね。心配で夜も寝付けず夜明け前に家を出てしまったのだよ。ああ、失礼。モゥミというのは飼育している乳牛の名で、朝方には容態が回復していたので一安心だったよ」

「牛を飼ってるの? そりゃ凄い」

「まだまだだよ。夏休みまでにあと牛三頭、豚四頭、鶏を十羽、そこまでの功績如何で魚の養殖への部費も確保する予定だからね」

うーん、まじで凄い。

「大変そう」

「うむ、しかし好きでやっている事だし、志を同じくする部員達と楽しくやっているのだよ」

「そっか」

「それはそうと、ノン君は何処かに入部しないのかね?」

昨日もショウコに聞かれたな。でも今んとこそんな気起きないしなぁ。

「まだ決めてないよ」

「そうかね。いや、焦る事はない。じっくりとどの部活に入るか決めるといいね。もしもの時は我が部に誘致しよう。無論、特別待遇でね」

「うん、その時はお手柔らかに」

「うむ、任せておきたまえ」

まあ会計くらいなら手伝えるだろう。あとはサーモグラフィー機能とかで色々ぁっ⁉︎

「ヤ、ヨ、イ…?」

「どうかしたかねノン君?」

ヤヨイと並んでアーケードへ差し掛かる直前、彼女は物凄い自然に自分の右掌をオレの右掌に絡めてきた。

「あ、その、手…」

「…?」

繋がる手を持ち上げて見せつけるも、ほんっとにキョトンとした顔で首を傾げるヤヨイは、

「今更恥ずかしいのかね?」

と惜しげもなく聞いてきた。

…よくよく考えてみれば、こうして手を繋ぐのは確かに初めてってわけじゃないし、ヤヨイからすればこの前みたいにオレを想ってのことだろう。オレから拒絶するのはお門違いか。

「ごめん」

「え? あっ」

手を繋いだままアーケードへ歩き出す。ヤヨイは出だしに少し驚いたが、直ぐに足並みを揃えてくれた。

「…ありがとうヤヨイ」

「こちらこそ」

学生の波が、驚愕、嫉妬、憤怒と多種多様な顔で過ぎ去っていく中、オレ達は小声で礼を言い合った。


アーケードを抜ける。昨日と殆ど同じ時間なので登校生徒は疎らだ。ショウコも今日は見掛けない。ヤヨイは手を解く気がないので、ちょっと恥ずかしいけどそのまま歩く。程なくしてニュウタ学園の校舎が見えてきた。

「…あ! ヤヨイー!!」

校門前にいたワカメヘアーがこちらを視認すると、手を振ってヤヨイを呼んだ。

「キリウラさん、どうしたんだろう」

「…もしやモゥミに何か…? ノン君、非常にすまないが…」

ヤヨイは絡めた右手を持ち上げ、指を一本ずつ名残惜しく外して手のひらを離した。

「ヤヨイ、早く行ってあげて。オレは大丈夫だよ」

「ありがとう、ノン君…!」

察してやると、ヤヨイは笑みをこぼしてショウコの方へ駆けて行った。部活が大変そうなんだから、ちゃんと考慮してやんなきゃな。



「どうしたのだねショーちゃん。まさかモゥミに何か?」

「いやぁ、セキュリティカード忘れて立ち往生してたのよ。ところでヤヨイ、なんでハタカセ置いて走ってきたの?」

「…いや、なんでもない。なんでもないのだよショーちゃん」



ヤヨイは苦笑うショウコと共に、肩を落としてトボトボと入ってった。

…まさかモゥミとかいう牛に何か重大な事があったのか。がんばれ、ヤヨイ。

遅れてゲートに着き、セキュリティカードをかざしてオレも校内へ。教室に行く前に、生徒会室に行って制服の件を話しておくか。

校舎の脇を通り、奥の古い棟へ向かう。塀伝いに歩いていると、右手に体育館やグラウンドのあるエリアへのゲートが見えた。キツとの四神戦以来、用事がなかったので行った事はない。その内、体育で使う事になるだろうけど。今はとりあえずスルー…と考えていたら、ゲートの前を通った時に向こうにいた1人の生徒と目が合った。顔見知りだったので立ち止まり、軽く頭を下げる。するとそいつ、アレンジ制服を着たワダツミはこっちに向かってきた。

「おはようございます」

「お、おはようワダツミ君」

相変わらずの糸目と微笑み、そして礼儀正しい会釈に思わず萎縮してしまった。何せ、昨日勝ったはいいがそのままロクに喋れなかったもので勝ち逃げ状態だったから、心象が悪くなってるもんだと考えてた。というか、オレが同じ立場なら憎い感情しか残ってないと思う。

「そんなに畏まらなくてもいいじゃないですか」

しかしどうやら杞憂だったみたいで、ワダツミは微笑む。いい奴だ。

「う、うん。で、ワダツミ君は」

「オボロでいいですよ」

やっぱこいついい奴だ。

「じゃあオレも、メノンでいいよ。こんな朝早くからどうしたの?」

「朝練、という奴ですよ」

「そういえば、昨日剣道部の部長で有段者って言ってたね。腕前は?」

「中学時代は全国大会2連覇を達成しています」

おおう、予想以上の強さ。でもここではそのくらいないと生徒会に所属できないんだろうな。

「そういうメノンはどうしました?」

「オレは…」

「ぶ、部長…ぅぉ…!!」

ゲートの向こうから聞こえたのは、おそらくワダツミを呼ぶ呻き声。振り向くオボロにつられるように、オレは近付いて開かれたゲートを覗いた。

体育館と広々としたグラウンドへ道が分岐していたが、なぜか後者の方から重そうな剣道具を身に纏った部員達が息も絶え絶えといった感じでこちらへ這ってきていた。全員、ご丁寧にも面や小手まで装着している。

なにこの異様な光景。何したの?

