終わりの始まり 【Ⅳ】
勇者戦闘。
勇者は魔力を放出し、宙に浮かんでいた。トーラの巨躯と比べると、勇者の身体はあまりにも小さく、そうしないと不利だったからだ。トーラからすれば、勇者は蝿のようなものだろう。地を這うゴキブリではなく、空飛ぶ蝿。二次元的な動きよりも、三次元的な動きのほうが逃げ道があるのは当然のことであり、ゴキブリよりも蝿のほうが捕まえにくいことも確かである。故に、勇者はトーラとの戦闘中は、ほとんど常に宙に浮くことにした。
「小賢しいッ!」
トーラが真ん中・右の腕に持つ剣を振るう。そのスピードは驚くほどに速く、勇者は避けることができず、自らもまた剣を握り、魔法を発動させた。
『切断』。
そして、魔法は発動し――だが、トーラの剣が切断されることはなかった。
轟音。同時に、衝撃が勇者の身体を貫き、勇者は勢いよく吹っ飛ぶ。
――まあ、対策くらいはされてるか。
勇者は思い、魔力を放出し、スピードをある程度緩め、地にぶつかるその瞬間、魔力を放出する向きを調整する。結果、勇者は長翼を持つ鳥の動的滑空、つまり、海面すれすれまで急降下し、その反動で一気に上昇するような鳥たちのように、一気に地から離れ、上昇する。
だが、それほどまでに上手くいくはずがない。
上昇する勇者の眼前には、壁があった。
壁――すなわち、トーラの蹄が。
トーラは脚を振り下ろし、勇者を踏みつぶした。
「……む」
同時に、トーラは違和感を覚え、脚を退け、勇者がぺしゃんこになっているはずの地面を見る。
だが、いない。
それにトーラは確信する。
「エレクトロの魔法、か。――だがッ!」
直後、トーラの魔力が急激に膨れ上がった。勇者はそれを感知し、即座に魔法を解除し、自らの存在を元の状態に戻し、防御体制に入る。
同時。トーラの魔力が一斉に放出された。
それは、ただの魔力の放出だったが、ただ魔力を辺りに放出する、それこそが、エレクトロの魔法の攻略法だった。
「ッ……なんつー力技だよ。さすがの俺も驚いたぞ」
難なくトーラの魔力放出を防いだ勇者だったが、その額には汗が滲んでいた。それも当然のことだ。なぜなら、勇者はまさに危機一髪だったのだから。
エレクトロの魔法。それは転移魔法といえば転移魔法だが、転移魔法とは違うものだった。自らの存在を希薄にし、それを周囲に蔓延させることにより、自らの『存在の核』を転移させるという魔法だった。
エレクトロは尾から、勇者は全身から、存在を世界に滲み出させ、存在の核たる肉体という物質に一定以上の衝撃が加わった瞬間に、その存在の核を移動させるようしておけば、攻撃された瞬間に転移するという魔法の完成だ。
この方法ならば、実際の転移魔法とは比べものにならないほどに魔力を節約できるし、容易にできる。(容易、というよりは、短時間で、だが)。自らの存在を希薄にし、その自らの存在の薄まった範囲内で転移するのだから。それは、自らの身体の中を動くようなものなのだから。意識を右手から左手に移すようなものなのだから。
無論、この魔法には重大な危険性がある。自らの存在を希薄にするということは、一歩間違えば、存在が希薄になりすぎて、霧散してしまう可能性を秘めているのだ。故に、この魔法は、勇気があり、冷静で、繊細な魔法構築が可能であるような者にしか、扱うことはできない。
そして、ここまで来たならば、どうしてさきほどの魔力放出がエレクトロの魔法の攻略法なのかは、自然とわかるだろう。
そう、存在が希薄だというならば、そのすべてに攻撃すればいいだけの話だ。
故に、魔力放出。
魔法などを構築している時間などなしに、一瞬でできる方法。(勇者は間一髪で防ぐことができたが)、その方法を使うと悟らせる時間をできる限り短縮することによって、存在が希薄であり、故に、防御も希薄なそれを狙い、ただ魔力の放出だけで、倒そうとする力技。
