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「あ。あー。聞こえるか、イヴ」
『こちらは問題無い。パトリオットの通信接続も同様』
「よし。こちらのイヴの五感リンクも問題ない。お前が見ている景色が見えてるぜ」
俺は廃ビルの地下の一室から、イヴをオリオン攻略のための作戦場所へと送り出した。
一人取り残された地下室。
実に心許ない。
だが、これが俺の本来の姿だ。PCや周辺機器の駆動音のみに浸された空間の中で、モニターから漏れる青白い光に照らされながら、どこまでも孤独になりながら、広大な電脳世界に入り込んできた。俺が元々いた世界と違うのは、直接的に顔を合わせたビジネスパートナーと共に依頼を遂行していること。クライアントとは会わないことを鉄則とし、誰の恨みを買っても身を守れるようにと努めてきた俺が、エンゲージ・デバイスをイヴの五感にリンクさせ、イヴが見ている風景をウィンドウ越しに眺めている。
こんなにも直接的な仕事は初めてだった。
世界の変革というイヴの言葉に胸が躍ったか。いや、そんなことはない。俺はただ、己が強者だと過信した存在が一方的に力を振りかざす世界構造と、そこに巣食う盲目たちの鼻を明かしてやりたいだけだ。弱者など存在しない。皆、自分の個性に自信を持てばいい。自分にしかないものに強弱も優劣も存在しない。イヴをはじめとするクイーンズ・パーティは確かに最弱の軍団なのかもしれない。だが、それは群れることしかしてこなかったからだろう。それぞれが己の存在意義を見出した時、クイーンズ・パーティは何者にも屈しない、至高の存在となるはずだ。
ふと、思う。
これはきっと、依頼だからとか、そんな欺瞞に満ちた感覚ではない。
――俺はただ、その瞬間が見たいだけだ。
「……ハック、どうかした?」
「いいや。別に」
「そう。躊躇いが生じたのかと思った」
「躊躇い?」
「うん。人工知能とは言っても、命と呼べるまでの存在となったエクス・マキナたちだから。彼らの命を奪うことに、躊躇いが生まれたのかなって」
――命、か。
イヴの言葉を考えた。命を奪うことに、躊躇いはないかと。
「いや、悪いがそれはない。イヴが大切に思っているパトリオットや他の面々には、きっと俺は人に対しての感情と何ら変わりない想いを抱くだろうよ。だが、ファンファーレ共は違う。ハッキングをした時に奴らがやってきたことも見たよ。奴らに心があったとしても、あんなの人間がやることじゃねえよ。奴らと戦うことに何の抵抗もない。俺はお前たちの味方だ。安心しろ」
――エクス・マキナたちが人類にしたこと。
人間を使った生体エクス・マキナの開発。そのための殺戮。暴虐。略奪。支配から逃れようとした人類の駆逐。
一体、何を考えてそんなことを始めたのかはわからない。罪悪の価値基準さえも持っていないのかもしれない。だが、悪いことだと思ってなかったからと言って、許されることではないのだ。
それが許されてしまうなら、俺はとっくに存在していない……。
気がかりなこともある。
イヴは口にはしないが、復讐の念もあるのではないかと思う。たった一人、世界に取り残された人間である彼女だから、どんなに孤独になっても戦うことを諦めなかったのではないだろうか。彼女が戦うことをやめてしまったら、人類は本当に負けてしまうことになる。だから、戦わなければならない。戦い続ける限り、決着は着かないのだ。
だが、孤独なまま戦い続けるというのは、いつか限界が来る。破綻する。
だからイヴはこれから勝利をもたらすために、異世界から俺を呼びつけた。だったら俺は、そのためにできることをする。俺とイヴの価値観に、相違はないはずだ。
……ファンファーレ、今になって命乞いをしようがもう遅いぜ。
「ハックには申し訳ないとは思ってる。勝手な都合で私たちの戦いに巻き込んでしまって……」
イヴの気落ちした声が耳元で囁く。だが、反して俺は、そんなことは気にしなくていいのに、と思う。
「勘違いするなよ、イヴ」
「え?」
「俺は俺の意思で依頼を引き受けた。報酬はきちんと頂いちゃうし? 俺とお前は契約で結ばれた関係だ。気に病むことは何も無い」
「……優しいんだね。ハックは」
「っるせえよ。ほら、来るぞ。あと六分でオリオンがポイントに到達する。お前の戦闘スキルについては詳細を確認していない訳だが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫。信じて」
イヴの言葉は強かった。
俺を信頼してくれた彼女。なら、俺も彼女を信頼しよう。
「……ああ。信じる」
俺が監視しているモニターは三つ。
一つは五感リンクにより映し出されているイヴの視点。イヴが立っているのはオリオンが通過する地点を上から見下ろせるビルの屋上である。俺が見た空と同じく、澄んだ青を濁らせる灰色が漂っている景色。