「だから言ったでしょう。僕の朝練に合わせなくていいと」

一番先頭の部員はガッチリした体躯だったが、足がガクガクしてて今にも倒れそうだ。オボロはそいつに近付いてそっと肩を持ち上げ、軽く嘆息した。

「で、でも………うぐっ…」

あ、気を失ったっぽい。しかしオボロはそいつの体を両腕で難なく支え、体育館入り口の傍らに設置された休憩スペースへ運んだ。剣道具と合わせて100キロ以上あるだろうが、オボロの細腕は見た目より筋肉質らしい。

「メノン、お手数をかけますが手伝っていただけませんか?」

倒れ伏した部員があと8人いる。オボロだけに任せてもいいが、運ぶだけなら。

「うん、いいよ」

オボロの表情の変化が僅かに伝わり、心から喜んでいるのが分かった。悪い気はしない。

よし、オレはでかくて重そうな男子部員を担当しよう。ロケット・フィストでは引きずるか一部分だけ持って運ぶしかなく危険なので、オボロがやったように脇の下を持つ感じで1人ずつ運んだ。1トンまでなら片手で持ち上げられるので、これくらいならお安い御用。

あっという間に休憩スペースは剣道部員達で埋め尽くされた。

「ありがとうございます」

オボロはオレに一礼し、横になる部員達の面を外し始める。

「聞いていい? 何したの?」

「部員一同が僕の朝練に参加したいと強く申し出たので、いつも行っている朝練のメニュー、剣道具を装着してグラウンドダッシュ10周、摺り足5周、素振り500回を行いました」

「…それで?」

「僕は全てこなしましたが、彼らは10周もこなせませんでした。ついてこれる練習量ではないと分かってましたが…」

「慕われてるんだね」

「この前の遠征先で刺激を受けたのでしょう。嬉しいような、お恥ずかしいような…」

無茶でもやってみるもんだ。

それにしても。

「ほらほら皆さん、起きて下さい」

オボロは1人ずつ時間をかけて剣道具を脱がす気らしいが、焦れったい。昨日のカルタ勝負で使ってた妙技でパパッとできないのか? 聞いてみよう。

「ねえ、オボロ」

「はい」

「昨日の勝負で使ってた技で、パパッとできないの?」

「………ああ、あれですか」

「うん。まるで時間を止めたような速さのあれ」

「……………………」

あ、なんかオボロの雰囲気がググッと変わった。どこか陰めいた、暗い気が放出されてる、ような気がする。

「マシーンロイドというのは厄介ですね」

「オレもそう思う」

思い出せない事が多すぎるとかな。まあ仕方ないけど。

オボロは手を動かしながら、何とは無しにこう言った。

「実は僕、時間を止められるんです」

「へえ、そうなんだ」

抑揚なく応えると、オボロは特に気にしていないらしく、

「信じてますか? 馬鹿にしてますか?」

と薄ら笑った。

「信じてるよ。というか、その類の能力じゃないと説明できない節しかないもの。オレのスピードカウンターに感知できず、映像に残らない速度とか」

状況証拠的にそれが一番確率高い。どういう原理かは分からんけど。

オボロはほんの少し驚いたように眉をあげた。

「なに?」

「あ、いえ。失礼しました。こんな突拍子もないことを信じてもらえるとは思いませんでしたので。特に科学技術の結晶たるあなたには」

その物言いの方が失礼だが、確かに一理ある。

「でも、この世には解明できていないことはまだまだ沢山あるからね」

キツの正体とかキツの正体とか、キツの正体とかな。

オボロは納得してくれたのか、軽く頷いた。

「マシーンロイドというのは便利ですね」

「オレもそう思う」

オレとオボロは声を出さずに、頬を横に伸ばして笑った。

再び剣道具を脱がしにかかりながら、オボロは肩を竦める。

「時間を止められるのですがね。止まっている間僕は動けるんですが、僕以外は一切動かせなくなってしまうんです」

「? それってどういう………」

瞬間、膝をついて部員の横にいたオボロが、オレの前に立っていた。

「おおっ」

「僕の動き、見えました?」

不敵に笑うオボロ。スピードカウンターは感知せず、メモリームービーにも姿は映っていない。キツの超スピードでさえ、スロー再生すれば見えるというのに。

「全然捕捉できなかったよ。今、時間を止めたんだよね?」

「ええ。そしてあなたの体を後ろに押そうとしました」

「え?」

「しかし壁のように動かせませんでした。伝わりにくいですが、そういうことです」

再び消え、部員の傍らに屈んでいた。まるで瞬間移動だな。

「あんまり万能じゃないってことね」

「おまけに、目を開くと勝手に時間が止まってしまうのです」

「へー…ってことは、いつも目を閉じて生活してるわけ?」

「ええ。もう慣れましたけど」

「…大変だね」

思わず同情してしまったが、オボロは、ふふと笑みを口に出した。

「大変だと思ったことは一度もありませんよ」

曇り一つない真摯な表情と台詞に、重みを感じた。オボロにとって本当に大変ではないのだろう。

絶対大変だと思うが。

「ちなみにこの能力、『アマトジ』というのですが、学園関係者に話した事はありません。あなたが初めてです」

「え、そうなの? …て、そうか。信じる人の方が少ないもんね」

「ええ。なので他言無用でお願いします」

「あ、うん。いいよ」

「ありがとうございます。では」

そう言うやいなや、オボロはその『あまとじ』とかいう能力をフルに活用した。部員達の間を瞬間移動して剣道具を外し、再び瞬間移動しては外しを繰り返す。

着脱はできないけど、移動に時間が取られないとかやっぱり便利じゃん。

「じゃあね、オボロ」

移動で思い出した。生徒会室に行くんだったぜ。

「はい、本当にありがとうございました」

頭をぺこりと下げるオボロに無言で頭を下げ返し、オレは生徒会棟へ向かった。


ビーッ 『認証されません』

「え」

生徒会棟のモニターセンサーにカードをかざすも、無慈悲な音声が流れるだけだった。

なんだよこれ。もう一回。

ビーッ 『認証されません』

オレのカード、壊れてんのか。」

カードをスキャンするが、特に異常は見受けられない。

ビーッ 『認証されません』

ビーッ 『認証されません』

ビーッ 『認証されません』

「……………………………………」

熱探知センサーに反応なし。周囲には誰もいない。一応視覚で前後左右確認。よし。

「解除しよ」

右手をモニターセンサーに覆い被せてハッキングし強制認証。

『認証しました』

簡単なセキュリティだ。エレベーターに入って階数ボタン3を押して生徒会室へゴー。

ふかふかカーペットへの扉が開かれたが、余裕で踏み抜いていく。

…先客? 生徒会室の前に靴が置いてあった。

…近づいて分かったが、なんだこの靴。めちゃくちゃ小さい。小学生サイズだ。しかも透明なんだが、ガラスでできてるらしい。

「ガラスの靴…シンデレラかな」

ファンタジックな妄想にメモリーを使っていると、扉が内側に引かれた。あの扉押しても引いてもいいんか。

「また来るワン」

出てきたのは、乳白色のふんわりとしたウェディングドレスを着こなした、薄桃色の長髪を携えた少女。

…少女。うん、少女。いや、少女だけど、身長がめちゃくちゃ低い。スキャンすると…111㎝。1メートルちょい。小学生くらいなら普通の身長だけど、その顔立ちや佇まい、なにより頭身が明らかに同級生のもので、だからこそ違和感バリバリだった。多分、このガラスの靴の持ち主だろう。

