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フェイズ2:朱雀 -Serpent Fox-

ヤヨイに連れていかれたのは、校舎から数十メートル離れた、やや古い建物。外観から旧校舎だろうと思ってたけど、すぐに覆された。

「あー…」

『認証しました』

入り口に鋼鉄製の扉があり、ヤヨイが横のモニターセンサーに顔を近づけて口を開けると認証され、開いた先はエレベーターになっていた。内部だけ最新鋭の設備で改築してあるらしい。古ぼけた外観は風情を残したからだろうか。

「…金掛かってるね」

「そうだね」

中に入るとボタンはB1、1、1A、2、3、Rがあり、ヤヨイは3を押しながら続けた。地下がある事にも驚いたけど、なんだ1Aって?

「セキュリティーゲートにエレベーターなんて、普通の学校ではまずありえないね」

「ここは普通の学校ではないって事?」

ヤヨイに尋ねると、右手でぐっとサムズアップした。

「その通り。ま、その辺りの説明は生徒会室に着いてからしてくれるはずだね」

誰が? と思ったが、ヤヨイが後ろにいたオレに並ぶように横に付いたのでその疑問は消えた。流石に狭い。

「どうしたの?」

「背、伸びたと思ってね。昔はボクより低かったのだよ?」

確かめるようにオレを見上げてきた。

「そうなの?」

「うむ。大体、これくらいかね」

自分の前髪で隠れたおでこ辺りを横チョップするヤヨイ。そりゃ確かに低い。

「今のオレの身長は…184」

モニターのプロフィールを開いて説明すると、ヤヨイは感嘆の吐息をオレにかけた。

「ほう、そんなに? ふうむ、それが最も身体能力が発揮されるベストの体格なのだろうかね」

どうなんだろうな。

「その辺りのメモリーもなくなってて…」

かなり歪な感じでメモリーの所々が抜け落ちている。家族構成は分かってるけど家族の顔は分からない、とか。

少し不安になったオレの両肩に手が置かれ、ヤヨイは力強く笑いかけてきた。

「安心したまえノン君。お詫びも兼ねて、ボクが可能な限り学園生活をサポートしてあげるからね」

…可愛いと思っていたけど、この表情はどこか勇ましさすら感じられた。

「うん。よろしく」

お願いすると、ヤヨイがうんと頷いたと同時に3階に着いたエレベーターが止まった。

扉が開くと、再び驚く。

エレベーターから先は一本通路で、床にはレッドカーペットが敷かれていた。その先はこれまた高級そうな木材で作られた荘厳な扉が待ち構えている。横の壁には表札の様に生徒会室と掲げられていた。

「さ、行くとしようかね」

ヤヨイが臆する事なく歩きだすのが頼もしかった。このカーペットに土足を踏み出すのが怖かったからな。

「ノン君をお連れしたよ」

ヤヨイが重厚な扉を両手で引き開ける。12畳ほどの部屋の中はまたまた豪華絢爛の様相だった。

床はふかふかのカーペット、白い壁には何やら高そうな絵画が数点並び、頭上にはシャンデリア、更に天窓付き。右には来客を迎える為のソファーやテーブル、嗜好品貯蔵の冷蔵庫やガラス棚、左には巨大な桐タンスや小物入れも完備。正面には社長が使うような馬鹿でかい机があり、その隅には何処に通じているのか分からないが、場違いなほど質素な扉が付いている。

そしてもう一つ、場違いな人物が机の前に立っていた。

「ヤヨイさん、ありがとうございます」

服装から見て、恐らくメイド。そのやや大人びた雰囲気の少女がヤヨイに手を振る。口元はにこやかだが、何故か細いフレームのサングラスを掛けているので目元は見えない。腰まで届くミルク色の髪や顔のパーツから推定するとかなりの美少女なのでチョイスが残念過ぎる。こいつの趣味なのか雇い主の命令なのかは分からない。

次いでオレに顔を向け、

「そして、ブラッディアルバトロス。ニュウタ学園へようこそいらっしゃいました」

深く腰を折って、頭を下げた。教育が行き届いているメイドだな。…よく見るとメイドじゃなかった。ヤヨイ同様、かなりアレンジの加えられた蒼白の制服らしい。白のメイドキャップにしか見えない帽子やロングスカートはメイドの様相を呈し、初見では気付けないわこれ。サングラスは論外。

「シンちゃん、彼はメノンという名前なのだがね。ブラッディアルバトロスは昔のあだ名、いや蔑称だ。もう呼ばないで欲しいね」

ヤヨイが靴を扉の前で脱ぎながら得意げに話し、シンと呼ばれた少女は申し訳ございませんと再度頭を下げた。

…あれってそんな不名誉なもんだったのか。オレも靴を脱いで中に入り、後手で扉を閉める。

「えー、シンさんていったよね? 君が受付でいいの?」

「自己紹介が遅れました。わたくしは生徒会書記、ビサト シンと申します。受付に関しましては、あちらの方が貴方の入学の是非をお決めになられてからと参りましょう」

と言ってシンは半回転し、机の正面から退く。彼女が隠していたように、机に座っていた男が露わとなった。

先ず気になったのは、頭をぐるっと回した紐で左目付近を覆うアイパッチ。黒い表面に黄色の龍が刺繍されているのがオシャレ。

髪型はぴっちりとした鴉色のオールバックだが、表面の色艶から整髪料の類いを使わずにセットしているようなので、どうやってあのぴっちり具合を維持しているのかが分からず、どこか自然に不自然に見える。泰然と腕を組み、右目を伏せているが、人を寄せ付けない威圧感のようなものが滲み出ていた。同学年くらいなのに。

制服も、黄色をベースにして所々黄金色が混じる豪華なアレンジが成されていた。

「あ、どうも」

そいつが生徒会長らしかったので、軽く頭を下げて挨拶。そいつの反応を待つ。

「…………………」

数秒経ってもノーリアクション。聞こえていなかったのかと思い、シンの隣まで来てもう一度挨拶。

「どうもっ」

「……………………」

反応がない。肩が規則的に上下していなければ死んでるように見えた。なんだこいつ。寝てんのか?

「あ、すいません。少々お待ち下さいっ」

横のシンに尋ねる前に、彼女は慌てて机を回り込んでそいつに辿り着くと静かに肩を揺すった。

「カグラ様、起きて下さい。カグラ様ぁ」

マジで寝てたのか。振り返ってヤヨイを見ると、ガラス棚からコップ、冷蔵庫から飲み物を取り出していた彼女はオレの困惑ぶりを見てニヤリと笑う。日頃からこいつはこんな感じらしい。色々と大丈夫なのか、ここは。

「起きて下さいましっ、カグラ様!」

正面に向き直ると、シンの肩揺すりがヒートアップしていた。カグラと呼ばれた男はガックガック揺さぶられ、浮いた椅子がカーペットを踏みつける音が響く。

「……んぐ」

そこまでされて、右の瞼をゆっくりと開くカグラ。ようやく起きた。

気付いたシンが肩から手を離すと、カグラは組んでいた手を解いてダラリと下げながら彼女に向き直る。

「シン…?」

「カグラ様、眠っておられましたよ。ブラッディアルバトロスの選別はご自身でなさると仰られましたよね」

「…すまん」

微笑みながらシンが諭すと、カグラは彼女へ素直に謝り、オレを見た。うん、まだ眠たそう。てか、目の隈が酷い。どんだけ寝てないんだこいつ。

「…すまなかったな。ブラッディアルバトロス」

「あ、はい」

なんだかんだで生徒会長、一応態度に気を付けておく。激務なのかもしれないし。

「…このニュウタ学園に入園希望らしいな」

面接っぽいのが始まったので気を引き締める。

「はいっ」

「…本名と、在席していた中学校を教えて貰おうか」

言いながら、カグラが下の方の引き出しを開ける音が聞こえた。

「名前は、ハタカセ メノンです。コウキュウ中学校に通っていました」

「…コウキュウ、コウキュウ」

下から何かを探しているカグラ。

「…ハタカセ、ハタカセ…あった」

カグラは多分ファイリングしていたところから見つけたであろう一枚の紙を取り出す。スキャンしてみると、オレの履歴書みたいな物であるのが分かった。昔のオレが書いたものか?

「…ハタカセ メノン。マシーンロイド、と書かれているが、そうだな?」

「はい、そうです」

「…不躾だが、その証を見せられるか?」

「え? あ、証?」

いきなりの注文に焦る。マシーンロイドの証拠って言われても……。

「…何かないのか。機械の体だという証を」

「では逆に、人間の体だという証を見せろと言われても、困るでしょう?」

「…それもそうか」

カグラが納得してくれたその時、背中をツンツンとつつかれたので振り向くとヤヨイの仕業だった。

「どうしたの?」

「ノン君、腕を外して見せればいいんじゃないかね」

……はい?

「何?」

「腕だよ腕。肘から先を飛ばせるだろう?」

と言って自分の右腕の肘を左手で叩く。

飛ばす? 腕を? オレが?

「…その顔は、その能力も失ってしまったという事かね」

シュン、と落ち込むヤヨイ。やばい、また自分のせいと思い込んでいる。慌てて水晶モニターでそれっぽい項目を探した。

プロフィール、パラメータ、メモリー、アルバム、カメラ、ムービー、メモ帳、etc.etc…ファイトスキル……ファイトスキル? なにこの物騒な項目。もしかしてこれ?

選ぶと、基本スキルというのが幾つか表示された。全てに5〜20のSPという謎の数値と横に習得可能という文字、右下には所持SP 63というのが表示される。SPはスキルポイントと読めた。

なんじゃこりゃ? なにかのゲーム? いや、もしかしてこれがマシーンロイドの能力アップのやり方? マジで?