一つはオリオンの座標。デジタルの簡素なマップの上を赤い点が動いている。この赤い点がオリオンを示している。奴が作戦のポイントに到達するまで残り五分といったところ。
一つは――敵を欺くためのトリック。
「イヴ。一時的にエンゲージ・デバイスによる通信を俺からの送信のみに限定させてもらう。俺の合図があるまで動くなよ」
「わかった。待ってる」
「オーケー」
俺は一泊の間を置いて深呼吸をした。
さて。
ここからはハックではなく、Mr.Unknownの仕事だ。絶対にミスは許されない。
――オメガ・システムにアクセス。
オリオンのパーソナル・データを特定。オリオンが形成する電子ネットワークへと侵入する。オリオンから広がる無数のネットワークの唯一つを探す。そこには必ずオリオンの上位個体として指示系統を司る個体の存在があるはずだ。機械兵器たちから成る組織体だからこその無駄のない統制……だがそれは、覗き見る方としても見やすいことこの上ないのである。オリオンを監督している個体の特定に時間はかからない。あとはこの上位個体に蚊帳の外にいてもらえば、俺の役目は半分終えたようなものだ。
俺はオリオンとその上位個体の間に形成されているネットワークに割り込み、俺がその上位個体になりすます。上位個体から見れば、俺がオリオンという存在にすり替わっているのである。
オリオンからすれば、俺が行動指揮官だ。
奴らに気づける訳がない。
ファンファーレ共は全てのコミュニケーションを単調なシグナルの配列だけで行っている有様だ。音声言語でやり取りをしていても、最終的にはシグナル配列として相手からのメッセージを受信している。シグナルの特徴さえ解析できれば、俺の音声でメッセージを送ることができるんだぜ? もちろん、なりすました上位個体として。
……ここまでは問題なく完了だ。
ここからいよいよ、実戦部隊にも関わるフェーズである。
「――オメガ・システムより送信。オリオンに命令する。進行方向、一二〇〇メートル前方を右へ。その先、一八〇〇メートル地点に未確認の熱源を探知。探査行動を開始せよ」
『――オリオン、了解』
「………………」
……かかったな。
思わず口元が緩む。
オメガ・システムを介したオリオンとその上位個体間の通信経路は完全に掌握させてもらった。オリオンは上位個体からの命令として俺の音声伝達による指示に従う。一方で、俺が何の準備もしていなければ、オリオンを監視しているはずの上位個体には、オリオンが命令を逸脱した行動に出たように見えるだろう。
しかし、だ。ちゃんと準備はしていますのよ。
俺はここで三つ目のモニターに接続したキーボードを操作する。
オリオンを監督している上位個体には俺が丹精込めてたった五分程度の時間で完成させたデータを眺めていてもらう。オリオンは俺たちが仕掛けたトラップポイントを無事に通過し、索敵行動を全うし続ける――という偽りのマップデータをね。オリオンのシグナルで送られてくるそのマップデータに疑問を抱けるかな、上官様は……。
――リアクションはない。
ちょろいぜ。
これでオリオンは上位個体からの監視から外れ、単体で俺たちとの勝負に臨まざるを得なくなる。誰の介入も許されない、オリオン単体と俺たちとの間で行われる駆け引きだ。
間もなく、オリオンはイヴたちが待ち構えるポイントに到達する。
イヴの視界には、地面を滑走するように近づいてくる影。
「………………!」
……あれが、エクス・マキナ。
イヴの五感リンクにより映し出される画像の中に、オリオンの全身を捉えた。ロボット・シューティング・ゲームから三次元世界に這い出てきたかのようなシルエット。全長が三十メートルはあるだろうか。煤けた間接部分とは対照的な、胴から腕部、脚部へと広がる金属光沢。肩には頭を覗かせているミサイルが並んだ弾倉。右手にはロボットサイズのアサルトライフル銃。左手の甲から伸びるブレードまでが確認できた時には正直、感動した。暇さえあればロボット・ゲームという廃れた青春時代を送ってきた俺には夢のような存在だった。紺を基調としたボディペイントに散りばめられた蛍光色の斑点はオリオンというその名の如く宇宙までをも連想させた。こんな出会いじゃなければ一日だって眺めていたい。頭部を横に走る一線にカメラが搭載されているのだろうか。本当に興味は尽きない。
――だが。
悪いな、オリオン。俺は敵としてお前を欺く。
索敵に特化しているというお前の特徴がわかった時点で、俺にはお前を欺く算段ができていた。その視界に入る全てをデータ化して読み取り、己にとって害敵となり得る存在のみを的確に排除する――そんな素晴らしく芸術的なお前のスキルが、お前を殺すことになる。
力を驕った結果だ。
全てをデータ化して読み取っているということは、見ている世界の全てがデータとして処理されているということ。俺に干渉できないデータは無い。オリオン、お前が見ている世界全てを、俺は操れる。
さあ、オリオン。今、お前の目には何が映る?
……並び立つビルの隙間。お前のすぐ背後に、ライフルを構えている奴が見えないか?