「あレイ?」

扉を閉め、ガラスの靴を履いた少女がオレを見つけて口をぽかんと開ける。

掌を開けたロンググローブやベールまで被ったやけに着飾ったドレス、ではなくそっくりのアレンジ制服と気付いた。もはやアレンジの域を超えている気がしなくもないが、こいつも生徒会役員らしい。

「あなた、どうやってここニ?」

ガラスの靴でカーペットを歩いて来ると、少女は腕を組んでオレに詰問してきた。

あ、凄いこいつ。胸でけえ。ヤヨイやシン、変身したキツ程じゃないが、この体格からすれば巨乳レベルだ。

…オレのスケベェめ。早いとこ質問に答えよ。えっと、どうやってって。

「普通に上がって来たんだけど」

それ以外の回答はない。だが。

「嘘おっしゃイチ! あのセキュリティをどうやって通って来たトオ!?」

なんかすごい剣幕で指突きつけられた。

…あー、そうか。オレのセキュリティカードが壊れてたんじゃなくて、生徒会役員のパスじゃないと認証しないとかそういうもんだったのか。

やべえどうしよう。ハッキングして入ってきたなんて言えねえし…。

「…!? あなたまさカン!」

少女の顔付きが変わり、オレを険しく睨みつける。

「あのマシーンロイドの、ブラッディアルバトロスの、ハタカセ メノン!?」

「…うん」

その表情から、こんな子にも悪評伝わってんのがシミジミとメタリックハートに突き刺さった。ショックだわあ。昔のオレ。

メギュィヤァア

………なんだ? 今の、空気が歪に圧縮されたような音は?

音の方、というか少女の方を見ると、いつの間にかスカートを翻して体を捻り、柔らかく握り込んだ右拳を振りかぶっていた。勢いよく殴りつける態勢以外にない。

こんガキャア、いきなり殴りかかるたあ何のつもりだ。しかし動作は遅いので体を全体的に右にずらすと、少女は標準の外れたオレに気付かず、オレがいたところ目掛けてパンチを繰り出した。やっぱり遅。キツやオボロとは比べものにならない。

ゆっくりとオレの前を通過していく少女は、まるで拳が引っ張られるような下手くそなオーバースローで、そのままカーペットへパンチを撃つ事になる。

ぽふん、と柔らかい極上の生地に拳が触れた瞬間、閃光と衝撃が迸ってカーペットが綺麗な円形に吹き飛んだ。

「ああん?」

右足に体重を掛けて左足を浮かせるように半回転すると、目下で蹲る少女の拳を中心に露出したコンクリートの床へ黒い亀裂が走り、破砕音を轟かせて階下へのまん丸い穴を作り上げた。

穴の直径60センチ、パワーカウンターの破壊力は10トンをマーク。うわあすごい。なんちゅうパワーだ。

「はっ!?」

いや、いやいやいや! 違う、違うぞ考える事が! というか、

「避けても無駄ヨン…」

形成された穴を跨ぎ、少女が固めた拳を再びオレ目掛けて振りかぶったけど、やばい、やばい! やばい! やばい!! やばいしか浮かばねえ!

「ちょ、待ってっ!」

素早く右掌でベールごと頭を突き飛ばしつつ、エレベーターの方へ後退しボタンを押す。あの馬鹿力の原理は分からないが、絶対逃げた方がいい。オレのメタルボディでも耐えれるか分からんし、痛いの嫌……だ…し…?

「ぐエ…イト」

突き飛ばした少女は脳を揺すられたからか足をふらふらとさせて後方に倒れ、そのまま壁にごつっと後頭部を打ち付けてぱたり。

「え?」

そのままピクリとも動かなくなってしまった。

「…え?」

ピンポン、と背後でエレベーターが到着したが、それ以外は無音。喉をゴクリと鳴らした音が廊下へ響く。

なんなんだあいつ。あんな超パワー持ってるくせに打たれ弱いのか? あの、明らかに気絶している姿は騙し討ち目的の演技か?

どうしよう。このままエレベーターに乗って逃げようか。どこにだよ。

「と、とりあえず…」

ちっこい体をスキャンすると正常に動いてるので気絶しているだけのようだが、一応安否を確認しておこう。

恐る恐る、近付く。ギターケースを置いて、飛び起きる可能性を考慮して抜足でそろり、そろりと。

ヒュゴゴゴ

「!?」

変な音が聞こえて全身に緊張が走った。

…どうやら倒れた少女の握りしめていた拳が開かれた音らしい。あの破壊力を出す為、握り込む時に圧縮音がぶち巻かれるくらいなのだから、開放する時は空気が入り込んであんな変な音が…。

「おぅ」

その手から何かが弾かれ、壁を反射してオレの方に飛んできたので右手でキャッチ。

見てみると、それはデフォルメされた白い虎の指輪だった。今にもがおーと鳴きそうな顔をしており、スキャンすると特殊な合成ゴムで作られ、内部に高性能チップやら立体映像投影装置やら通信機能やらが埋め込まれているのが分かった。さっきあいつに右手で指差された時、人差し指に付けていたのはこれで、拳が解放された衝撃で吹っ飛んできたのか。

てか、これもしかしなくても白虎を象ったもんだろ。てことは、やっぱりあいつ四神か。

「今の音は…?」

奥の扉がゆっくりと開かれ、サングラスを掛けたメイド制服のシンが恐る恐る顔を覗かせた。オレを見て、倒れた少女を見て、再びオレを見る。

「お、おはようビサトさん」

「おはようございますハタカセさん。この状況は?」

状況もクソもねえよ。

「その子がいきなりオレに殴りかかろうと…」

あ、発端はオレがハッキングしてセキュリティロック解除して来た事か。いや、でも初対面のマシーンロイドにいきなり暴力を振るおうとしたそいつも悪いっちゃあ悪いし…。

「…ん」

言い訳を考えてる内に、少女が目を覚ました。打ち所は良かったようだ。

「ツクヨミさん、大丈夫ですか? どうされました?」

シンが扉から出てきて、上半身を起こしたツクヨミという少女に近寄ってしゃがんだ。

「…シンちゃん? ウチ…っ!?」

意識を取り戻した途端、イツムナは右手を振り上げて叫ぶ。

「ウ、ウチの生徒会装飾がなイチっ!?」

…あ、これね。

「ごめん、これだよね?」

オレは今にも泣き叫びそうなツクヨミと、傍らで心配そうに眉根を寄せていたシンに指輪を見せた。

2人の表情が、分かりやすいくらいの驚きに満ちる。

「返すね。あ…はいっ」

手渡しても良かったが、なんかの手違いで殴られたら敵わん。材質的に壊れようがないので、下手投げでゆっくりとツクヨミに投げてやった。

指輪は呆然と停止していたツクヨミの胸にポンと当たり、カーペットに音もなく落ちる。取れよ。

「ハタカセさん、あなたまた…」

シンが素早く立ち上がり、扉の方へじりじりと退く。また?