その中に、「コードM:ロケット・フィスト 5SP」というのを発見し、まさかと思ってカーソルを合わせると下にガイダンスが表示された。

『右腕の肘から先を飛ばします。射出速度は0〜マッハ1まで制御可能です。このスキルを習得しますか?』

「あったっ!」

オレは思わず拳を握り締めて叫んでいた。

「ひぇっ!」

「わっ」

「…突発的だな」

シンが怯え、ヤヨイが驚き、カグラが顔を顰める。水晶モニターを見る事のできない彼らからすれば、いきなりオレが何かを発見して叫んだので当然の反応だった。

「す、すいません。でもオレがマシーンロイドだという証拠、見せられますよ」

「…ほう」

早速所持SPを消費して習得すると、直ぐに使い方がインストールされ、まるで最初から知っていたような感覚となった。「ロケット・フィストの能力向上 50SP」というのが追加されたが今は置いておく。

よし。ヤヨイに頷いたオレは右袖を捲り、不自然に白い肘から先を露出させる。体の前に持ってきて左手で右手首を握り、左手に力を込めて0㎞で飛ばすように引っ張ると、スポンという音と共に肘から先が取れた。おお、取れた右手も動けんじゃん。

オレが外した右手をわきわきと動かすとシンは僅かにたじろいだが、カグラは動じていない。ヤヨイは顔を綻ばせた。

「これで、どうですか?」

断面は肘から先の部位がジェット噴射で戻ってくるようになっているらしい。カグラはやはり動じていなかった。

「…ありがとう。よく分かった」

引かれるよりはいいか。ガチャッという共に再装着し、服の袖を戻す。

「…何点か聴きたい事がある。出来れば答えて貰いたい」

再び履歴書に目を通すカグラに、オレははいと頷いた。

「…先ず、お前はハタカセ機械工学研究所の生まれと見て、間違いないか」

「はい。マシーンロイドはそこでしか製造されていませんでした。というか、そこの所長の息子です」

「…成る程。家族構成が書かれているのは間違いではないのか」

そう、オレは無から誕生したが、戸籍上はハタカセ家の息子である。まあマシーンロイドを我が子にするなんて酔狂な親だと思うのは正常、寧ろ笑い飛ばして当然なので、カグラの反応は意外だった。

「…マシーンロイド。公表すらまともにされていない代物のため詳細は不明。済まないが、ロボットやサイボーグとは何が違う?」

「マシーンロイドは人間と同じ構造の機械部品で造られた、言わば機械人間です。マシン細胞で構成されたボディは鋼鉄並みの強度を維持しつつ成長し、人間と同じような思考・心を持っています。ロボットのように命令がなければ動けないとか、人間を弄って機械と融合させたサイボーグとは根本的に違います。なので、ロボットやサイボーグはオレにとって暴言です」

本当はもっと複雑怪奇だが、一応分かりやすく説明した。最後に強調しておくことも忘れない。

「…済まなかった。以後、口にはしない」

「いえ…あ」

心遣いに感謝していると、カグラの右瞼が少しずつ下がっていく。シンが察して耳元でカグラ様と呼ぶと、再び起きた。カグラは、時間が足りんと呟いてから、再び履歴書に目をやった。

「…コウキュウ中学中退…?」

カグラが目元を強める。やっぱり来たか。しかしこれは避けては通れない。これさえ突破すれば後は問題ないはずだ。

「…いや、寧ろこちらの案件の方が聴きたい。校舎爆発事件を起こした、というのをな」

「…………どういうことなの…」

猛烈に痛い目頭を押さえ、オレは天を仰いだ。

なんで、昔のオレ、ほんと何やってんの!?

…いや、待て冷静になれメノン。ここで知らないと言うのはアウトだ。流石に、知らない、忘れたでは済まされない行為しちゃってるんだ昔のオレ。そりゃブラッディアルバトロス悪名高い筈だぜ。相手の情報を疑うのもそもそも真実か分からないオレにはどうしようもないし、でも乗り越えないと確実に落とされるだろうし、ああどうすりゃいいんだ!?

「ノン君」

ばっと振り返り、ヤヨイを見た。彼女は熱いサムズアップと、ウインクを見せつける。任せろ、と言いたいの?

「カッ君」

「…ヤヨイか。さっきからどうした」

ヤヨイが勇んでオレの前に出ると、カグラは先程の件もあって訝しんだ。

「ボクもコウキュウ出身なのだね。だから彼の事はよく知っていてね」

「…そういえばそうだったな。で、何が言いたい」

「実は彼、2ヶ月前からの記憶がないのだね」

「…なに?」

と言ってオレの事をカグラに説明しだすヤヨイ。彼女はここで結構な地位を築いているらしく、カグラは疑う事なく話を信じていた。

オレの口から言うより、信憑性が高くなったのは言わずもがな。助かったよ、ヤヨイ。

「……という事でね。恐らく彼はその事件の事を知らないのだよ」

「…お前は知らないのか?」

ヤヨイの表情が、少し沈んだ。

「…ボクは生憎、現場にいなかったのでね」

…もしかして、ヤヨイが関与しているというオレ破壊の真相に繋がっているのだろうか。

「…そうか。つまりメノンはその爆発事件の追加改造で二月も眠っていた。それで中学の卒業式へは出られず中退扱い、当然高校へも入れずじまいで今日に至る、と」

「…まあ、そうなりますね」

いや、父さんの腕ならもう一月早くオレを起動させる事も出来た筈。多分サボってたんだろうな。だから許さん。

「…そして爆発事件の方はメノンが主犯なのか仕立て上げられただけなのか、真相は闇の中というわけか」

「でもね」

ヤヨイは机に両手を叩きつけると、憂いた表情を自信に満ちたものに変化させ、カグラに突きつけた。

「ボクが断言してあげよう。ノン君は絶対にニュウタではそんな事件は起こさない、とね」

「…随分肩を持つな」

「当然だよ。ノン君はボクにとって大切な人なのでね」

…ヤヨイ、今のはちょっと、いやかなりドキっとしたぜ。もしかしなくてもヤヨイはオレの事が好きらしいけど、しかしそれは昔のオレっぽいので、あんまり調子にのらないようにしよう。

「…安心しろ。世紀の逸品を逃す程、俺は愚かではない」

オレはその言葉を聞き逃さなかった。ヤヨイの横まで来ると、カグラへもたつきながら尋ねる。

「じ、じゃあっ?」

「…当然、入学を許可する」

「やったあああぁぁぁぁー‼︎」

びっくりした。オレの心の声を代弁する様に、ヤヨイが諸手を上げて叫んだのだ。凄い声量にオレは喜ぶタイミングを忘れる。

「やったね! やったねノン君! おめでとう!!」

ヤヨイはまるで自分の事のようにはしゃぎ、そのままオレに抱きついてきた。少しずつ喜びが満ちてきたオレも、フリーな両手が寂しかったのでとりあえずヤヨイの背中に手を回して抱き締め返すと、ヤヨイが更に密着してくる。暖かい。

「ありがとうヤヨイ。君のおかげだよ」

先程の件の礼を言うが、ヤヨイはオレの懐で頭を振る。

「何言ってるのだねっ。ノン君は入学できて当然だねっ」

嬉しい事を言ってくれる。

こうしていると喜びが共有できて、不思議な気持ちが湧いてきた。

「…シン。後は頼む。何かあれば呼んでくれ」

「はい。おやすみなさいませ」

視界の端でカグラは席を立ち、シンにそう告げると奥の扉の中へふらふらとした足取りで消えていった。


「ではボクは戻るとするね。ノン君、また会おうね!」

頬を制服と同じ色に染めたヤヨイは、そう言って生徒会室を出て行った。

「本校のご説明を致します。こちらへどうぞ」

一部始終を見ていたシンはにこやかな笑みを絶やさぬまま、机から資料をとって来客用のテーブルへ手を向けた。それを挟むソファーに座り、対面するシンとオレ。テーブルの上に置かれた資料を手に取ると、数ページがホッチキスで留められたそれには、新田学園の校風説明、と活字で書かれていた。

「では、お捲り下さい」

手にとってページを捲る。シンが長ったらしい文章を所々端折って噛み砕きながら説明し始めた。

「このニュウタ学園は今年4月から新設された、現代社会で活躍する社会人を育成・提供する為の教育施設です。高等部と中等部、1クラスに30人前後、それが3クラスで1学年90人。つまり中高合わせて計540人の生徒が同時に教育可能な学園媒体が確立されています」

ふむふむ。成る程。

「この学園の校風、延いては掲げる思想は『平等ではないからこそ個性を伸ばす』です。人間とは決して平等ではなく、生まれも育ちも異なるもの。ならば生徒の能力を満遍なく引き上げるのではなく、一人一人の得意なもの、個性を伸ばすという方針です。特に高等部からは個性を伸ばす為に一部の学園生活の免除、特別講師を招いての専門講義などそれに打ち込む権利が適用されます。勿論、適用される生徒にはそれなりの条件・見返りが要求されます」

ふーむ。

「次のページに適用される生徒の条件を挙げてあるので、捲って下さい。先ず欠席、遅刻が少ない事。これは当然ですね。続いて定期テストである程度の結果を示す事。やはり学生は勉学に励むものですので。次に普段の学園生活においての素行。不良行為や授業を碌に聞いていない方などは論外です。最後に適正テストを受けていただきます」

「適正テスト?」

「一般的な常識・道徳が身についているかという簡単なテストです」

ふんふん。

「これに合格された生徒は、熟考した見返りを支払う誓約書を書いて頂き、生徒会長のカグラ様から個性を伸ばす権利が与えられます。次のページに具体例があるので捲って下さい。例1。1年C組 クワゴト リョウ。将来は一流レストランのシェフになりたいという事で、3、4時限目の授業は免除され、その時間から食堂を手伝っています。特別講師として三ツ星ホテルのシェフを招き、努力家な彼はめきめきと成長しています。今では時折並ぶオリジナルのスペシャルメニューはすぐ売り切れるほどの絶品で、グルメ雑誌には期待の新人として早くも各方面からオファーを受けています。見返りとして、家庭科の料理実習には講師となって教える立場になる事、取材ではニュウタ学園の名前を必ず出す事、就職から10年間の給料・褒賞の10%は学園に寄付する事、となっています」

