第五節 -6- 障害 【勇者3】
勇者は迷っていた。
相手の魔族の魔力量。その膨大さは今までに見たことがないほどのものであり、一筋縄ではいかないだろうことが予想された。
本気を出せば、『捕食』の魔法がなくとも、勝つことは容易だが……その方法の場合、魔力量の消費が恐ろしいものになる。それは、避けたかった。たとえ、この魔族を倒せば、その魔力を全て自分のものにできるとわかっていても、魔王の魔力量は、それよりもさらに上であることは当然であったのだ。ならば、無駄な魔力量の消費は、出来る限り抑えておきたい。
勇者は他の人間に比べると、膨大すぎるほどの魔力を持っていたが、彼にとっては、魔王を倒すつもりの彼にとっては、それですら、矮小にすぎるものだった。
だからこそ、迷う。
ここで本気を出すべきか、出さないべきか。
そもそも、リストが死んでしまっては、元も子もない。その時点で、計画は破綻する。グローリーとリストが生存していて初めて、今の計画は遂行することが可能となるのだから。
あっちは……『第八』と『第九』か。グローリーもシェーラも、単純な実力でならまだまだ弱いが、魔法の相性としては、良いだろう。いや、相性だけならば、『第九』に対しては、リストのほうが良かったかもしれない。……まあ、いざとなれば、あいつがなんとかするだろう。
よって、今、目指すは、リストを死なせずに、『第五』と『第六』を殺すこと。リスト単独で『第六』と戦うのは無謀。連れてきた兵たちも、弱くはないが、『第六』相手では、手も足も出ないだろう。サポートならば使えるかもしれないが、サポート以上のことはできない。いや、だが、サポートができるならば、選択肢も広がる……。
勇者は思考を展開する。
自分が、何をすればいいのか。
自分が、何をすべきか。
それだけではなく、自分以外の人間に、何をやらせればいいのか。何をやらせるべきか。
それを、ほとんど一瞬で、思考する。
「どォした? 勇者。とっておきの魔法が効かなくて、ビビっちまったか?」
「そのようなことはないだろう。勇者があれだけではないことは、承知だろう?」
「まァな。だが、この俺様が油断せずに、ずっと本気で戦ってやろうってんだ。化物とは違って、人間の魔力量は、まだまだ少ない。俺様は、俺様よりも魔力量が多い相手ならば負ける可能性もあるが、俺様よりも魔力量が少ない相手ならば、ほぼ絶対に負けねぇ」
「それは一理あるな。このオレでも、少々苦戦するからな」
「……バカみてェな魔力量にものを言わせやがったくせに、よく言いやがる」
「そうするしか勝つ方法が思いつかなかったものでな。まあ、そんなことはどうでもいい。さあ、勇者よ。どうした、早く来い。……来ぬならば、オレから行かせてもらうぞッ!」
直後、テドビシュの魔力が膨れ上がった。勇者はそれにはっとして、意識を現実に戻す。そして、笑みを見せた。
「決まった。だから、まずは、お前だ」
勇者は『攻撃』の魔法をテドビシュに放った。それに間髪入れず、テドビシュの膨大な魔力が放出され、まるで自分から向かったかのように、勇者の魔法に直撃し、相殺された。
テドビシュは驚きに目を瞠った。だが、勇者ならばありえると考え、その驚愕を歓喜へと変えた。
「それでこそ、勇者だ! オレが何をしようとしていたかはまだしも、魔力がどこに向かうかすら完全に把握するとはな。恐れ入ったぞ」
テドビシュは歯を剥き出しにして笑った。その顔からは、ぎらぎらと獰猛に眼光が走っていた。
「良い」
そう言って、テドビシュは右腕を反るようにして、構える。
「褒美だ。見せてやろう」
そして、その右手へと、先ほどまでよりもさらに膨大な魔力が、集約される。
「これが、『力』だ」
瞬間、勇者の視界は、真っ白になった。
テドビシュが腕を振るのは見えた。だが、それだけしか見えなかったのだ。それはなにも、テドビシュが見えないほどのスピードで何かをしたというわけではない。ただ、それだけしかしなかったということなのだ。