「…マシーンロイドの…」

指輪を再装着し、ツクヨミがゆっくりと立ち上がった。うわ、めっちゃキレてる。なんでだ。

「汚らわしいマシーンロイド『ブラッディアルバトロス』の分際でえええええええエイト‼︎‼︎」

憤怒の形相のままオレに殴りかかってくるツクヨミ。でもダッシュ速度も遅い。成る程、拳のインパクトだけが凄まじいのであって、それ以外は見た目相応ということか。これなら避けて反撃すれば…。

「…?」

いつの間にか一階に降りていた背後のエレベーターが、この階に向けて上昇してきていた。誰かが生徒会室に用があるらしい。

「…あ」

前からは今にも一足飛びで殴り掛かろうと振りかぶっているツクヨミ。

後ろには誰かが乗ってくるであろうエレベーター。

…これ、詰んでね? ツクヨミは拳を引っ込める気はない、というかもう床を蹴ってるし、オレが避けたらエレベーターと、中の人はどうなる…?

「…止むを得ない!」

オレは素早く振りかぶり、ツクヨミの今正に突き出されようとしている拳に合わせるように『コードV:マックス・ストレイション』をぶち放った。

脳裏ブレインリバースに思い出したくない、父さんとの闘いが蘇る…。


「いいかメノン、全力で来い。遠慮はいらん」

大口叩くだけはあった。間合いに入り、形成したエビル・スラッシャーを横に一閃させたのだが、父さんはなんと刀身を片手で掴み取ってしまった。驚愕するオレに、油断すんなと腹に蹴りを入れて遠くの壁まで吹っ飛ばしてくれたので、すぐに自己修復を終わらせて立ち上がり右腕を元に戻す。掴んだ掌に刃の痕跡すらない父さんは指を曲げ、来いと挑発した。よし、ならば遠慮なく。

オレは服の袖とズボンの裾を捲り、父さんを睨めつけた。

「行くよっ!」

両腕、両脚に内蔵された高出力発生装置を起動。今は0.5秒しか稼動できないが効果は絶大で、各部へ数万ジュールのエネルギーが瞬時に発生した。同時に両肘、両脹脛から体表を突き破って形成された可変ブースターが滞留したエネルギーを後方へ排出することでロケットのような凄まじい加速を生み、瞬時に父さんの間合いまで踏み込むとブースターを微調整、勢いそのままに渾身の右ストレートを放つ。

この一連のシークエンスは副産物に過ぎず、最後の殴りかかる動作が『マックス・ストレイション』…なのだが。

「甘い!」

父さんは浮遊するような軽やかさで横に避けると、殴りつける姿勢のオレに踵を落とした。

「あっしべっ」

纏っていたスピード毎床に叩きつけられるオレ。役目を終えたブースターが引っ込み、人口皮膚は瞬く間に修復。パーツ間の余剰熱を排熱する機構が発動し、各部からプシューという空気の抜ける音がした。

「攻撃が直線的になるから気を付けろよ」

「…言う…のが…おっ…そいっ………よっ!」

めり込んだ体を起こしたオレは悪態をつきながらも、体の半分以上が埋まった恐ろしい威力の蹴りに戦慄していた。なんせ、マシーンロイドのオレより出力が高いのだ。

「ちゃんと技名を叫べ。安全装置が解除されず、50パーセントしか真価を発揮出来んからな」

「それは分かってるよ。でも、なんか…」

恥ずかしい。

「あと拍子抜けしたぞ。今の攻撃は防ぐもんだと思ってた」

「伸びきって完全に無防備だったから無理だよ」

おまけに父さんの踵落とし超速かったし。しかし父さんは顔を顰めた。

「コードSはどうした? あれを擬似再現・実装するのにかなり手を焼いたんだが」

コードS? はて、基本スキルにそんなのあったっけ。

あ、あった。


「マックス・ストレイションッ!!」

スキル名を叫んで安全装置を解除。右腕のみブースターを起動させ、100パーセントを発揮したオレの拳と、ツクヨミの拳がぶつかり合った。

瞬間、発生したエネルギーと音と衝撃が爆発的に膨れ上がり、狭い廊下へ荒れ狂った。電灯やカーペットが弾け飛び、コンクリートの天井や床や壁が巨大な力で押されたように丸く凹み、黒い亀裂が無尽に走る。

どうだ! いくらさっきのパワーでもオレに敵うわけが………うそ。



「きゃああああああ!?」

破壊の余波と音がエレベーターと生徒会室の扉に叩きつけられる悍ましい衝撃に耐え切れず、シンが頭を抱えて悲鳴を上げた。

ピンポーン、とメノンの後ろのエレベーターが着き、変形したドアが強引に破られるのと、同じく変形した生徒会室の扉が蹴破られるのは同時だった。

「な、なんだね今の衝撃は!? クーちゃんかね!?」

「シン…! どうした…!!」

エレベーターから押すポーズで出てきたヤヨイと、前蹴りの姿勢で姿を現したカグラの声が重なる。

「ギョアアアア!!」

その直後、金属が細かく砕かれる甲高い音に遅れて、メノンの叫びが濃い紫色の液体と共に飛散した。

摩擦熱で肩から先の袖がなくなっていた右腕は、白い皮膚が衣類のように裂け散り、露出した黒い装甲の腕はひしゃげてコードや部品が所々飛び出し、ブースターもへし折れ、ひび割れた表面全てからピュアヴァイオレットオイルが噴出するというグロテスクな様相に変わり果てていた。



ま、マジかよ…。こいつ、オレの100パーセントを…越えやがった…!