ほー。

「例2。1年B組 センビョウ エリ。彼女は絵の才能を伸ばしたいという事で、5、6時限目の授業は免除、絵を描く事に専念しています。特別講師として有名な芸術家や漫画家にも来ていただき、今では彼女の描いた絵画は画商に高く評価され、同じ志を持つ漫画研究部員をアシスタントとして描いた漫画は某雑誌への連載が決定しています。見返りとして、美術の授業では講師となる事、世に公表した最初の作品は直筆サイン付きで学園に寄付する事、連載漫画の印税の5%を寄付する事、となっています」

「てことは、もしかしてあれも?」

オレは壁に掛けてある高そうな絵画を指さす。シンはその通りですと頷いた。

「あれは彼女の渾身の作品達。数十年後には数百から数千万円で取引されることでしょう」

マジで。

「…まさか」

ある可能性に気付くと、シンはご名答と笑みを浮かべた。

「このソファーもカーペットも、このテーブルも机もタンスも、あの冷蔵庫もシャンデリアも、全て個性を伸ばした生徒が作ったものです。この1ヶ月あまりで」

…すげえ。オレ全部高級品かと思ったのに、全部手作りなのね。半端ねえ。しかし。

「そういう一部の生徒を贔屓させるのって、PTAとかがうるさいんじゃない? よく説得できたね」

「この学園に干渉できるPTA・教育委員会は存在しません。ここは学園という、県から教育を許可された名目をしていますが、実際は他から隔絶された孤高の施設なんです。もっと言えば、この学園そのものが生徒を1人の人間として自立させる温床でもあります。平たく言えば、学園外での援助なしで自給自足を成立させるという事になります。伴い、入学規定内の年齢の方がこの学園に入学するのも自由、退学するのも引き止めません」

全ての方が入学を許可される訳ではありませんがとシンは付け足してページを捲ったので、オレも捲った。

「施設の紹介です。前大戦における軍の補給基地でもあったこの地下には、僅かな電力で稼働する大型ジェネレータが設置されており、電力には困りません。また牛豚鶏魚の養殖や果実と野菜の栽培も個性を活かしたいという生徒達によって行われており、近くの海から海水をろ過した水によって田園、田畑も開墾されました。保健室には一流の医者と、医者を目指す生徒が医療に励み、優秀な設備と合わせて臓器の移植手術も可能な状態です。学園に隣接するように寮もあります。寮費は無料です。また一部の施設は近隣住民の方々にご利用できるようになっております」

最後のページを一息に説明し、シンはサングラスを掛けなおした。一部端折っていたが、蚕の養殖や機械の製造開発なども行っているらしい。

なんというか、

「この学園だけで世界が回ってるって感じがする」

「それがカグラ様の求める最終的な思想であり、居心地の良いここを離れる事で生徒の巣立ちとなる事を望まれているのです」


入学説明が終わり、シンから渡された入学手続きに必要な書類を書いている。名前や身長・体重などだが、生年月日は製造日、年齢は製造年月、血液型はオイルタイプ、でいいのだろうか。えーと、ピュアバイオレットオイルタイプと。

チャイムが鳴った。先程の放送は5時限目の開始だったから、これは終了のチャイムか。まあオレには関係ない。

よし、書き終わった。

「お疲れ様です」

丁度いいタイミングで、どこかへ行っていたシンが帰ってきた。手には紙袋を持っている。

「おかえりなさい。それは?」

「貴方の制服ですよ。先程目測しましたのでサイズは合っている筈です」

と言いながらシンは紙袋から透明なビニールに包まれた、灰色の制服を取り出す。上下一式に加え、ワイシャツや革のベルトも付属していた。

「ありがとう」

ふと疑問に思った。

「ヤヨイとか君の制服はアレンジしてあるけど、そういうのって自由?」

「いえ、制服の改造は禁止されています。ニュウタ学園は髪型・靴・携帯端末などは規律違反・授業妨害されなければ自由ですが、制服のアレンジはご法度です」

「じゃあ、君達は?」

「生徒会役員だからです。学園運営の一端を担う我々は生徒から一目で分かるように色分けされています。他にも役員のメリットは多数あります。聞きますか?」

「いや、いいよ」

別に入りたい訳じゃあない。

そうか。ヤヨイもあのミニスカも生徒会役員なのか。

「一応、ここで着てみてください」

「うん。あ、これ、書いたんで確認よろしく」

「はい」

制服を渡され、代わりに書類を渡す。

………。

「あの、シンさん。どこで着替えればいいの?」

「…失礼しました。ここでどうぞ。着替え終わりましたらお声を掛けて下さい」

シンは書類を持って再び扉から出て行った。

1人になり、カグラが入っていった何の変哲もない扉が気になったが、勝手に入るのもなんだろうとスキャンも自粛した。


エレベーターから降りると、そこで丁度チャイムが鳴る。この棟の2階は資材置き場になっていたので、そこで各教科の教科書やおまけのノート、体操着とジャージ、水着や上履きや体育用シューズなどの一式を貰い、1Aという1階の別階は学生証とセキュリティーゲートのパスを発行する施設だったので造ってもらって、ようやく降りてきた所だった。

もう、夕焼けが迫る放課後である。

「………ふっふっふ」

パリッとした灰色のブレザーの内ポケットから真新しい学生証を取り出し、にやにや。

本人確認で撮った写真はおぞましい笑顔だったが、これすらもにやにや。

紙袋に入れられた多くの教科書、体操着、それらの下に潰された私服に、にやにや。

学生証を戻してエレベーターの表面に映る制服を着たオレに、にやにや。

それに向かって何度かポージングすると、映ったオレも同じ動きを重ねる様に、にやにや。

笑いが止まらん。

「…遂に、高校生になったんだなあ」

ああ、感慨深い。高校生の姿になって、ようやく実感が湧いてきた。自分が認められたようで、たまらなく嬉しい。

「…やっと高校生に…」

…………。


…………あれ?


…………オレ、


…………なんで、


…………高校生に、


…………なりたかったんだっけ?


………………………………

「ま、いいか」

何故だろう。特に気にしなかったが、特に気にもならなくなった。それとも、電子回路の底に残っていた破損したメモリーの一部が表面に出てきたのか。

そんな事を考えていると、校舎の方から誰かが走って来るのが見えた。純白の髪が水のように流れている。

「ノーンくーん‼︎」

ヤヨイだった。手を大きく振って真っ直ぐオレの方に駆けてくる。

「やあヤヨイ。どうしたの?」

オレの前でブレーキを掛けるヤヨイ。ほんの少し息を整えると、

「ノン君。クラスは何組だねっ?」

期待に満ちた声でそう尋ねてきた。そういえば見てなかった。もう一度学生証を取り出し、開いて確認した。ヤヨイも覗き込んでくる。

「A組」

「やった! ボクもA組なのだね! ふふん、クラスでのサポートも、任せたまえよ!」

胸を張るヤヨイ。普通より大きい胸が形を崩さずに揺れる。

……いかんいかん、オレのスケベェめ。

「ノン君、少しこの学園を案内しようかね?」

オレがメモリーの映像を消去していると、ヤヨイがそう提案してきた。うん、今の内に知っておいた方がいいか。明日から通うんだし。

「うん。じゃあお願いしようかな」

「よおし、ではついて来たまえ!」

ヤヨイはオレの手を掴み、校舎へ進みだした。ちょ、引っ張らないで。

「まずはボクらの教室へ荷物を置きに行こうかね」

というヤヨイの提案で、靴箱へ来た。当然オレの名前はないが、紙袋から渡されていたプレートを取り出し、空いている適当な蓋へ差し込んだ。

機械ハタカセ 鳴音メノン、というオレの名前が他の生徒の名前の中に混じり、浸透し馴染んでいく実感を再び噛み締めた。靴を入れ、シンから貰った上履きを紙袋から取り出して名前を書いて履き、待っていたヤヨイと進む。

「1階は職員室や保健室。2階が中等部1、2年で、3階は中等部3年と高等部1年だ。4階は高等部2、3年だが、在籍していない」

壁床天井が新しい雰囲気の廊下を先導しながらヤヨイは説明を欠かさない。頼りになるぜ。

廊下は走るな、という言葉と激突している人間同士を描いたポスターが壁に貼ってある。やけに生々しいけど、これもセンビョウって奴の絵なのか。

「在籍していないって?」

「新設時に呼びこまなかったそうだね」

まあ将来を決めあぐねる時期に無名の学園にわざわざ転校する奴はいないから、妥当っちゃ妥当。

「エレベーターは使うかね?」

…なぜここにもあるんだろう。校舎の真ん中に設置されたエレベーター、横にはセンサーがある。

「…いや、階段で行こうよ。エレベーターは味気ないし」

「そうかね? では、ついて来たまえ」

オレ達はエレベーターの反対にある階段を登っていく。途中の踊り場からは朝、エルド達とやりあった砂地の空間が見え、帰宅部の生徒の姿が疎らにあった。

「ヤヨイ、あそこって結構広いけど校庭?」

「いや、あそこはバトルステージだね。校庭は校舎の右に立派なものがあるのだね」

「バトルステージ?」

「この辺りは治安が悪いからね。ヤンキー達が乱入してくるのは日常茶飯事なのだよ。だからあそこで足止めして、生徒会の出番って訳だね。一種の見世物だよ」

朝感じた事を納得しつつ、そこでなぜ生徒会が出てくるのか、という疑問は3階に着いたので消失した。

「右が中等部3年、左が高等部1年だね」

左右に分かれた廊下を左に進む。手前から1-C、1-B、1-Aと掲げられていた。

「見ての通り、ボクらのクラスは突き当たりだね。行くよ?」

「う、うん…」

ちょっとだけ、ドキドキしてきた。廊下に生徒の姿はないが、それぞれの教室の中から笑い声が聞こえてくる。これから3年間、家族より長い付き合いをする仲間達がいるんだ。ヤヨイが後方のオレを気にしながら廊下を進んでいく。オレは少し遅れてついて行った。

