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鼻掘り屋 弥次郎

作者: 桝田道也

「はーなァー、ゑェー、はーなーそーおーじィー」

弥次郎は声を張り上げた。時刻は朝五ツ。人々が朝飯をすませて仕事にでかけようかというころだ。


いったい、鼻掘り屋の朝は早い。布団の綿ボコリが夜の間にたっぷり鼻の内側や鼻毛の間にこびりつくからだ。くわえて今は冬。空気が乾燥していて、少しでも風が吹くと江戸の町はたちまち土ボコリに包まれた。


(江戸は富士山の撒き散らした灰の上に出来た町だから土ボコリっぽいのだと、 どこかの学者先生が言っていたな)

弥次郎は思い出しながら歩いた。

(あの先生の鼻くそは真緑だったっけな。ありゃ蓄膿を患っているな)


「お゛ーい゛、ばな゛お゛ぞう゛じや゛ざん゛、びどづだの゛む゛よ゛」

呉服屋の二階から声が降ってきた。見れば、でっぷりと太った中年男性が手を振っている。


「へい、ただいま」

弥次郎は返事をしながら、心の中で舌打ちをした。

(大旦那らしいが、あの目はノンケの目だ。たいした銭にはなるまい)


弥次郎は鼻の穴も掘ったが、別の穴も掘った。むしろ鼻掃除は建前で、そちらが本業とも言えた。 弥次郎は男にも女にもわけへだてなく色を売った。 色男の行商と言えば地紙売りが相場だが、口下手な弥次郎は地紙を見せつつ世間話を交えながら色を売りこむのが苦手だった。


その点、鼻そうじ耳そうじは色男ではあるが口下手な弥次郎に向いた商売だった。 だまって掃除しているだけで後家や深窓は弥次郎の美貌に見とれ、自然とその気が昂ぶってくるからだ。


しかし、当たり前だが今日のように純粋に鼻を掃除してもらいたい客もたまにいる。


弥次郎はまた、鼻掃除の腕前も日本一であった。なぜなら弥次郎のほかに鼻掃除を生業とする者は一人もいなかったからである。


呉服屋の主人の藤兵衛は弥次郎を居間に招き入れると、自分の鼻の穴を見せながら言った。

「も゛う゛三十年も゛詰ま゛っだま゛ま゛な゛ん゛だ。どう゛に゛がな゛る゛が゛ね?」

弥次郎は絶句した。穴の壁とでも呼ぶべき代物がそこにあった。


みっちりのぎゅうぎゅうのカチカチのコチコチの蟻の這い出る隙間もない傷ひとつない鉄壁の水も漏らさぬ猫の子いっぴき通れぬ無謬の完全のこの世のあらゆる人々が怖れを為して平伏するような、 とほうもない鼻糞塊が両の鼻穴に詰め込まれていた。鼻糞塊の端の方は鼻の肉に完全に癒着していた。 鼻掃除のための綿棒や掻き棒を入れるのは不可能に思えた。

(この鼻糞塊、どうにも抜き差しならぬ……)

今までどんなひどい鼻を前にしてもまったく変化したことがなかった弥次郎の眉間に一筋の皺が刻まれた。


弥次郎は深呼吸をひとつして言った。

「大丈夫でさあ。ちゃっちゃとやっつけちまいますから、もう少しの辛抱ですぜ、旦那」


┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓

┃読者のみなさんへ。                         ┃

┃弥次郎は何かを思いついたようです。              ┃

┃みなさんも、どうすれば藤兵衛を鼻詰まりから         ┃

┃救ってあげられるか、推理してみませんか?          ┃

┃推理に必要な情報は、ここまでにまったく出てきていません。┃

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛


「……これまで幾人もの医者に匙を投げられてきた私の鼻詰まりを治してくれる人がいるとはおもわなかった。ありがとう。楽になったよ。」

「いえいえ、たいしたことじゃありませんよ」

弥次郎は は な く そ か じ り 虫 を桐の箱にしまいながら、そう答えた。


いつもよりだいぶ多い手間賃を受け取った弥次郎は藤兵衛の店を後にすると、 大店通りを歩きながら誰に言うでもなく、つぶやいた。

「〝読者の知らない手がかりによって解決してはいけない ...... ロナルド・A・ノックス〟か……」


弥次郎が見上げた初春月の空はどこまでも青く高く、江戸は凛とした空気に包まれていた。

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