~少女の勇気~
「どこに行ったのかな……」
さっき見たのは間違いなく原三だった。
ずっと捜し回っているのだが一向に見つからない。
「確かにこっちの方に走っていったと思うんだけど……」
周囲を見渡すがそれらしきものは見当たらない。
それもそのはずだった。
響花がいるのは取り壊しが決定している廃ビルが多くあるところで、物陰が山ほどあるのだから。
「もう、諦めようかな……」
と響花が呟いた時、近くで騒々しい音が聞こえてきた。
「なんだろう」
気になり、その方向へ行ってみる響花。道が開けて見えてきたのは地面に突っ伏す原三の姿だった。
「き、樹大君」
どう見ても倒れているのは原三の方だった。そして、その場にはピリピリとした空気が流れていて、背筋が凍るようだった。
「ミラの時とは全然違う……」
ふと相手の男が原三の方に歩いていくのが見えた。
「このままじゃ、樹大君が……」
そう思っていても足が奮え、腰が砕ける。それが彼女の意志を曇らせる。
(……私が行っても何もできない。ただ足手まといになるだけ)
自信をなくし立ちすくむ響花。
そんな時、彼女の目の中に苦しげに横たわる原三が映し出された。
そして、その側には彼の命を今にも奪おうとする剣が……。
「樹大君……」
やがて、剣が振り上げられる。
「……!」
次の瞬間、彼女は駆け出していた。今までの悲観や恐怖などどこかへ消え去っていた。
彼女はただひたすら原三に向かって駆けていたのだ。
「待って!」
できる限りの大声で叫ぶ。
「!」
二人がこちらを見た。
そんなのお構いなしに響花は緑森流の男にタックルを仕掛けた。
「おっと」
男は咄嗟のことで後方にニ、三歩よろめく。
「ハァ、ハァ。大丈夫?樹大君」
響花が息切れしながら聞く。
「ああ。もう少しすればな。……それより、早く逃げるのだ、白井殿」
「えっ。でも樹大君が」
「吾は自力でなんとかする。だから、早く……」
「やだよ」
「白井殿!」
原三が怒鳴り声を上げる。とその時、
「ハハハハ……。やってくれるな、嬢ちゃん」
原三と響花が慌てて彼の方向を見る。
「ハハハハ。今日一日中、お前らの様子を見ていたが、嬢ちゃん、何回人庇ったんだよ」
「これで五回目です」
響花は平然と答える。
「ハハハハ。そうか。だけどな、今回は今までのそれとは違うぜ。わからねぇか?」
緑森流が馬鹿にしたように言った。
「そのくらい分かります!貴方こそわからないんですか。私の脚すごく震えてるじゃない!」
「……フッ、ハハハハハハハハ。確かにそうだな。ハハハハ……。じゃあ、死ぬ覚悟も出来てるか」
男は鼓膜が破れてしまいそうなぐらいにがなり立てた。
「そんなのできてないわよ」
「……だったらさっさと失せろ」
一気に声色を変える緑森流。そんな彼にたじろぐ響花。しかし、彼女は堂々として彼に反論した。相変わらず脚は震えていたが……。
「失せないわよ。私がいなくなったら貴方、樹大君を斬るでしょ。そんなことになったら今日一日の反省してもらえないもの」
「ハハハハ……。そんな理由でこいつを庇うか」
「ええ」
「じゃあ、オレが死を持ってその罪を償わせてやるよ」
緑森流が剣を構え直しながら言う。
「それは困ります。これから彼には一週間、教室掃除をやってもらわないといけないの。それと風紀委員の手伝いと部活の助っ人とかボディーガードとか……あとえーと……と、とにかく樹大君には、いてくれないと困るの」
「嬢ちゃんは無茶苦茶なやつだな。……もういいよ。強制的に消えてもらう」緑森流の男はそう言うと刀を上に上げた。
「心配するな。峰打ちだ。ただ、女に堪えられる痛みかどうかは知らないがな」
彼はそう叫びながら、刀を一気に振り下ろした。
恐怖に目を閉じる響花。刀に確実に迫ってきている。その刹那、響花のすぐ脇を何かがすり抜けた。そして、その後激しい金属音がした。
響花が驚き瞼を開いた。
目の前には必死にせめぎあう原三の背中があった。
「樹大君……」
「礼を言うぞ、響花」
「えっ……」
「吾は百花流の志を忘れていたようだ」
そう言うと彼は男を突き飛ばす。
男はそれに応じて後方へ跳んだ。
「志?それって……」
響花が言った。
「ああ。守ることだ。今、おぬしは理由はともかくとしても吾を守った。ろくに物を考えず、その本心で。そんなおぬしを見て思い出した。守ることの大切さを。そして気付いたのだ。守るべきものがあってこそ出せる力もあることに」
「守るべきもの……」
「うむ。だから吾は決めた。絶対におぬしを守り抜く!」
そう言った原三の背中を見た響花は目を擦った。