分かってた事だが、ヤヨイはかなり注目されていた。生徒会役員のアレンジ制服もだが、可憐な容姿に加えて仕草がどこか動物的で可愛いというのもあるだろう。だから教室にいる連中からすれば、廊下側の窓ガラスの右から左へヤヨイが移動しているのをつい目で追っていたら、その後ろから不気味な奴が不意打ちで現れたもんで、全員漏れなくビクッとしていた。そう、オレだ。ヤヨイの後をついて行くのが、仇になったのかもしれない。

「…大丈夫かね、ノン君?」

「…あんま大丈夫じゃないかも…」

ヤヨイも察してくれたのか、A組前で止まって心配してくれた。ふ、メタルメンタルが削られたが、所詮は別クラス。これからが大事だ。

「どうしようかね? まだ教室に何人か残っているが、ボクが先に入ってノン君を説明してから入ってくるかね?」

ヤヨイが素晴らしい提案をしてくれた。オレは縮こまり、彼女に頭を下げる。

「ご、ごめん。そうしてくれる?」

「うん。任せたまえ」

オレの頭を撫でながら再び胸を張るヤヨイ。顔前で胸が揺れた。以下略。

「では、行ってくるね」

ヤヨイはオレを待たせて、ガラリと1-Aの扉を開ける。すぐさま彼女の大仰な声が聞こえてきた。

「やあ皆、まだ帰ってなかったのかね?」

「おかえりヤヨイ。彼氏は?」

「うおあうあああああううあおあ‼︎」

聞き覚えのある女の質問に、ヤヨイがぶっ壊れた。彼氏て…彼氏て! しかもヤヨイ、お前最初からオレ連れてくる満々だったのか。

「ちー、違うのだね! ノン君とはあ、そんな関係じゃなくてだね、えっとーとね」

ヤヨイ、色んな意味で帰ってきてくれ…そんな歌うように言っても説得力ゼロだぞ。

「恋人同士じゃなかったのか。スキャンダラスできなくて残念」

「あんなのと付き合うなんて正気の沙汰とは思えないです」

抑揚のない女の声がオレのメタリックハートにぐっさり刺さった。

「でもそれなりに友好な関係なんでしょ? 紹介してよう」

「あー、あー、うん。紹介するよ! 今すぐにっ!!」

………………え? このタイミングで出てこいっつーの!? ……いやでも出て行かないとヤヨイが困るだろうし…ああもう! 男は度胸‼︎ いくぞオラァッ‼︎

「……ど、どうも…」

心の中で強がったけど、オレは姿勢を低くして頭を下げながらA組に入っていた。な、情けねえ…!

「やっぱり白っ」

「おお、生マシーンロイド」

「怖いです」

「ほう、この人がねえ」

此方を差し出すように手を伸ばしていたヤヨイの他には、朝会ったミニスカと、カメラぶら下げた短髪の男と、ヘッドセットにイヤホンマイク付けた冷ややかな女と、海藻みたいな長い髪の女が集まっていた。ミニスカ以外は全員灰色のブレザー。

それはともかく、な、生クラスメイトだ。自分から自己紹介をしなければっ!

足を揃えて背筋を伸ばし、腰は90度に曲げる!

「は、初めましてっ。オレはハタカセ メノンと言います。これから、よ、よろしくお願いします!」

最初の方の声は上擦っていたが、ちゃんと自己紹介できた。オレは下げた頭を上げる。

なぜか全員、呆気に取られた表情でオレを凝視していた。なにこれ、イジメ?

「ヤ、ヤヨイっ、オレ何かした?」

慌ててヤヨイに問いただすと、困惑するヤヨイの隣にいたミニスカが噴き出した。

「あ、いやあ、ね。メノンだったっけ? なんかイメージと違かったからさ。朝はもうちょっと険しかったし」

ミニスカが苦笑しながらオレへ弁明する。すると、他の三人も口々に感想を述べた。

「そ、そうだね。ブラッディアルバトロスって聞いてたから、もっと粗暴な感じかと思ってたよ」

「朝とは真逆の印象で、物凄いギャップを感じました」

「そうよね。聞いていたイメージとは全然違ったわ」

…良かった。オレの容姿とのギャップに驚いていただけか。

「ふ、ふふん。皆驚きすぎだね。ノン君はもうクラスメイトなんだから早く慣れたまえよ?」

「うん。私はキリウラ ショウコ。よろしく」

海藻みたいな髪の女が思慮深い笑顔で自己紹介。

「僕はウツシ マコト。記念に一枚撮っていい?」

次いで短髪の男がカメラを構えながら笑った。オレは咄嗟にピースサインで微笑むという撮影許可を出し、マコトのカメラが光を放つ。

「ありがとう、ハタカセ君。いいものが撮れたよ」

それはあれか? グロテスクな意味でか?

「私はソウショウ ホウコ。これから、よろしくお願いします」

ヘッドセット付けた女が抑揚なく応じ、軽く頭を下げた。あまり感情を表に出さないタイプらしい。

そして最後に、ミニスカが腰掛けていた机から降りてオレに手を伸ばした。

「そういえば自己紹介まだだったね。あたしはヘビガミ キツ。よろしくお願いするよ」

握手、だろう。ヤヨイもだけど、よくオレと握手しようとする気になるな。

「うん。みんな、よろしくね」

オレは皆にそう言いながら、キツの手を握った。キツはオレの掌の感触を確かめながら、細い目を更に細める。

「あんた、朝の感じで分かったけどかなり強いかい?」

握手を離したキツが聞いてきたが、マコトが横から口を挟む。

「そりゃ、マシーンロイドなんだから当たり前だよ」

マシーンロイドだから強いって訳でもない。強いってか、硬いだけかもしれんし。

「ふふ、ノン君はそりゃあ強いからね。四神ししんはおろか、ボクでも勝てるかどうかね」

勝手な事言いやがるヤヨイ。さっきオレが肘外したの見て言ってるだけだろう。昔のオレは強かったのかもしれないが、今のオレは一般人には勝てる程度、だと思う。

というか、ししんってなんぞや。

「へえー、ヤヨイより強いのかい。そりゃ興味あるねえ」

なぜかキツが興味持った。なんでだよ。

その笑顔のまま、自分に親指を向けると

「よおしハタカセ、あたしと一戦やろう! 四神権限ししんけんげん発動だよ!」

と訳わからん事を抜かした。だからなんでだよ!?

「あ、見たい見たいー! すっごい興味あるー!」

急にはしゃぎ出すショウコ。

その横で黙っていたホウコは、ほんの少し顔を綻ばせるとマイクのスイッチを入れた。

「四神権限・しゅが発動されました。これより体育館で朱雀すざくが真剣勝負を行います。部活中の生徒は立ち退いて下さい。2階での観覧は自由です。対戦相手は本日バトルステージで暴れたマシーンロイド、ハタカセ メノン。繰り返します。四神権限・朱が発動されました…」

彼女の声が放送スピーカーを通して学園中に響き渡っている。

「うふふ、じゃあ先に体育館で待ってるからさっ」

キツが笑顔と残像と台詞を残して消える。

「急いで部員招集しなくちゃ!」

マコトはショウコと一緒にダッシュで教室を出て行き、ホウコは放送を繰り返しながら同じく教室を後にした。

残っていたのは、オレと、顔を真っ青に染めていくヤヨイのみ。

「…………え?」

オレは未だに何が起こっているのか理解できないでいた。


学園の東に、同じく塀で囲まれて隣接する校庭と体育館。

後者の控え室にて、オレはヤヨイから説明を受ける。

「生徒会役員は特別なのだね。キーちゃんは四神の朱雀を冠する運動委員長でね。四神権限と呼ばれる特殊な命令を下せるのだよ」

椅子に座っているオレが上目でヤヨイを見ると、彼女は目を閉じて眉間に皺を寄せていた。自分の余計な一言でこんな事態に発展してしまった事を悔やんでいるんだろう。

「というと?」

「1日に一度だけ、学園内で凡ゆる権限を行使できるのだよ。今回キーちゃんはノン君に対して自分と闘う命令を出した。一般生徒は断る事はできないのだね」

「…死ね、とかの命令はできるの?」

「一般常識・道徳があればそんな命令は下さないね」

それもそうだ。

「なるほど」

ようやく事態が飲み込めた。キツと闘えばいいだけらしい。

「すまないね、ノン君…」

凄まじいスピードを持つ彼女とどう闘うか考えていると、上からヤヨイの酷く沈んだ声が聞こえてきたので立ち上がって彼女の両肩に手を置いて、その今にも泣きそうだったけどオレが急に立ったのでびっくりした顔の双眸へ目線を合わせた。