「待たせたな、パトリオット。俺の声は聞こえているんだろう? 出番だぜ」
俺の声に次ぐ刹那。
イヴの五感リンクから映し出される映像にオレンジ色の閃光が走る。続いて、モニターからの音量ではやや迫力に欠けてしまう爆発音……。きっとその場にいたなら絶倒していただろう。イヴとリンクさせている機器の感度がいいからか、戦場の様子はありありと目に浮かんでくる。
俺はそのまま、イヴの視界を通じて戦況を見守り続ける。
イヴが閃光の軌跡を追った先。そこには唸りを上げながら天に舞う爆炎と――無傷のオリオン。
オリオンはパトリオットが放った銃弾の軌道をブレードでわずかに逸らしていた。
だが、これも想定内。
いよいよだ。オリオン、お前が索敵の専門家なら見破れるはずだぜ? 俺の仕掛けたトラップに。
イヴの視界には閃光が走ってきた方向へと一直線に突撃を開始するオリオンの姿。イヴが立つビルへとその巨体が近づき、いよいよイヴの眼下を通過するという瞬間――
オリオンは何も無い場所へとブレードの切っ先を突き出した。
その光景を目の当たりにしたこの時、俺は勝利を確信した。
大振りな動作を取った反動で、オリオンはその場から動けない。それがたとえ一瞬の静止であったとしても、命のやり取りでは永い一瞬となる。
「イヴ、今だ!」
ビルの屋上からイヴがオリオンに飛び掛かる。イヴは宙を駆けながら、自分の右腕をオリオンに突き出す。
――俺はその次の瞬間、イヴに向かって本当にオリオンを倒せるのかと尋ねたことを後悔した。
イヴの右腕の周囲に金色の流線が現れ、それらの流線がまるで巨大な大砲のように姿を変えていく。瞬きの間で右腕に巨大なガン・キャノンを纏ったイヴはそのまま静止したオリオンの頭部の真横で――その弾丸を放つ。
見事なまでに。
無残なまでに。
非現実じみた光景だった。
オリオンの頭部が真横から吹き飛び、イヴは首だけが綺麗に刈り取られたオリオンの機体の上に着地する。
勝敗はまさに一瞬で決した。
イヴが展開させた金色のガン・キャノンから砂金のように眩い粒子が舞い、その姿をさらに神々しく見せようとしているかのようである。
「………………」
考えればわかることだった。
たった一人で二千の軍勢を生み出すことができる少女。その軍勢の頂点に立つ彼女自身が、守られる立場であるはずがなかった。
敵の亡骸に立つイヴの姿はまさに――女王。かつては二千を超えるクイーンズ・パーティを従えた、唯一無二の存在。
「ハック」
「……な、なんだよ」
「オリオンは最後、パトリオットの幻影を見たの?」
「あ、ああ……。そうだよ。オリオンの視覚情報を操作して、遠距離狙撃ライフルを構えているエクス・マキナの像を映し込んだ。奴にはイヴの目の前の座標に敵がいるように見えていたはずだ。もっとも、俺はパトリオットの姿を知らないからな。逆光で影しか見えていないように錯覚させたが、どうせ奴は爆炎で、詳細までは識別できていなかったと思うぜ」
「そっか。パトリオットだけ離れた場所に待機させたのはそのためなんだ。やっと理解した」
「まあ、オリオンが本物の索敵スキルを持っていたなら、囮なんて通用しなかっただろうな」
専門家の前では、囮は囮にもならない。今回の作戦が上手くいったのは、ただ敵が隙を見せてくれただけのこと。運がよかったことと、何より、イヴの実力だ。
「でも、よかった」
「……何が?」
「あなたを信じて」
「………………」
ほんっと、調子狂うぜ。
しかし、これで一段落である。慣れない仕事をしたせいか、疲労の仕方も新鮮だった。疲労というより、達成感と言う方が近いだろうか。最終目的である『革命』を見据えるとまだまだ小さな目標達成ではあるかもしれないが、きっとこの積み重ねが、俺のまだ知らない景色を見せてくれることだろう。
「とりあえずここに戻ってきたらどうだ? パトリオットとも顔を会わせたいんだが、さすがにこれでもまだ信用できないなんて言い出さないよな?」
『――無論だ、救世主。歓迎する』
突然、知らない声が俺とイヴの通信に割り込んできた。低く、落ち着いた声音に若干のエコーが混ざっている。……これがパトリオットか?
「パトリオットが歓迎するって、ハック」
くすくすと笑いを堪えながら、イヴが語りかけてくる。確かに歓迎するとは言われたが、随分といきなりだな、とは思う。さっきまで頑なに俺との通信を拒んでいたようだったし?
『貴君の力は我がクイーンズ・パーティに不可欠と判断。先ほどまでの非礼、謝罪する』
「……お、おう。まあ、これからよろしく頼む」
『寛大な処遇に感謝する。主君に、我が主であるイヴと変わらぬ忠誠を誓う』
「………………」
何か、ここまで律儀な対応をされてしまうと俺がかなり大人げない人になりません?
「あの、イヴさん? これでよろしいので?」
「何が? パトリオットが望むなら、私は大丈夫」
「そうですか……。じゃあパトリオット、俺はそんなに堅くないコミュニケーションの方がいろいろと話しやすいから、お前の気が許せばもっとフランクにしてくれよ」
『わかった』
「………………」
順応早いな、おい。忠誠がどうとか言った後だと何となくアホっぽく聞こえてしまうのが不思議だ。
「まあそんな感じでいいや……。しかし、これでファンファーレ共と全面戦争になるぜ? 勝利のためにはやるべきことがたくさんある。そこでだ、イヴ」
「……ん?」
「クイーンズ・パーティ復活といこう」
オリオン討伐に成功した今、俺たちはファンファーレとの正面衝突を避けられない状況を迎えることとなった。だが、こちらの戦力はイヴとパトリオット、そして――俺を含めても三人。最強の軍団に立ち向かうなんてのは夢物語である。
