~岩VS花~
「あー、しんどかった」
響花は肩を回しながら言った。彼女は原三が去っていたあと一人で地道に机を運ぶ、という行為を繰り返しようやく掃除を終わらせたところであった。
「さて、私も帰ろう」
響花は鞄を背負い、教室を出た。カギを職員室に戻し、校門を出るとちょうど時計が五時を指したところであった。家までは約十五分ほどで、いつもならこの時間には帰り着いているはずなのだが、今日は掃除のせいでそうもいかなかった。まぁ、別に用があるわけでもないので、それはそれで良かったが。
ただ、この肩と腕の疲労がどうにもやるせない。これは間違いなく掃除をほうり出して行ってしまった原三のせいだった。だからといって彼を責める気もおこらなかった。なぜなら、彼には彼の事情があるようだったから。
響花はここまで考えてからふと気づき、「私ってなんてお人よし何だろう……」と呟いた。
響花はとぼとぼと並木道を歩いていた。まだ夏が終わって間もないせいか緑の葉がところどころに見て取れた。もう少し歩くと並木道を抜け、閑静な住宅街へと出た。この住宅街には陣東高校の生徒が多数暮らしている。
響花は住宅街も抜けて、人通りの少ない道路に出た。その道は車がやっと一台通れるくらいの広さで街灯もあまりなかった。だから、暗くなるとかなり危ない道なので部活のある日は住宅街の適当な場所で曲がって大きな道を通って帰る。でも、今日は、というより、月曜日は部活がないのでこの近道を使って帰るのだ。
響花はその道をすたすたと歩いていった。しばらくすると左手に大きな建物が見えてきた。それは数年前に建て壊しが決定したビルで、なかなか高い。また、このビルを知っている人の間では幽霊が出ると言われてたりする。響花も幽霊こそ信じていなかったが、夜にたまたまここを通った時、何か不気味だなと感じていた。
とは言っても昼の明るい時間帯はただそびえ立っているだけで怖くもなんともない。そういうわけで響花は早々にそこを通り過ぎようとしていた。
その時、前方から強烈な風が吹いてきた。思わず顔を背ける響花。どういうわけか、ここの時間帯はいつも、鋭い風が吹く。まだあんまり寒くない今ならいいのだが冬になると顔が寒くて仕方ない。夏は夏で生暖かい風しか吹かずちっとも気持ち良くない。だから響花はここの風が好きではなかった。
風が止んだので、再び歩きだそうとしていると、目を背けた方向に不思議なものを見つけた。
「……なんであんなにバタバタ木が倒れていくんだろう」
響花が唖然として呟いた。
なおも木々は倒れ続け、彼女はあることに気づいた。だんだんこっちに近づいてきてる。
響花は危険を感じ、その場を離れようとした。が、その前にもう一度森の方を見返した。木々は次々と倒れていく。
そういえば樹大君は森に敵がいる、みたいなことを言っていたような。ちょうどその時、森の何かが飛び出してきた。響花は反射的にそれを見た。そして、絶句した。いや、本当はそんな予感はしていたのかもしれないが……。
そう、森から飛び出してきたのは、樹大原三、その人だった。
森を抜けたか。別に今さら卑怯と言うつもりはない。それが闘いというやつだからな。
やつが森を抜ける事に関していえば大した感情はない。
だが、森を抜ける行為そのもの対して俺自身には大きな葛藤が確かにあった。
(あれから、かなりの年数が経ったな)
自分が村を抜けなくてはならなくなったあの日、ここでは闘っていけないと悟ったあの日、そして全てから逃げ出したあの日。
その原因となった忌まわしい力。それを今から使わなくてはいけない……。
気持ち悪く嫌な力。だけどどこか依存している自分がいる。
「やはり、オレは緑森流としてではなく‘死土丸’の使い手として生きていくのか」