「謝らなくていいよヤヨイ。ちょっと驚いただけだから」

まあこれでキツと微妙な間柄になったらちょっと怒るけど。しかしヤヨイは顔を赤くして、

「う、うん」

と曖昧な返事。うーん、やっぱり可愛い。

肩から手を離しながら、ちょっといじめてみようという悪戯心が生まれた。

「それより、オレとキツ、どっちを応援するの?」

キツとは親密そうだったが、オレを大切な人とまで豪語したヤヨイ。困惑するのかあたふたするのか楽しみにしていると、彼女の顔がずいっと近付いた。

「それはノン君に決まっているのだよ。キーちゃんとは親友だが、それとこれとは別だからね」

真っ直ぐな瞳で目線を合わせ返される。オレとキツの両方を信用しているのが理解できた。純粋な奴だな。

「…ありがとうヤヨイ。応援、楽しみにしてるよ」

彼女へ応える為に闘おうと思ったその時。

「皆さーん! お待たせしましたああああああ! 楽しい四神戦のはーじまーりでぇーすー‼︎」

実況のようなリングアナウンサーのような女の声が外から響いてきた。次いで歓声。いよいよ始まるらしい。

「では、健闘を祈るね!」

「うん!」

ヤヨイはサムズアップで激励すると、別の出口から急いで出て行った。

残されたのは勿論オレ1人。だがさっきの激励はよっぽど効いたのか、普段のオレでは考えられないほど気持ちが高まっていくのが分かる。

「ではチャレンジャーの紹介です! その戦闘能力は未知数、しかしその実態はマシィーンロォーイドォー!! 時代の礎を築いた殺戮兵器が火を噴くのかああああ!!」

誰が噴くか、とツッコミながらドアノブに手を掛ける。

不思議。人前に出るのは結構嫌だったけど、今はなんとも思わない。激励のおかげか。

「ハタカセェェェェメェノオオオオオオンンンンンンン!!」

オレは勢いよくドアを開け放ち、ゆっくりと姿を見せた。囃し立てる歓声が頭上から降り注ぐ。

外観からしてかなり広いだろうと思っていた体育館内は、しかし2階3階に観覧席があるので余計に広く大きく感じた。観戦者は100人くらいだが、全生徒を収納できる座席数があるので逆に少なそうに見える。殆どが体操ジャージだが、制服着てる奴も結構いた。

観戦席にショウコ発見。楽しそうに何かを叫んでいるが周りにかき消されている。

真ん中まで進むと、右奥のステージとは逆からフラッシュが瞬く。正面入り口前に設置された簡易放送席隣にカメラやビデオを設置した集団がおり、それを仕切っているのはマコトだった。

「続いて四神ー!!」

その放送席を見る。実況はホウコだった。設置されたマイクを力強く握ってこめかみに青筋を浮き立たせ、血走った目をくわっと開いて汗と唾を飛ばしながら喉を震わせていた。先程までの感情のない様子が微塵もない。性格変わるタイプだったのか。

そしてその隣の解説者席にヤヨイがいた。オレとキツの知り合いだから呼ばれたのか。オレを見て微笑んでいるので、軽く頷く。

「運動委員長にして、我が学園きってのスピードスター! 目を離さずにいてもいつの間にか消えているうううう! 触れる事すら叶わなああいいいい! ヘビガミイイイイイイィキィィイイイイイイツゥゥゥウウウウ!!」

前方の扉が開くと同時に、赤い影が飛び出した。それは帯のように残像を残しながら館内を突いたビリヤードの玉みたいに移動し、最後に天井からオレの前へ降り立つ。

「…!?」

蹲っていたキツがゆっくり立ち上がって不敵に笑うけど、な、なんだあの衣装!?

ヘソ出し、ワキ出し、太もも出し、背中出しという青少年にはえらく不健全な忍者ルック。というかまともな布が胸部と腰回りしかない。太ももには相変わらず手拭いを巻いているが、役名通りの朱雀と思しき赤い鳥が描かれているのが今初めて分かった。

恥ずかしくないのか、あいつ!?

「に、似合ってるよ」

「あんがと。こっちのほうが身軽でさ」

オレの皮肉に気付かないキツ。背中には忍刀、スキャンすると至る所に手裏剣だのクナイだの火薬類だのを隠し持っていた。忍者の末裔かこいつ。いや、くノ一か。

「決着は戦闘不能となるか、ダウンして10カウント取られるか、ギブアップするかとなります!」

その中だと、負け認めさせたほうが早いな。

「本学園では久々の四神戦ですが、解説のヤヨイさん! お二人の友人という事で今戦の見所は!?」

「そうだね。キーちゃんの速さにノン君が対応できるか、ノン君の装甲をキーちゃんが突破できるか、それが勝利の決まり手になるだろうね。でも7:3でノン君有利と見るね」

「成る程成る程! どこか贔屓しているようにも見えますが、では早速! 構え!!」

出揃ったからか、ホウコが小さい金属ハンマーを持った。手元には、ボクシングとかでラウンド開始するときのゴングがある。

姿勢を低くするキツ。とりあえず、キツに照準を合わせて出方を見よう。ロックオン。

「……始めえええ!」

カーン、とホウコがゴングを鳴らした瞬間、キツの姿が消え去る。

「消えた? 超スピード!? これが朱雀ぅ!!」

ホウコが叫ぶが、オレの照準マークは絶えずキツをマークできていた。彼女が床や壁や天井をバネに凄まじい速さで移動しているのが分かる。モニターの左上の静止画には映像をスロー再生して切り取った、横目で笑いながら左方向へ進む、両脚のぶれたキツの姿があった。右下は425m/sを最高速度で捉えている。

…凄まじすぎる速さだが、ソニックブームの類がないのはなぜだ?

その時、キツが懐から手裏剣を取り出して此方へ投げるのが見えた。手裏剣の速度より彼女の方が遥かに速いので、時間差で四方八方から飛んでくる。

「手裏剣乱舞ー!! 避けられるかああ!?」

ホウコが叫んだが、実況慣れしてんな。

しかし避ける必要はない。この程度の速度、武器、更に飛んでくる方向が分かるなら。

「よっ」

ボクサーのジャブのように、右手で飛んでくる手裏剣全てを掴み取った。勿論、怪我はしていない。

「…と、取ったああああああああ⁉︎」

ホウコの驚愕をよそに、停止している照準へ顔を向ける。天井の隅、逆さまになったキツが笑みを纏ったまま此方を見ていた。

「こんなもの、オレには効かないよっ」

8枚重ねの手裏剣を見せつけるように突き付けると、観客も一斉にその方向を向き、キツの姿を捉えた。しかしキツは余裕を崩さない。

一応、本当に無駄だということを教えておこう。重ねた手裏剣を口元に持って行き、口を開いて一端に噛み付く。そのまま煎餅齧るみたいに力を入れると、甲高い音と共に手裏剣が砕けた。観客が一斉にオレを向く。

「ボリ…ボリ……ゴクン。ね?」

口内の元手裏剣の一部だった鉄片を噛み砕き、飲み込んで、ニヤリとキツに笑ってやった。

材質の良い鉄を使ってあるのか、美味い。

しかしマズイ。オレのパフォーマンスに、館内が異様な静寂に包まれている。はっきり言って、ドン引きしていた。やっちまった。

「流石ノン君!!」

解説のヤヨイがひんやりとした空気を察してマイクで叫び、更に立ち上がって注目を集めた。ヤ、ヤヨイ、フォローありがとう‼︎

「ヤ、ヤヨイさん! 今メノン君が、手裏剣を食べたように見えましたが!?」

「その通り。君達が見たのは見間違いではないのだよ。ノン君は金属を常食していてね。つまり、彼に鉄製の武器なぞ通用しないのだよ! キーちゃんは手裏剣攻撃を封じられたも同然だねっ!!」

おおー、という観客の納得して驚いた声が響き、少し顔を赤らめたヤヨイはそそくさと席に座り直した。

いや、本当にありがとうヤヨイ。残りの手裏剣を同じように口に含み、わざと音を立てて噛み砕いた。

「効かないって?」

照準マークが背後に移動したので振り向くと、右手に忍刀、左手にクナイを持ったキツが微笑んでいた。

「これでもっ!?」

言い終える前に消えるキツ。一瞬だけ、真っ直ぐ突っ込んでくる彼女が見えたのでガードしようとするが、駄目だ、キツが速すぎて、オレの動作が遅すぎて間に合わない。

逆手に持ったそれらを交差させる様に胴を斬られ、そのままオレを通り過ぎるキツ。一瞬置いてスパッという音と、金属の壊れる音が鳴り響いた。

「朱雀の攻撃がヒット! メノン対応できない〜!!」

よく見えたなホウコ。多分、今までのキツの闘いから推測したんだと思うが、しかしオレは対応する必要すらなかったりする。

何故ならば。

「…!」

攻撃を終えて止まっていたキツの両手の得物が砕かれて床に溢れた。そりゃ、その程度の武器をそんな速度でオレに叩きつけたらそうなるわ。

「もう…」

しかし制服もワイシャツも下着も物の見事に斬られてしまったわけで。

「ダメージが、ない?」

キツの表情が流石に変わり、斬ったオレの胴体部を見開いた目で凝視してきた。分かりやすく説明して戦意を折ってやろう。

「無駄だよ。オレの皮膚は特別製なんだから。耐熱、耐寒、耐電、耐水、耐圧、耐打、耐斬、耐刺、耐閃、耐酸、耐毒、耐菌、耐震、耐磁etcとありとあらゆる攻撃を無効化するようにできている。おかげでこんな色してるんだけど」

念の為斬られた服を捲って肌を見せる。白い肌にはなんの痕もなく、キツは渋い顔のまま砕かれた武器を隅の床に放った。

「仮に斬り裂けたとしても、下のボディはマシン細胞15年ものなんだ。たった1年でコンクリートより硬くなる代物なんで察して欲しい」

キツの表情がますます険しくなる。多分、隠し持ってる爆弾でもオレに通用しない事が分かった筈だ。

とすれば、キツの残りの攻撃は速度を活かした体術しかないだろう。それすらも、当たりどころが悪ければ怪我するのは彼女の方になるし。

「では、これならどうだいっ!」

消えるキツ。綺麗なフォームの飛び蹴りでオレの顔面へ足袋を向ける彼女が一瞬見えた。エルドに喰らわせたそれしかないという予想が当たり、オレは右拳を上に向ける。

うごふっ。

「朱雀の蹴りが顔面にクリーンヒットオオオオ!! メノン効いている〜!!」

「いい判断だね。ノン君には打撃が効果的でね。それを見抜いたキーちゃんも流石と言ったところだよ」

超スピードが乗った見事な蹴りだったので首が取れるかと思った。だが、ようやくキツの動きが止まる。ここで切り札の出番だ。

オレはコードM:ロケット・フィストを、真っ直ぐ伸びた彼女の右太腿目掛けて発射した。

「!」

が、キツは勘と凄まじい反射神経で直撃を避け、そのまま後方に着地してしまう。かなり加減してぶっ放したのが仇になった?