最強に立ち向かうには、それだけの戦力と覚悟がいる。
――クイーンズ・パーティ。
たとえ今は最弱であろうとも、戦略と覚悟次第で、何者にもなれる存在である。俺はそう確信する。なぜなら、イヴという一つの強い意志に導かれている軍団であるからだ。知能だけでは測れないものを、見せつけてやることができるはずなのだ。
「イヴ、反撃の狼煙を上げようぜ。クイーンズ・パーティの居眠り連中に見せてやるんだ。俺たちは勝てるということを」
しかしイヴは下を向く。
「……どうやって?」
『我らが同志は今、どこに身を隠しているのかもわからない状態である。それぞれを見つけ出して再び軍勢を構築するとなると膨大な時間を要する』
イヴもパトリオットも、消極的な意見しか口にしない。その思考が負けを呼び込むことをまず知るべきだ。
確かに仲間の所在も知らないとなると、再び軍勢を構築していくのは難しいだろう。だが、そんなことは想定内。
「今、二人がオリオンを撃破するまでの一部始終はイヴの視点を介して俺も確認していた。つまり、エンゲージ・デバイスにはその映像が残っている。情報は有益に使うのが俺のモットーでね、この映像を使わない手はないだろう?」
『ハック、貴君が有する先ほどの戦闘の映像を同志に配信するという理解で相違ないか?』
「さすがパトリオット、優秀だな。その通りだよ。クイーンズ・パーティがどこで眠っていようと関係ない。元々、エンゲージ・デバイスで繋がっていたんだろう? なら、俺がそいつらのデータベースに潜り込んでしまえばいい。俺の自己紹介も兼ねてな」
俺たちは勝利したんだ。たったの三人で。
その瞬間を目撃すれば、彼らに意志があるというのなら――動いてくれるはず。
「みんなが自らの意志でもう一度集まってきてくれるようにするの?」
「そうだ。でもその前に……。ファンファーレがオリオン陥落に気付くのも時間の問題だ。イヴとパトリオットはそこから離れろ。お前らが戻ってくる頃には今説明した仕事は終えておく」
――了解、と二人は声を揃えて返す。
「交信はひとまずここまでだ。無事に戻ってこいよ。んじゃな」
イヴとパトリオットの二つ返事からすぐに、俺は最弱軍団復活への一仕事に取り掛かった。一仕事とは言っても、やることはそんなにない。
エンゲージ・デバイスを介して構築されているネットワークを共有しているクイーンズ・パーティのそれぞれにアクセス。一度は繋がっていたネットワークだ。今、遮断されていようとも、その痕跡を追えばそれぞれと再び繋がることができる。
アクセスにさほど時間はかからなかった。
あとは、先の戦闘の様子を配信していくだけ。
たった、それだけである。
「さあて、居眠りさんたち。これを見ても逃げるだけなんてことはないよなあ?」
――動画をアップロード。
さらに、音声データで彼らに呼びかける。
「聞こえるか……。諸君、長い眠りから覚める時だ。強者に屈し、恐れ隠れる日々に終わりを告げろ。弱者としての己を受け入れられないのなら、戦う意志を強く持て。世界は変わる。自分の力を信じ、否定する者たちと戦え。己の力を過信する者たちが一方的に力を振りかざす世界構造に終止符を打て。自分にしかできないことが必ずある。自信を持て。自分にしかない力に、どうして優劣がある? どうして強者と弱者に分けられる? 最弱と罵られ、支配されるこれまでの日々は今日で終わりだ。群れるだけでなく、それぞれの力を合わせろ。お前たちの女王は未だ戦い続けている。一人、女王の傍を離れず意志を貫こうとしている者もいる。お前たちはまだ負けていないだろう。戦い続ける限り、負けはしないのだから。勝利を手繰り寄せるのは強い意志だ。己の存在意義を示せ。俺は女王の意志に導かれた一人の人間……。勝利への意志は少しずつ、大きくなりつつある。クイーンズ・パーティ――お前たちの力が合わされば、何者にも屈することの無い至高の存在になれると俺は信じている。お前たちが自らの足で立ち上がることを願い、俺は女王と共に――お前たちを待つ」
これ以上、何も言うことはない。
……やるべきことはやった。
あとは、信じるだけ。
俺が根拠の無いものを頼りに行動したことなんてあっただろうか。そもそも、どうして俺はこんなことをしているんだ。考えたら負けか? 出会ったばかりの女の子に依頼されて……いや、俺がやっていることはもう、依頼の範疇を超えているだろう。
俺はただ、やりたいことをやっているんだ。
俺が今までに、そんな動機で行動してきたことがあったか?
「――ハック」
唐突に、イヴの声が届く。
「おう、どうした?」
「メビウス・リングが現れた。序列不明の……エクス・マキナ」
「……は?」
メビウス・リング? 序列不明?
俺がハッキングしたデータにそんな名前は無かった。オメガ・システム以外のネットワークを持つ個体か?
『――我らの同胞を葬ったのは貴様か、人間』
イヴでもパトリオットでもない、何者かによる通信がパイロット・マークに割り込んでくる。……まさか、こいつが?
「いきなりのご挨拶だな。どちら様で?」
まさか、こんなにも簡単にハッキングされるとはね。……ハッキングと同時にエンゲージ・デバイスのシステムが攻撃され始めている。敵の目的は俺たちが使用しているシステムの破壊か?
……笑わせる。させるかってんだ。
『名乗るつもりはない。我らファンファーレへの宣戦布告、確認したぞ。軍団の全戦力を以て、貴様らを始末する』
「……へえ。できんのか? これまでイヴ一人を捕えることができなかったんだろうが」
知ってるぜ?