魔力を集約させ、放つ。
たったそれだけの行為。
原始的で、野蛮で、獰猛な――故に、最も『力』が発揮される行為。
勇者の洗練された魔法ではない。これは、ただの『力』だ。
魔法とはとても呼べず、だが、全ての魔法の原点である魔法。
それが、この、魔法。
『力』の魔法。
「それでこそ、畜生だ!」
勇者は今までに構築してきた魔法陣の一つを咄嗟に展開・起動する。勇者はその凄まじいまでの魔法構築速度から、魔法は戦場で構築するという離れ業をするのが普通だが、他の人間の場合、それは普通ではない。『詠唱』の助けがないと、ほとんどの人間は戦場の短い時間で魔法を構築することなど不可能だ。
そんな彼らはどうやっているかというと、魔法陣など、魔法の構成式を記述したものを使い、それに魔力を流し込み、起動するだけで魔法が発動するようにしているのだ。そうしたほうが安全で、強力な魔法が使えることは明白だ。
そして、勇者も、それをしていた。
勇者の場合は、咄嗟に構成・展開できないほどの複雑巧妙精緻な魔法に限っての話だが、だからこそ、それは必要なのだ。それほどまでの魔法を、咄嗟に展開することができる。それは、戦場で咄嗟に構成した魔法とは比べられないほどの魔法であることは当然なのだから。
……と言っても、それほどの魔法は、魔力量の消費が(時間魔法や回復魔法ほどではないにせよ)著しいので、結局、勇者はほとんど戦場で咄嗟に構成した魔法を使うことが多いのだが。
しかし、勇者は、今、それを使ったのだ。
勇者が魔法陣にするほどの大規模魔法にしては、魔力量の消費が少ない魔法。
それを、勇者は、使った。
勇者が右手を真っ白な視界へと突き出すと、一瞬で幾重もの魔法陣が出現する。そのひとつひとつがヒトの身体の数倍ほどの大きさであり、それにびっしりとなにかが刻まれている。その中には文字らしきものもあったが、それは魔法陣自体の大きさとは逆に、羽虫よりもさらに小さな文字であった。
勇者は魔法陣が展開すると同時に、魔法陣に魔力を流し込み、魔法を発動させる。
そして、魔力が、直撃する。
削るような凄まじい轟音が響き、テドビシュは獰猛な笑みを見せ、勇者は苦い笑みを見せる。
「……仕方ない」
勇者は呟き、魔法陣へと、さらなる細工をする。
「拒絶しろ」
その一言。
その『詠唱』は、絶大な効果を発揮する。
魔法陣がテドビシュの魔力の放つ光よりもさらに煌々とした光を発し、その場にいた全ての者の視界を完全に塗りつぶした。
その光が収まったとき、テドビシュの放った魔力は消え、代わりに、その場にいた者は皆一様に目を押さえていた――勇者を除いて。
「これだから、嫌なんだよ。これは、目が痛くなって仕方がないからな」
余りにも強すぎる光に、目が耐えられなくなったのだ。人間側には通信魔法で警戒を促したため、目蓋を閉じていたはずだが、それでも目が痛くなり、中にはうずくまる者もいるほどである。魔族二人は目を押さえてはいるが、魔族の目なんてものは飾り物でしかなく、それが本心から来る動作なのか、ただの演技なのかはわからない。勇者の感想では、どちらも本心から来たものだろう。このような方向での攻撃は予測していなかっただろうし。
「魔法陣に、『詠唱』まで使っちまうと、術式展開時に発せられる光が強くなりすぎるのが問題だな。まあ、それはすなわち、発揮する効力の大きさも示すわけだが」
ここにサヤがいれば、やっぱり勇者様は説明大好きですね、なんて言うか思うかしそうな言葉であり、わざわざそのようなことを敵に知らせることは愚かにも過ぎるが、これは勇者の戦略の一部である。
言葉を駆使し、相手を惑わし、時には味方さえ惑わし、動作の全てに意味がある。
それこそが、勇者。
「さて。早く目を開けろよ。そして、来い。この俺に『詠唱』まで使わせたんだ。すぐに征服し尽くしてやろう」
勇者は言った。