「ロ、ロケットパンチィ!? メノンの右手が吹っ飛んだー!!」

「初見であれを避けたキーちゃんも凄いね。だが」

「!?」

ヤヨイの言葉に、ガクンと態勢を崩すキツ。あくまで直撃を避けただけなので、右太腿に大きな痣が出来ている。計算して、直撃で立ち上がれない + 外れても天井に被害が出ない程度の威力にしたつもりだったが。

「…! ないっ!?」

痛みで苦悶の表情だったキツが急に何かを探すように辺りを見回すのと、断面噴射で上から戻ってきた右腕がさっきから掴んでいた何かを持ってくるのはほぼ同じだった。

右腕を装着して確かめると、それはキツが右太腿に巻いていた手拭い。朱雀が刺繍されたそれはどこか気品が満ち溢れる一品で、多分これも個性を伸ばした奴の作品なんだろな。

「ごめん、返す」

奪ったわけでもないので、丸めてキツに投げた。

「?」

投げてから気付いた。館内が、静寂に包まれている。

ホウコも、ヤヨイも、マコトも、2階で観戦してる観客も、全員が驚きに目を見開き、止まっていた。

時間が止まっているようにも感じられたが、投げた手拭いがキツの前で転がって止まり、ふわりと広がったので杞憂だった。

じゃあ、この状況は、一体?

「…完璧、舐められてんのかい」

手拭いを拾って足首に巻き直し、キツが左足を軸に立ち上がる。

その顔は、親の仇を見つけたように憤怒に満ちていた。細目の瞼が怒りでピクピク律動し、笑みなど欠片もない。

あの手拭いはそんなに大事なものだったのか。確認するためにヤヨイへ振り向くと、彼女は遅れて動き出した。

「ノ、ノン君ナイスフェアプレー‼︎ 生徒会装飾せいとかいそうしょくを返すとは驚きだね!」

「た、確かに! 冷たい体には人の心が宿っていたあ〜!!」

ヤヨイに連れたホウコが館内の時間を取り戻してくれた。どことなくオレの好感度がアップしたように感じられたけど、せいとかいそうしょくとは、そしてオレの前で怒りの我慢の限界のキツは、なんなんだ?

「壊れないのが自慢なんだったねえ」

キツが丸い何かを懐から取り出す。スキャンすると粉末に包まれた爆薬らしい。自暴自棄になったのか。効かんけど。

「降参してくれない?」

「黙れ」

1番の武器たるスピードがない今、オレに勝てる要素はない筈なのにキツはそう斬り捨て、それを足元に投げた。爆発、と共に大量の粉塵がばら撒かれる。

「おおーっとー! ここで煙幕! さすが朱雀、搦め手も豊富だー!!」

「げほっげほっ、キーちゃん、量間違えてないかね?」

…ヤヨイの言う通り、まるで館内全てを覆い尽くさんばかりの粉末の量だった。至る所から咳や、窓開けろー、換気してー、などの声が飛び交っている。だが。

「オレには効かないよ。喉のフィルターには通らないし、視界も、その場から動いていない君の姿を捉えている」

微動だにしていないキツだったが、照準は変わらず合っている。奇襲も無駄だ。

と、思っていた。

彼女が一足跳びでオレの前に来るまでは。

「?」

キツが顔を伏せた状態で立ち竦むが、何をするのか予測できない。だが断言できる。彼女ではオレに勝てない。

「さよなら」

顔を上げたキツの表情は、どこか清々しい気概の笑顔。

彼女が何事かを叫ぶ。

全身が輝いて見えた。



「我流忍術奥義! 百花繚乱ひゃっかりょうらん‼︎」

軽い混乱に包まれていた体育館内に、煙幕の中にいると思しきキツの声が響き渡った。

「お、奥義です! 見えませんが、奥義が発動しましたあああああ!!」

熱狂的に盛り上げるホウコ。横のヤヨイは静まりつつある煙を手で叩きながら、解説を続けた。

「ボクも見た事ない、キーちゃんの奥義かね…ノン君、大丈夫かね?」

無事だと思いながら、ほんの少し胸騒ぎを覚えたヤヨイ。

それが的中したようだ。

煙の中から、例えようのない異様な音だけが飛び出して館内へ染み渡った。

「…な、なんでしょう今の音は?」

さすがのホウコも、どう形容してよいのかわからない。ヤヨイもそうだった。

ただ、紛れも無い破壊音には違いないと館内の全員が思う。ヤヨイは思わず立ち上がって煙が晴れるのを待つが、それが何かをを打ちつけたり、たまに甲高くも鈍い鉄の音が聞こえてくるのが不安を昂らせる。特に最後のそれは、カノン以外から発せられない音なのだから。

その後も数秒間、断続的に音が続く。ヤヨイが数えた所、17回。

換気のおかげか、ようやく煙が晴れる。薄っすらとシルエットが映り、立っている者と、大の字で寝ている者が見えた。

にんっ‼︎」

前者はキツだった。人差し指を伸ばして印を組むというそれっぽい動作で肩を張り、忍者っぽく締めた。

「ノ、ノン君…?」

ヤヨイが震える声で、完全に晴れた煙の先で倒れているメノンを呼ぶ。

メノンは白目を剥き、口から紫色のオイルを吐き散らした跡を周囲に残して倒れていた。外傷らしい外傷は見当たらないが、耳や鼻、目の隙間からもオイルを漏れさせ、その形相も相まって打ち上げられた深海魚を思わせる。凄まじい衝撃が集中したらしく、彼の頭が置かれた地点を中心に数メートルも広がるクレーターがその破壊力を物語り、彼から垂れ流されるオイルによって毒々しい水溜りが形成されつつあった。

誰が見ても、どう見ても、メノンは再起不能としか思えなかった。

「これが我が奥義、百花繚乱! 思い知ったかい!」

印を解いたキツが威勢よく叫んだが、館内全員がそんな事言ってる場合ではないと猛烈に感じていた。

「ホウコ、カウント! マシーンロイドだから油断できない!」

続いて放送席のホウコを指差すと、殺人現場に出くわしたように呆然としていたホウコは自分の仕事を思い出してカウントを取り始める。

「ワ、ワーン!」

その横の、同じく呆然と立っていたヤヨイへキツは目を合わせる事が出来ず、そっぽを向いてしまう。その動作だけで、彼女が何をしたのか分からないが、メノンがどうなったのかヤヨイには分かった。

2人の友情が摘み取られるほどの事を、キツはしてしまったのだ。

「ノン君…そんな…」

ポツリと呟いた声は、カウントを数えるホウコに掻き消された。

「ツー! スリー! フォー! ファイブ!」

「ヴェアアアアア‼︎」

「シックウウウウウー‼︎⁉︎」

倒れていたメノンが、白目のままオイルを口からゴボゴボ吐き出し、耳障りな叫びを轟かせながら勢いよく上半身を起こした。

そのあまりのおぞましさ、生物としての不自然さ、不快指数急上昇の仕草、ホウコの声も相まって体育館内は阿鼻叫喚の大パニック真っしぐらへ急転直下した。

「コォンッ⁉︎」

止めを刺した筈の化け物が起き上がったホラー映画定番の展開に、キツも脚の痛さは何処へやら、思わず飛び跳ねて距離を取る。

「ノン君!」

喧騒の中、ただ一人ヤヨイだけが、まるで女神のようにカノンの生存に涙を零していた。



亀裂の入ったモニターが各部の破損を表示していたが、あんだけ食らったのに頭部は殆ど損傷していなかったのが幸いだった。多分父さんが破壊されたのを踏まえて強化してくれたんだと思う。ありがとう父さん。

許さんけど。

「ゲブッ! グバッ!」

喉に溜まったオイルを吐き出しつつ立ち上がり、何故か騒いでいる観客を無視して離れた場所でこちらを警戒しているキツを見つけた。この女ぁ…!

「き、君ねえ! さすがに死ぬかと思ったよ! ていうかオレがマシーンロイドじゃなかったら死んでるよ!」

喉の損傷でざらついた声が出たり、口から溜まったオイルが撒き散らされたが、そんなもの知ったこっちゃない。オレは怒ってんだよ!