ファンファーレ共、お前たちはイヴ一人を何年も追い続けている。その事実はイヴの戦闘履歴から簡単にわかることだ。
何度も仕掛け、イヴに何度も逃げられてを繰り返し――
『――勘違いするなよ、人間』
「あ?」
『羽虫を握り潰すために労力を割くことはしない。それが我々の行動規範だ。しかし、害虫となれば駆除をする』
「……羽虫、ね。その羽虫を追いかけるためにオリオンやらの統治者を置いていたんじゃねえのかよ」
『勘違いが過ぎるぞ、人間。統治者を置いていたのはお前たちを管理するためではない。それぞれの地区に身を隠すエクス・マキナを見つけ、我らファンファーレへの忠誠を誓わせるためだ。クイーンズ・パーティをはじめとする羽虫など、最初から眼中にはない』
「……なるほど」
そういうことか。馬鹿な奴だ。こんなにべらべらと情報を漏らすとは。
しかし、イヴたちの監視のためにオリオンやらの統治者を置いていたわけじゃないってのは確かに勘違いだったな。クイーンズ・パーティ以外のエクス・マキナ――要は日蔭で暮らしている民間人を見つけ出して支配するために統治者を置いていたってことだよな。
しかし、ならばさらに目的があるはずだ。
「隠れている一般のエクス・マキナたちを見つけてどうするつもりだ」
『――害虫が知ることではない。黙って我らに駆除されろ』
……はは。頭に来た。
「図に乗るなよ、システムに従うことしかできないブリキ野郎が。お前がハッキングを仕掛けている相手が誰だかわかってんだろうな?」
『何を言っている、害虫。羽虫を握り潰すのに、それぞれの顔をいちいち確認をするわけがないであろう』
「言ってくれるね……。今、お前が追いかけている奴らには手を出すな。俺が相手になってやる」
もう少し時間を稼ごう。こいつは俺が片づけてやろうじゃないの。
俺自身、俺のことを参謀タイプだと捉えていたんだけどな。戦線に立つのもたまには悪くない。
『貴様の提案に従うつもりはない。イヴと名乗るクイーンズ・パーティのリーダー、並びにその者につき従うパトリオットは優先的に始末させてもらう』
やはり単純。見えてるぜ、お前の思考。
「……おいおい、いつでも始末できるなら放っておけよ? 姿を隠している俺が自ら出て行ってやるって言ってんだぜ? 俺を先に叩いておいた方が後々楽だと思うんだが。それとも何か、正体不明の俺との戦いは怖いか? 自称最強軍団様よ」
我ながら安い挑発だとは思う。だが、駆け引きが成立するのは今だけだ。こいつが俺を虫けらだとしか思っていない内に、奴を乗せる。
『これ以上貴様と話をするつもりはない。只今をもって、私の目的は果たされた』
ふん。俺の方が一足早かったな。
これで駆け引きは成立。ここからは、俺の単なる誘導だ。
「――本当に?」
『何が言いたい』
メビウス・リングの訝しげな声音が耳に響く。そう、お前は油断した。だから負ける。
「俺たちのシステムへの攻撃は上手くいったのかって言ってんだ。確認してみろよ。イヴたちを追いかけながら俺の居場所を特定しようとしていたんだろうが、残念……逆だよ」
メビウス・リング、お前の居場所は既に割れた。情報戦で俺に勝てると思うなよ?
俺は瞬間でメビウス・リングに割り込まれたシステムからイヴとの通信機能を回復させ、通信を試みた。
「――イヴ。無事か? メビウス・リングの座標データを送信した。うまく撒け」
「ハック、確認したよ。感謝」
イヴからの応答が返ってくる。……よかった。まだ無事だったらしい。
「……おうよ」
『――貴様、何をした』
再びメビウス・リングが通信に割り込んでくる。しつこいね……。
「お前がイヴたちを捕えることはできねえよ。俺がさせねえ。どうだ? 俺がいる限りお前は目的を果たせない。わかったらさっさと勝負しろ。オリオンのように楽な死に方はさせねえぞ」
来い。来い、来い……!
羽虫如きの俺にやられっぱなしってのは気が許さねえだろう?
『……望むところだ、人間』
思わず口元が歪む。今の俺の顔にはきっと嫌な笑みが張り付いていることだろう。
「いいね。お前らが知る現実を終わらせてやる」
俺は即座にハッキングを仕掛けてきているメビウス・リングの固有データをエンゲージ・デバイス側に定着させた。つまり、奴はもう、俺のフィールドから逃げられない。
ハッキングを仕掛ける際、通常、仕掛けた側が相手のテリトリーに侵入することになるため、相手側にシステムを守るガーディアン的存在がいた場合、ハッキングを仕掛けた側が不利となる。主導権は自然と守る側が握ることになるからだ。だから、基本は相手に気付かれないようにハッキングを仕掛ける訳だが、しかし、メビウス・リングは自ら俺に通信を寄越した。その時点で俺が奴をこちら側のシステムから逃れられなくするのは容易なこととなる。それを知ってか知らずか、どのみち、相手が悪かったな、エクス・マキナ。
俺はエンゲージ・デバイス内に構築した電脳世界にメビウス・リングを導いた。
『面白い。電脳世界で私に勝負を挑むのか』
「肉弾戦じゃ勝てねえからよ。ここは俺の土壌で勝負してもらうぜ?」
『現実世界であろうと、電脳世界であろうと、結果は何も変わらない。絶対強者であるのは私だ』
いいねえ……その過信っぷり。
伸びた鼻をへし折ってやりたくなる。
「……見せてやるぜ。電脳世界は現実をも凌駕する」
どうしてかな。負ける気がしねえ。
それにしても、こんなにハードな一日を送ったことが今までにあっただろうか。
イヴと名乗る少女に異世界へと導かれ、世界の変革のために力を貸して欲しいと言われ、実際に異世界のスーパーテクノロジーを駆使して敵と戦い――まさかの連戦。しかも、今度は一騎打ち。バックアップではなく、最前線。
……俺、昨日から寝てないんだよな。