「どうヨロズ! ウチのパワーハチ!!」

拳を引き、ぐっと腕を張るツクヨミ。む、無傷だとォ!? そ、そんな、バカな。

ああ、オレの右腕が…カクカクってしてるぅ。

「ノ、ノン君!? え、大丈夫かねっ!?」

「下がれシン…無事か…?」

「は…はい。びっくりしましたけど…」

ヤヨイ? …エレベーターに乗ってたのお前だったのか。良かった、守っといて。

「何があったのか、大方理解した…」

いつの間にか、シンを後ろに下がらせて両手を組んだカグラが右目をキリッと開いて立っていた。ああ、あんな顔もできたのか。やっぱやるときはやるタイプらしい。目の下のクマ凄いけど。

「双方共動くな…! 白虎…! こちらを向け…!」

「はイチ」

ツクヨミがピシッと気を付けの姿勢を取り、体を180度回転させた。

…今のうちに右腕を緊急修復しとこう。

「ノン君、一体なぜクーちゃんと戦いなんか…右腕がビキビキ言ってるけど自己修復中かね?」

ヤヨイがオロオロしながらもオレの右腕を持ち、ブースターが飛び出したまんまの肘とぷらぷらしている手首を支えて真っ直ぐに伸ばそうとしてくれてる。内部機構を修復する度にオイルが溢れ、その手や制服が濃紫色に染まっていくのが逆に痛々しく映った。

「ヤヨイ、離れて。汚れるよ」

「構うものか。ボクの事はいい。今は己の身だけを考えていたまえ」

「…ありがとう」

力強く頷いてくれるヤヨイ。オレはその優しさに甘えて修復を急ピッチで進めつつ、ツクヨミとカグラの会話に耳を澄ませた。

「ハタカセに攻撃したのは何故だ…?」

「ウチの生徒会装飾を奪い、当てつけの様に投げたからヨン。おまけに生徒会役員以外は入れないセキュリティをハッキングして突破してきたみたイチ。ましてやマシーンロイドなんて何を考えているのか分かったもんじゃないワン。そしてかのブラッディアルバトロスという事はあなたの寝首をかきに来たのかもしれないのヨロズ」

「お前らしい意見だ…ではハタカセ、お前は何故白虎に攻撃されるような事をした…?」

オレの意見も聞いてくれるらしい。ここは正直に言うべきだろう。

「オレは、キツに斬られた制服の代わりを貰えるかどうかをシンさんに聞きに来ました。この棟のセキュリティはオレの機能でロック解除して入って来ました。すいません」

うん、100パーセントオレが悪い。

「それでその、ツクヨミさんにその事で殴りかかられて、咄嗟に防御して彼女を昏倒させました。ええと、生徒会装飾でしたっけ? それはそのときに指から外れたのでたまたま手に取りました、はい。で、返しました」

横のヤヨイが呆れ顔を作る。しょうがねえだろ。

「その後、再び彼女に殴りかかられたんですけど、後ろからヤヨイの乗ったエレベーターが来てたので、避けるのはマズイと思い、しかしそのままパンチを受けたらオレもやばいと思って、攻撃で相殺しようとしました。結果はこれですけど」

オイルを噴出させる黒い右腕を指すと、ツクヨミはにんまりと笑い、その後ろのカグラは大いに嘆息した。

「ハタカセ、理解していると思うが規則を破ったお前が悪い…」

「…はい」

なんらかの罰則が下るな、こりゃ。仕方ないか。

「しかし、マシーンロイドを毛嫌いしているとはいえ、いきなり襲いかかったツクヨミも悪い…」

「えエーイト…」

お。

「ここまでの被害を出しておいて反省していないのか…? ハタカセの話を聞く限り、先に手を出したのはお前の方だ…自分の力を知っていながら周囲を省みず破壊を行って何になる…? 現に、シンもイキメも危険な目にあっているではないか…」

あ、ちょっと怒ってるぞカグラ。あれか、後ろのシンが泣きそうになってるのが結構きてるのか。

ツクヨミも流石に空気を察したのか、ブーたれていた表情を引き締めた。

「それはそうだけど、相手はあのブラッディアルバトロスリー。いくら入学を許可したからってウチの目の黒い内はルール一つ破らせなイチ。そして破ったらそれ相応の罰を下すのが風紀委員長たるウチの勤めだワン」

…しっかりしてる。確かにオレへの罰はこれくらいじゃないと意味がないものな。

「それに、マシーンロイドを壊しても罪にならないシックス」

「クーちゃん!」

びっくりした。その声を上げたのは、横で成り行きを見守っていたヤヨイである。彼女はオレの右手を支えたまま、ツクヨミへ食ってかかった。

「ノン君に対して、さっきからなんて言い草だね! 彼は人間同様に心を持っており、無礼な言葉の数々は侮辱に値するのだよ! 謝りたまえ!」

真剣にオレの事を想って怒ってくれているヤヨイ。しかし、イツムナはハンドレットと鼻を鳴らした。

「ヤヨイちゃん、前々から言ってるけど、あなたおかしいヨン。マシーンロイドに、しかもそんな気色悪い奴に恋をした、なんてサン」

「ノン君の素晴らしさも知らずによくそんな減らず口を叩けるものだね。愚かにも程があるのだよ。それに、外見が変だからとかマシーンロイドだからとかは関係ないね。人は心なのだよ」

「ク、クックック、クハクハクハクハクハクハ! 心ぉオク? そんなロボットに、心があるとでモモ!?」

「ロボットではないのだよ! それに心はあるとも! 嘗てボクの心を濃縮させた、熱い血潮の滾る心がね!」

「ふざけないでヨン! マシーンロイドにそんなものある訳ないワン!」

なんか次第に口喧嘩に発展してきた。というか、当事者のオレを抜いていがみ合うなよ。

というオレの気持ちが伝わったのか、その場で脚を踏み下ろしてコンクリの床を瓦解させたカグラは二人の注意を引いたが、脆くなっていたとはいえそれだけで一塊が宙に浮いたのは眼を見張るものがあった。

渾沌こんとん、黙っていろ…」

据わった目でそう言われ、ヤヨイは渋々と引き下がる。

こんとん、とはヤヨイの事らしい。

「とにかく、両成敗だ…ペナルティは後ほど伝える…これ以上無駄に暴威を振るうな…」

「はイチ」

「わかりました」

ふう、なんとか収まった。

「無駄じゃなければいいってこトオ」

ツクヨミが白虎の指輪を付けた右手を天に掲げた。カグラ、シン、ヤヨイの顔付きが変わる。

「四神権限を使うワン!ハタカセ カノン! ウチと闘いなさイツ!」

あ、そう言う事。

「四神戦ね」

これは逆らえないんだったよな。

「こんな下らない事で四神権限を使用するとは…」

カグラが額に手をやって呻くが、本当だよ。オレなんかと戦ってなんのメリットがあるんだ。

ヤヨイとシンも同じ気持ちだったらしく、大きな溜息を吐く。シンはいきなり暴れられる心配がなくなった安堵も混じったように、ほっと胸を撫で下ろした。

「じゃあ行くヨクト!」

悠々と叫び、拳を握って腕を横に引くツクヨミ。それはどう見ても、今まさに殴りかかろうとするポージングで……。

「ヤヨイ離れるよッ!」

「え? うぁっ」

「ま、待て白虎っ…!」

オレは未修復で関節がぐにゃぐにゃの右腕を伸ばし曲げてヤヨイの右肩から左腰まで巻きつかせて体を浮かせ、そのまま後方に退く。カグラは慌てて左目のアイパッチへ手を添えようとしたが、それより先にツクヨミの拳が放たれた。