「ひぃっ!」

しかし、何故か逃げ腰のキツ。いやこっちが怯えたいくらいだ。さっきのアレなんなんだ。メタル泣きそうになったわ。

「ノンくーん‼︎」

ヤヨイの声に放送席側へ振り向く。彼女の横のホウコがオレを見てびびった声がスピーカーから流れた。ヤヨイは自らの目を差しながら、

「目、目!」

とオレに訴えかける。目? モニターで確認すると、衝撃で設定が変更されたらしく白目モードになっていた。オレは今まで白目のまま活動していたらしい。

「…ごめん、そりゃびびるわ」

目を通常モードに戻してヤヨイにありがとうと手を振り、キツに向き直る。キツはオレの顔に注意しながら、時折来る脚の痛みに顔を顰めて立ち上がった。ま、まだやる気なの。

キツが赤い帯を残しながら突進して来た。目に見えてスピードは落ちているが、やはりオレに対応出来るものではない。しかも隠し玉もバレている。あっという間に背後を取られ、首に両手を回された。

「お、おっと今度は首絞めかあ!?」

立ち直ってキレの戻ったホウコの実況通り、キツはオレの首に力を入れつつ、しかし耳元に語りかけてきた。

「まさかアレで仕留められなかったなんて驚いたよ」

オレにしか聞こえない声に、オレもキツにしか聞こえない声で応える。首絞めは勿論効かない。

「オレも驚いてるよ。色んな意味で。まだやる気なの?」

「当然。次は…手加減しないから」

と言って、片方の手を離してちらっとさっきの同じ煙幕玉を見せる。本気の目だ。

「降参してくれるかい? マシーンロイドだって命は大事、だろう?」

ニヤリと笑うキツ。勝利を確信した顔だったが、お馬鹿さんめ。

てめえはもう負けてんだ。

…よし、まずはこれにしよう。拡大して、プリント。

「ガガガガガガガガ」

「!? メ、メノンの口から、な、何か出てきたあああ⁉︎」

「…ボクも初見のギミックだね。奥深いね」

「えっ? うわっ⁉︎」

ホウコの実況にキツがオレの前を見て、口から紙が規則的に出ていく事に気付いたようだ。

「な、何やってるんだい?」

「ひへへはははふほ」

オレは印刷したそれを、解説者席のヤヨイへすっと投げた。当然受け取るヤヨイ。

「ヤヨイー、それ何に見えるー?」

「? …うーん、耳? 動物の耳?」

横のホウコも覗きこむが、ヤヨイ共々訝しい顔になる。いきなりこんなクイズやり始めたオレの意図が分からないのだろう。

それでいい。

「ガガガガガガガガ」

「ねえ、さっさと降参を」

オレの奇行を疑問に思いながらも脅すキツを尻目に、また1枚印刷してヤヨイに投げる。

「それはー?」

「あ、これは蛇、蛇だね。種類は分からないがね」

「!!」

キツの顔が驚愕に青ざめた。オレはあくまで不遜な態度をとりながら振り返り、記憶映像から切り取った画像に修正を施して、プリントする。その画像が口から印刷されるのだ。

「ガガガガガガガガ」

口から取り出したそれをキツにしか見えないように傾けると彼女は息を飲んだ。

写っていたのは、オレへ馬乗りになる、黄金の狐耳と9つのふさふさな尾を生やして、両肩から緑色の8つの蛇の首を伸ばした、化け物の姿。顔つきはキツそのものだったが、髪は耳や尾と同じ黄金色に変色し、足の先まで伸びている。微妙に見開いた細目からは爬虫類独特の瞳が垣間見え、獲物を前に笑う口からは犬歯が覗いていた。

服装も何故か巫女装束っぽい着物になっており、着崩しどころか脱ぎかけみたいなもので、たっぷりとした豊満な乳房が丸出しだったが、情けで乳首付近に黒い横線を入れて修正しておいた。これ恥ずかしいだろうなあ。

「うおわあああああ‼︎」

キツは凄まじい速さで写真を奪い取り、くしゃくしゃに丸めて懐にしまう。観客全員が、何が起きているのか分からない状態ができた。

「あ、あんた、そ、そんな事も、できた、のかいっ」

びびりまくるキツ。煙幕使ってからあんな姿になったのは、やはりそういう事らしかった。

「うん。もう分かってるよね。降参、してくれる?」

今度はオレが笑う番である。

そう、キツはあの異形の姿を隠しているのだ。こうしてオレに脅しをかけるのも、なるだけ変身したくないからだろう。

普通の相手ならもう降参するだろうし、あまりにも突拍子のない正体を吹聴されても信じられないだろうけど、殺す気でのめした相手が頑丈で映像を記憶できるマシーンロイドだったのが運の尽き。とことん相性が悪かったね、

「く、舐めっ…」

「それは止めたほうがいいよ」

煙幕玉を振りかぶろうとしたキツに、内心慌てていたのをできる限り抑えながら諭す。

「もし煙幕を展開したら、君の変身する映像が全世界に配信されることになる。オレはそういう事もできるんだから」

キツの手が急停止し、信じられない物を見る目でオレを凝視してきた。嘘ではない事を伝える為、モニターの左半分に録画したムービーを再生しながら先程の顛末を説明する。

「オレの前に来た君が何かを叫ぶ。カッと見開いた眼は蛇みたいに鋭く、頭から狐耳が生えると同時に髪が変色して伸び、衣服が分解・再構築していく。呆然とするオレを尾の1本で足払いし転ばせ、オレの腹に乗る。更に肩から長い蛇の頭が8本生え、9つの尾も生やし終わると肉球のぷにっとした両手でオレの両腕を拘束、無防備なオレの顔面をそれら1本ずつで計17回も殴打。満足したように立ち上がると元の姿へ戻り、わざとらしく印を結んで煙が晴れるのを待ち、にんと叫んだ」

「……………………」

絶句するキツ。諦めたかのように、腕の力が緩んでいた。

「で、降参してくれるよね? そうすればオレは公表しないよ。元々君と闘う必要はないから。でももし降参しないのなら、今すぐ立体映像を通して体育館の皆に上映する事も」

嫌味ったらしい脅迫を後ろへ向けると、キツの拘束が瞬時になくなり、赤い帯が放送席へ走った。眼前に突然現れたキツに呆気に取られるホウコとヤヨイ。それらを無視してキツはマイクを掴むと、振り返ってビシッと指を突き付けた。

「あたしの負けだい!! ヤヨイ、あんたの彼氏は強かった!!」

言葉とは裏腹に雄叫びに近い敗北宣言をすると、床へガツンとマイクを叩きつけ、キツは胸を張る。当然納得していなかったが、渋々敗けを認めてくれた。元に戻った瞳から、さっきの言葉忘れるなよと発せられている気がする。

「だ、だから彼氏じゃ」

「勝負あり! 朱雀敗北!! マシーンロイドは強かったあぁ〜!!」

真っ赤になったヤヨイが何事かを弁解する解説者マイクを奪い取り、ホウコはゴングを目一杯叩きながら全校舎に響く声量でぶちかました。



「カグラ様。朱雀、敗北致しました」

体育館の天井隅に設置されたカメラからの映像を出力したテレビを見ながら裁縫していたシンが、横のソファーに寝ているカグラへ報告する。

カグラは掛け布団にくるまりながら、いびきをかいていた。



「ま、全くキーちゃんの勘違いには困ったものだよ。明日言い聞かせておくから、気を悪くしないでね?」

予備の制服に着替えている横でヤヨイがごちゃごちゃ言っているが、オレはモニターで修復箇所の点検をするのが忙しくて話半分しか聞いていなかった。

それ以外にも、もしキツが自暴自棄になり変身して暴れられてたら危なかったとか、思いっきり脅迫した事への罪悪感とかでメタリックハートがベコベコだ。

ただし、キツの名前が出たので一応聞いておく。

「あの後、体育館の修理1人でやってたけど、放っといて良かったの?」

観客、報道陣、実況が撤収する中、1人寂しく床のクレーターに溜まったオイルを雑巾で拭う姿は、物悲しくて堪らなかった。オレの分泌物だし手伝おうと思ったのだが、ヤヨイに引っ張られてA組の教室へ戻ってきて今に至っている。

「いいのだよ。四神が負けちゃお話にならないからね。その償いは必ずしなくてはね。四神権限さえ残っていればあのくらいはチャラにできたのに、無闇に使うからああなるのだね。自業自得。彼女もいい体験になった筈だよ」

…口調は変わらないが、何処と無くヤヨイの台詞と態度に棘が見え隠れしている。オレのせいで親友だった2人の間に、亀裂が入ってしまったのだろうか。それは駄目だ。

「ノン君をあんな風にするなんて、そう簡単に許してなるものかね」

やっぱりオレのせいだった。しかし。

「ヤヨイ、あんまりキツを責めないで。オレは何とも思ってないから」

脅した手前、特に。

「何を言うのだねノン君。ボクはまた壊れてしまったのかと心配したのだよっ!」

鼻息を荒くするヤヨイ。オレ、何でこんなにも想われてるんだろうか。昔、なんかしたのかなあ。

「ありがとうヤヨイ。でもオレは大丈夫だから」

「そうは言ってもだね…」

「ヤヨイ?」

「…ノン君は、優しくなったね」

オレに根負けして怒気を鎮めたヤヨイが、ふふっと笑った。良かった。この調子ならキツとも上手く行くかも。

「昔のオレならどうしてたの?」

さっきの触りもあり、軽い気持ちで聞いてみた。

「……聞かない方がいいね」

どんよりとした真顔で言われ、オレは重く凹んだ。昔、なんかしたのかなあ…


自己修復が大分終わり、オレとヤヨイは教室を後にした。学園案内は明日に持ち越し、帰宅する。

紙袋片手に階段を下っていると、ふとヤヨイの鞄が気になった。今は手提げになっているが、肩がけの帯が短く纏められた黒い鞄。

「学園指定の鞄ってないの?」

「ないね。だから鞄も自由だよ」

「その鞄は、もしかしてコウキュウ中学の学生鞄?」

「正解だよ。ここらでコウキュウ出身は珍しいからね。特に変ではないし」

「どうりで見覚えがあると思った」

ほんの僅かだけど。

靴箱で靴を履き替え、目を焼こうとするオレンジ色の光を遮光膜で防ぎながらバトルステージを通っているときに、屋上へ目線を上げる。シンテンオウに帰るぞと電波を送ると、ややあって鳥の影が飛び出して来て肩に止まった。

アホウ、という気の抜けた声を発する、オレ専用アホウドリ型サポートメカ。

「やあシンテンオウ、久しぶりだね」

眩しい夕焼けを手でガードしながらヤヨイが声を掛ける。彼女はシンテンオウを知っているらしい。シンテンオウは昔からオレのサポートをしていたようだ。

しかし。

ヤヨイを見て、シンテンオウは首を傾げた。久しぶり、と言ったからには知り合いの筈。

この反応は?