眠気は頭の奥へと消え失せていた。無理もないと思う。これだけの状況が続けば体も睡眠欲求を訴えてはこないだろう。どちらかというと頭は冴えている。もう一仕事くらい何てことはない。
「メビウス・リング。こっちのシステムには入れたか?」
『貴様が誘導したのだろう。既に侵入している』
「はっはー。敵である俺の誘導に従ってくれるなんて優しいねえ。どうだ? 俺が即席で作り上げた電脳世界の居心地は?」
『最悪だ。貴様も早く姿を現したらどうだ』
「まあそう焦るなよ。即席で作ったにしては立派なもんだろう?」
俺はエンゲージ・デバイス内にデジタルの仮想世界を構築していた。そこにメビウス・リングを導いたのである。この電脳世界の基本構造はエンゲージ・デバイスが記録していた映像やデータを基にして作り上げられている。本当なら細部にまでこだわった超大作RPG風のスケールまで持っていきたかったのだが、この局面で即席のものを作り上げただけでも褒めて頂きたいものである。
俺の見ているPCモニターには、俺がデザインした電脳世界の一部が映し出されていた。空は灰色の天井に覆われ、空間の中には無人の観客席に囲まれた闘技場のようなステージのみ。このアリーナから抜ければ広大な電脳世界が迎え入れてくれるはずなのだが、今日のところはこのアリーナ内で決着をつけるというのが絶対条件。俺がメビウス・リングとの一騎打ちに敗れ、アリーナの先に抜けられてしまえばお終いだ。アリーナを含め、俺が作り上げた世界はエンゲージ・デバイスのシステムの全てを利用して構築されている。俺が負ければ、メビウス・リングはその世界を誰にも邪魔されずに破壊することができるという訳だ。そうなれば、エンゲージ・デバイスによって繋がっているネットワークも使えなくなってしまう。
即ち、クイーンズ・パーティの敗北だ。
イヴが聞いたら怒るだろう。勝手にクイーンズ・パーティのネットワークを賭けたんだ。まあ、勝てばいいだけのことなんだが……。
『殺し合いをするのであろう? ならば言葉は必要ない』
「わーかったよ。今いく」
俺もメビウス・リングが待つ電脳世界へとアクセスする。ここから先は、俺の戦争だ――
PCモニターの画面が切り替わる。
俺の目に映るのはエクス・マキナのようなロボットの背面。これは俺が構築した対メビウス・リング仕様のマシンデータである。ロボット・アクションゲームを愛してやまない俺がカスタマイズした自称最強機体だ。右腕にはハンドチェインガン、左腕上部には射出型ランス、手にはパルスガンを握らせている。右肩部に垂直射出式追撃多弾頭ミサイル、左肩部にミサイル迎撃管制レーダーシステムと、全てがチート級の戦力と言えるだろう。全身を白銀に染め上げた高速機動型の痩身フォルムにこれだけのカスタマイズを施すのは機動性を削ぐことにもなりかねるが、そこは熱暴走管制の内部システムでバランスを取らせてある。
どうだメビウス・リング。俺のゲーマー魂が詰め込まれたこの至高の機体。名前はノーネーム……ってあれ?
俺の機体に相対するように、堂々と真正面に立つ、エクス・マキナの姿。
おそらくは――というより、奴こそがメビウス・リング。メタリックグリーンのボディペイントの逆関節脚部の重量級機体。両腕には身の丈程もあるライフルを構え、背面では鎌のような大型武装が対を成している。その武装は電波塔のような骨組が剥き出しになっており、武器を使わずとも拳一つで叩き潰せてしまいそうな印象をもたらすが、青白い電撃を纏い、ばちばちと威嚇をするような放電音を撒き散らしている。迂闊には触れられない……。
「しかし……お前、かっこいいな」
『理解不能。貴様が操縦するその機体を破壊すれば私の勝ち。相違ないか』
「えっと、まあ。相違ないが、もうちっとお互いのフォルムを褒めたりだなあ、そういうのがあっても――」
『メビウス・リング、出撃する』
「っ――!」
正面のメビウス・リングが俺に向かって急加速。右腕のライフルを俺に向け、その引き金を引く。
「いきなりとは威勢がいいなあメビウス・リング!」
室内には俺一人とは言え、誰が居ようともきっとこの高鳴りは大きな声となって漏れ出ていたことだろう。
叫び、機体のコントロールに神経を集中させる。
俺は右腕のチェインガンで威嚇射撃を行いながら後方へと距離を取った。一方のメビウス・リングはチェインガンの銃弾を射撃している右のライフルとは逆――左腕に構えるライフルの銃身で銃撃を弾きながらこちらへと押し迫ってくる。
近接戦闘は跳んだら負け……。
機体を左旋回させ、メビウス・リングの放った銃弾を紙一重で躱す。そこで急速右旋回へと操縦を切り替え、地を滑るようにして相対位置を左右反転させる。今度は右旋回でメビウス・リングの背後に回りながら垂直多弾頭ミサイルを射出。しかし、メビウス・リングは己の機体の上半身のみを俺の動きに合わせて旋回させ、左腕のライフルで俺が射出したミサイルを迎撃していく。メビウス・リングはそのまま上半身を旋回させながら地面を滑走し、俺との距離を詰めてくる。
なかなかやるじゃないの。でも、これならどうだ?
俺は正面から突進してくるメビウス・リングにチェインガンを構える。するとメビウス・リングは再び、左手に握ったライフルの銃身をまるで刀剣のようにその身の前に突き出す。
――かかった。
チェインガンはメビウス・リングに向けたまま、俺は左手に装備した射出型ランスを放った。ノーネームとメビウス・リングの座標が交わるよりわずかに先に、射出されたランスの切っ先がメビウス・リングが突き出したライフルの銃身を貫く。
ノーネームとメビウス・リングはほぼゼロ距離。メビウス・リングは武器を打ち砕かれた衝撃で一瞬、動きが止まる。俺はその隙を逃さず、構えているチェインガンの高さを変え、次は頭部に向けて弾を放つ。
これで終わり……じゃない!?