今日一日何度も見たはずの彼の背中が、今は何倍にも大きく見えたのだから。
(こんな大きかったっけ)
「響花」
「はいっ」
咄嗟のことに敬語を使ってしまう響花。
それをよそに原三は話出す。
「悪いがここから離れてくれないか」
「う、うん。わかった。……必ず帰ってきてね」
「もちろんだ」
響花は何度も後ろを振り返りながらビルの陰へと走っていった。
彼女が視野から消えると原三は緑森流の方を向いた。すると、男は「ハァー、あついねー。若いってのはいいもんだ」とニヤつきながら言った。
「そんなことはどうでもいい。……決着をつけるぞ」
「いいのか?嬢ちゃんとの約束を果たせねぇぞ」
「それはどうだろう。おぬしは先刻吾には何かを捨てる覚悟がないと言った。確かにそれはそうかもしれない。しかし、吾にはすべてを守るという志がある!」
例を構え直し言い放つ原三。
「だから、勝てるって?そんな根性論でオレを倒せると思うなよ」
男も刀を構える。
「ああ。分かっている。……そもそも吾はただここにお前の能力を封じるために来たのではない」
「……なんだっていいさ。どうせお前は負ける」
「……そうか」
原三は呟くとフッと一息はいてから
「参る!」
と叫んだ。
その掛け声と共に辺りに幾千の花びらが出現した。
「ああ、来いよ!」
男の体にも黒き力が満ちる。
彼は素早く刀を腰だめに構えた。原三も同様に刀を引く。
「くらいな。土神突!」
男は一歩前に出ながら刀を突き出し、斬撃を放つ。
砂埃をあげてドス黒い斬撃が原三の元に向かう。原三はそんな斬撃にも物おじせず同じように力強く刀を突き出し、技を出す。
「百花流 奥義 『桜龍』」
舞い上がっていた桜の花びらが龍を形取り斬撃に覆いかぶさるように敵目掛けて飛んでいく。
(龍とはまたカッコつけやがって)
男が怪しく笑う。
(そんな形だけの技でオレを倒せると思っているのか)
まっすぐ敵の方へ向かっていく『土神突』と『桜龍』が二人のちょうど真ん中で衝突、轟音が辺りを揺るがす。
せめぎあう黒色の斬撃と花弁の龍。互角かと思われたが、次の瞬間、猛烈な風が吹き徐々に黒色の斬撃が龍に飲み込まれてきた。
(な、なに。オレの技がおされているだと!……まさか、この向かい風のせいか。きっと風によってやつの龍の勢いが増しているんだ。……なるほど、純粋に技を強化するためにここに来たわけか)
緑森流がそこまで考えた時、桜龍が斬撃を完全に引き裂いて男の方に向かってきた。
(どうやら思っていたよりお前は強かったようだ。だがな……)
龍が緑森流を飲み込む。
それと共に花びらが衝撃へと変わり、緑森流の体を四方八方から襲う。地面の砂が巻き上げられ、ただでさえ悪い視界が茶色く染められる。そんな中、男は平然とその場に立っていた。彼は不気味に笑いながら叫んだ。
「残念だけど、そもそもこんなものは効かねぇんだよ」
彼の声が広場こだまする。
(この攻撃が止んだら一撃で仕留めてやるよ)
男がそんなことを思っていると突如花びらの衝撃が止んだ。
すると、間髪入れずに百花流の声がした。
「ならば、これならどうだ」
「!」
いつの間にかすぐそばまで来ていた原三が花びらを掻き分け目の前に現れた。彼は飛び込むと同時に刀を突き出した。
刀が緑森流の胸にガンッと突き当たる。しかし、彼は頑強な鎧によって守られていてとてもそんな突きじゃダメージなど与えられなかった。
一見原三のこの行動は無意味に思えた。だが、実際はこの突きで緑森流の体勢は大きく崩されていた。
(くそっ。こいつオレのバランスが鎧のせいで悪くなっているのに気付いてやがったのか)
緑森流の体は若干後方に飛ばされ、足が地面から浮いた。
(まぁ、この程度の打撃では焼け石に水だが)
緑森流はまだまだ余裕を感じながら体勢を整え反撃にでようとした。
「これで、衝撃を逃がせまい」
「!」
(なっ……その事まで見抜かれていたのか!?オレが衝撃を地面に逃がしたのは今の龍の技を除いて一度だけだというのに)
緑森流は動揺しながらも次の原三の行動を読む。
(衝撃を逃がせないといっても今、攻撃を受けることはない。花びらを衝撃に変えたら近くにこいつ自身もダメージを受けてしまうからな。ここは一旦着地してから――)
緑森流は目を見張った。花びらが少しずつ消えていっているのだ。
(まさか、相打ち狙いか)
原三が両腕をクロスさせた。
花びらが完全に消え、緑森流の体に振動が生じる。
(まずい、やられる)
緑森流は覚悟して衝撃を待った。振動こそ続いていたが大きな痛みは一向に来ない。流森流の男はここでようやく気づいた。
(これは衝撃じゃない……風だ!)