「砕けろおオクティ!」

ツクヨミの右フックが、オレの腹を紙一重で通過した。ストレートだと避けられたりパンチを重ねられると思ったのかは知らん。奴はそのままぐるりと一回転し、脆くなった壁へ吸い込まれるように拳が触れる。

すっげえ音と衝撃が迸り、直径2メートル大の綺麗な丸い穴が空くと同時に廊下が再び破壊の波に晒された。

「きゃあああああああああ!」

「シン…!」

崩壊を始める廊下へ恐怖し、両手で両耳を塞いでしゃがみ、悲痛な叫びをあげたシン。彼女に振り返ったカグラは動作を中断して抱き抱え、生徒会室へ突っ込んだ。先にシンの安全を考慮したらしい。賢明だ。

「ノ、ノン君…!」

オレを案ずるヤヨイの体から腕を解くのと、ツクヨミが体勢を立て直して拳を握り込むのはほぼ同時だった。

「トドメだあアトッ!」

下から放たれた必殺の一撃がオレ目掛けて繰り出されたが、もう見切ったぜ。

さっき思い出した、コードSを使わせてもらう!

「シルバー・プラスター!」

ツクヨミの拳がオレの腹部へ届いた瞬間、コードSを起動させた。

ぐに、という柔らかい感触がへそを押す。

「…え?」

「こ、これハチ⁉︎」

瞑っていた目を開いたヤヨイが呟き、ツクヨミが驚愕に顔を歪めた。

そう、何も起こらなかったのだ。ツクヨミのパンチがオレの腹へ直撃したにも関わらず、あの超絶的な威力は不発に追い込まれていた。

これがスキル『シルバー・プラスター』の機能。1秒間のみオレの半径3メートル内の生物は破壊されなくなる、というものだ。オレはマシーンロイドでマシン細胞を使っているので該当している。あまりにも超常的な機能で原理は分からんが、あの父さんが苦心して搭載したスキルなので、オレが考えて分かるわけがない。一応、再使用には3600秒のチャージが必要だけど。

なので、この機を逃さず速攻で仕留める。

「貰ったあ!」

ベキベキの右腕をラリアットするようにツクヨミの首へ回し、滑るように脇を抜けながら背中を仰け反らせて左腕で太腿を掴み、そのままリフトアップ。

「なっナ⁉︎」

仰向けで慌てふためくツクヨミに構わず、右足を軸にその場で回転。そして奴の開けた穴からそのまま一階の地面までダイブ。

「父さん直伝ッ!! フルメタル・バックブリーカアアアアアア!!!」

土の上へ両脚で着地し、同時に首と背骨を限界まで極めてやった。

「ごファィブッ!」

どうだ!

ゴヅン ビシャア



「わー! ノンくーん‼︎」

完璧に極まったメノンのバックブリーカーを食らい、ツクヨミの意識は途絶えた。しかしその瞬間、反射的に動いた彼女の右腕が偶然にもメノンのこめかみへ叩き込まれ、減衰していたとはいえコンクリートすら破砕させるそのパンチは頭部を突き抜けて逆のこめかみから紫色のオイルを噴出させる程の破壊力を見せたと同時に首の一部を破損させ、流石のマシーンロイドもブラックアウトして倒れ伏した。

まさかのダブルノックアウトにヤヨイが悲鳴をあげて廊下に空いた穴から飛び降りる。生徒会室に避難させられたシンは、今度こそ沈静化した騒乱に胸を撫で下ろした。

「え、えっと、白虎敗北致しました…?」

「…だな…ハタカセがイツムナを気遣い、関節技を選んだのは明白………ぐぅ」

頷いたカグラはそのままシンの胸元へ頭を下ろし、こんこんと眠りについたのだった。



…意識が戻った。寝かされているようだ。体の各部はまだメンテナンス中だが、とりあえず瞼を開く。

「起きたか」

白い天井。左にヤブキがおり、オレを見下ろしている。雰囲気からして、どうやら保健室らしい。

「センセイ……エ?」

声がおかしい。ヘリウムガス吸ったみたいになってる。

「無理に喋るなハタカセ。喉がまだ修復中みたいだ」

モニターで確認すると、どうやらメタル喉仏が粉砕されたのが原因らしい。ゆっくり修復すれば直るので、先生の言葉に従っとこう。

「ン…?」

起き上がろうしたが、右腕が重い。モニターでは特に異常が見当たらないので顎を下にずらすと、白い頭が見えた。

「ヤヨイ…」

オレの右半身に体を預け、ヤヨイがすやすやと寝ていた。オレの格好は、上の制服を脱がされて上半身は黒いシャツ一枚だったけど、右腕の人口皮膚は再生済みでみてくれは元に戻ってる。

先生に何があったのか目で訴えると、

「イキメはな、お前の看病をしていた」

意外な答えが返ってきた。

「報せによれば、お前はイツムナに手酷くやられた、そうだな。頭部外骨格が破砕してオイルが噴出してたし、首は半分へし折れてたし、右腕はぐにゃぐにゃだった。一応手術はしてやったが」

「エ、センセイガ?」

マシーンロイドを手術?

「いや、まあ、うん」

歯切れが悪いのはマスクのせいだけではないはず。マシーンロイドを手術なんて、普通の医者には不可能。しかし現にオレの体は可能な限り修復されている。この人は一体?