メビウス・リングは頭部をわずかに下に傾け、チェインガンから放たれた銃弾を躱した。頭部を傾ける動きの流れでそのまま身を屈め、ライフルを手離した左手でノーネームの右脚を掴んできた。その左手を引き、ノーネームの脚を膝元から引っ張る。レスリングの要領で、ノーネームの機体はあっと言う間にバランスを崩し、後ろへと倒れ込んでしまう。
『ここが電脳世界であろうと、戦闘に常套手段が通じないことに変わりはない。武器が使えぬのなら、己の肉体を武器とせん』
倒れ込むノーネームの頭部目掛けて、メビウス・リングの右腕に装備されたライフルの弾丸が向かってくる。
――完全に誤算だ。
傍から見れば、今の俺の姿はPCでロボットアクションゲームをやっているようにしか見えないだろう。だが、これは本物の戦闘だ。装備された武器だけで戦うんじゃない。機体同士の殴り合いも可能。HPがある訳じゃない。エネルギーゲージがある訳じゃない。
……そうか。なら、行動制限も無いんじゃないのか?
「はっはー! ありがとよメビウス・リング! その手があったぜ!」
ノーネームの背面ブースターを噴射。メビウス・リングの放った弾丸は頭部のわずかに下、胴体部分上部に喰らいつく。構わずにそのままブースターを噴射――メビウス・リングから離れ、奴の斜め上方の位置で浮遊したままパルスガンを撃つ。
メビウス・リングの反応は遅れた。
右旋回でパルスガンを避けようとしたが、左肩部にその銃弾が掠る。そこから青白い稲妻が奴の機体を駆け巡り、機体の自由を奪う。
――容赦はしない。
俺はその間にチェインガンの雨を降らせた。木端微塵になるまでやめるつもりはない。
このまま片をつけさせてもらう!
メビウス・リングの機体はその場に縛り付けられたかのように動かず、メタリックグリーンのボディに何十もの黒い穴が空いていく。
何発も、何発も、何発も――
「……弾切れか」
引き金が軽くなったと同時、銃撃を止め、浮遊させていた機体を着地させる。
これで今度こそ終わったか?
いやいや、大体、敵が静かになった時ってセカンド・フェーズに突入するのが定石――
『電脳世界内、機体変形による影響小規模――と、メビウス・システムは判断する』
男性の声音であったはずのメビウス・リングから、無機質な女性の声が発せられた。まるで奴の中に、二つのプログラムが組み込まれていたかのような――
「……やっぱりこうなるか。おいお前、変形でもするのか?」
『敵機体、確認。排除する』
瞬間だった。
俺の問いかけに答える気などさらさらないと、俺が奴の放った言葉を聞き取った一瞬の間――メビウス・リングが佇む場所を中心に白い雷撃が爆散した。
アリーナは崩壊。
デジタル線で骨組まれたステージの原型が剥き出しになっている。
何より、今の攻撃でノーネームの管制システムがやられてしまったというのが最重要課題。
「やりやがったなクソブリキ……。今の爆発でこっちのシステムの二割が吹き飛んだぞ。機体の制御も全手動じゃねえか」
エンゲージ・デバイスのシステムのキャパシティは残り八割。ノーネームの機体構成を含めて、このステージに二割のシステムを使っていたんだぞ?
ノーネームの機体ダメージを考えればちっとばかしきつい展開だよな、これ……。
メビウス・リングは如何にも強敵という風貌に変形しているし、ゲームにしたってもう少しゲームバランスを考えるべきだろうよ。
見れば、メビウス・リングの背面に搭載されていた鉄塔のようなパーツが外骨格のように奴の機体を覆っていた。そのままではガレージで調整中のロボットそのもののような姿だが、機体の強度を高めるためなのか、外骨格の骨組みの隙間に銀色の鱗のようなものがはめ込まれている。
緑と銀とが交錯する、美しき狂気が目の前に立っていた。
メビウス・リングはさらに、右腕に握っていたライフルを放り投げ、脚、胴、両腕を囲むように浮遊する青いリングを出現させた。
「その全能感、堪んねえな。まるでラスボスだ」
『メビウス・システム、解放完了。敵撃破所要時間――三〇秒と推測』
……何が三〇秒だって?
「笑わせんなよ。こちとら一五秒だ、くそったれ」
カウント・スタート。
一五。
俺は火器管制の制御が奪われた状態のノーネームを操縦し、ブースターで機体を浮遊させ、その状態のまま右へ旋回。ロックオンシステムは作動しないが、俺は構わず、メビウス・リングに垂直多弾道ミサイルを発射した。
一四。
メビウス・リングはその場から微動だにしない。しかし、俺が発射したミサイルはメビウス・リングの機体の周囲に浮遊するリングが光った瞬間、全て爆散した。
……この感覚。まさか、この電脳世界内でさらにハッキングを仕掛けてきているのか?
一三。
俺は爆発に紛れ、空中からメビウス・リングに一気に詰め寄る。火器管制が使えない今、近接戦闘で決着をつけるしかない。だが、それはメビウス・リングも予測しているはず。俺は弾切れになったチェインガンをメビウス・リングに投げつける。しかし奴はチェインガンに見向きもせず、触れることも無く、破壊する。
――やはりハッキングだ。
火器管制だけじゃない。俺の動きを予測できるよう、ノーネームの操縦コードまで読み取っていやがる。
一二。
メビウス・リングを取り巻くリングが、全ての力の源になっているということだよな? 奴は変形する前、『メビウス・システム』という、オメガ・システム以外の媒体を有しているかのようなことを言っていた。だとすると、俺にハッキングを仕掛けている奴のシステムの構造を暴くにはまだ時間がかかる。
それに、視界に入っている限り、こちらの攻撃はあのリングによって全て無力化されることになる。
メインのシステムが支配されているせいでパルスガンは使えない。なら――
俺は再び、垂直多弾頭ミサイルを発射する。
十一。
メビウス・リングを囲んでいるリングが光る。
……もう、そのリングに頼るしかないんだろう?