当然のことながら、希薄しているといっても、勇者ほどの使い手にダメージを与えるのには、生半可な魔力量では不可能だ。さらには、全方位という条件まである。
だからこそ、その方法は、力技なのだ。
膨大な魔力量を持つ存在にしかできない技。
圧倒的な力で、相手をねじ伏せるという技。
これを力技と言わず、何と言う。
「吾輩は『第四』だ。すこし術式構成を変えたからといって、『第七』の魔法に、惑わされるはずがなかろう」
トーラは言った。その上・両腕が、弓を構えていた。「おいおい、待てよッ」勇者は驚いたように言う。勇者はその矢が放たれたとしても、避ける自信があった。だが、避けることはできなかった。勇者の背後には、街があったのだ。
「魔族はもっと誇り高いと思っていたが、こんな手もとるんだな」
「無論だ。他の魔族はどうか知らんが、吾輩は、勝利こそが正義だと考える性質でな。『勝利のための戦略』は、どれほど卑劣であろうと、許されるものだと思っている」
「そりゃあ、なんとも、忌々しいことだ」
勇者が苦々しげに漏らした瞬間、矢が解き放たれた。
勇者は時間魔法を使い、自らの時間を加速。世界がゆっくりに。矢は既に前方三メートルの場所。勇者はそれに触れ、やはりな、と思う。同時に、勇者は『捕食』の魔法で矢を構成する魔力を奪い、自らの力にする。
そして勇者は時間魔法を解除し、すると、トーラは下・両腕を勇者に向かって突き出しながら、勇者の方へ駆けてきていた。
「やはり、その魔法は危険だな」
トーラが言った。勇者は笑った。
「そうだろう? だが、失策だったな。もし、あの矢がお前の肉体から作られたものではない物質だったならば、俺を、あの時点で倒せていたかもしれないのに」
「それはありえん。その程度の者に、第七や第二十が負けるとは思えないからな」
「迷惑なお世辞を投げてきやがってどうもありがとう。お礼に征服してやるよ」
「なら、吾輩は蹂躙してやろう」
トーラの下・両腕に刻まれた紋様が光り、魔法を発動。黒い炎の球が出現し、勇者へと向かう。
「黒炎、か。『黒』という色が連想させるのは死や破滅、混沌とか、そういったものだから、魔法をその色にすることにより、その破壊力が増す……いいな、俺はそもそも魔法に色などないから、それは思いつかなかったぞ」
勇者は笑い、黒い炎球に右手を向ける。その手から不可視の魔法が放たれ、炎球を消し去り、その魔法はそのままトーラを襲う。
「何を言っているのかわからんが」
トーラは凄まじいスピードで動き――いつのまにか、勇者の背後にいた。
「吾輩は、蹂躙するだけだ」
剣が、槍が、勇者を狙い。
矢が、勇者を狙い。
新たな魔法が、勇者を狙う。
それに、勇者は、
「……はあ」
と溜息を吐き、そして、言った。
「それは失策だ。油断大敵だぞ?」
その言葉に、トーラは顔色ひとつ変えずに、その六本の腕から攻撃を放つ。勇者の言葉がトーラを惑わす言葉だと思ったからだった。トーラは勇者の言葉に惑わされることなく、顔色ひとつ変えずに、攻撃をしたのだった。
だが、勇者の言葉は、ただの事実でしかなかった。
勇者は時間魔法を使い、自らを加速。同時に、下方から迫る魔法に対し、『攻撃』の魔法を放ち、相殺。すると、ゆっくり剣と槍が迫ってきており、勇者はそれに触れ、『捕食』の魔法で魔力を奪う。
そのまま――時間魔法を扱った状態のまま、勇者は魔力を放出し、トーラに接近。
そうして、勇者はトーラに触れ、
「ここまで近づいたならば、時間魔法でそこまでの負荷なく、触れることができる」
魔法を発動した。
人間の魔法。
『捕食』の魔法を。