「とにかく、経過観察中にもお前は時折口からオイルを吐いたり、右腕のメンテナンスが上手く行かずに歪に形成されようとするのを、イキメは献身的に拭き取ったり形を直したりしていた」

そうだったのか。

「アリガトウ、ヤヨイ」

左手で頭を優しく撫でてあげる。オレにはこれくらいしかできないから。

「んぅ…」

あ、目ぇ覚ましちゃった。

「…ノン君! 無事かね!?」

体を起こした早々、オレの心配か。

よし、ここはヤヨイに元気な所を見せて安心させよう。オレは笑って、胸を張った。

「ウン、ヤヨイノオカゲデ、オレチョウゲンキダヨ!」

あ。

「ぎゃあいいぃいいああああああぁぁぁぅぅぅぅうううボクのせいでノン君がああああああああああ!」

ヘリウムボイス忘れてた。


なんとかヤヨイを宥め、意識が再起動したら生徒会室に来るようにとカグラから伝えられていたので、オレとヤヨイは生徒会室へまた向かった。上の制服はボロボロだったので捨てたらしい。

ギターケースを背負って外に出ると、眩いオレンジ色の光に包まれた。もう放課後で、夕方だ。相当な損傷で8時間近くメンテナンスを有してたみたい。

「ナカナイデヨ、ヤヨイ」

「う、うむ…」

生徒会棟までの廊下を並んで歩く中、ヤヨイは髪を揺らしながらハンカチで涙を拭っていた。絶叫したと思ったらごめんごめんよ、と泣き始めたので困ったけど、今は大分落ち着いてる。

「恥ずかしい所を見せて申し訳ない」

「イイヨ。ソレニ、ハジメテアッタトキノナキップリニクラベタラカワイイホウダシネ」

うう、と呻いてハンカチで目から下を隠すヤヨイ。恥ずかしがってる今の姿はもっと可愛いらしかった。

「ホラ、ヤヨイノオカゲデミギウデハナントモナイシ」

右腕を伸ばしたり手首をプラプラさせると、ヤヨイはハンカチを懐に戻して微笑む。

「それは良かった。緊急自己修復すると、その部位は歪になってしまうと聞いていたのでね。前と変わらず、何よりだよ」

よく知ってるな。それとも、ヤブキに聞いたのか。

生徒会棟に着いたが、全面に仮設足場が組まれて大工姿の生徒達が作業していた。朝のツクヨミとの闘いの凄まじさが如実に表れてる。

「ご苦労」

モニターセンサーもいかれたのか、代わりに警備員ルックの生徒が立っており、ヤヨイが手を振ると敬礼で返して扉を引いてくれる。中はエレベーターが撤去されて梯子が掛けられてた。

「先にどうぞ」

スカートだもんな。

3階まで登ってくると、一面ビニールシートに包まれた廊下に出た。ツクヨミの開けた壁と床の穴には簡易戸が載せられているが、これはもうどうしようもないのでは。登ってきたヤヨイと共に進み、靴を脱いで生徒会室のガタついてる扉を取り外して中へ。

「ノン君が目覚めたよ」

ヤヨイに続けて入る。生徒会室も結構な被害が出ているかと思われたが、既に大方修復は済んでいたようだ。ビニールシートが張られてはいないが、壁の絵画などは全て外してあった。

「あら」

ソファーに座り、テーブルに積まれた書類の山にサインをしていたシンが振り返る。サングラスは掛けたまま。

「ハタカセさん、もういいんですか?」

数回頷いてみせると、ヤヨイが補足してくれた。

「ノン君は先の闘いで喉を痛めている。発声が困難なので察して欲しい」

ありがとうヤヨイ。

「まあ」

シンは少し驚いてから微笑むと、ソファーから立ち上がって奥のデスクへ向かう。カグラが上半身を突っ伏して寝息を立てていた。さっきの、まあ数時間前のキリッとした姿はもう見えない。

「カグラ様、ハタカセさんがいらっしゃいましたよ」

初めて来た時と同じようにシンが横から肩を揺すると、カグラは意外にあっさり起きた。

「…シン? …意識が戻ったのかハタカセ」

シンを見て、彼女が促すようにオレを見たのにつられてカグラがこっちに気付いたので、とりあえず頷いとこう。

「ハタカセさん、喉を痛めているようで喋れないそうです」

「…そうか…まあ仕方ない」

そういう訳じゃないけど、そういう事にしておこう。ヤヨイも察してくれた。

「それで、なぜノン君を呼んだのかね?」

「…先ずは」

カグラがシンに目配せすると、彼女はデスクの陰から紙袋を取り出した。

「新しい制服です」

「ワア、アリガトウゴザイマス!」

あ、ついメタル条件反射で声出しちまった。

…カグラとシンがめっちゃびっくりしてる。そりゃそうだよな。

ゴホン、とヤヨイが咳払い。

「聞いての通りだ」

フォローしてくれた。

「…うむ」

「失礼しました」

佇まいを正す二人。よく分かってくれたようだ。

「キツさんからお話を伺っておりますので、予備も一緒です」

うっわ、めっちゃ嬉しい。

「…もう一つ…ハタカセへのペナルティが決まった」

ああ、うん。まあ仕方ない。紙袋をギターケースに入れると、カグラはデスクの引き出しから書類を取り出し、それをシンを通してオレに渡したので受け取って見る。

「……………………生徒会棟の修繕、かね」

必死に背伸びするヤヨイに考慮して斜めにすると、読み取れた文面を口にした。

「…マシーンロイドである事を存分に発揮してもらうぞ 」

これくらいならお安い御用。快く頷いた。

「…まあ今日の所は己の修理に努めろ…棟に関わるのは明日からでいい」

おお、ありがたい。

「…話は終わりだ…気を付けて帰れ」

オレは気遣いに感謝し、深々と頭を下げて書類をギターケースにしまった。

さて、そんじゃ帰るか。

「ボクから一ついいかね?」

踵を返したオレの後ろで、ヤヨイがカグラへ質問していた。

「…何だ」

「クーちゃんの処遇は如何程に?」

「…奴は暴れすぎた…もし学舎の方でこの騒ぎを起こしていたなら今頃警察沙汰だった筈…よって、ハタカセ同様生徒会棟の修繕、及び出世払いによる修繕費の全額負担、そして四神称号『白虎』の剥奪だ…最後のはまだ本人には伝えていないが…まあ奴も馬鹿ではない…恐らく勘付いている事だろう」