緑森流の体は風によってどんどん押し上げられた。彼の鎧は、気と本物の岩の混合体であるため比重が軽く表面積も大きくなっていたので、全身に風を受けると巻き上げられてしまうのだ
緑森流はなんとか空中で体勢を立て直し、原三を見据えた。
彼もまた風に飛ばされていた。
だが、すぐに足をつきその場に留まった。そして、剣を振り抜き「秘技 百花乱舞」と叫んだ。例の花びらが緑森流に押し寄せる。
(攻撃が効くからといっても、そう簡単にいくものか)
緑森流の男は百花乱舞をまず無効化しようと剣を構えた。
その時、またもや強風が吹き荒れ、技の軌道が脇へとそれた。
(しめた。これで心置きなく攻められる)
緑森流は刀を引き気をためた。黒いオーラが体中から湧き出る。
「次が最後だ」
緑森流の男が技を放とうとする。
ふと原三が呟いた。
「……悪いが次はない」
(!?)
刹那、緑森流は気付いてしまった。
反れたはずの花びらがいつの間にか彼を覆っていたのだ。
目の前にちらつく花弁を見た彼は全てを悟った。
(そうか、さっき乱舞が反れたのは隙を作るためフェイクだったのか。やつはそこまで計算に入れてここに来ていたんだ)
消えゆく花びらの中、男の脳裏に過去の情景が浮かんだ。
無言の圧力に怯え、村を出た自分。それでも緑森流を捨てれなかった自分。勝利を求めるあまり軽蔑すべき力を使ってしまった自分。すべて苦しき己の記憶。
その末がこの敗北だ。
村や緑森流まで背を向けてまで手にした力をもってしても勝てなかったのは何故だ?
緑森流は百花流の目を見た。
彼の目は真っすぐこちらを見つめていた。
清純で力強いその瞳の奥にはゆるぎない信念が感じられた。
(……どうやら心構えがないのはオレの方だったのかもしれないな)
やがて、花びらが跡形もなく消え去った。
そしてその衝撃波は緑森流の体を容赦なく貫いた。
「くそヤロー」
彼の声が虚しく響いた。同時に衝撃波が鎧の内部を揺るがし、ついにその牙城は打ち砕かれた!
「……負けたか」
男はひび割れた地面の上で天を仰いだ。
「結局……オレはどっちも中途半端だったってことか。緑森流も死土丸も」
そう呟いた彼の中で昔の記憶が甦る。
同級生たちにバカにされ、発動したあの死土丸の力。初めて使ったときは恐怖を抱いた。しかし、負い目を感じ村から逃げ出したあとでおとずれた生命の危機に、彼は死土丸の力を使ってしまった。それ以降、彼は緑森流を貫こうとしながらも時々死土丸の力も使った……。
次々と浮かんでは消える記憶にまどろんでいた男は原三の言葉に目を覚ました。
「中途半端……だと?」
「ああ、そうだ。だって緑森流と死土丸の力は真逆のもの。そんなものを使うオレが完全になれるわけがないだろ」
「そういう問題ではない」
原三が声を上げた。
「そういう問題だよ。もしどちらかの力が完全だったなら、お前に勝っていたかもしれないんだぞ」
彼の発言に原三は毅然として言い放つ。
「まだ、わからないのか!おぬしは紛れも無く緑森流と死土丸を扱いし人間だ。おぬしはそれに付き合っていかなくてはならないのだ。確かに、おぬしの二つの力は相対するものかもしれない。しかし、見方を変えればそれらは互いの欠点を補い合っている。相互に使えばきっと強力だろう。……完全、不完全は問題ではないのだ」
「あぁ?技術じゃないならなんだ、守る覚悟と捨てる覚悟で勝敗が決まったとでも言うのか」
さらに怒鳴り散らす男。
原三はゆっくりと答えた。
「……そんな精神論などではない」
「じゃあ、なんで負けたんだよ!」
「それはおぬしが考えることだ。……これからの生き方もな」
原三は静かに刀を鞘に収め、その場を去っていく。
男はすたすたと歩いていく彼の背中に叫んだ。
「おい、待てよ。知ってるなら教えろ。なんで、なんでオレは負けたんだよ!」
一人になった廃ビルの中で、彼の声だけが悲しく反響していたのだった。