緑森流はため息をついた。ちょうどその時、彼は森を出て地面に着地した。前には原三が刀を構えて立っている。緑森流はすっと息を吐いたあと、人が変わったように「ふふ……ハハハ……ハハハハッハハハッ……」と笑い出した。
そんな彼に原三は不思議を通り越して悪寒すら感じていた。
「どうしたのだ。気でも狂ったのか?」
そう聞くと男は笑いを止め、一拍おいてから切り出した。
「いや、今から起こる事で苦しくなると思うと、ついな」
「……何をする気だ」
「まぁ、警戒するな。苦しくなるのはお前じゃない……オレだ」
ますます意味がわからなくなってきた原三は剣を構え直し、闘う姿勢をとった。
「訳のわからぬことを。この地形ではおぬしには勝ち目がなかろう。今なら、刀の件については目をつぶることができるが」
「負けを認める?どうして認めなければいけない。せっかく今から苦しめるのに」
緑森流は不気味に言った。
「……なら仕方ない。……参るぞ!秘技 百花乱舞」
原三が幾千の花びらはまっすぐ緑森流の方へ飛んでいき、男の前で炸裂し土煙を上げた。
「避けなかった……だと」
原三自身も当たるとは考えていなかった。
(いくらなんでもおかしい。ここが森でないとしても、これくらいの攻撃なら避けられるはずだ。さっきの台詞は死ぬということだったのか?)
やがて、土煙が晴れ、やつの姿が見えた。
彼は傷つきながらも立っていてその前には刀が突き刺さっていた。どうやら刀で凌いだことで、致命傷を免れたようだった。
彼の左腕からは先程のけがが悪化したのか血が滴り落ちていた。
「ハハハハ。苦しい、苦しいぞ。……だが、これからが本番だぜ」
男は血に塗れた手で刀をしっかりと握りこう叫んだ。
「死土丸<しどまる> 奥義 『鎧』」
次の瞬間、原三の目の前に石や砂でできた巨大な鎧が出現した。その鎧は身の丈二メートルはあり、両肩に大きなとげがついていた。
「これが、これこそが我が刀『死土丸』の真の力だ」
鎧を纏った男が言う。
「真の力?」
「そうだ。オレの刀は本来死に土を操るものなんだよ」
「死に土……!?。緑森流が死に土を操るなどおかしいではないか」
「そうだよな。おかしいよな。ハハ……おかしいんだよ。フッハハハハ。そうさ、おかしい、間違っている。だが、今この瞬間においてそれは異常なまでに正しいんだよ。その正しさをすぐにテメー体に刻んでやる。……行くぜ」
原三は彼の不可解な言動に恐怖を覚えていた。
先程までは冷静な男だったのに、今は完全に狂っている。
「いったい、どうしたのだ」
原三は聞いた。
「どうもしてないさ。これは必然的現象なんだから。まぁ、そんなものはどうでもいいじゃないか。それよりしゃべってると舌噛んで死んじまうぞ……オレが。ハハハハ……」緑森流は高笑いした。
と思ったら突然原三の方に突進してきた。
「訳のわからんやつだ。とにかく今は闘うしかない。行くぞ」
原三はそう呟いたあと、まず敵の突進を避けた。
「来るんじゃなかったのか?いきなり避けてんじゃねぇか。日本語間違えたねー」
そう言いつつ片足で一気にブレーキしてまた原三に突進していき剣を突き出す。
今度はそれを左にステップしてかわそうとしたが、ギリギリで避け切れず男の鎧のとげでかすり傷を負った。
どうやらさっきより速度が上がっているようだ。
「おいおい、今度はちょっと当たっちゃってるじゃねぇか。もしかして次でおしまいなんじゃないか?」
そして、また同様に突進を繰り出してきた。スピードはさらに増している。
(かわしきれないのなら……)
原三は相手の突き出した剣を自分の刀で受け流した。
男の進行方向がわずかにそれる。
「いーねー。三度目は逃げなかったか。でも、そう何度もうまくいくかな」