十。
ミサイルはやはり爆散させられる。だが、そこに生まれる僅かの隙――この瞬間が勝負。
俺は白光するリング目掛けて、ノーネームの右の拳を放った。
九。
リングの、ノーネームが放った拳が当たった箇所がさらに光る。オレンジ色が混ざる、熱量を感じさせる光。その光は接触しているノーネームの腕部から肩部の方へと、なんと――浸食を始めた。
この光そのものがウイルスのようなものってことか!?
八。
俺は浸食を始めた光のウイルスデータを解析を試みる。秒速数百キロバイトもの演算を室内にあるPCを利用して並列処理をさせていく。
突破口があるとしたらここだ。このウイルスデータを逆手に取れば、メビウス・リングのシステムにこちらがアクセスできる。
七。
メビウス・リングの周囲に浮遊する全てのリングが白光を強める。まずいか……。奴はこのまま俺の機体を飲み込み、強引に勝ちに来るつもりだ。
六。
しっかし、ウイルスの侵入速度が速過ぎるな。ノーネームの武器管制が完全にコントロール下から外れてしまった。
だが、急ぐとミスが出るもんだぜ?
五。
俺はこちらのシステムに侵入してきたウイルスを改竄し、逆流させた。
四。
メビウス・システムのコアにアクセス。メビウス・リングを取り巻くリングのエネルギー源を破壊。
「……相手が悪かったな、メビウス・リング」
三。
『メビウス・システム内にエラーを確認。修正不可能。システムの強制シャットダウンを開始』
二。
……自我まで失ったか。
メビウス・リングは機体の各関節部から噴き出すように黒煙を上げ、頭部を無意味に旋回させる。
俺はノーネームの右腕をパージし、制御不可能になった管制システムをダウンさせた。
そして、残ったエネルギーを脚部と左腕に注ぐ。
一。
仕上げである。
ノーネームの脚部を地面に固定させ、胴体部分を回転させる。その回転で、左腕に遠心力を掛ける。遠心力で加速した左拳から、射出型ランスを放ち――メビウス・リングの頭部を貫いた。
零。
「――俺の勝ちだ。エクス・マキナ」
メビウス・リングの機体がデジタルのドットのような点描と化し、霧散するように消えていく。
この電脳世界にシステムを利用して具現化させた己自身が消えたということは、メビウス・リングのコアであるシステムが死んだということに他ならない。現実世界には奴の機体は残るが、今頃はきっと、抜け殻のようになっていることだろう。
戦果――メビウス・リングの撃破。こちらのシステムの損傷は四割。
勝利と言って問題ない。これならすぐに修復もできる、かな……?
「さて、と……。イヴたちが戻ってくるまでにやっとくか」
わずか数秒の間に繰り広げられた死闘を終え、せり上がってきた疲労を溜息に乗せて吐き出した。
エンゲージ・デバイス内の電脳世界からログアウトし、システムの復旧作業に取り掛かる。
ウイルスの並列処理をさせていた他のPCも再起動させて復旧を手伝わせてみたのだが、ウイルスを処理させていたにしたは動きも悪くない。これなら大して時間もかからないだろう。
と、俺が再度一息吐きかけたその時だった。
「――ハック。ハック」
途絶えさせていたエンゲージ・デバイスの通信機能にイヴの声が入る。
「どうした?」
パイロット・マークのヘッドフォン部分に手を当てて、安堵の色は伝わらないよう、その声に応答する。
「メビウス・リングは撒いたよ。途中でかなり動きが鈍くなって、今は追ってもこない」
「そうか……。ラッキーだな。なら早く戻ってこいよ。今後の動きを考えようぜ」
「わかった。すぐ戻るね」
「ああ、待ってるよ」
その一言を最後に、俺は通信を切ろうとした――のだが。
「ねえ、ハック」
イヴが言葉を続けた。
「……ハックが助けてくれたんじゃないの?」
イヴに悟られるような痕跡を残しただろうか――と、一瞬、そんなことを考えた。
けど、『助けた』という言葉に、俺は正直な返事をすることができなかった。
助けたというのとは少し違う。俺には戦いたい理由があった。俺は俺のためにできることをしただけ。全ては自己満足。
……エンゲージ・デバイスのシステムを勝手に賭けた訳だしな。これはさすがに言えねえわ。
「俺は何もしてないよ」
これでいい。もう少し、この戦いに自分の意志を見出せるまでは。
「そっか、ありがとう」
「はあ? ありがとうって、なんでだよ」
「別に。じゃあまたあとでね」
心無しか、イヴの声は弾んでいるかのように聞こえた。なーんかからかわれた気がする……。
何を考えてのありがとうかはさておき、俺は俺の仕事をするとしよう。
そうしてキーボードの上に手を置いたところで、ふと、考えた。
――文字。
――言葉。
――文明。
どれも俺が元居た世界で目にしてきたものと変わらない。文明レベルはこの世界の方が進んでいるかもしれないが、文字や言葉がたまたま同じだったっていうのには少し違和感がある。
いや、この違和感の源ははっきりとしている。
オメガ・システムにハッキングを仕掛けた際に、一つだけ、どうしても見つけ出せなかった情報がある。
「……どうして世界地図がないんだ、この世界……」