「あ、そうだね。ヤヨイだよ、イキメ ヤヨイ。少し変わったけど、面影があるだろう?」

ヤヨイが笑う。しかしシンテンオウはオレの肩を揺らしてずり落ちる前に羽ばたき直した。かなりの驚きに動揺したらしい。少し変わったというが、髪を伸ばしたとかそういうレベルではない相当激しい高校デビューでもしたのか。

「ま、よろしく頼むね」

軽快に笑い、ヤヨイが赤い翼を撫で上げた。

アホウ

「うん。ではノン君、帰ろうかね」

ま、いいか。オレは先行くヤヨイに並んで歩き出す。校門、セキュリティーゲートを抜けて道路を挟んだ小綺麗な並木道へ。

「ヤヨイの家ってどっち方面?」

「ヒュウガの方だよ。ノン君の家はタイテンの方だから、途中まで一緒だね」

「そうなの? じゃあ、途中まで」

「ふふん」

ヤヨイは楽しそうに笑った。

オレも、ヤヨイと下校できるのは、高校生活で初めての事なので楽しかった。


通学路を進みながら、横のヤヨイへ世間話。

「ヤヨイは生徒会役員らしいけど、何をやっているの?」

「ボクは生物委員長を務めているよ。学園で養殖している生物の管理が主な仕事だね」

「すっごい大変そうなんだけど」

「そうでもないね。寧ろ楽しんで励んでいるとも」

「じゃあキツは?」

「キーちゃんは運動委員長。体育会系部活の管理を任されているね」

「あのスピードと運動神経があるから適任だね」

「四神のあと3人も、それぞれ文化委員長、風紀委員長、執行委員長を務めている。それらを纏めて運営しているのがカッ君なのだね」

一つだけ聞き慣れない委員長がいたけど、まあいいか。

通学路を途中で曲がると、活気に溢れる巨大なアーケード商店街が見えてきた。この界隈では一番大きいモールだ。

時間が時間なので、オレ達と同じ帰宅途中の学生、買い物に来た主婦、雑貨を買いに来た一般人、放課後を満喫する中学生の集団などが跋扈している。

「………」

そしてその全てが、通り過ぎたオレをずーっと凝視するのがモニター越しに分かった。背がそこそこ高くて不気味な容姿で肩にアホウドリ乗っけてたらそりゃ注目されるけども、辛い。でもここ抜けるのが1番早いし。

「ごめん、ヤヨイ」

「いきなりどうしたのだね?」

何より辛いのは、横で教室からずっと変わらない笑顔のままオレに接してくるヤヨイも一緒くたにされている事だった。

「オレが奇っ怪な目で注目されるのは、一緒にいて嫌だと思って」

「ノン君、その容姿はこれから一生付き合うことが決定されているのだよ? 今からそんな調子だと、将来引きこもりまっしぐらじゃないかね」

「いや、オレに対する好奇の目は仕方ないけど、ヤヨイが嫌なんじゃないかって…」

「ほい」

突然、手を繋がれた。

「ヤ、ヤヨイ?」

昼方交わした握手と同じもの…の筈なんだけど、人前だからか掌の感覚指数が跳ね上がっている。生身の感触が、血液の律動が、伝わってきた。

「これでどうかね? サポートもだけど、ボクは好きでノン君と一緒にいるのが分かってくれたかね?」

ふふん、と笑い、絡めた手を見せつけるヤヨイ。本当に周囲の目は気にしていないようだ。

…めちゃくちゃ嬉しい。

「お、そうそう、その顔だね」

段々笑みが浮かんできたオレの顔を指摘される。かんなり怖い顔になってる筈なんだが、ヤヨイはむしろ顔を近づけてきた。

「他人がどう思おうが知った事かね。ノン君はノン君、そうだね?」

朝言った事の意趣返しに他ならなかった。

そうだ、オレはオレでしかない。他人に合わせるのは兎も角、外見差異で追求される覚えは…あった。

「オレはオレだけど、昔のオレの残した遺恨は残ってる筈。朝のエルドみたいに」

何やらかしたか分からない為、報復がめちゃくちゃ怖い。しかもエルドの言い分からすれば相当外道めいた人格だったらしい。どれだけの人間を苦しめていたのか。

流石のヤヨイも反論できなかったらしく、

「…マシーンロイドに人間の法律は適用されないから、社会的に裁かれないだけ良しとしようねっ」

と汗だらだらで空笑いするしかなかったので、もうお察しである。

「あ、き、気分を変えてカラオケでも如何かね?」

空気をぶち壊す為か、遠くに見えるカラオケボックス「Spooky Kids」という看板を指す。

モニターで現時刻を確認すると18:12だった。

「オレは大丈夫だけど、ヤヨイはいいの?」

門限を聞くと、ヤヨイはサムズアップした。

「勿論だね」

そうか。次いで左肩のシンテンオウにも確認する。

「シンテンオウ、エネルギーは大丈夫?」

アホウ

「大丈夫だね。では、行くとしよう」

シンテンオウの鳴き声を勝手に解釈したヤヨイは、オレの手を握ったままカラオケボックスへ向かう。いや、シンテンオウは確かに大丈夫だけど、ちょっと強引だぞヤヨイ。

彼女はせかせかと小走りしていたが、体格差からオレは歩きで十分対応できた。そういえばさっき並んでいた時も、彼女はほんの少し早歩きだった気がする。今度からオレがペースを合わせるようにしよう。

カラオケボックス前に着いたオレは再びシンテンオウを空へと解き放ち、ヤヨイと連れ添って店へ入った。

「いらっしゃい〜。あらヤヨイじゃない」

「久しぶりだね」

カウンターに座っていた女性がヤヨイを見て視線を上げる。ビジュアル系バンドのメンバーと言われても納得してしまうメイクで年齢は分からない。

ヤヨイとは顔馴染みらしい。

「2人、1時間、ドリンク無料で頼むね」

ここの会員カードを持っていたヤヨイが手慣れた注文をこなすと、女は後ろのオレを見て目を見開いた。

「おぉー、なかなかのメイクだね。どこのバンドのボーカル?」

「いえ、オレのこれは素です」

「普段からそんな格好なんて気合い入ってるねえ」

変な勘違いされたまま、女は背後の壁からナンバーホルダー付きの鍵をヤヨイに渡す。

「203号室ね」

「では」

鍵を受け取ったヤヨイは横の階段を上がりだしたので、オレは一応女に頭を下げて彼女の後を追った。

「知ってる人?」

「ここの店長のフデイさんだね。生徒会メンバーで何度か来たから、すっかり顔馴染みだよ」

2階の隅の部屋、203と書かれた扉を開ける。薄暗い室内は少人数用の個室らしく、狭めに作られていた。2人しかいないからいいが。

「とりあえず飲み物を頼むとしようかね。リクエストは?」

室内ライトのスイッチを入れたヤヨイが内線を耳に当てる。オレは座席に座りながら頼んだ。

「水を」

「それしかないよね。あ、もしもし、水とグレープジュースを一つずつ」

オーダーが終わったヤヨイはオレの向かいの座席へ座り、早速曲を選択する機械を手に取った。

「ノン君、何を歌うのだね」

五十音順で選びなからヤヨイが当然の事を尋ねる。正直、歌うぞー、っていう気分で来たわけじゃないけど、歌う為の施設だから何か歌わなければならないけど、何を歌えばいいのか分からない。

「ヤヨイ、昔のオレって何歌ってた?」

ヤヨイが機械から顔を上げ、オレを見た。

「ノン君はこういう場所には来なかったかね。だから持ち歌は疎か好きなアーティストすら知らないが…」

うぅん、昔のオレは人付き合いが苦手だったのかな。

「とあるロックバンドに興味があったかもしれないね。名前は忘れたけれど。よし、ではボクから歌わせてもらおうかね」

曲を選択するヤヨイ。テレビに歌手名、曲名が表示されるが、やはり知らない。今流行りのものかな。

「ボクの美声をたっぷり聞かせてあげるね」

マイクを持ってオレに笑いかけ、ヤヨイは立ち上がった。

彼女のオンステージが開幕する。イントロが流れ始めた。オレはとりあえずテンポを覚えて、手拍子で盛り上げる事に専念する。

初めての体験に、メタリックハートの高鳴りが止まらなかった。

とっても楽しかった。


キツが床のクレーターに溜まってこびりついたカノンのオイルをようやく拭き終わり、上に板を敷き詰め、釘で固定してコーンを並べて封鎖し、体育教師と体育館を使用するそれぞれの部活のキャプテンへ連絡を入れ、体育館一部使用禁止のプラカードを館入口に設置した頃には、時刻は19:30を回っていた。既に世界は薄暗闇に支配されている。

妖力で治した右脚の具合を確かめる様に教室へ鞄を取った後は住んでいる学生寮へ帰る為、携帯端末でカグラとシンに連絡して事の詳細を告げて優しいお叱りを甘んじて受け、傷心のままセキュリティーゲートを通り過ぎようとしてバスが停まっている事に気付いた。

「ああ、帰ってきたのかい」

バスのドアが開き、キャプテンらしき少年が降りてきた。

緑がかった青色の着物に似た作りの、アレンジ制服を身に纏って。

「キャプテンーお疲れさまでーす」

「さようならー」

部員達が次々と降りてくるので手を振りながら、

「もう遅いので気を付けて帰ってくださいねー」

と優しく諭す。が、乗っているのは全員学生寮の生徒であり、学園から寮まで50メートル程度しかなかったので全員苦笑していた。

最後の1人を見送った少年は、レンタルバスの運転手へお礼を言って再度出てくると、ゲート前で立ち止まっていたキツと目が合った。

「や、ワダツミ。お疲れさん」

「こんばんはヘビガミさん。只今遠征から戻りました」

バスが走り出す際、ヘッドライトの光が、少年の服の上から左上腕に装着されたリングに堀りこまれた見事な意匠の青い龍を輝かせた。


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