~みんなの努力は一人に消える~
さっきまでのタイムリミットは3分だったが今度は5分だった。
響花は教卓から現状を眺めていた。響花とミラが物音を聞いて教室に駆け込んだとき、原三はなぜか多数の男子に組み伏せられていた。そして、教室の後方にあった掃除道具入れがみるも無惨な状態で横たわっていた。
彼らの話によると、原三が入ってきた途端、クラスのみんなが彼に暴言をはき、ただの悪口ならよかったのだが、刀についての悪口を言ってしまったらしく、怒った原三がまたしても『百花乱舞』を放ったそうだ。そこまで話を聞いて響花は『じゃあ、なんで掃除道具入れだけ壊れてるの?』と質問した。原三曰く、ミラとの闘いでなかなか疲労していて、すぐ真下にあったカバンに気づくことができず、それに引っかかり、技がそれてしまったとのことだった。まぁ、クラスメートからすれば、それてくれたという思いだったろう。そのそれた斬撃の餌食となったのがあの掃除道具入れだった。
さて、どうしたものか。響花は頭を悩ませた。1時間目の授業は気難しい小田先生による現代文。彼にあのボロボロの掃除道具入れを見られたらどうなるだろう。きっと文句を言われ、さげすまれ、心をズタズタにされるだろう。そして、クラスのみんなは疲弊し、1時間目がどんよりした雰囲気になる。それは何とかして避けたい。風紀委員の響花が困っていると美化委員の望月さんが横から話しかけてきた。
「響花ちゃん、今、調べてみたんだけど掃除道具入れのドアはボコボコだけど本体はまだ誤魔化せそうよ」
「そう…………。でも、扉だけ変えるなんてことできるのかしら」
「普通ならできないでしょうね。だけどこのクラスならできるわ」
望月さんは言った。
「……そう言うってことは、何か策があるの?」
「ええ。あまり使われていない教室の掃除道具入れのドアを拝借してくればいいのよ」
「どうやって?」
「それは……」
望月さんが説明しようとすると一人の男が割って入ってきた。
「それは、オレがピッキングで鍵をあけ、さらにこのドライバーでドアを外すのさ」
「あっ、私が言おうとしたのに」
望月さんがすねたように言う。
「土屋君はお父さんが鍵の会社の社長さんだったわね。……でも、なんでドライバーなんか持ってるの?」
「趣味だ」
土屋君がなぜか胸を張る。時間がないので二人にはさっさと作戦を実行してもらうことにした。残り時間はあと3分。響花は急いで走っていく二人を見送りながら
「でも、拝借した教室の道具入れのドアはどうするのかしら」
とつぶやいた。
「それなら私に任せてください」
「あっ、あなたは米長さん」
米長さんは普段はおとなしくあまり主張しない生徒だが、たまに発言もする。
「私が明日中に直しておきますから」
と彼女は言った。
彼女は家が大金持ちでこのぐらいのことは簡単にできた。ただ、彼女が財力を使うタイミングは誰にもわからないのであった。響花が教室に入るといつもの状態に戻ったミラが話しかけてきた。
「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど。あの子、誰?」
ミラは原三を一瞥して言った。原三は今、椅子にロープで縛られ、クラスのみんなの監視下にあった。ちなみに彼の刀は教卓においてある。
「あぁそっか、こっちのミラはまだ会ってなかったね。彼は樹大原三くん」
ミラの問いに響花が答えた。
「転校生……。じゃあ、あの子が」
ミラはそう言うと原三の方に歩いていった。
「あなたが樹大原三君ね」
「ああ、そうだが、今さらなんだ?」
原三が怪訝顔をする。
「私、本郷ミラ。よろしく」
「知っている。いったい急にどうした」
原三は不思議そうにつぶやいた。響花は原三がミラを不審な目で見てしまうと思ったので、原三に小さな声で
「あのね、樹大君。実はミラは多重人格なの」
「なんだ、それは?」
「えーと。一人の人が人格をいくつか持っている状態のことかな。だから、ミラには明るい面と男みたいに荒々しい面があるの」
「なるほど。要するに今、目の前にいるミラは吾の知っているミラではないということだな」
以外と原三は理解力があったようだ。
「ねぇ、何、話してるの?」
とミラが聞いてきたので響花は「ううん、何でもないよ」と誤魔化した。
「そういえばなんでミラが樹大君の名前を知ってるの?」
と聞く。
「ああ、その事ね。叔父さんに頼まれたの。もう時期転校してくる樹大君を支えてやってくれって」
「おじさんとは誰だ?」
話を聞いていた原三が聞いた。
「柏木矢七。『矢七』<やしち>って言えばわかるって言ってたけど」
「!まさか、君は矢七さんと暮らしていたのか!?」
「ええ。……どうしたの?そんなに驚いて」
ミラは首を傾げた。
「いや、村を出たとは聞いたが矢七さんにお世話になっていたとは知らなかった」
原三はほとんど独り言のようにつぶやいた。ちょうどその時、ついにあの二人が帰ってきた!