…まあ妥当だな。あんだけ暴れた奴が退学にならないだけまだ甘い。

「ふうん、成る程成る程」

話を聞いたヤヨイが楽しそうに算段をつけていた。なにをする気なんだろ。

「カッくん。クーちゃんのその処遇、ボクの権限でなしにしたいのだけれど」

へえ。

「…ほう」

怪訝な顔をするカグラ。シンも驚いている。

「なに、クーちゃんが生徒会棟を破壊した行為の無効化さ。そうすれば修繕費を払わなくて済むし、四神称号も剥奪しなくて済む筈だろう?」

「…出来なくはない…しかし、幾ら権限で無効に出来るとはいえ、多くの生徒に迷惑を掛けている行為を白紙に戻すのはお前自身に非難を集めるだけだ…メリットはない」

うん、確かに。

「関係ないのだよそんなもの。よし言質は取った。早速クーちゃんを呼んで貰おうかね」

「…シン」

傍のシンにヤヨイの頼みを聞いてやれと声を掛け、好きにしろとばかりにカグラは片目を閉じて寝息を立て始めた。

「畏まりました」

シンが寝入ったカグラに頭を下げ、サングラスのフレームに手を添えると、レンズから小さな立体映像が出た。なんて便利な。

シンはそのままチャンネルを何度か変更し、やがて映されたのは、ウェディングドレス風制服に安全第一というヘルメットを被り、右手に1トンはあろうぶっとい鉄骨を軽々と持った物凄い格好のツクヨミだった。

「え、だレイ?」

「ツクヨミさん、私です」

「シンちゃん? どうしたのヨン」

早速修繕に従事しているらしい。おそらく白虎を象った指輪から映像が出力されているのだろう。

「イキメさんからお話があります」

向こうでの映像が切り替わったのか、ツクヨミはヤヨイと、オレの姿を見て嫌そうな顔をしながら、

「…そのマシーンロイド以外の事なら聞くワン」

と言いやがった。お前どんだけオレ嫌ってんだ。

「ふ、災難だねクーちゃん。生徒会棟の修繕と費用負担、それに、四神から下ろされるなんてね」

ヤヨイが高みから見下ろしながら煽る。しかしツクヨミは気丈に振る舞った。

「ウチは間違えてないヨン。どう言われても、正しいと思う事をしただケイ。そしてこれは仕方なく受け止めるのミ。そう、罰は受けて然るもノー二」

「ボクの権限でその件、チャラにしてあげよう」

「ほんトオ⁉︎」

鉄骨を落として画面に詰め寄るツクヨミ。気丈な態度があっさり吹き飛んだ。無理してたんじゃねえか。

「本当だとも。但し条件がある。今すぐノン君と仲良くしたまえ」

ああ、そういう事ね。

「えエイト⁉︎ そのマシーンロイドトオ⁉︎」

「それだけでいい。それだけで修繕費、低く見積もっても数千万と四神から下ろされなくて済むのだよ?」

「ぐ、ぐぐぐぐぐぐぐグーグル…」

その天秤に掛けられてなお、歯を食いしばって苦痛に呻くツクヨミ。どんだけ嫌がってんだ。そこまで拒絶されると、オレのメタリックハートの方が砕けそうになるぜ。

「さあ決めたまえ! 二つに一つ!迷うことはないね!」

「わ、私は…」

立体映像に手を向けるヤヨイと、頭を抱えるように蹲るツクヨミ。どうやら本気で悩んでいる。本気で悩まれるような事をしたのか、オレは。

「決めたワン!」

ツクヨミが勢いよく立ち上がり、意図的に視線を逸らしていたオレの方に向く。

「残虐非道なマシーンロイド『ブラッディアルバトロス』のハタカセ メノン! 私の名前はイツムナ ツクヨミ! あなたと同じクラスで、風紀委員長ヨン! よろしくネハン‼︎」

と一息に言い切り、ヤヨイへ視線を戻すと、

「ヤヨイちゃんこれでいイチ⁉︎」

と半泣きで叫んだ。マジで嫌な事やってんのがヒシヒシと伝わってくる。そしてメタリックハートがビシビシと軋む。

「完っ璧だ!」

その形だけの自己紹介に、ヤヨイは満面の笑みを浮かべて叫んだ。

「副会長権限発動! 白虎であるイツムナ ツクヨミの今日の破壊活動による損害賠償を無効とする!!」


カラオケボックスにも大分慣れてきた。今日は部活がないらしく、誘われたオボロがマイク片手に軽快な歌を歌っている。日本語じゃなく、英語でもないので歌詞は分からないが普通に上手い。

「ノン君、あまりクーちゃんの事は気にするべきでないよ」

メタリックハートがベッコベコにされたオレを励ますつもりでカラオケに誘ったヤヨイだったが、流石のオレでもあんなに嫌がられるのは堪えた。

「彼女はだね、父親が警察官で正義に強い憧れを抱いているのだよ。そして悪を憎み、嫌悪しているのだね」

へえ、そうなんだ。

「だから、嘗てノンくんがやらかした悪行の数々が許せないのだよ。マシーンロイドというだけでノンくんを嫌うのは、全てマシーンロイドだからこそ行えた過ちだからだね。勿論、今のノンくんを知らないのは言うまでもないのだよ」

ヤヨイの言わんとしている事は分かる。

「だから、クーちゃんを嫌わないで欲しいのだよ。壊されかけた手前、こんな事を頼むのは阿呆の所業と思わずにね」

まあ、昔のオレだって悪いし。そこはフィフティフィフティで。

そう思って微笑むと、ヤヨイはほっと胸を撫で下ろす。気持ちが通じたようで嬉しかった。

ステージを見ると、興が乗ってきたからかオボロがノリノリで歌ってた。

21時を少し過ぎ、夜の闇に包まれる事なく複数のサーチライトで眩しく照らされた生徒会棟。その生徒会室前の廊下では、同じく設置されたライトの前でツクヨミが作業をしていた。建設部から依頼された鉄骨の分断という、普通ならバーナーで焼き切る荒業を彼女は右手一つでこなす事が出来る。

「イツムナさん、そろそろお帰りになられた方がよろしいのでは…」

生徒会室から顔を出したシンが心配すると、ツクヨミは涼しい顔を上げた。

「ありがとトリリオン。家の人を呼んだから、それまではまだやるワン」

鉄骨にチョークで書かれた線へ右拳を乗せ、フッと軽く息を吐いて小さな衝撃を放つと、それだけで鉄骨は綺麗に切断された。

「そうですか。ではお帰りになるときは声を掛けて下さいね」

「はイチ」

シンが引っ込もうとしたとき、エレベーターの代わりに設置された梯子から、誰かが登ってきた。

「オイオイ、ナニガアッタンダ?」

異様に背の高い、黒い燕尾服に似た制服を来た青年は、変わり果てた様を見て丸っきり棒読みのイントネーションで驚いた。

「あら。お帰りなさい、ジンノさん」

「…あー、お帰りなさイチ」

微笑むシンとは逆に、ツクヨミは心底どうでもいいと作業に戻る。

「ハハン、ツクヨミガヤラカシタノカ」

頭が天井につくため猫背になった彼の首元から、亀の甲羅を模したネックレスが宙に浮いた。


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