男は今までとまったく同じ動きで再び原三を襲う。スピードは最初とは段違いだ。
原三は何とかそれを受け流そうとしたが、叶わず後方に吹っ飛ばされてしまった。
「ほーら。無理だった。お前はここに逃げてきて有利になったつもりかもしれないけど実際は追い詰められていたんだよ。笑えるぜー、ハッハッハッハー……!!」
「それはどうだろうな」
男は声のする方を見た。
そこには今吹っ飛ばされたはずの原三がいた。彼は廃ビルの壁に手をかけ、そこに立っていた。
「てめー、距離をとるためにわざと吹っ飛ばされやがったのか。やるじゃねぇか。で、その後どうすんだよ。ええ!?」
男はそう言いながら原三の方へ突っ込んでいった。
原三もそれに応じ、壁から手を離し、刀を両手で握る。
「参る」
原三は壁を蹴って男の方に跳んだ。
そして、刀を横一閃にする。
「百花流遠距離花砲『合花』」
男も剣を突き出して技を放つ。
「死土丸 鎧攻術<よろいこうじゅつ> 『土神突』<どしんとつ>」
二つの技の爆風により土煙があがり、二人の姿が隠される。
しばらくして土煙が消えた。そこに立っていたのは……。
「やるじゃねぇか。だが、お前の負けだ」
緑森流の男だった。
――数刻前――
合花を放った原三は落下しながら経過を眺めていた。
彼が『合花』を使ったのには狙いがあった。『合花』なら斬撃の速度が途中で急激に速くなり、相手が放つより前に当てることができるからだ。原三の思惑通り合花の斬撃は途中で速度を上げ、男が剣を突き出すより前に命中した。
風で砂が舞い上げられる。
(よし。いくら鎧をしていても技の衝撃は避けられまい。吾の勝ちだ)
原三が勝利を確信しかけた時、砂埃を貫き、男が技を放ってきた。
「死土丸 鎧攻術 土神突」
(なに!? 合花が聞いていないだと!)
原三は一瞬動揺したが、すぐに集中力を取り戻した。
敵の斬撃がもうすぐそこに迫っていたからだ。
なんとか避けようとするが、空中であるのでままならない。
(くそ)
次の瞬間、腹に鋭い痛みがはしり原三は壁に叩きつけられた。
「ぐはっ」
壁沿いに倒れ込む原三。地面に突っ伏しながらも前方を向く。巻き上げられた砂埃が消え、やつの姿が現れた。
「やるじゃねぇか。だが、お前の負けだ」
痛みに顔を歪める原三に男は言い放った。原三はじっとその方を見つめている。
「いい表情だぜ、百花流。悔しいか?悔しいだろ。ハハハハ……」
今までにないようなイラッとくる高笑いをあげる男に原三は苦しげに呟いた。
「なぜ……こんな……やつに吾が……」
ほとんど声にならなかったこの呟きを緑森流の男は耳聡く聞き取っていた。
「なぜ?そんなもん決まっているだろう?心構えの差だよ、心構えの!?」
「心構え……だと!?」
「そうだよ。お前は覚悟が出来ていないんだよ。何かを捨てる覚悟が!」
男が一層声を荒げる。
「だから、お前はさっきからずっと逃げ腰なんだよ」
「ならば、おぬしは何を捨てたというのだ」
「オレか?オレはな……。なんてその手に乗るかよ。お前、時間を稼ごうとしてるだろ」
「!」
原三が驚いた表情を見せる。
「お前、オレの『土神突』を森での闘いの時みたいに避けたろう。本当に痛がってるみたいだけど、オレの技を受けたらその程度じゃないんだよ」
(……見破られていたか。狂っても頭脳は変わらないってことか。もう少し時間があれば痛みが治まるのだが……)
原三は立ち上がろうとしたが鋭い痛みがはしり思うようにいかない。
『神具月』もとっさのことで力を強くし過ぎたようだった。
「さて、そろそろおしまいだ。……死んでもらうぜ」
そう言うと緑森流の男は原三のほうにゆっくりと、だが確実にやってきた。
(このままでは……やられる……)