まず、望月さんが勢いよく入ってきた。
「お待たせ」
だが、なかなか次が来ない。すると望月さんが廊下を覗いて「早く、早く」とせかす。
すぐに土屋が肩で息をしながら教室に入ってきた。背中には金属の板を背負っていた。
「せかすなよ。なかなか重いんだぞ」
ドアを下ろしながら土屋が答える。それはまさしく掃除道具入れのドアであった。
「じゃあ、早速、つけかえてもらえる?」と響花が促す。
「了解!」
土屋が応じ、手慣れた手つきでボロボロのふたを外し、新しいふたをつけていく。彼はいったいどんな趣味を持っているのかと思ったが、時間がないので聞くのは止めておいた。ふと時計を見ると残り時間はあと40秒だった。
この分なら何とか間に合いそうだと響花は思った。響花の予想通り残り20秒というところで修繕は完了した。クラスメートが安堵の表情を見せる。これであの先生に怒られないで済む。みんなで協力したかいがあったわ。
皆はこの5分の奇跡に感動していた。しかし、5分という時間は原三が自由になるのには十分すぎる時間だった。
「問題は解決したようだな」
全員の視線が声の方へ向けられた。そこには刀を取り戻した原三の姿があった。
「お前、どうやって縄をといたんだ」
クラスの男子が聞いた。
「ああ、その布の入れ物から刃物を借りた」
見るとさっきまで原三が縛られていた椅子の上に、ハサミがのっていて椅子の傍には筆箱が落ちていた。
「これから吾はどうすればいい?話では授業を受けるらしいのだが」と原三は落ち着いた口調で言った。
響花はクラスメートの『誰のせいでこんなにも切羽詰まった心持ちでいなければならなかったのか』『何を呑気にこれからどうすればいいかなどと聞いているのか』『お前のせいでトイレ行けなかったじゃねぇか』といった心の中の不満をひしひしと感じていた。このままではリアルに血で血をわかつ抗争が起きてしまう。並々ならぬ危機感を覚えた響花は「もうすぐ1時間目が始まるからみんな席につこうよ」
と大声で叫んだ。
その声に皆はどうにか怒りを抑え、各々の席につく。
「……吾の席はどこだ?」と原三が言う。
響花が「うーんと。私のうしろが空いてるからそこにして」と返答した。
「そうか。わかった」
原三は素直に応じ席に向かおうとした。
その時、チャイムと共に、復活したやつの声が響いた。
「おい、さっきはよくもやってくれたな」
「……何者だ」
「俺は川島竜。さっきお前に吹っ飛ばされた男だ!」
「そうか」
原三はそれだけ言うと再び席に向かった。
「ちょっと。スルーするなよ。俺はお前に言いたいことがあるんだ」
「なんだ。さっさと言え」
原三が面倒臭そうに答えた。
「じゃあ、言わせてもらうぞ。まず、なんで高校生がそんな上等な刀持ってるんだよ。法律に引っ掛かるだろうが。そもそも学校にそんな物持ってきたら危ないんだよ。あっ、もしかしてモテたいのか!?手品かなんかは知らないが、ほら、カッコイイだろとやりたいのか!?
……まぁ、それは別にいいけど、そのために斬られる人の身にもなってみろよ。斬られると痛いんだぞ。俺なんかさっきうちつけた腰がまだ痛い。どうしてくれるんだ!?」
川島は超早口で今までの不満をぶちまけた。決して間違ったことは言ってなかったのだが、彼の発言は原三を怒らせた。というより、いらつかせたようだった。原三は無言で刀を構えた。
「な、なんだよ」
後ずさる川島に原三は
「斬捨て御免」
とつぶやき、技を放とうとした。ここで響花が本日三度目の止めに入る。響花は川島と原三の間に飛び込み
「やめて」
と叫んだ。
しかし、原三はすでに百花乱舞のモーションに入っており、技を止めることは不可能であった。このままでは技が響花に直撃してしまう。原三としても響花に百花乱舞を当てることは避けたかった。彼女は今まで一回も自分に暴言をはいていなかったし、皆をまとめるために一生懸命にやっていた。それより何より原三は本能的に彼女を斬るのに強い抵抗を感じていた。原三は何とかしようと技の威力を極限まで抑え、体勢をわざと崩し、刀の軌跡をそらした。その結果、どうにか斬撃は響花には当たらず脇にそれていった。だが、そらされた斬撃は真っすぐ窓に向かっていた。斬撃が窓にあたる。窓が鋭い音を響かせて割れた。ガラスの破片がそこら中に散らばる。窓の割れる音が止み、静寂がおとずれた。それは、安らかな静寂には程遠い、どんよりと暗い静寂であった。
「終わった……」
誰かが呟いた。絶望があたりを包む。原三もさすがに自分が悪いことに気づいたのか黙りこくっている。響花はこのままでは私たちはとてつもなく陰険なクラスになってしまうと思い、皆を元気づけようとした。その時、突如教室のドアがガラガラと音をたてて開かれた。クラスメートの八割が罵倒されることを覚悟した。ちなみに残りの二割はみんながなぜ絶望しているのかわかっていない原三と、原三をひたすら憎んでいる人々である。入ってきた先生は割れている窓を見た。それから、呆れたように「窓が割れているじゃないか。また、本郷が暴れたのか」と言った。
あれ?怒りの言葉じゃない。響花は先生をよく見た。そして、やっと気づいた。その先生は皆が恐れていた先生ではなく四組に対してそれなりに理解のある世界史の先生だったのだ。全員がほっと息をはきだした。
「どうしたみんな、なんか疲れてるな」
「いえ、気にしないで下さい。でも、どうして先生が?」と響花が聞いた。
「ああ、急に気分が悪くなったとかで自習になったんだよ」
「そうですか」
「さて、俺もやらなければならないことがあるから早く自習プリントを配りたいな」
それを聞いた響花は突っ立っている生徒たちを促し席につかせた。川島と原三もおとなしく自分の席についた。
響花はなんで今日はこんなにまとめる役ばかりやってるのかしらと考えながら自分も席に戻り腰を落ちつけた。